[112]
その日の1時間目は授業がなかった。
朝のホームルームが終わると、
担任の新谷が教室に入ってきて、短く告げる。
「今日は1時間目の授業は行いません。
これから、ヒアリングを行います」
机の上に、白い紙が配られていく。
無地に近い、簡素なシート。
——ヒアリングシート。
晴美の名前は、どこにも書かれていない。
ただ、
「最近のクラスの様子について」
「気づいたことがあれば」
そんな曖昧な文言だけが並んでいる。
皆、一斉にペンを取った。
教室は静かだった。
紙の擦れる音と、ペン先の音だけがする。
俺は、ペンを持たなかった。
視線は自然と、
花瓶の置かれた席へ向かってしまう。
・・・・もう、ここにはいない。
その事実が、
何度も胸の奥を叩く。
そんな中、
ふいに、声が流れ込んできた。
【・・・・めんどくせぇな】
優斗だった。
俺は、反射的に顔を上げそうになり、
寸前でこらえる。
(見るな・・)
(聞くな・・)
そう思ったのに、
意識が、勝手に引き寄せられる。
【正直、あそこまでなるとは思ってなかった】
【でもさ、最初に言い出したのは美月だし】
(えっ?美月?)
胸の奥が、ひくりと動く。
【あいつ、晴美のこと邪魔だって言ってた】
【グループの空気、乱すからって】
【だから、外したかっただけ】
優斗の手は、
ヒアリングシートに何かを書いている。
知らなかった
気づかなかった
そんな無難な言葉を。
——その裏で。
【告白の話も、作り話】
【啓子と三人で話合わせて】
【ボイスは無理やり作った】
俺は頭の奥で、
何かが、音を立てて崩れ始めている。
【野元が邪魔してきた時は焦ったけど】
【でも、音源さえあれば信じるだろ?】
【皆、見たいものしか見ないし】
吐き気がした。
(やめろ・・)
(これ以上、入ってくるな・・)
そう思った瞬間、
別の声が、割り込んでくる。
【今さら言えない】
【私のせいじゃないし】
【だって、雰囲気がそうだったから】
啓子。
美月。
名のないクラスメイト。
次々と、
心の声が重なって流れ込んでくる。
後悔。
自己正当化。
責任転嫁。
無関心。
誰も、
-自分が殺した-
とは思っていない。
それが、
一番、気持ち悪かった。
「・・・・くっ」
無意識に、
机の下で拳を握りしめていた。
怒りが、確かにあった。
胸の奥で、
熱を持って、暴れていた。
(でも・・どうする?)
(立ち上がって・・叫ぶ?)
(「お前らがやったんだろ」と言う?)
(・・・・無理だ)
(証拠はない)
(みんな、紙の上では無垢な顔をしている)
(そして何より、俺はもう・・)
(この場所で正義を語れる人間じゃない)
入ってくる声は、
止まらない。
【野元、気づいてないよな?)
【あいつ、ずっと下向いてるし】
【可哀想だけど、関わると同じ目に合うかもしれないし)
頭が、割れそうだった。
(もう・・無理だ・・・・)
(これ以上、ここにいたら)
(俺の中の何かが、完全に壊れる)
ただ、俯いていることしか出来なかった。




