2,EMOTION―感情―(2)
琴音=カレン・ウィンタースの父親であるフレデリック=ユーグ・ウィンタースは恐ろしいほどに天才的だった。
今の時代は『フォース・ジェネレーション(第4次世代)』と呼ばれ、それまで計算を中心にしていたコンピューターから、人工知能を身に付けた人間的なコンピューター(AI)が中心になった。
この言語はあくまでもコンピューター用語としてのみ使用されていたので、計算を中心とするコンピューター世代を業界は『サード・ジェネレーション』と呼んでいた。
だが、それまでの政治時代を革命し、裏役として活躍していたコンピューターを表側に押し出し、計算中心からAIを身に付けるタイプの機能学習コンピューター世代になったのを機に、業界用語だった『フォース・ジェネレーション』を時代名として歴史用語にまでしたのが、フレデリックだった。
そして、全科学が集まる巨大な研究所のある街が世界で一番を誇る中心的首都となっていて、フレデリックはその研究所“ネオジェネレーション研究所”の所長である。
琴音の邸宅は研究所と一本の通路で繋がっているので、寧ろ研究所が自宅と言っても過言ではない。
そんな研究所内部にある研究室で新アンドロイドの知能検査を終えた邑瀬要は、側にある椅子に身を投げるとおもむろにタバコを口にくわえた。
するとそれを見つけた女工医学者が指摘する。
「ちょっとムラセ君! ここは禁煙よ! 神経質なセンサーが作動して頭から丸ごと水かぶりたいわけ!?」
「……そのセンサーってのはお前のことなんだろうな」
「何ですって!?」
要の嫌味に鋭く反応する、女工医学者。
確かに要の言うとおり、その女工医学者こそまるでセンサーそのもののようだ。
「じゃあお前残りのメンテやってろ。それが全部終了したら呼び起こして世に出してやれ。名称記憶させるのも忘れるなよ。どうも近頃ウスラ馬鹿共はAIコンピューターの日常に気が緩んで、名称付け忘れが多くて困る」
「あなたはこれからどうするの?」
「帰る」
「何ですって! この無責任男!!」
喚く女工医学者を無視して研究所を出ると、さっさと研究所を後にしようとした。
だが、最近妙に午前しか授業を受けない琴音がふと気になった要は、向きを変えて琴音の邸宅に向かった。
研究所とウィンタース邸を繋ぐ通路の途中で、ばったりと琴音の父親と出会う。
「おや、ムラセ。うちに何か用かね?」
「ええ。あなたのお嬢さんに会いに行こうかと思いまして」
要は答える。
「そうか。ご苦労さん。君もいろいろ大変だな。うちの娘を追いかけるのも楽じゃなかろう」
フレデリックは愉快そうに言った。
「全くです」
苦笑する要。
「君のことは私は誰よりも気に入っている。反対はせんよ」
フレデリックはそう言い残して歩きかけたが、ふと思い出したように立ち止まる。
「そういや琴音は私が与えた個人的研究に取り組んでいるんだ。大抵今の時間はリビングでデザートを食べている筈だが、もしいなかったら諦めて明日にしてくれ」
そう述べるとフレデリックは、研究所へと歩いて行った。
――要はウィンタース邸に入ると、リビングに行こうとしてハタと足を止めた。
フレデリックのプライベートラボがある方向へと歩いて行く、琴音を見つけたからだ。
手にはお菓子らしき物を持っている。
琴音は要に気付かず楽しげに、フレデリックのラボへと入って行った。
……ウィンタースさんは研究所の方へ行ったから、あの部屋にはいない筈……。
普段このラボはフレデリック本人しか入室は許可されておらず、例えその娘でも立ち入りは禁止されている。
そう言えば個人的に与えた仕事があると、ウィンタースさんは言っていた。
その為に今回は特別だとしても、琴音が手にしていた物が一体研究の何に必要だと言うんだ。
ロボットやアンドロイドが自然食品を食べるわけがないし、本人が食べるにしては量が多い。
他の研究員を入れるのは考えにくいな。
要は疑問を抱くと、そろりと研究室に近寄った。
オートロックのはずのドアが、要にとって幸いなことにネジか何かが下に転がってドアに挟まっていて、ちゃんとロックがされていなかった。
要はゆっくりドアを開けると、フレデリック以外立ち入り禁止のその部屋を見渡した。
だが、いる筈の琴音の姿が見当たらない。
確かにここに入っていくのを確認した。
要は再びしっかりと部屋を見渡して、他にドアがないかを確認する。
すると、隅の方に自動ドアらしきものを見つけたので、そろりと歩み寄った。
壁の色に溶け込んでいて、一見分かりづらいドアの側にあるボタンに触れると、ドアは開き小さな空間が目の前に現れた。
エレベーター……?
