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森の記憶  作者: 9300
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6

 侍は歩いている間ずっと無言だった。椎奈の目にはすべて同じに見える木々の間を、迷う気配もなくざくざくと進んでいく。目印でもあるのかと周りを見渡すが、まるでわからない。


 背の高い草が侍と椎奈の間に立ちふさがって慌てることが何度かあった。そんな時は必ず目の前の草が左右に割れて、表情のない男の姿が現れた。聞かれてもいないのに「大丈夫です」と答えると、男は再び道なき道を進み始めた。


 やがて侍の背中越しに男が二人、大きな膝ほどの高さの岩に腰を下ろしているのが目に入った。


「あ!涼、おかえり!」


 遠くから大きな声で呼びかけられる。「涼」というのは侍のことだろうか。


 岩に到着すると、二人の男は立ち上がって椎奈に笑顔を向けてきた。


「初めまして。僕は木崎文規といいます。文ちゃん、って呼んでね」


 先ほど涼に呼び掛けた方の男は、男性にしてはやや小柄で、黒の長袖ポロシャツに、黒のチノパン、一切染めていなさそうな真っ黒の髪に黒縁の眼鏡をかけ、人懐っこい笑みを浮かべていた。


 どことなく幼さを残した顔立ちなのに、その鋭い目つきと隙を感じさせない口元には知性が隠しようもなく漂っている。そのアンバランスさは椎奈に中学受験の小学生を連想させた。頭に巻かれた侍と同じださい鉢巻に「必勝!」と書かれていないのが不思議なくらいだ。


「君を連れて来た侍は『涼』、こっちの金髪は『広樹』だよ」


 文ちゃんは続けて残りの二人を紹介する。


 やはり涼とは、侍のことだったらしい。


 金髪の男性は背が高く、体格がよかった。オレンジ色のTシャツに濃い紫のニッカズボン姿で、服の上からでもわかるほどの筋肉質だ。腕には侍と同じくさらしが巻かれていたが、侍は肩から下を全てさらしで覆っていたのに、この男性は肘から下のみを覆っていた。


 あざやかに脱色された髪の上にはもちろん、当たり前のようにださい鉢巻。椎奈は異世界に迷い込んだような気がしてきた。ここまで来ると、これをださいと感じる自分の方がおかしいのかもしれない。


「じゃ、早速始めようかな」


 文ちゃんが岩の傍らへ椎奈を呼び寄せた。おそらく涼が言っていた、この森や石の話をしてくれる人というのが文ちゃんなのだろう。椎奈はおとなしく文ちゃんの元へ歩を進めた。すると入れ替わるように広樹が涼のそばへ歩み寄る。


「涼、アキラはどうした?」


「……」


「おい、涼」


 無言の涼に、広樹が怪訝そうに詰め寄る。涼はわずかに逡巡した後、着物の左側の衿をつまみ上げて、広樹に胸元を見せた。椎奈からはよく見えなかったけれど、覗き込んだ広樹が息を飲む気配がした。


「ちょっと来い」


 広樹が涼の肩をつかみ、椎奈たちがいる場所から離れようとした。涼はちらっと文ちゃんに目配せし、黙って広樹に引っ張られて行った。姿は見えるが声は全く聞こえない位置で、二人は話を始めた。


「ここに座ってもらえる?」


 文ちゃんはそんな二人を全く気にする様子もなく、岩の傍らの地面を指して椎奈に座るよう促すと、自分は岩の反対側へ回り、すとんと腰を下ろした。椎奈は涼と広樹の様子が気になったけれど、結局二人に背を向ける形で指示された場所に腰を下ろした。


「地面に直接座らせちゃってごめんね。この森には机とか椅子になりそうなちょうどいいものがなくてさ。この岩もようやく見つけたんだよ。上が平らで机にちょうどいいでしょ」


 文ちゃんは得意げに岩の表面を撫でると、ポロシャツの胸ポケットから小さなノートとペンを取り出して岩に置いた。一目で使い込まれていることがわかるほど傷んでいることを除けば、どこでも買えそうな普通のノートだ。


 畳一畳分ほどの大きさのその岩は上が見事に平らで、高さも物書きに適している。机にちょうどいいと言っておきながら、さっき文ちゃんと広樹がこの岩に腰を下ろしていたことを知っている椎奈は、複雑な気持ちで岩にそっと手を置いてみた。岩はひんやりしていて尻のぬくもりはもうなかった。机にちょうどいいということは、この上で物を食べることもあるということだ。あまりいい気持ちはしなかった。


 さらに文ちゃんが言う通り、地面に直接座ることも気分のいいものではなかった。今日はタイトスカートを履いているので、余計に具合が悪い。椎奈はコートを脱いで膝にかけた。椎奈が姿勢を落ち着けたことを確認し、文ちゃんがノートをめくりながら言う。


「名前、聞かせてもらってもいいかな」


「大野……椎奈です」


 まだ文ちゃんのことがよくわからないのに名前を教えることには迷いがあったけれど、文ちゃんが先に名乗っている以上自分も名乗るべきだと判断して本名を告げた。


「椎奈!可愛い名前だね!呼び方は椎ちゃんで決まりかな!!」


 決まりじゃない。馴れ馴れしい。


 けれど一方で、その文ちゃんの明るさにどうしようもなくホッとする自分もいた。


「いきなりこんな森にやってきて、しかもあんな不愛想な侍にこんな所に連れてこられて戸惑っていると思うけれど、これから順に説明していくから安心してね、椎ちゃん」


 なかなかグイグイ来る。けれど椎奈は、だんだんこの文ちゃんのペースを心地よく感じるようになっていた。わけのわからない世界にいるという不安や戸惑いを、文ちゃんといると忘れることができる。


 椎奈はふっと、肩から力を抜いた。文ちゃんが言葉を続ける。


「椎ちゃんはこの森に来てまだ間もないのかな。それとも既に何日か経ってる?」


「来たばかり、だと思います。気を失っていたみたいだから、正確なところはよくわからないけれど……」


「なるほど。じゃあさ、この森に来る前に、例えば体調が悪かったり事故に遭ったりした?」


「事故に遭いました。トラックに撥ねられて……」


 なぜわかったのだろう、と不思議に思う椎奈の前で、文ちゃんはふんふんと満足そうにうなずき、すっと人差し指を立てた。


「椎ちゃん。これから話すことは簡単には信じられないと思うんだけど、どうかからかわないで、最後まで聞いてほしい」


 真剣なまなざしに、椎奈は喉をごくりと動かした。


「この森はね……」

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