1,CHAOS―カオス―(2)
琴音=カレン・ウィンタースのバースデーパーティーは自宅のホールで行われていたので、父親のプライベートの研究室まではそう遠く離れてはいなかった。
その研究室から更に下の下にある深い地下部屋に、琴音とフレデリック=ユーグ・ウィンタースの姿があった。
縦横3~4mしかない狭いコンピュータールームの先に、丸みのある半円形の両ドアがある。
「こんな所に地下部屋があったなんて知らなかったわ……」
娘の言葉に短く笑ってから、答えるフレデリック。
「で? このドアの先にも何かあるのね?」
彼女の問いに、首肯しながら彼はコンピューター操作卓を触る。
「ああ。自動になっておってな、今開くと思うんだが……」
しばらくして、ようやくドアの前にいる琴音に反応し、ドアは面倒そうにキリキリと音を立てて久方振りの来客を、奥へと誘った。
「……一体どれくらいここに入っていないの?」
「うーん……21年ぶりだなぁ」
父親の言葉に琴音は溜め息を吐きながら部屋へと目を向けたが、その部屋のあまりにも凄い真っ白さに、目を射る痛みを覚えた。
「何なの!? この空白は……!」
琴音は視界が変になり、コンピュータールームに視線を戻すと、何度も瞬きを繰り返す。
だが、次第にその空白だった筈の部屋から、静かな波の音や草のざわめきが聞こえ始め、優しいそよ風も肌に感じ、再びその部屋に視線を戻した。
すると、さっきまでの空白が嘘のように、澄み切った青空、広々とした草原、まばらにそそり立つ木々、奥には海や川も見えた。
しかし、そこはあくまでも部屋であり、一見果てしなく続くようにも思われるが限りある、それは随分だだっ広い部屋の中であった。
「みんな映像ね……」
琴音の言葉に、フレデリックは静かに述べる。
「奴は地上には出せんからな。せめてもの慰めのつもりだ。もっとも、役には立たんかったがね」
「奴……?」
「ご覧。あそこにいる」
そう彼はその方へと、指差した。
すると草原のど真ん中に、一人誰かが倒れていた。
「……死んでいるの……?」
琴音はおそるおそる、近付いて行く。
「死んではおらんよ」
その後ろをフレデリックが付いて来る。
やがて彼女は、足元に横たわるその者へと、そっとしゃがみこんだ。
二人の気配に気付いたのか、その者はゆっくりと重たげに顔を上げた。
白い髪を肩まで伸ばした、赤い瞳の青年だった。
だが、その瞳には悲しみの光を宿していた。
このあまりにも悲しげな表情は、心優しい琴音を切なくさせる。
「……久しぶりだな。元気だったか」
少し彼の様子からして、とてもそうは思えない言葉をかけてみるフレデリック。
すると、彼は微かな声で呟いた。
「……して……殺して……どうか、僕を……殺してください……」
そんな青年の思いがけない言葉に、琴音は衝撃を受けた。
「お父様! この人を一体どれくらいここに監禁していたの!?」
「……そうだな。22年ぐらいだな」
フレデリックはさも平然として答える。
「22年間……!! 苦しかったのだわ。ずっとずっと一人で何もない、何も聞こえない、何も見えないこの場所で!!」
琴音はそっと、青年の手を取る。
だが、彼は力なくその手を彼女の手から、滑り落とした。
「……私も無情な人間ではないつもりだよ。だからこうして、映像とかを……」
「どうして地上へ出してあげられないの!?」
「出せるわけがない。仮に外見は人造人間とは分からなくとも、こいつは暗殺者としてプログラムされているのだ」
「暗……殺者……?」
琴音は声を震わせる。
「そうだとも。暗殺者型No,ZEROサイボーグとしてな。だが、こいつの思考能力は誰よりもしっかりしていた。精神制御も、仮想記憶も一切受け入れず、完成されたこいつはプログラムを無視してその人間としての理性を失わず、自由思考で我々に意見した」
フレデリックは短く息を吐く。
「自由思考を持つ人造人間はいずれその人並み以上の力に欲を出して、いつ危険を冒すとも知れん。……やはり無茶だったのだよ。元々自由思考の生物である我々人類を、機械化にするなど。例えその場は上手くいっても、いついかなる時に我に返るとも知れない。全く。自分を殺したがる暗殺者がどこにいると言うんだ……」
フレデリックは力なく言うと、同情の目を彼に向けた。
青年は、そんな二人の気持ちを察したのか、声を震わせて悲痛の思いを吐き出し続ける。
「殺してください……っっ、どうか、僕を早く殺して……!! お、願い……」
「お父様……彼の名前は……?」
琴音は静かに父親に訊ねる。
「暗殺者型No,ZERO人造人間『Boy』、世界でただ一人の人造人間だ」
――「やぁね一人でワインを相手にしちゃって。カレンが戻って来るのを待っているの?」
パーティーホールで琴音と口論した友人の一人が、邑瀬要に言い寄って来た。
「琴音は優しい女だ。そのうち俺の花束を無駄にしたことを謝りに、戻って来るだろう」
「あんな女に本気なわけないでしょう? ムラセ先生」
女友達は悪戯っぽく言うと、要の首に腕を絡ませた。
「……宿題を出しておいた筈だ。そいつはもう済ませたのか?」
「個人的に教えてくれると、きっとあたしPh-Dにまで昇進出来そうよ」
その言葉に要はふと笑う。
「全く、教師を誘惑するとは悪い生徒だ」
静かに言うと要は、ホールの隅にある小部屋へと彼女と入って行った……。