要は不審に思うと、地下へと続くエレベーターに乗り込んだ。
――「美味しいよ!」
地下にあるボーイの部屋で、ブルーベリーパイを口にして彼は言った。
「あなたの為に焼いたのよ! 喜んでくれなきゃ損よ」
琴音は嬉しそうに言うと、足元にいる犬と猫にもパイを分ける。
「ほぅら、お前達もお食べ」
「琴音、料理も上手いんだね。てっきり学問ばかりに熱心で、料理は苦手なのかなって思っていたんだ」
「言ったわね! 実はね、私……母を幼い頃に亡くしてからお父様に母の料理をまた食べさせてあげたくて……母と同じ味になるまで凄く努力したのよ」
琴音は静かに言った。
「君のお母さん……もしかして、瑠璃さん?」
ボーイの言葉に、琴音は驚く。
「母を知っているの?」
「うん。22年前僕の製作に携わっていたからね」
ボーイは笑顔で答える。
すると、突然別の声が部屋中に響き渡った。
「私も知っているよ」
琴音とボーイは驚いて振り返り、目を見開いた。
「どうしてここに!?」
琴音の言葉に、要は無表情のまま無言で二人を見やった。
そして再び口を開くと、吐き出すように言った。
「……貴様……サイボーグだな」
要のこの言葉に、琴音は焦りを覚えると喚いた。
「お父様のプライベートラボに勝手に入ったのね!! でなきゃここに入れないもの!! でも一体どうやって……」
「ドアを閉める時ぐらい、ちゃんと確認せねば無用心と言うものだ。時折、物が挟まってきちんとロックされないこともある」
要は冷ややかに言った。
「君は誰……? どうして僕をサイボーグだと……」
そう訊ねるボーイの言葉を、要は冷ややかに言いのけた。
「フレデリックは昔、史上最悪の“プロジェクト”のリーダーだったという業界での噂ぐらい、私とて知っている。その噂とこの厳重なまでの秘密地下にいる見ず知らずの奴を見れば、サイボーグなのではと見当はつくさ。それに、お前を改造する場にこの私もいたのだからな」
「……何ですって!? 何を言っているの!? ボーイが改造されたのは今から22年前のことよ。あなたはまだ当時4歳の筈だわ。それに“計画”じゃなくて、“研究”よ!!」
琴音は要の言っていることが、よく分からなかった。
「……真実を知っているのは、今では君の父親とそこにいるサイボーグ、そして当時まだ4歳だったこの私だけだ。君や他の連中が知っている噂は所詮、噂に過ぎない。最も、“史上最悪”というのは正解だろうがな。なぁ、“No,ZERO”よ」
要はボーイの識別番号も言い当てた。
もっとも人造人間はボーイだけだが、他のロボットやアンドロイドは数字ではなくアルファベッドがナンバーになっているのだ。
世間には人造人間のナンバーが数字であることも、伏せられていた。
琴音は、要の冷ややかな目に今までにない恐怖を感じた。




