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放課後。
昇降口の方へ向かう晴美の背中を見つけ、俺は反射的に足を速めた。
「・・・・吉田さん」
呼び止めると、晴美は一瞬だけ肩を震わせ、ゆっくり振り返る。
その表情は、どこか覚悟を決めたようで、同時に逃げ場を探しているようにも見えた。
「一緒に、帰ろう」
そう言うと、晴美は視線を伏せたまま、小さく頷いた。
言葉は返ってこなかった。
2人並んで歩き出す。
夕方の風が校舎の影を長く引き伸ばしている。
足音だけがやけに大きく響き、沈黙がその隙間を埋めていく。
俺は、ずっと胸の奥に引っかかっていたことを、意を決して口にした。
「あの日さ・・俺が家まで送ったあと、有田に、会ったのか?」
晴美は一瞬だけ立ち止まり、驚いたように目を見開いた。
それから首を横に振る。
「会ってない。話してもない」
声は震えていた。
「告白も、してない。なのに・・なんで、あんなことになったのか、私も、わからない」
困惑と恐怖が入り混じったその表情を見て、胸の奥がざわついた。
——じゃあ、なぜ?
(なぜ、あいつらはあんな嘘をつく必要があるんだ?)
答えの出ない問いを抱えたまま歩いていると、晴美がか細い声で話しかけてきた。
「・・私のせいで、野元くんを・・巻き込んでしまって・・ごめんなさい」
足が止まる。
「そんなこと、ない」
思ったより強い声が出た。
「俺、巻き込まれたなんて、思ってないし」
晴美は唇を噛みしめ、首を横に振る。
「でも・・・・私に、関わらなければ・・・・」
その言葉の途中で、晴美は堪えていたものが溢れたように、涙目で顔を歪めた。
次の瞬間、踵を返して走り出す。
「吉田さ——ん」
そのあとの言葉が続かなかった。
何を言えばいいのか、どんな言葉が正解なのか、わからなかった。
俺はただ、その背中を見送ることしかできなかった。
それから数日。
クラスの狂気は、さらに形を変えて晴美に向けられていた。
晴美の筆箱が消えた。
机にはいつの間にか卑猥な落書きが増えていた。
廊下を歩いていると、肩を強く押され、わざと転ばされる。
男子の一部は、すれ違いざまに卑猥な言葉を投げつける。
「俺にもしてくれよ」
「おまえ誰でもいいんだろ」
それを聞いて、女子たちは視線を逸らしながら、くすくすと笑う。
止める者はいない。
皆の冷たい視線だけが突き刺さる。
そんな晴美は何も言わない。
ただ、少しずつ背中が小さくなっているように見えた。
俺は、そのすべてを見ていた。
しかし、見ているだけで、動けず、声も出せずにいた。
なぜなら俺は、変わらず・・無音の領域にいるのだから・・・・。




