[114]
事件のあった翌日の朝、母、真弓は胸の奥のざわつきを抑えながら、外で洗濯物を干していた。
真実が制服を着て玄関から出てくる。
私はその姿を見つけ、ギョッとして声を掛ける。
「今日は、学校に行かない方がいいんじゃない?」
そう言った私に、真実は一瞬だけ視線を落としてから、首を横に振った。
理由は言わない。ただ、「行く」とだけ。
その声は静かだったけれど、
もう決めてしまった人の声だった。
私はそれ以上何も言えず、
結局、いつも通り送り出した。
(休ませた方がよかったかな・・)
(でも、あの子、一度決めたら言うこと聞かないし)
(まあ、嫌になったら帰ってくるでしょ)
諦めの気持ちを持ちながら、洗濯カゴを抱えて家の中に入った。
昼前、玄関が開く音がした。
真実が、帰ってきた。
カバンを持って、顔を上げることもなく、
そのまま二階へ上がって、部屋に引きこもった。
その姿を見て、ある程度察しはついた。
念のため2階に上がり確かめる。
声をかけても・・・・返事はない。
ノックしても・・・・反応はなかった。
しばらくして、学校から電話が入った。
『真実くんが、急にいなくなりまして・・・・』
私は、無断で帰ってきた事に驚き、天井を見上げながら返答する。
「すみませんでした。息子は家に帰ってきてます。本当にご迷惑をお掛けしました。当分、休ませるかもしれません」
それだけを伝えて、電話を切った。
昼ごはんも、
晩ごはんも、
声をかけたけれど、部屋のドアは開かなかった。
不安が、形を持ちはじめていた。
私は秀壱に相談した。
秀ちゃんは「ここは父親の出番だな」と息巻いて、二階へ上がっていった。
そこから、3時間近く。
物音ひとつしなかった。
ようやくリビングに降りてきた秀壱は、
少し疲れた顔をしていた。
「しゅうちゃん・・・・長かったね」
そう聞くと、彼は困惑した顔をしていた。
「男の約束をしてきたから全部は話せない」
秀ちゃんはその後、言葉を選びながら話し始める。
「まゆみ、今から言う3つのお願いを聞いてくれ」
①とりあえず、あいつが“外に出る”って言うまで、
そっとしておいてやってくれ
②どんなことがあったとしてもだ。
愛情だけは、変えないでやってくれ
少し間が空く
③不満や愚痴は、言わないでやってくれ・・・・
そして、思わないでやってくれ
私は、今まで見たことのない秀ちゃんの表情と声に戸惑った。
言われたお願いもわかったようで、わからない言葉だった。
なぜそこまで言うのか?
理由は、聞かなかった。いや、聞けなかった。
その日から、私は真実と何度か鉢合わせた。
トイレへ行く時。
洗面所ですれ違った時。
その顔は、
今まで見たことのないものだった。
悲壮感。
絶望感。
焦燥感。
(人って、ここまで落ちるものなの?)
あんな顔をする息子を見ていると、
私はただ、息を呑むことしかできなかった。
母として、
何もできない自分が、そこにいた。
今は、いつになるかわからないけれど、
息子が立ち直るのを、黙って見届けるしかない。
私は強くならなければ、と心に打ちつけたいのだが、
どう強くなればいいのかは、まだ分からなかった。
私は今日も、真実の部屋の前で足を止め、
ノックという目的地へ辿り着く前に、
思いとどまって引き返すことを繰り返している。
何も言えない・・・・
何もできないまま・・・・
立ち尽くすことしかできなかった。




