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夏あぐる謎  作者: 三斤 樽彦
第一章 This fellow is wise enough to play...
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第四話

「さてここまでの話について、三琴はどう思った?」


 三琴は出来るだけ鮮明に、数時間前の記憶を言葉に起す。それと俺の記憶をすり合わせて、大体同じ光景を見ているだろうことが分かった。


「そもそもの話、ロバート先生がウチの高校に来てからまだ数か月しか経ってないからね。授業中以外では会話をしたこともないから、人となりもよく分からないし」


「俺はロバートのこと、毎度授業の教室を間違えるほど間抜けだとは思わないんだよな。授業の内容は凄く筋道立っているし、退屈にならないようなユーモアもある。冷静とは言わないけど、それは逆に余裕からのモノっていうか。大人の香りっていうのかな、ああいうのは」


「大人の香り……直接的にも?」


「香水の匂いはお国柄だろ」


 ロバートの人間性。今まで考えたこともなかった。

 教師と生徒の間柄ゆえというのもあるけれど、やはりどこか『遠い』人物という印象が俺の中にある。母言語の違いとは、かくも先入観を生み出していたのかと、心の中で少し反省した。

 では逆に俺のような一般市民との共通点、つまり近しいところはあるだろうか。

 そう考えると、一つ思い浮かぶものがあった。


「確か和風の小物を集めるのが趣味、だったよな」


「ああ、そうそう。中でも最近は扇子を集めるのにお熱だよね。文化の違いで生まれるギャップマッチというかさ、見栄えするよね。最初は印象的だと思ったけど、今はもう慣れちゃったから忘れてたよ」


 赴任当時は皆の注目の的だったロバートの和風小物趣味。当初の挨拶では、幼い頃の日本旅行で観た繊細な技術に魅入ってしまい、などと言っていた記憶がある。

 しかし、数週間もすればそんな彼の個性的な趣味にも、みな流石に慣れてくる。今では、ファッションのアクセント程度にしか考えていない人間が殆どだろう。


「うーん、でもね、他のクラスの友達からはロバートがポカをやらかした話なんて聞いたことないんだよ。

 ロバートが頻繁に授業担当クラスを間違えて入ってくるなんて話したら、そんなの信じられないって口にする子たちばかりだね。うちのクラスだけ狙い撃ち、なんてことは無いかもしれないけど」


「生徒からじゃなくてさ、同僚から見たロバートはどうなんだろうな。確か宇木先生はロバートのことをおっちょこちょいって言ってたよな」


「仲のいい宇木先生が言うのならやっぱり間違いないのかな。

 ……でもね、聞いてよ。実は私の友達が、授業とは関係ないプライベートな相談事をロバート先生にしたらしいんだ。ロバートには全く関係ない話だったんだけど、大人の立場から凄く親身になって話を聞いてくれたんだって。これ、浮ついた大人が出来る行動だとは私は思わないな」


「ふーんなるほど……。参考までに聞くけど、そのプライベートな話って?」


 三琴は俺の質問に一度体を固くすると、声が拡散しないように右手を添えながら、身体を前のめりにさせて呟く。


「こ、恋の相談だよ……」


「それって相手が女子高生だからで、俺たちの様な男子高校生が話をしたら軽くあしらわれるんじゃないのか? 俺だって女子高生から悩み事を相談されたら、それは親身になって話を聞く自信があるけどね」


「そういう下心、これからは表に出さない方が良いよ。そして残念だけど、私と、私の友達は金輪際、文理には恋の相談をしないことが確定したよ」


 冗談はさておいてだ。今あげたように、俺たちが思い描くロバートの人物像は決して天然愛されお茶目キャラではない。むしろ皆から頼りにされる兄貴分的存在だ。そしてこの輪郭線は、そこらの廊下にいる学生に突撃インタビューを仕掛けても、似たような結果になるはずだ。

 ではそんなロバートが、こうも頻繁に教室を間違えているのは一体なぜなのか。

 ああでもない、こうでもないと論じる時間が、普通の高校生の放課後のように無制限にあるのであれば、それらしい答えには辿り着けたのかもしれない。

 だがそうではなかった。すっかり忘れていた。


「……さっきから全然手が進んでいないみたいだけど」


「わっ、八河さん」


 忍び寄る魔の手、もとい八河の手が机の上に伸びる。いや全く気配を感じなかったんだけど。

 あの連行されたカップルも、気づかないうちに逢瀬の現行を捕らえられたと言っていたし、もしかしたら風紀委員会にはそういう技能研修があるのかしらん。


「委員会の仕事をしていないのであれば、男女が会話を交わしていい理由はどこにもない。それはつまり、私があなた達を連行する理由となるわけで……」


「ご、ごめん!無駄話が過ぎたよ」


 八河の忠告を受けて、三琴は手を動かし始める。

 まだ残っている企画案の中に、生徒会が制定したルールの範疇に入っている案があるかどうかを、八河は判断してくれるようだった。


 黙々とこなせば、意外と仕事は進むもので、手伝ってくれる形となった八河のお陰もあってか、一時間も経たないうちに作業は終わりを迎えた。だがこの間にも、八河が俺と目を合わせることは無かった。


