4,PAST―過去―(4)inフレデリック(後編)
――次の日の正午。
ネオジェネレーション研究所のR-03研究室に瑠璃=カミーユ・ウィンタースの姿があった。
彼女以外、誰もいない。
部屋のライトは消されたまま、コンピューターや様々な機械の小さな発光でボンヤリと青白く室内は、照らし出されているだけである。
フレディー。私は誰よりも貴方を愛しているわ。
どんなに残忍でも、貴方となら奈落へ落とされたって構わない。
それでも、琴音に見せる優しい貴方を見られたのは本当にささやかながらも、幸せだった。
ただ……一度でいいから、私にも娘と同じように接して欲しかったわ。
結局、貴方は最後まで心にある真相を話してはくれなかった。
もう私には解らない。
もう私には、貴方を全然理解出来なくなってしまったわ。
もう……私には限界よ。
昨夜、久し振りに貴方に抱かれて幸せだった。
本当に。本当に。
もうそれだけで十分。
私は貴方の、私への愛し方に我慢出来なくなってしまった。
貴方が本当に私のことを愛しているのかさえも、解らない。
でも、私はこれだけは誓うわ。
今生涯、貴方だけを愛していた。
今後も愛し続けるでしょう。
「フレディー……愛しているわ。例えこの魂が、――滅しようとも」
瑠璃は一筋の涙を零すと、何かを決意したように目の前にあるコンピューター画面を、手にしていた鉄パイプで力一杯叩き付けた。
そして研究所内全体の情報を管理しているコンピューターに続く機械をも同じく破壊して、その他の室内のあらゆる物を叩き壊し続けるのであった。
――「所長! R-03ラボから緊急連絡が来ています!!」
慌てて駆けつけた職員に、短くフレデリックは尋ねる。
「誰だ」
途端、研究所の各場所に設置されている緊急ランプが真っ赤に点滅を始め、高い警告音を発し始めた。
「全く。どこの阿呆がドジを踏んだのやら。早く現場に行って来い」
フレデリックの呆れながらの発言に、職員はすぐに答えを返す。
「現場はR-03です!!」
「……なぜ解るんだ」
「ウィンタース夫人が……所長一人だけを寄こせと……室内で暴れ回っているのです!!」
職員の報告に、フレデリックは衝撃を受けるのだった。
――「瑠璃」
一通り暴れ終えて、無言のまま入り口に背を向けて立ち尽くしている瑠璃に、やって来たフレデリックが静かにそこから声をかける。
「……」
瑠璃は無言のまま、フレデリックに背を向けている。
「……どういうつもりだ」
彼は再び抑揚のない口調で声をかけた。
するとゆっくり瑠璃は、肩を揺らした。
「怒ってる……?」
彼女は、クスクスと笑っていた。
「怒ってみてよ。貴方の怒った顔が見たいわ」
彼女の、らしくない言動にフレデリックは不審に思いながら、落ち着き払った声で言った。
「ただそれだけの為に、こんな馬鹿馬鹿しい真似をしたのか」
「バカバカしい……? クスクス……そうね。貴方にとってはそうよね。ねぇ、ここ……覚えてる……? 『Boy』を改造った場所よ。この時代にする為に造ったけど失敗して……その時、小さな男の子が迷い込んで来てたのは驚かされたわよね。あの子、元気かしら。もうあれから15年経つのよね。フフ……私も貴方も年、取っちゃったわね」
「……たかが思い出話の為にこんな真似を?」
そういう彼の言葉を、彼女は無視したまま言葉を続ける。
「……ねぇ。“あの子”はどうしたの?」
瑠璃は相変わらずフレデリックに背を向けたままだ。
「人造人間のことか? あいつなら処分した」
室内では、いろんなコードなどの配線がパチパチと火花を散らし、時折小さな爆発を起こしている。
警報を知らせるサイレンの中、赤い点滅ランプが二人を照らしている。
「……どこまで本当か分からないわね……。こうなるともう、今まで全てが隠し事されている気がするわ。ねぇ、フレディー。私を愛してる?」
