3,FACT―真実―(2)
時は22年前――。
「では、ナンバーゼロのプログラムテストをしようか。標的はこの子供だ」
そう言ったのは若き日のフレデリック=ユーグ・ウィンタースだった。
「そんな! 相手は子供よ! 可哀想だわ!!」
瑠璃=カミーユ・ミルタはフレデリックに抗議した。
「そんなことは関係ない。私達の計画を知られてしまったのかも知れないんだ。芽は早いうちに摘まないと我々の身が危険になるかも知れない。せっかくここまで来たと言うのに、やむやむこんなちっぽけな子供の為に全てが無駄になるよりか、ナンバーゼロにプログラムした暗殺者の機能テストをするにしても、まずは犠牲者が必要だ」
「でもフレディー! まだこんなに小さいのよ! 放っておいても勝手に忘れるわよ!!」
「瑠璃。君は私が目論んでいるコンピューター革命計画の内容を知っていながら協力した。今更何を善人ぶる必要がある」
フレデリックに指摘され、瑠璃はもう何も言い返せなかった。
「完璧な暗殺者になってくれる者は、もう一度死んで人間としての生涯を終えている人造人間だ。テクニックも人並みより優れ、もう死亡リストに名前の載ったナンバーゼロが警察の手によって調べられる確率も、まずない。この世を革命するにはこいつに邪魔な政府の大物を殺してもらうしかないのだ。この子供はその為に立派な役を与えられたのだと思えば、別の意味で祝福もされよう」
フレデリックは冷たい口調で言うと、幼い邑瀬要に目をやった。
そんな彼をキョトンと見ながら、りんごを口にする要。
「でも……今こんな時に言うべきではないかも知れないけど、私はフレディーを愛しているから協力したのであって、あなたの計画そのものに心から賛成したわけではないわ。だから……やっぱりこの子が目の前で殺されるのは辛い……」
瑠璃は言うと、涙を零した。
「何であれ、君はもう共犯者だ。捕まりたくなくばこの計画を成功させるしかない。失敗すれば犯罪者だ。だが成功すれば革命を起こし絶対的支配者となって誰からも左右されずに済むのだ。その時君は……きっと、私に付いて来たことを誇りに思うことだろう」
無表情で冷静な言葉に、多少の瑠璃への想いが感じられる。
「見たくなければ目を逸らしているがいい」
天才というプライドの意地のせいか、女に現を抜かすと思われたくないフレデリックは、素直に自分の胸元へ引き寄せて彼女の目を覆ってやることが出来なかった。
瑠璃は一人、要に背を向けて死に行く姿を見ないように努める。
フレデリックはゆっくりと他のメンバー達に視線を配ると、最後にボーイを見て静かに言った。
「プログラム開始だ。この子供を抹殺しろ」
ボーイは、フレデリックの言葉を聞き無言のまま幼い要の方をゆっくり向くと、しばらく見据えていたがフレデリックに背を向けたまま一言、言い放った。
「僕には出来ない」
それが、ボーイの暗殺者として人造人間化された第一声であった。
ボーイの発言に、周囲のメンバーがざわめく。
「……もう一度言う。この子供を殺せ」
表情一つ変えず静かに言うフレデリックへ、ボーイはゆっくりと振り返って己の意思で逆らった。
「何度言われても一緒だ。僕にはそんな酷い事は出来ない。僕はあなた達に改造されたせいか生前の記憶は一切ないけど、いくら僕が暗殺者として第二の人生を与えられたとしても、自分の意思はある。嫌だと思った事はやらないし、やりたくもない。あなたの命令は受けるけれど、それは自分で判断して引き受けよう。全ての命令には応えられない」
次々と打ち上げられるボーイの信念に、フレデリックと瑠璃以外のメンバーは完全に騒ぎ始める。
「……失敗作だな」
そう言ったフレデリックの言葉は、あくまでも冷静だった。
「プロアナ担当は確かピレネーだったな! バグるとはどういうことなんだ!!」
メンバーの一人に怒鳴られて、そのピレネーと呼ばれた研究員は焦りを覚える。
「ピレネーの責任ではない。アロケートを取ったのはこの私だ。それに、思考能力とプログラムは範囲が違う」
フレデリックは静かに言った。
「では修正した方が良いのでは」
メンバーの言葉に、フレデリックは睨みを利かせると冷たく言い放つ。
「つまり私が間違ったとでも言いたいのか」
「いいえ、とんでもない!! 世界一のIQの持ち主であるリーダーが、100%間違う筈がないことは分かって……」
「分かったもうよせ」
フレデリックはうんざりと口にする。
「とにかく、その必要はない。元々人間は無限の自由思考を持つ生き物だ。初めから100%期待はしていなかったさ。仮にこの場で成功したとていつの日か必ず自我を取り戻していただろう」
そう言うフレデリックに、メンバーの一人は力強い口調で意見を投げかけた。
「でも信じれば必ず……!!」
「気休めな綺麗事をぬかすな。私だからこそ、そう確信して言えるんだ。このタイプはロボットやアンドロイドと違って人間の脳を生かすことによって、人造人間と呼べるんだ。我々はただ、その脳や肉体に手を加えるだけだ。一度無理だと分かった以上、もう続行する必要はない」
フレデリックの口調はあくまで冷静だったが、厳しさも含まれていた。
