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『白いユリ』の『めぐみ』さんは、年齢もかなり上になって来たこと、顧客の数がそこそこしかいなかった事、実家の方から後妻だが結婚話が入って来た事を考え合わせて、水商売から足を洗う事にしたらしい。
「私もね、まだ銀座で頑張ろうと思えば頑張れるのよ。でもねぇ、この商売は何年もするものじゃないしねぇ。パトロンがいて店の一つでも持たせてもらえるのでない限り、辞め時を見極めないとねぇ」と、ため息を吐きながら控室で化粧を直す。
夜の店の控室はどこも殺風景だ。まぁ、ここまでは客は入って来ないから、金を掛ける意味はないからなぁ。
「ご実家でおめでたいお話もありますしね」と話を合わす。
本人はその結婚話にあまり乗り気でないのか、暗い表情のまま、大きなため息を一つ吐いて、口紅を鏡台の上に置いた。
続々と出勤してくる女の子の邪魔にならない様に、俺は狭い控室の中で体を小さくして、自分の立ち位置を細かく調整した。それを見て、『めぐみ』さんは、商談を早く終わらせた方が良いと思ったのか、徐に立ち上がり、部屋の隅に置いてあったバッグ2つを部屋の真ん中に持って来た。
「この中にドレスが4着、着物が1枚入ってる」と言いながら、鞄の中から一着づつ取り出して、部屋中央のテーブルの上に重ねていった。
オレンジ色のドレスは状態が良いが、他のドレスは結構着込んでいる。
店の中は薄暗いのがデフォなので、多少、服が草臥れていても目立たないのだが、レンタルを成功させるためには、着る方が気持ちよく身につけられる事が最低条件となってくるだけに、あまり草臥れた服は購入できない。しかし、幸いにもこの3着のドレスは首の所にレースをあしらったり、同色の布でデコルテの淵を覆い目立たない様に少数のビーズを付けたりするだけで修復でき、かなり洒落たドレスになりそうだった。袖口の方も同様の処理が必要かもしれないけどな。
着物は新品ではないが、大事に着ていたのは見て取れた。
『めぐみ』さんは、ママクラスではないので、黒や銀、白の大人な感じの着物ではなく、薄浅黄色の落ち着いた感じの色目で、柄は足元に入っている比較的若手でも違和感なく着こなせる着物を持っていた。
これならママやチイママでなくても着て違和感がない。
「『めぐみ』さん、こちらのオレンジのドレスは千円、こちらのお着物と帯は合わせて一万円、その他のは少し使われた時期が長かった様ですので、各三百円になりますが、いかがですか?」
「え?そんなに安く買い取られるの?」
「まぁ、安いと思われるかもしれませんが、何度も袖を通されている古着になりますので、これでも勉強させて頂いているつもりです。如何ですか?」
「なぁに?とうとう手持ちの服まで売り払わないと立ち行かなくなったのかしら」なんて他の娘たちのこれみよがしの会話が聞こえてくるが、今は『めぐみ』さんを変に刺激して、こちらの商売の邪魔をして欲しくない。黙ってくれないかなぁ。
母ちゃんの店の女の子たちが仲良しで、ギスギスした雰囲気があまりないのに比べ、服の買い取りで他の店に行くと、こんな感じで女の子同士で牽制する場面によく行きかう。
銀座の女は気が強いのかもしれない・・・。
とにかく『めぐみ』さんの気が変わる前に買い取りたい。だって着物も入っているからな。しかし、当たり前だが利益が望めない金額での買い取りは出来ない。最悪、ドレスは買わなくても着物だけは買い取りたい。
知り合いのホステスにあげるくらいしか出来ない服に一万円以上の値がついているのだから、よっぽど欲深くなければ売ってくれるはずだ。
水商売で着る服は、一般の女性が着るものと感じが違う事が多いので、他の古着屋で売ると二束三文の値付けをされる。現に、今までも一旦は売るのを断って他の古着屋に問い合わせたけど、やっぱり家に売りたいと連絡して来たケースもあった。
「う~~~ん。もっと高く買ってもらえないかなぁ。」と今度はシナを作って交渉をしてくるが、「これ以上のお値段はちょっと無理ですねぇ。恐らく一般の古着屋に売ってもこの半額にも届かないと思いますよ。一旦、保留にされて、他の古着屋に声を掛けてみられますか?ただ、その後にやっぱり家で買い取りと言う場合は、今度はそちらが家までドレス等を持って来てもらう事になりますが」と自信ありげに言うと、しばらくうんうん唸っていた『めぐみ』さんが、結局は全部売ってくれることになった。
「ありがとうございます」といいつつ、『めぐみ』さんに代わって持参した無記名の複写式請求書用紙と、領収書に日付や内訳、金額を書き入れ、その用紙を『めぐみ』さんに彼女の本名と住所を書き入れてもらう。
現金を払って、持参していた紙袋に買い取った服を全部入れ、その足でお直ししてくれる高山さんの家へ向かった。
移動は電車なので結構面倒臭いが、まぁ、免許証が使えないのでしょうがない。
いずれ配達を担当してくれる運転手を雇わないといけないなぁ・・・・。
人件費は高くつくから出来たら人は雇いたくないんだけどなぁなんて思いながら最寄りの駅で電車を降りる。
駅から徒歩で移動し、高山さんが住んでる古い木造の平屋のチャイムを押すと、「は~い」とすぐ高山さんが出て来た。ついでに彼女の5歳の娘も一緒に玄関に来てモジモジしている。
高山さんが、「いつもお世話になっております」とまだ固い口調で玄関に跪いて対応してくれる。
この母にしてこの娘ありだなぁ。
俺はまずこの娘の為に買って来たハートの形をしたチョコを、直接娘に手渡して「お母さんに食べていいか聞いてから食べなさいね」と付け加える。夜なのに甘い物を食べさせて良いのかわからず、責任逃れのために発した言葉だ。チロ〇チョコの方が安いんだが、いくら小さな子供だとしても小さなチョコ1個では何なので、一枚で可愛いハート型、ピーナッツも入ってるこのチョコは値段の割に見栄えがするので、高山さん家に行く時は必需品となっている。
「おじちゃん、ありがとう」と言って、娘は奥に引っ込んだ。
高山さんは「いつも気を使って頂き、すみません」と若干表情を和らげて頭を下げてくれる。
安いチョコ一つで印象が良くなるなら、買って来た甲斐があるってもんだ。
「これ、さっき買い入れた物だけど、こっちの水色と黄色のドレスはお直しが必要でね。ほら、ここ、結構傷んでるでしょ?どういう風に直せる?」
高山さんはしばらく服を見ながら悩んでいたが、「黄色いのは、表側は傷んで見えないので裏地を付ける事で対応できると思うのですけど、こっちの水色は表側もリメイクが必要ですね・・・・。そうですねぇ・・・、思い切って肩からこの辺りまで切り取って、白いレース地の布で補修しましょう。この辺りだと、切り替えがアクセントになっておしゃれに見える気がします。どうですか?」と裁縫の事には結構饒舌になる高山さんが、玄関に立つ俺の顔を下から覗き込む様に尋ねて来る。
「わかった。じゃあそれで頼むよ。後、こっちの黒いのはまだお直しが必要ではない気がするんだけど、どこか手を入れてもらった方が良いところってある?」
「そうですね・・・。これは今ではなくて、数回貸し出しをされた後の手直しで良い気がします。」といういつものやり取りを終えて、お直しの必要な服だけ置いて、残りはそのまま家に持ち帰った。