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5月の終わり頃。
西岡高校の1年生は、オリエンテーション行事として西岡川へ向かっていた。
内容は単純だ。
クラスごとに集まり、バーベキューをする。
ただそれだけの行事なのに、
朝から教室の空気はどこか浮き立っていた。
バスを降り、河川敷に着くと、
すぐに準備が始まる。
「じゃあ、火起こしは男子でいこうか」
「女子は野菜切りお願い!」
声を出して仕切っていたのは、優斗と美月だった。
特別偉そうなわけじゃない。
でも、二人が動くと、自然と周りも動く。
「トングこっち足りてる?」
「肉、先に焼いちゃっていい?」
「火、ちょっと強くない?」
誰かが声を出すと、必ず誰かが応える。
役割分担が、驚くほどスムーズだった。
(・・・・やっぱり、すごいな)
前の世界線と同じ。
この2人が中心にいると、クラスが一つの生き物みたいになる。
しばらくして、新谷先生が様子を見に来た。
腕を組みながら、しばらく眺めたあと、ぽつりと言った。
「・・・・8組、動き早すぎじゃないか?」
その一言に、みんなが笑った。
「他のクラス、まだ火も起きてないぞ」
「お前ら、ほんと手際いいな」
先生の言葉に、誰もが少しだけ胸を張った。
(俺たち、いいクラスだろ?)
そんな空気が、自然と流れる。
どのクラスよりも早く、肉が焼けた。
どのクラスよりも早く、食べ始めた。
「うまっ!」
「これ、やばい」
「焼き加減、神じゃん」
笑い声が、川の音に混ざって広がる。
優越感。
一体感。
幸福感。
全部が、ちょうどいい温度で混ざっていた。
その輪の中で、俺はふと、視線が引っかかった。
少し離れたところに、1人だけ、手を止めている人物がいた。
吉田晴美だ。
取り皿を持ったまま、川の方を見ている。
笑っていない。
かといって、泣いているわけでもない。
ただ、ほんの一瞬だけ、輪から外れた顔をしていた。
「・・・・吉田さん?」
気づけば、声をかけていた。
晴美は、ハッとしたようにこちらを見る。
「え?」
「どうした? なんか、元気ない?」
一瞬の間、ほんの一拍だけ。
何かを言おうとしたが、次の瞬間、彼女はすぐに笑顔を作った。
「あ、ううん。なんでもないよ」
そう言って、
トングを持ち直し、輪の中へ戻っていく。
「それ、焼けてるよー!」
その声に、
周りがまた笑い出す。
何事もなかったかのように。
(・・・・本当に、何もなかったのか)
そう思いながら、俺は視線を輪の中に戻した。
その時だった。
美月が、こちらを見ていた。
一瞬だけ、目が合う。
そして、すぐに、視線を逸らされた。
理由なんて、分からない。
勘違いかもしれない。
でも。
胸の奥で、
何かが、カチリと音を立てた。
(・・・・今の、なんだ?)
ほんの小さな違和感。
言葉にするほどのものじゃない。
周りは、相変わらず楽しそうで、みんな笑顔で、平和そのものだった。
でも、その完璧な幸福の中に、ほんの小さな影が、差し込んだ気がした。
俺は、もう一度だけ、晴美の背中を見た。
そして、何も言わず、肉を口に運ぶ。
みんなが、ただの楽しい思い出だけで終わると、まだ、この時は信じていたかった。