「……うん、まあこんなもんかな。それじゃあ先生に提出してきますか」


「おつかれさま。俺は殆ど出番なしだったから、労うことしか出来ませんで」


「なるたけ深くお辞儀をしておくように」


 作業をひとしきり終えた三琴は、両手を高く上げ、書類作業で縮こまった背筋を伸ばす。そして功労者の八河はというと、いつのまにか自分の机に戻り、帰り支度を進めていた。


「結局八河さんには手伝って貰っちゃったね。さっきまでやってた作業は終わってるの?」


「全く問題ない。後は家に帰って三時間ぐらい進めればいい。風紀委員会は残業ゼロのホワイト団体」


「二百色ある中で一番黒に近い白だよ、それ」


 これほどのブラック耐性、一体この先どれだけの犠牲を支払えば……!

 とはいっても、授業時間を除くほとんどの時間で、生徒の監視に気を張り続けなければいけない風紀委員会だ。書類作業など、もしかしたらお手の物なのかもしれない。


「……なあ八河。いくら生徒会様が定めたルールといっても、窮屈じゃないのか?」


「……」


 返答はなく、こちらを一瞥することさえない。

 同じ高校生であるはずなのに、俺には八河の考えていることがさっぱり分からない。


「……あ、そうだ。八河さん」


「何?」


「八河さんはさ、ロバートが最近授業に乱入してくる理由ってなんだと思う?」


「それは委員の仕事と関係ない話だと」


「なくてもいいじゃん。これは私と八河さんの間での世間話だよ。それならルールも何も関係ないでしょ」


 八河は数刻逡巡したのち、目を瞑る。


 ――そして、動かなくなった。


「あ、あれ? おーい、八河さん?」


 八河は三琴の呼びかけにも反応しない。

 まさか俺たちの執拗な喋りかけに嫌気がさしたのか。きっと視覚も聴覚も遮断して、この現実から意識を逸らそうとしている。そうして八河は考えるのをやめ――。


「グランドフロア」


 ――石になったか、と思われた八河の口からぽそりと紡がれた一つの単語。その言葉が指し示す意味にすぐ気付いたのは三琴だった。


「……ああ、そういうこと」


「ごめん、全然分からないんだけど。一を聞いて十を知るのは凡人には無理なのですよ。ちゃんと分かるように説明してくれないか」


「やれやれ、これだから世間知らずと会話をするのは疲れるよ」


「不必要な罵倒は人を傷つけるだけだと思います! 誹謗中傷反対!」


「はいはい。そうだな……文理はさ、日本と海外の文化の違いって感じた経験ある?」


「文化の違いか。経験したことはないけど、ドラマで観るように、海外では家の中で靴を脱がないとか、こっちからしてみれば信じられない話だよな」


「そそ。でもさ、それは海外では常識で、むしろ私たちが非常識だって話なんだよね。そしてロバートの住んでいたイギリスと日本の間で起こってるすれ違いが、今回のロバート事件の鍵になってると八河さんは言いたいんだよ。……と、そうだよね?」


 少し自信なさげな表情の三琴が口にした問いかけに、八河は小さく頷く。


「まあそこまでは分かったよ。それで、確かグランドフロア、だったか。それは一体どういう意味の言葉なんだ?」


「えーっと、言葉で説明するのは難しいな……」


「英語圏の特定の地域、例えばイギリスでは玄関のある階をグランドフロアという。そしてそこから上にいくにつれて一、二と数字が増えていく。つまり、私たちが今居るこの階層を『一階』と呼称していることになる。そしてそれは、最近イギリスから越してきたロバートも同じはず」


 そういい、八河は机に掛った学校指定のバッグの中から生徒手帳を取り出し、机の上に開いて見せる。その最後のページには、全クラスの標準時間割が載っていた。特別時間割などで変更されることが無ければ、授業は基本的にこの時間割に沿って実施される。俺はその中から、ある一クラスのページを開く。


「俺たちの二年三組からみて真下のクラスは三年三組……。今日は水曜だから、その五限は――実践英語、これロバートの担当だ」


「……毎週水曜五限、私たちの直下の教室である三年三組ではロバートの英語の授業が行われている。そしてロバートは、階層の呼び名を異にする文化圏の違いにより、『一階』と『二階』の存在を誤認していた。それが今回の乱入事件を引き起こした要因であると私は結論づける」


 そう言い、もう仕事は終わったとばかりに彼女は椅子を引いて席を後にした。余韻を味わう時間など、必要ないかのように。

 執着の無い彼女の生き様がそうさせているのか、つい先ほどまでそこに人がいたとは思えない程、八河が座っていた席は熱を持っていなかった。


「……さて、企画案出しに行くか」


「え、あ、うん。そうだね」


 三琴は急いで自分の席に戻り、帰り支度を始める。

 放課後の終わりに三琴から話しかけられなければ、そのままこっそりと帰ろうとしていた俺は、もう既に鞄に荷物を詰め終えている。俺は三琴を待っている間中、八河が考えついたロバート事件の真相を頭の中で何度も繰り返す。


 空気の通り道として開かれていた教室の窓からは、夏の夕暮れに相応しい、ジトリとした風が流れ込んできていた。

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