私たちの世界について
この世界は壊れている。
見える世界のどこかしらには亀裂が走り、穴が開いていて。
空には謎の球体が浮いているし、街の風景はいつの間にか変化する。最近だと、新潟県のどこかが中世ヨーロッパの街並みに変わったらしい。
ちなみに、隣町は中華街と大阪の新世界、それにどこの国とも言えない怪しげな要素をまぜこぜにした商店街がある街だ。治安はあまり良くないらしいけど、面白くて楽しいから頻繁に行く。今日も放課後に空弼とがっくんと私の三人で向かっているのだ。
絆創膏や包帯で傷を隠すように、この世界は、壊れたところにどこかの世界の欠片を張り付ける。
だから、人も人ならざる者もいるし、魚は空気中を泳ぐ。
張り付けられた世界の数だけ常識が存在し、分刻みで日常が変化する。
歪んで捻じれた世界だけど、慣れや退屈とは縁遠いこの暮らしを私はかなり気に入っている。
「うぇっ……」
「がっくん大丈夫かー?」
「大丈夫に、見えるなら、はぁ……眼科、行け……」
「うわ、言葉にキレがない!」と騒いでいる空弼に、真っ青な顔で嘔吐くがっくん。
いつも以上に混沌とした状況下にいるのは、ここがそういう場所だからだ。
がっくんの背中を擦りながら空弼が顔を上げた。
「“ほほろげの路地”ってさー、ほんとに路地か?俺には町に見えるんだけど」
「まあ、時間だけ見れば路地だから」
今私たちがいるのは“ほほろげの路地”という、上下も左右も力も存在しない不思議な世界だ。
いうなれば、バグが集められた世界。
ビルの窓ガラスにたてられた標識。
ジェットコースターのレールみたいに円を描く道路。
上下左右のどこでも顔を覗かせる空と、地面から降る雨。
ブランコや滑り台、鉄棒など、遊具が絡まりあった塊。
地面や道路だけではなく、家の屋根や木の枝を歩いたり飛び移ったりして移動する。
なにより、“ほほろげの路地”とその外とでは時間の流れが違う。
がっくん曰く、そういうこともあるし、何より景色が気持ち悪いらしく。
私は、家から家が生えてる景色が好きだから理解できないけど。
「がっくん、どうする?置いてく?」
「ナツキ……お前、後で覚えてろ……っ」
「でも空弼におんぶさせてもいいけど、振動で吐くでしょ」
「さっきゲロったばっかなんだから優しくしてやれよ……っいて」
無言になったがっくんが、空弼の脛を殴った。
その辺ではなくトイレで吐いたんだから気にしなくていいのに。ここでは電気と水がどうなってるのかは知らないけど。
「もういっそ気絶しちゃえば?」
「……どうやって」
「それはさ、ほら、空弼に首をトンッてしてもらって」
「いいぜ!俺それ得意だ!」
自信満々の空弼に、若干引いたような顔をしたがっくん。
空弼の戦闘能力が謎に高いのはいつものことだ。気にする必要はないだろう。
それよりも、適当に言った割に、案が現実味を帯びてきているのが何とも言えない。
「いい。自分で歩く」
「まあ安心しなって。俺が楽ぅに沈めてやるから」
その言葉のどこに安心できる要素があるんだか。
ぶんぶん手を振り回す空弼の頭にチョップをして動きを止める。
「でもなぁんで今日に限って、そんなになっちゃたんだろうねぇ……」
「知るか」
そりゃそうだ。
むしろ知ってたら対策立ててたか、さっさと帰っていただろう。
なんだろうねぇ、と空弼と顔を見合わせる。
「茄子が足んねぇんだ」とか言うアホは無視。
……駄目だ。圧倒的に脳力が足りてない。やめよう。考えたって無駄だ。
「もういいや。空弼、さっさと落として」
「あいあいさー!」
「は、ちょっとま……っ」
静止の声を無視してトンッと軽やかに首に手刀を入れた空弼。
言ってはみたものの、まさかそんなに綺麗に気絶するとは思わなかったから、崩れ落ちて動かなくなったがっくんを見て少し驚いた。
これは空弼の技術の問題なのか、ただただがっくんがひ弱なだけなのかわからないけど、深くは考えまい。
がっくんが起きる前に進んでおきたいから、ラッキーくらいに考えておくのが吉。
空弼ががっくんを背負ったのを見て、私は歩道橋の裏を歩き出す。
「そういえば、空弼にはここってどんなふうに見えてんの?」
「どんなって?」
「がっくんはさ、気持ち悪いらしいのよ。でも私は面白くて楽しい、素敵なものに見えてるわけ。じゃあ空弼にはどんなふうに見えてるか気になってくるわけさ」
フェンスの一番上に腰掛けながら、足をぶらぶら揺らす。
「で、どうなの?」
「どうって言われてもなぁ……変な場所だとしか思わねぇよ」
変な場所。確かにその通りだ。その通り過ぎて若干つまんない気もするけど。
「それだけ?変な場所だから、どうとか思わないの?」
「不便だとは思うけど、お前らに見たいに隙も嫌いもねぇよ。路地は路地だろ。危なかったり、めんどくさかったりはするけど」
「あーわかった。あんたここに関心ないんだ」
「そうかもな」
かもな、とは曖昧な。
たぶん空弼にとって“ほほろげの路地”というのは、勉強や宿題みたいなものなんだろう。やらないと怒られるからやる、みたいな。
通らないと辿りつけないから行く。けど、ここよりも近道できるところがあったらそっちに行くし、そもそもこの路地の先に用が無ければ通らない。あくまで手段で、目的には成り得ない。そんな場所。
がっくんみたいにここを嫌悪して、遠回りでもほかに道を探すでもなく。かといって私みたいに好んで“ほほろげの路地”を見に来るために訪れるでもなく。
自分がここを好きなだけに、否定も無関心も少し寂しい気もするけど。
まあ、私たちが茄子を特別好きでないのと同じだと考えれば、人の好みなんてそんなものなんだろう。
「でもマジで不便だよな。電車もバスも無いし、チャリじゃ通れねぇし、電波も入る時と入んないときあるしさー」
「それは同意。もっと便利だったら毎日来たのに」
「やめとけよー?違う世界に飛ばされんぞ」
「だから控えてるんじゃん」
さすがに一から人間関係を作らないといけないのはもうごめんだ。
「空弼のアホ。話聞いてた?」
「アホじゃねぇし!ほら、早くいくぞ!……あ、お前もしかして怖くておりれねぇの?」
フェンスを飛び越えた空弼がせかしてくる。にやにやと人を意地の悪い顔付きで。
「アホのくせに」
「アホじゃねぇってば!」
「はいはいそうだよね。アホは自分じゃわかんないもんね」
「はいもうキレたー口きかねぇー」とかなんとか、小学生みたいなことを言っている空弼を無視してフェンスから飛び降りる。
そして階段の手すりに座って滑り降りた。
電柱やカーブミラーをまたぎながら塀を歩いて出口に向かう。後ろの方で新しい物が移動してくる地響きが聞こえてきた。