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-- クラブ 『フィラデルフィア』--
「ねぇ、聞いたんだけどさぁ、千鶴ちゃんこれが出来たの?」と派手な化粧をした赤色のドレスの女が親指を立てながら、控室の椅子の一つに座っていた白いスーツを着た女の肩に手を置いた。
「え?何言ってるのぉ、碧ちゃん。どっからそんな変な噂聞いて来たの?」
白いスーツの女が見上げる様にして赤いドレスの女に答えた。
「ん?だって結構噂になってるよ」
「そうそう、千鶴ちゃん、この前店の前まで男の人と来てたよね?同伴じゃなくって千鶴ちゃんの荷物を運びに。そんでその男、先に家に持って帰ってるからとか言ってたじゃん。ってことは一緒に住んでるってことだよねぇ」
2人の会話に千鶴子を揶揄う様な口調で横から入って来た黒のドレスの女が控室の壁に貼られている小さな鏡の前でニヤっと笑ったままの口元に真っ赤な口紅をひいた。
壁には小さな鏡が幾つか貼り付けてあるのだが、スペース的に椅子が置けないので、自然と立ったまま化粧することになる。
普通は常設の鏡は売れっ子ホステス等が使うのだが、ここフィラデルフィアは座れる方を売れてる女たちが使う事にしているのだ。
黒いドレスの女は、んぱ、んぱという具合に上唇と下唇をくにゅくにゅと合わせては口を開き、口紅の付き具合を確認している。
顔を作りながらも、鏡越しに千鶴子と碧の様子を窺っているのはその目の動きで分かる。
同伴というのは、店の女の子が仕事に出る前にお客と会い、そして一緒に店に来る事を言うのだが、同伴は店側にも女の子にもお金が入る一種のサービスだ。千鶴子が同伴でない男と一緒というのは、仕事がらみでない男と一緒だったという意味だ。
「はは~ん。この変な情報の元は里見ちゃんだね」と千鶴子はちょっと睨む様にして口紅をひいていた女を睨んで断定した。
「そりゃあ、紐を持たない千鶴ちゃんが堂々と店の前に男を待たせて荷物を渡してたら、みんな気になるよねぇ~。ねぇ、碧ちゃん」
「うんうん、そうそう。家の宮地みたいに女にだらしない奴とか、里見ちゃんとこみたいにお迎えに来るだけでもお小遣いせびってくる様な奴とか、理想の高い千鶴ちゃんにしてみたらそういうのが嫌で紐を作らないのかなぁって思ってたから、千鶴ちゃんにもとうとう男が出来たかと思ったら感動したんだよ~」
「なに?その意味不明な感動って?」と、出勤して来たばかりの茶髪の女が控室に入るなり会話に参戦してきた。控室にいた女の子たちよりちょっとばかり年上なのがその落ち着いた容貌から見て取れる。
「あ、おはようございます。百合子さん」
「「おはようございます」」
「ええ、おはよう」と百合子と呼ばれた茶髪の女は控室の真ん中にある3つの会議用長テーブルをくっつけて並べて一つの大きなデスクの様にした席の一つに腰を掛けた。
「で、とうとう千鶴子も男を作ったの?」
「え?いえ。そういうんじゃないんです。息子の面倒を見てくれてるだけで、男女の関係じゃないんですよ。親戚っていうか身内って言うか・・・。」
「えーーーー!!それじゃあ、全然面白くないじゃん。早く男を作りなよ」と碧が千鶴子の肩をバンバンと叩く。
「ちょっと、碧ちゃん。どうして私が男を作らなければいけないの?」
「だって、昔は男がいたんだよね?だって、息子さん一人いる訳だし・・」
「それはそうだけど、今は男なんて面倒なだけでいらないなぁ~。それに息子とかいると自分の事だけじゃなく、息子に悪影響を与える男は避けたいしねぇ。なんか、好きだどうだよりも不安の方が先に来ちゃうんだよねぇ」
「何?千鶴ちゃん、もう枯れちゃったの?」と里見が相変わらず千鶴子を茶化す。
「はいはい。もう枯れたでいいですよぉ。この話題はお・わ・り」
「だめだめ!なぁに?その髪で店に出ようなんて、私が許さないわよ!」
千鶴子が化粧の続きをしようと、化粧ボックスの方に振り向いた時、控室の外で女性の大きな声が響いた。
「ママぁ。これヘアセットが得意な友達がセットしてくれたんですよぉ。このままじゃダメですかぁ」
「ダメダメ!プロがやった様には全然見えない。家の店にはちゃんとした身なりの娘しか出せないからね。今からでも美容院へ行って来なさい」
「ええええ。毎晩、美容室って出費が半端ないですぅ」
「必要経費なんだから、稼いだ金からちゃんと毎日の美容室代を捻出しなさい。ちゃんとセットされないと本当に店には出さないからね!」
「また、佐和ちゃんなの?」
「そうみたい~。美容師代ケチるなんて家のママが許す訳ないじゃんねぇ」
「本当ですよね」と碧と里見が控室でボソボソとママと佐和子のやり取りについて零す。
「フン!あの娘は、銀座の女ってものが何なのか全然分かってないのよ。何でママがあんな娘をここに置いてるのか理解できないわぁ~」と、百合子が言うと、控室にいた女の子全員が無言でウンウンと頷いた。
「でも確かに毎晩美容室にお金掛かるのってキツイよねぇ~」
「なぁに?碧はこの店を辞めたいの?素人の女じゃないんだから、金掛けて磨いた女しか銀座の、しかも並木通り8丁目の『フィラデルフィア』では働けないわよ!お客様はここで現実をどれだけ忘れて、疑似恋愛を楽しめるかを期待して来ているんですからね!小汚い女はお呼びじゃないのよ」とすごい剣幕の百合子に圧され怯えたように若干首を横に振っている碧を見た後、百合子のするどい視線は控室にいる女の子全員を見回した。
「あんたたちも、手を抜こうなんて思うんじゃないよ!!店の格っていうのはね、ママだけで保てるもんじゃなくて、店の娘全員で保つもんなんだよ。銀座で名を上げたいと思うなら、店の格は大事なんだよ!肝に銘じときなっ!」百合子の啖呵が終わったと同時に、間の抜けた間合いの拍手を打つ者が控室の入口に現れた。それはこの店のママだった。
「百合子の言う通りだよ。家は、髪はアップ。毎晩必ず美容院で盛ってもらうこと。項を隠すのはNG。ドレスやスーツも品のあるもの。これが守れない娘は店には出さないよ」とママが薄っすら笑みを浮かべながら女の子たちの顔を見回す。
「さぁさぁ、時間だよ。みんな店の方へ移動してね」と少し口調を変えたママがさっさと背を向け、ホールの方へ歩いて行った。
女の子たちは化粧の仕上げを急ぐ様に、無駄口を止め、手を動かした。