6月1日 素振り
いよいよ6月が始まった。俺たちの大きな試合は、後、聖淮戦と夏の県予選しかない。俺は、左打ちでスイングをした。聖淮戦までは、残り18日となった。レギュラー争いも熾烈。俺は、完治してるだろう足を時折、触りながらバットを振り込んでいた。
淮南高校の投手は、右のエース湯浅、左の2番手佐藤の二人がいた。おそらく、この二人のどちらかが投げてくるだろう。二人とも、昨年の秋季大会と春季大会で対戦していた。どちらも、苦手なタイプではない。
二人の投手のボール軌道をイメージしながら、振った。素振りでは、簡単に打てるイメージがあった。しかし、本番は、こうはいかないだろう。状況もコンディションもわからない中でイメージを膨らますのはよくないのだろうか?
すると、3つほど横の家から男性が歩いてくるのが見えた。たしか、あの人は昔、バッティングのアドバイスをくれた人だった。俺は、バットを肩に担ぎながら、腰を下ろした。男性は、どんどん近づいてくるが、俺のところに来そうにないかった。
俺は、男性が過ぎていった後も、休憩を続けた。高校の部活が終わったら、おそらく野球はしない。そう考えると、なんだか考え深かった。小学2年から始めた野球も後2ヶ月で終わる。寂しいとか悲しいとかそういう気持ちはほとんどない。それより、よくここまで続けてこられたなという想いでいっばいだった。辞めるチャンスは何度もあったし、辞めたいとも何度も思った。
でも、なんでやめなかったんだろう?そればかりは、考えてもわからなかった。県予選で負けた時、初めて、その気持ちが理解できるんだろうな。俺は、小学校からの野球人生を振り返っていた。持っていた金属のバットから木製のバットに取り替えた。
俺が入団していた小学生の野球チームは県内でも有名なチームだった。ピッチャーに竹田、センターに侑大の二人。他にも、野球は辞めたが、中野や村山といった上手い選手もいたのだった。特に、中野は、小学校の時、県大会でMVPを獲得するほどの実績があった。中学校までは、一緒に野球をしていたが、西丘情勢高校に進学してからは、野球は全くやっていないことを聞いた。
真面目で頭も良かったから、野球だけは続けるもんだと思っていた。でも、実際は違ったのだ。こんな簡単にも、人は、変わるもんだと驚きを隠さなかった記憶があった。木製に変えたバットで2.3回スイングを始めた。