「……なぜ……100%期待していなかったのなら、人造人間なんかを?」
瑠璃の言葉にフレデリックは平然と答える。
「まだ一度も造られたことのない人造人間を試してみたかっただけだ」
メンバー達に重い空気が流れる。
しかし気にもせずにフレデリックは告げる。
「だが、まだ計画は失敗したわけではない。人造人間からヒューマノイドに予定を変更するだけだ。直ちに計画用ヒューマノイドの製作にかかれ。念を押すがこの計画はくれぐれも、我々以外には口外するな。表向き知られている人造人間製作は、あくまで“研究”の結果上で失敗と報告しろ。私はこいつを処分する」
メンバー達に命令を下すとフレデリックは、ボーイを促した。
「付いて来い」
その時。
「フレディー!!」
瑠璃に呼び止められて、フレデリックは背を向けたまま立ち止まる。
「……この子供はどうするの……?」
瑠璃に抱き上げられている要は、不思議そうにフレデリックと、そして特に、白髪に赤い瞳のボーイを珍しげに見ていた。
「……逃がしてやれ」
――「ナンバーゼロを見たのはそれっきりだった。こうして再会するまではな」
要は話し終えると、伏せていた目を二人に向けた。
ボーイはまだ何か思い出しているようだったが、琴音=カレン・ウィンタースの方はただ一点を見つめ愕然としていた。
己の父親の過去の真実を知ってしまったのだ。
そうなるのも無理はないだろう。
更に要は、追い討ちをかけるように言葉を続けた。
「今にして思えば、全部計画されていたのさ。ナンバーゼロが事故に遭うことも。最も、ナンバーゼロのみを目に付けていたというわけじゃなく、お前が運悪く何らかの事故の引き金になる場所に居合わせてしまい、その上更に運の悪いことに事故の犠牲者の中からお前が材料として、選ばれてしまったのだろう。全く、とことん運に見放された哀れな男だなお前は。仮にお前のプログラムが正常に働いていれば、私は既にこの世にはいなかっただろう。だが、失敗してくれたおかげで私はこうして存在し、琴音を愛することが出来るんだ。そう言う意味では感謝はしているが、琴音の気を引いたのは間違いだったな。彼女の気を引いたのもお前の運の悪さ。今日からお前は私の敵だ」
要に言われ、ボーイは躊躇いを覚え少しうろたえる。
そんなボーイを冷たく見つめながら要はソファーから腰を上げると、部屋の出入り口に体を向けた。
そこには、無言で立っているフレデリックの姿があった。
「……お前は……あの時の子供だったのか」
そう静かに声をかけたフレデリックは無表情で、琴音の知っている穏やかな優しさは微塵も残っていなかった。
「……ご安心ください。今更あなたに殺されかけたことなど根に持っちゃいませんよ。それに、現にあなたの計画は成功してこうして“フォースジェネレーション”の世界になっているのだから、文句はないでしょう?」
要は冷静に微笑むと、フレデリックの側を横切り地下部屋から出て行った。
部屋の中はしばらく沈黙が続く。
「お父様……嘘よね……?」
声を震わせて琴音は、フラリと立ち上がった。
「優しいお父様が残虐の末、政府を壊滅に追い込み……革命しただなんて……本当は歴史通り政府が自ら壊滅して今の時代になった……ねぇ? そうでしょう……?」
震える声で言いながら琴音はゆっくりと、父親の元へと歩み寄る。
引き攣った娘の顔を無言で見つめるフレデリックの胸元の白衣を、琴音は鷲掴みすると叫んだ。
「ねぇ!! そうなんでしょう!?」
琴音に追い詰められてフレデリックは一度閉じた目をゆっくり開き、ボーイの方を見ると、すぐに脇へと視線を逸らして静かに答えた。
「……いや……ムラセの言う通りだ……。私の陰謀により、暗殺者型ヒューマノイドに大物政治家らを抹殺させ、政府を壊滅させてから国連を脅迫し、コンピューター時代を認知させた。だから今ある政府など名ばかりで、ただ全コンピューター停止による人間社会のパニックに怯える、この私を世界の頂点に立つ絶対的支配者に祀り上げている人材に過ぎん」
ついにフレデリックは、世界中でただ一人信頼していた愛娘に己の素性を白状した。
今更、何よりも証拠であるボーイを差し置いて、言い訳など出来なかった。
せっかくここまで築き上げて出来た理想の現実の崩壊に、絶望的になり全ての意欲を失ったフレデリックを他所に、琴音は軽く父親を突き放してから後ろへとよろめく。
「嘘よ……嘘……そんな、優しい筈の私の愛するお父様……!! たった今から、あなたと絶縁します!!」
琴音は悲鳴に近い声を上げて、ボーイを引き連れフレデリックの脇を足早に横切ると、地下部屋を出て行ってしまった。
……何が正しいのかなんて、知りたくもなかった。
人によって答えが様々なのだから、本当に正しいというただ一つの正解なんて、結局誰にも分からないのかも知れない。
フレデリックにとっては、今の時代こそが正しかった。
いつまで経っても訪れない真の平和に待ちくたびれて、どうせこのまま争いが続く世の中ならいっそう、世界を革命したところで今更罪ではないと思った。
ただ一人の己の娘だけが、自分の託した平和の象徴だった。