判官殿女神(自称)とまみえるの段
「ん……」
体がふわふわとしている。ゆっくりと目を開けると、雲一つない青空が広がっている。少なくとも、ここは衣川館ではない。
(地獄にしてはおかしい)
仏法の教えによれば、地獄の前に三途の川がある筈だ。轟轟と流れる水音も無く、耳に届くのは鳥が囀る鳴き声しか聞こえない。とは言え、極楽に行けるなどとは思っていない。
自慢でもないが、殺生の類ならば散々行っている。
「いつまで我が眼前で寝ておるのじゃ?」
どこから妙齢の女の声が聞こえてくる。視線を下に向けると、奇妙な物を鼻に掛けた奇妙な装束の女が椅子らしきものに足を組んで座っている。
顔立ちは整っている。しかし、鼻は高く肌がやたらと白い。殿上人の子女のように化粧をしているわけでは無さそうだ。
身に着けている服らしい物は白く、体に帯を巻き付けているかのようだ。他には銀色の装飾品で身を飾っている。しかし、それらを忘れる程鼻に掛けている物が何だかわからない。
「四ツ目の妖か?」
「眼鏡じゃ。我をなんと心得るか!」
女は眦を吊り上げて怒鳴った。
「は?」
「地上の者も面白い物を発明するものじゃ。これさえあれば我の知的さが五割増しになるわ」
訳が分からない。
いきなり現れた女がいきなり自慢話を始めた。どこぞの誰が作り始めた所から、眼鏡とやらの視覚的効果まで、延々と語る。
「……ところで、ここは何処であろうか? 拙は衣川館に居た筈なのだが」
「話の腰を折る女子……男……さて」
「拙は男子でござる!」
膝立ちになった義経は怒鳴った。
「どっちもあろうに。完全ではないが、両性具有など初めて人では見るわ」
「ぐ! 拙の体を見たのか!」
「神の目は誤魔化せんわ。第一、癒しのアルタミラに診せたのは我ぞ。源九郎判官義経」
「神?」
「左様。叡知のエスタリアとは我のことぞ」
腰に手を当ててエスタリアと名乗った女は鼻を鳴らした。
「我が叡知は全てを観る。隠し事などできぬと思え。ともあれ、そのままで駄弁るのは我の趣味ではない。先ずはここに座るがよい」
見ると、白い卓にもう一つの椅子があった。
神と自称する存在に初めてまみえた義経だったが、言われるがままに腰かけた。すると、どこからかともなく取っ手の付いた椀が姿を現し、茶色の液体が湧き出した。
「な……面妖な。陰陽師か?」
「神じゃ。このような真似なぞ息を吸うよりも容易いわ」
エスタリアは躊躇うことなく取っ手を摘み、液体を口にした。
「下界では千金を積んでも飲めぬ茶じゃ。遠慮するでない」
「……承知した」
ままよと椀を掴むと、義経は一気に飲み干した。
すると、何とも言えない香りと甘みが口に広がる。今まで感じていた緊張感が噓のように無くなっていく。
「こ、これが茶か」
公卿らが茶とやらを嗜んでいるのは知っていたが、実際に飲んだのは始めである。甘露とはこのようなものなのだろうか?
思わず辺りを見回すと、ここは白磁で造られたかのような館にある四阿であった。庭園には水が噴き出す彫像があり、水音を立てている。
「ここは極楽か?」
「天界じゃ。この世界にある神々の住まう場所である。ここは我が神殿じゃ。少しは身に沁みたかや?」
「訳が分からぬ」
「其方は牛車を見なんだかや? 神牛に牽かせた車が其方をこの世界の展開へと導いたのじゃ。覚えてはおらぬのか?」
言われてみると、牛のようなものが持仏堂になだれ込んできていたような……そんな気がする。
「トラックなど手垢が付きすぎておるからな。奇をてらってみた」
”どうじゃ、我凄かろう"といった雰囲気を漂わせて、エスタリアは踏ん反り返った。
「とらっく?」
「それはよい。大事なことは我が其方をこの世界に呼び込んだことじゃからな」
「何故に拙を?」
「只の男な義経など平行世界ではごまんとおる。最近では女とて珍しくはない。しかし!」
椅子から立ち上がると、エスタリアは拳を握った。
「どちらでもあるのは薄い本ぐらいでしか知らぬ! これをむざむざと死なせるなど、勿体無いにも程があろうぞ!」
そう叫ぶと、彼女の周りに山ほどの本が姿を現した。
大抵は分厚い物だが、中にはやたらと派手な表紙の薄い本も見える。
「それで拙を?」
「うむ。一度ぐらいは異世界転生ムーヴにも乗ってみたかったのもある」
意味の分からない言葉が噴き出してきたのだが、単に珍しいという理由で天界とやらに呼ばれたのは間違いなさそうではある。
理不尽。
義経の脳裏にそんな言葉が浮かんだ。
「神の眼鏡に掛かったのじゃ。誇りに思ってもよいのじゃぞ。生身の人間が天界に招かれるなど前代未聞なのじゃからな!」
いきなり天界に呼ばれた源義経。これから何が待ち受けるのか。
それは作者にもあまり分かってなかったりする!
ご要望、アイデアなどお待ちしております。