判官殿とカルチャーショックの段
「こ、これはなんと……」
城門を抜けると、そこはまさに異世界であった。三階を超える家々に屋台。行きかう人々の数も京を超える程かとも言える賑やかさだった。
大半は人族だったが、がっしりとした背の低いドワーフや、耳が長いエルフの姿も見える。
馬車と人が交差しないように歩道も作られ、秩序だっている。
最初はそれだけだと思っていた義経だったが、内側にまで城壁があった事には面食らった。ゆっくりと中に入ると、歩いている人々の身なりが僅かに良くなっているのがわかる。
武器を持つ人は少なくなり、ゆったりとした服を身にまとった人々がゆったりとした歩調で歩いている。
「中ほど豊かだな」
「このあたりですと騎士様や大きな商家も増えますからな。第一壁には貴族の方々の邸宅がありまする」
「ほう」
そのあたりは京とも変わらな気がする。
とは言え、建物の規模があまりにも違いすぎる。
石造りの家々の窓はすべてにガラスが使われ、花を飾っている家も多い。その衝撃は、京とは比べ物のもならない。エスタリアの教育でも、ここまで違うとは言ってはいない。
「間もなく着きますぞ」
「もう何を見ても驚かぬ」
「……」
「おかえりなさいませ!」
アイザック商会に辿り着くと、五十人は超える店員達が出揃った。
「難儀に遭ったが、ミナモト様のおかげで儂には怪我一つない。店の方に何事かはあったか?」
商人の顔になったアイザックが口を開くと一番身なりの良い男が前に出た。
「いえ、いつも通りつつがなく」
「あとは任せた」
「はっ!」
細かいやり取りを済ませると、アイザックの顔が人好きのするものに変わる。
「では御案内いたします」
「そうか」
義経が案内されたのは、二階にある商会長室だった。
豪奢な内装に義経は驚いたが、アイザックはまったく気にする様子もなくソファーの一つを義経にすすめた。
「どうぞおかけくださいませ」
「ああ……」
言われるままに座ると、その柔らかさに驚かせられる。尻や体を包み込むようで、そのまま眠ってしまいそうだ。
まるでおのぼりさんになってしまったが、無理もないだろう。文化的に全く違う場所に来れば、誰だってそうなる。
商人だと言っていたが、いずれかの官位に就いているのではないかと義経は思った。
「商人というのはまやかしでは無かろうな。国でもここまでの店など見たことがない」
「お世辞でも嬉しゅうございますな。私などまだまだでございます。<商王>エルクソン様には遠く及びません」
「其方でも及ばぬ大商人か」
「はい。帝室御用達で皇帝陛下にもお目通りが叶う程でございますよ」
アイザックがそう言った時、ドアがノックされた。「入れ」とアイザックが言うと、カップ等が載せられた盆を案が持ってきた。
紅茶を飲むのようになったのは、天界からだ。天界には様々な茶があったが、この国では紅茶が好まれるらしい。
アンが頭を下げて出て行くと、アイザックが微笑む。
「どうぞお召し上がり下さいませ」
「うむ」
紅茶を一口含むと、添えられていた茶菓子に手を伸ばした。小麦粉を使った焼き菓子は、甘味に慣れていなっかった義経の好物になった。
カリッと音を立てて齧ると、甘みが口に広がる。
朝廷の貴族しか口にできなかった菓子は、義経の顔をへにょりと緩ませた。
「ビスケットを大層お気に入りになられましたな」
「国では無かった」
当時の菓子はあくまで供え物であり、一般的ではなかった。我々の知るお菓子は、義経が生きた時代よりも後に発展したものであ
る。
「ははは。御存分にお楽しみくださいませ」
そう言いながら、アイザックが席を立った。事務机の背後にある大きな箱に向かうと、錠前を外した。
「お食べになられながらで構いませぬ。ひとまずこれをお受け取りくださいませ」
革袋をテーブルに置くと、すっと前に差し出した。
何も考えずに受け取って紐を緩めると、大きな金貨が転がった。
大金貨と呼ばれる金貨で、市井に出回る貨幣としては一番価値が高い。
「金のために助けたわけではない」
「それでもでございます。金は邪魔にはなりませぬ」
「それもそうか」
貴種である義経は、それだけ言うと素直に受け取った。懐にしまい込むと、ズシリと重い。
「身なりでも分かりますが、ミナモト様は大層なお家の方とお見受けいたします」
「血筋だけはな」
義経の家は清和源氏の一流である河内源氏であり、遠くは清和天皇にまで遡る名家である。武家の棟梁でもあるので、格別でもあろう。
とは言え、兄から放逐された身としては、家格を一々誇る気にもなれない。
「やはりそうでございましたか。市井の者とは違われた雰囲気を持っておられますからな」
「今では飯の種にもならぬよ」
「これからのことは明日以降にでもお考えになられませ。今日は我が家で歓待させていただきますぞ」
アイザックの邸宅は第一壁の中にある豪邸であった。周囲にある貴族の屋敷とも遜色はなく、寧ろ豪華とも言えた。
宴会場には楽団が集められ、聞いたことのない音楽が流れている。
久々の帰郷ともあって、商業ギルドに属する大商人も集まり各々歓談している風景は、公達の宴とは異なり、賑やかだ。
贅を尽くされた料理に酒、正装した男女。
身を飾る宝石は照明に輝き、まばゆい限り。
そんな中、アイザックの恩人である義経は大勢の人々に取り囲まれ、質問攻めにあった。「行った、勝った、それだけだござる」としどろもどろになっている義経に代わり、アイザックが大袈裟に説明するものだからたまらない。
目に見えぬ早業。
百発百中の弓。
野盗を一斬りで倒した剛健さ。
幼い剣の申し子。
等々。
思わず、義経はバルコニーへと退散し、大きく息を吐いた。
木曽義仲や平家討伐後の歓待など、今回に比べたらマシだったと義経は思った。
「宴は懲りた」
見たことのない酒もあったが、未成年扱いの義経は飲ませてもらえなかった。背の低さと顔をこれ程疎ましく思った事はない。
「明日にでも冒険者ギルドとやらに行こう」
義経は、義経を呼ぶ声に応えながら思った。