そう訊ねてきた彼女に、フレデリックは嘆息を吐く。
「いつまでも若くはないんだぞ。何を子供じみたことを……」
彼は呆れながら顔を、片手で覆う。
「私……貴方から一度も愛してると言われたことはないわ」
瑠璃は言うとようやく、フレデリックの方へと向いた。
その目からは、涙が零れていた。
「証明してくれないのなら、せめてそう言ってくれてもいいじゃない」
言うと彼女は、苦笑いに近い笑顔を見せる。
しばらく二人は見つめ合っていた。
「ああでも、無表情はやめてね」
先に沈黙を破って、瑠璃は言った。
本来、寡黙無愛想で冷静沈着なフレデリックではあったが、瑠璃が初めて見せる暴走的なわがままに、少し戸惑いを覚えながら言葉を濁らせる。
「どう……どのように言うべきか……」
誰かに自分のペースを乱されたのは、初めてだった。
そういう意味では彼女は、フレデリックにとって驚異的な存在であったのだと今初めて、思い知らされる。
「笑顔を……私の為だけに見せて」
彼女のこの一言はまるでとどめのように、フレデリックの張り詰めていた心の糸を緩ませ、ついにフッと小さくだが笑わせたのだ。
「本当に君は泣き虫だな……。全く、君には負けたよ瑠璃」
そう彼は、笑みが零れる口元を隠すように手で覆う。
だが、一度緩んだ口元はなかなか元に戻せず、フレデリックは下から悪戯っぽく睨み上げるようにして、瑠璃へ照れ臭そうに口にした。
「瑠璃……I Love you」
彼のその言葉に、満足したように瑠璃はフワリと微笑んだ。
「ありがとうフレディー。……琴音を……よろしくね」
彼女は静かに言うと手元にある、まだ電流が残る切断された太い配線を手にした。
「……瑠璃……? 何を――」
「I Love you to Frederic」
そう言った彼女の最後の言葉は、この世のあらゆる物を安らぎに導き、この世のあらゆる音よりも美しい声であった。
この一言は、永遠に、フレデリックの魂に響き渡り、消えぬ存在となっただろう。
彼女がその手にした、配線の切断面を自分の胸元に押し付けた、その瞬間から。
神々しい光となって青白い電流が、彼女を素早く包み込む。
「瑠璃ぃぃぃぃぃぃぃーっっ!!」
フレデリックは突然の出来事に、体が硬直してしまい動かなかった。
ようやく、目を見開きながら彼女の元へと駆け寄ると、倒れた瑠璃の体を慌てて抱き起こす。
まだ彼女の体内に残る電流が、僅かながら彼にも流れたがそんな痛みなど、今の彼には堪えなかった。
「瑠璃……瑠璃なぜだ、なぜ……っ!!」
フレデリックの悲痛な言葉に、愛する女からの答えは二度と返ってはこなかった。
こうして彼女は……。
瑠璃=カミーユ・ウィンタースは、過去となり、思い出となる――。
フレデリックは悲しみで表情を歪めると、グッと彼女を強く抱きしめた。
「――愛している……!!」
彼の後悔と悲痛な声は、もう二度と目覚めることのない彼女への、精一杯の心の叫びとなった……。
元の職場に戻って来たフレデリックの姿に、集まっていた職員や研究員は一斉に注目する。
既にいつもの無表情に戻り、ショックのあまり呆然としていたものの足取りはしっかりしていたので、周囲には彼本人がショックを受けていることを感じさせなかった。
「……感電事故により……たった今彼女は、死んだ」
決して自殺したことを知られたくなかった。
寧ろ、認めたくなかったのだ。
「娘が戻り次第すぐ私に知らせろ」
原因は自分にあったのだ。
沈黙を守る私に、彼女は耐え切れなかったのだ。
なぜ……本当に愛しているのにもっと早く、彼女に素直になれなかった……!!
フレデリックは自分を呪った。
やりきれない思いを声にして叫びたかった。
だが、そう思っても吐き出せぬ心の悲鳴、流したくとも零されることのない涙。
彼は、己の渇ききった心を抉る思いに満ちていた……。




