2,EMOTION―感情―(1)
ボーイは次第に、琴音=カレン・ウィンタースに心を開いていった。
地下のあのまやかしの映像も取り除いて、観葉植物を部屋に取り入れた。
とてもとても大きな水槽をいくつも用意して、様々な魚を飼育しまるで小さな水族館である。
TVもソファーも運び込み、琴音のペットである大型犬と猫はボーイに大変可愛がられ、すぐに懐いた。
「ウフフ……! この部屋広すぎて家具を揃えてもどこか殺風景ね!」
「でも以前と比べたらだいぶ埋まった方だよ。それに、君の優しさでいっぱいに満ちているしね」
ボーイは言うと、フワリと笑って見せた。
「嬉しいわ……そう言ってくれるなんて」
琴音の心はボーイの笑顔に、今までにない安らぎを覚えていた。
「それにこんなに広いのに、この部屋はいつもピカピカ! 君がくれたこの頼もしい友人達が、こんなにも小さいのによく頑張ってくれるからね」
ボーイは言うと、ヒョイと両腕からペット式小型お手伝いロボット二体を、琴音に見せた。
「良かった! この子達、役に立っているみたいね」
その二体のロボットはボーイの身の回りを助けてくれるようにと、琴音が特別に造ったのだ。
『コンニチワマスター!』
『我々トテモ頑張ッテルネ!』
『Boyモヨク手伝ッテクレルシ』
『トテモ優シイカラ好キネ!!』
交互に言う二体のロボットに、琴音はうんうんと笑顔で首肯する。
このお手伝いロボットは、猫ほどの大きさで全体的に丸っこいデザインの、額から一本のアンテナを伸ばしている、黒と白のコンビだ。
「生きることがこんなに楽しいなんて、僕知らなかったな……。僕は、琴音の笑顔が世界で一番大好きだよ」
ボーイの言葉に、琴音は思わず胸が高鳴る。
「そんな……オーバーよ」
琴音は頬を紅潮させて俯く。
「……顔が赤い。熱でもあるのかい?」
「ヤダ違うわ! 照れてるのよ……あなたも本当は分かってるくせに。人間だった頃いくらでも照れた筈よ」
琴音は言いながら観葉植物の葉の裏を見たりして、意味のない行動で照れ隠しする。
「人間だった頃……何を思って何を考えて……一体どういう人間だったんだろう」
ボーイはソファーに腰を下ろして言った。
「……当時の記憶がないの……?」
琴音はそっとボーイに訊ねる。
ボーイは、そんな琴音を優しく見つめ返すと、再び口を開いた。
「どうして僕の瞳はこんなに赤いんだろう……。君のブルーの瞳は大好きだよ。君の瞳を思う度、無限の空想に浸れて幸せな気持ちで、ベッドで眠れるからね。今までのこの22年間見続けてきた夢は、ずっとノイズのある灰色の無の空間だった。それまでのザザザーッていう雑音から、君の声や自然の囁きが響き渡った楽しい夢を見ることが、出来るようになったんだよ」
そう語る彼の膝の上に、猫がニャアンと甘え声を出しながら上がってくる。
そんな猫の柔らかな毛を手で感じながら、ボーイは言葉を続けた。
「僕はグリーンの瞳が欲しかった。優しさを湛える淡い透き通ったグリーンの瞳が。赤い瞳は痛みや冷酷さを感じさせるから、好きになれない。嫌な色、激しい色だもん。僕はそんな瞳に君の優しさを、映したくないよ。柔らか味のある、グリーンの瞳で琴音を見つめたいよ」
こう言ったボーイが切なくて、思わず抱きしめずにはいられなかった。
琴音は、優しくボーイを包み込むと言った。
「ああ、あなたは何て、優しいの……」
こんな人が、“暗殺者”としてプログラムを実行出来るわけがない。
そんな彼女を、彼もそっと抱きしめ返した。
――夜も遅いこの時間に、邑瀬要は学者仲間である女性とベッドで肉体の快楽を楽しんだ。
「最高に良かったわ……。あなた快楽を与えるのも天才的ね」
女は熱く火照った裸体をいやらしくくねらせて言うと、要のたくましい胸板を愛撫する。
要は無言のまま身動きせず女に身を任せつつ、別のことを考えていた。
要はこれまで何人もの女と寝てきたが、その心は決して満たされてはいなかった。(まぁ肉体の方はともかくとして)
心の中は物寂しい思いを秘め、何かを求めてはそれを得られないことに、苛立っていた。
不安にも似た苛立ちは、女と寝ることによってその感情を表に現さないよう、保っているのだ。
「やぁね。黙ったままなんて、一体何を考えているの……」
女は言いかけて、要の顔を見て唖然とした。
「どうしたのカナメ……涙が零れているわ……」
要はそれに気付いてふと笑うと呟いた。
「放っておけ。……じきに乾くさ……」
そしてサイドテーブルにあるワイングラスを手にすると、その手の中でガシャリと砕いた。
よりによって女の前で涙とはな。
涙とは不愉快な物質だ。
望んでもいないのに勝手に流れる。
……こいつは、身勝手に涙を流した肉体への罰だ。
要は手の中で溢れる真っ赤な血を、憎らしげに睨んだ。