9話
陛下と王妃陛下のお二方としばらく歓談していた。
「……メルローズさん。リヒテンの婚約者になってくれてお礼を言うわ」
「そ、そんな。勿体無いお言葉です」
「ふふ。わたくしは嬉しいの。やっとリヒテンも身を固める気になってくれたのだと思うとね」
白いものが髪に混じっているとはいえ、しゃんとした背筋とにこやかな笑顔が若々しく凛としておられる。王妃陛下は十分に女性として尊敬できるお方だ。そう思いながら私も笑顔を浮かべながら頷いた。
「……そうでしたか。王妃陛下。私もその。以前に結婚していたのはご存知ですか?」
「あら。知っているわよ。その上でリヒテンがあなたを望んだのだったら。わたくしはとやかく言わないわ」
「でしたら、私からも特には言いませんわ。リヒテン殿下は素晴らしい方ですもの」
そう言うと王妃陛下はあらまと驚いたらしい。ちょっと目を見開いて扇を広げた。口元を隠す。
「……わたくしの前でも言えるのねえ。まあ、豪胆な人だこと」
「……あの。王妃陛下?」
「なんでもないわ。そうねえ。リヒテンはいい子ではあるの。メルローズさん。今後もよろしくお願いするわね」
私は返事の代わりに再びカーテシーをする。頭を上げるように言われた。陛下と王妃陛下は鷹揚に頷いていた。
「……リヒテン。メルローズ殿と幸せにな」
「メルローズさん。また、王宮に遊びに来てね。今度はゆっくりと語らいましょう」
お二方に温かいお言葉をかけてもらい、リッヒ様と私は大広間の人気のない場所まで移動したのだった。
その後、ダンスどころではなくてリッヒ様は飲み物を持ってくるからと言って離れていく。頷いて大広間の隅にあるソファに座る。ふうと息をついた。やっぱり年ねえ。そう思いながら背もたれに凭れ掛かる。疲れたと思っていたら不意に横から人の視線を感じた。そちらを向くとじっと見つめてくる男性がいる。黒い艶やかな髪に薄い水色の瞳には見覚えがあった。私と目が合うと人ごみを掻き分けてこちらにやってくる。秀麗で冷たささえ感じる美しい容貌にすらっとした長身。間違いない。元夫のダレスだ。私はぐっと扇を握る手に力を込めた。みしっと音を立てたけどそれどころではない。
「……君は。もしや、メルローズか?」
低いテノールの声で問われた。私は扇を広げて冷ややかにダレスを見た。
「……あら。お久しぶりと言うべきでしょうか」
「昔とは見違えたな。若い頃はただの地味で目立たない女だったのに」
「あなたに言われたくありませんわ。どこかの若い女と浮気していたくせに」
きつく言い返すとダレスはぐっと黙り込んだ。図星を突かれて二の句が継げないらしい。私は睨んだ。
「……私。あなたの仕打ちには怒っていてよ。よくもまあ、人前で地味で目立たないとか言えるわね。恥をかかせる気が満々なのかしら」
「……俺に対してずけずけという所は変わっていないな。お前は昔からそういう女だったよ。気が強い割には美人じゃないし。だからと言って図々しいし」
私は余計に扇を握る手に力が入った。よくもまあ、言えたもんだわ。ダレスは私より年下だったが。今でもう37歳くらいにはなっていたはずだ。以前よりも老け込んだのは気のせいじゃないだろう。
「あら。あなたも昔から傲慢で自信家だったじゃないの。それでいて軽率で。尻拭いをさせられたこっちの身にもなってほしいものだわ」
「なんだと。言わせておけば……」
ダレスが手を振り上げた。思わず、殴られると思って目を瞑る。けど一向にそれはやってこない。5秒ほど数えて恐る恐る瞼を開けた。そこには振り上げた腕を掴まれて痛そうに顔を顰めるダレスと今までにない冷たく怜悧な表情のリッヒ様がいた。よく見るとリッヒ様がダレスの右腕を掴んで押さえ込んでいる。彼がダレスを止めてくれたおかげで殴られずにすんだらしい。
「……淑女に手を上げるのはよくないな。君はメルローズ殿の元夫君か」
「……なっ。俺はこの女に分からせる必要があるんだ!」
「分からせるねえ。確か、君は6年程前に8歳も下の若い女性と浮気して。そのまま、駆け落ちしたんだってね。けどその女性--パトリシア殿はどうしたんだい?」
「別れたよ。パトリシアもとんだアバズレだったよ。金を好きなだけ使い込むと俺に離縁を突きつけて。おかげで借金取りに追われる毎日だ」
「ふうん。パトリシア殿は君よりも若い男と浮気したと聞いたよ。ダレス君。女運が余程悪いと見える」
リッヒ様はそう言うと警備をしていた騎士達を呼んだ。ダレスは4人程の騎士達に連行されていく。
「……やっぱりお前は。俺にとっては貧乏くじだったよ」
「……それを言うんだったら。私にとってもそうよ」
憎まれ口を叩くとダレスは力なく笑いながら引っ立てられていく。私はそれを沈痛な思いで見送る。ダレスの手首にはロープが巻かれていた。リッヒ様が側に来るとふわっと抱きしめられる。しばらくは周囲の目も気にせずにされるがままになっていたのだった。