4,PAST―過去―(3)in要
「自分のお家はどこか分かる?」
フレデリック=ユーグ・ウィンタースに人造人間の研究室から解放してもらった邑瀬要へ、瑠璃=カミーユ・ミルタは優しく訊ねる。
「……ボク……タクシーにここまで連れてきてもらったから……」
ボソボソと呟くように、要は言う。
二人が立っている場所は、研究所の南門。
この研究所の中央施設の南側にある一棟の中に、フレデリックが借用する私室、つまり人造人間の作業を行ったラボがあり、そこからこの門が一番近い。
「こんな小さいうちに一人でcabに? 偉いのね。ドライバーに断られなかったの?」
「うん。断られたけど、持ってたお金を見せたら乗っけてくれたの」
その要が持っていたお金は、母親のタンスからこっそり取り出してきたものだ。
日本円にすれば約5万円はあったが、4歳の子供に金銭感覚は理解しにくい。
そんな子供の無知さを付け込んでその人間のドライバーは、5万円分全てを要から受け取った。
実際は2千円程度しか、かからなかったのだが。
「行き場所をここだと告げて?」
確認するように訊ねる瑠璃に、要は過去の記憶を辿りながら答える。
「んー……科学者がいっぱいいる所に連れてってくださいって、言った」
「何であれきっと、降ろされた場所は正面門でしょうね」
結構、子供を連れて来る学者は多い。
瑠璃がここに親が働いているのかと要に訊ねてみたが、本人は首を振った。
確かに所内で子供とははぐれたと言う騒ぎもないので、要のここへ来た目的を聞いてみると、要は口ごもってはっきり教えてくれない。
子供の考えていることは、分からないものだ。
「仕方ないわ……とにかく警察ロボットを呼んであげるわね。そしたらきっと市民アドレスから、君の家を捜してくれるわよ」
そう優しく微笑む瑠璃に、要は嬉しそうに聞いた。
「じゃあお母さんにも会えるの?」
「ええ。勿論よ。きっと今頃心配しているわ」
――警察ロボットに家まで連れてきてもらった要は、はしゃぎながら家の中へと駆け込んだ。
「お母さん!! お母さんボク帰ってきたよ!! お母……」
「――ヤダァ、何しに戻ってきたのよこのガキ」
ベッドの中で、気だるそうに上半身を起こしながら、戻って来た我が子に母親のエドナは言った。
「ボク……ボクお母さんを捜しにカガクケンキュウジョって所に行ってたの……。そしたら帰れなくなって今まで……」
母親の険悪な雰囲気に押されながら、まだ4歳の要は言葉を濁す。
「ああ、もう! イライラするわね! もう少しはっきり言ったらどうなの!? 二日や三日、ちょっと外泊しただけでしょう! いちいち私を捜さなくていいのよ!!」
……何も言わずに二日、三日も幼い子供を家に残して、外泊すれば捜すなと言う方が無茶である。
「大体どうして私が今更他人になった男の子供を育てなきゃなんないのよ! 冗談じゃないわ! お前なんか帰って来なくて良かったのよ!!」
エドナは喚くと、小さい要を突き飛ばした。
要は勢い良く倒れこむと、泣き始めた。
「どうして……? ひどいよお母さん……」
別に要と母親とは血が繋がっていないわけではない。
ちゃんとした親子なのだか、要の実父である日本人の父親は、要が生まれたのをきっかけにこの母子を見捨てていなくなったのだ。
だが母親は酷い子供嫌いだ。
そして父親である日本人男性も、酷い子供嫌いだったのだ。
だが、妊娠したことに気付かされたのは、出産を迎えるべく母エドナの身に起こった、陣痛であった。
時々、極まれだが妊娠していることにその時が来るまで、全く気付かないという女性もいる。
その理由は、つわりが極端に少なかったり、元々生理不順であると生理が止まっても判らない、そして腹の膨らみが目立つほど大きくない等々だ。
おかげで要の誕生が原因で、数日後に父親は二人を見捨てた。
それもあって余計に、エドナは決して己の実の子を愛そうとはしなくなった。
それどころか、日に日に要の存在が不愉快になる一方。
この子供をどうしようとか、それさえも考えたくないほど要のことに関する悩みも考えも、己の思考から排除している。
母親にここまでとことん嫌われ、相手にされないでよくもここまで要は生きられたものだが。
これはベビーシッターのおかげだ。
とは言え、ベビーシッターもよくコロコロ代わるのだ。
よって相手も要に、愛情を注ぐ余裕もない。
母エドナが、金を払わないのだから。
「ピーピー泣かないでよっ!! 目障りねっ!!」
エドナは発狂するように叫ぶと、一発、要の腰を蹴る。
短く呻く要は、更に泣いた。
その泣き声に我を失ったエドナは、ヒステリックになると猛然と要へと、大きく手を振り上げる。
「泣くなっ! 泣くなっ!! 泣きやめーっっ!!」
要の右肩に一発目の重々しい痛みが走り、痺れを覚えながら慌てて要は泣くのをやめる。
二発目の平手が要の左腕を打った。
小さく呻きながら必死に、泣くのを堪える。
そして三発目が要のぽっちゃりした頬を打った時、その音が予想以上に物凄く大きく室内に響き渡った。
この音にエドナは驚いて我に返り、思わず要の様子を確かめる。
要は少し離れた所に倒れこみ、強く目を瞑り尚も次の攻撃を防ごうと、両手を硬く握って両腕で顔を覆っている。
要は母親に愛されたかった。
愛して欲しくて、4歳ながらに努力しようと懸命なのだ。
だからどんなにぶたれても意識ある限り、命続く限り、母親の嫌がる事はしたくないのである。
「……向こうで遊んでなさい」
母親の溜め息交じりの言葉に、要はようやくそっと目を開ける。
「はい……」
小さく返事して立ち上がると、言われたとおりに他の部屋へと移動した。
TVの前に座り込み、電源を入れる。
「痛……」
今しがたエドナに力一杯叩かれた頬が疼く。
TVのホームドラマの画面が、要の目に映る。
どうしたらお母さんは、ボクのことを愛してくれるんだろう。
TVの中では、他の子供達はみんなお母さんと、“お父さん”という大人の男の人にキスをもらって、抱きしめてもらって、褒めてもらって、『愛してる』と言ってもらえるのに、どうしてボクはみんなと“同じ”じゃないのかな。
ボクが『悪い』からかな。
ボクが『悪い子』だから。
どうしたら、お母さんはボクを『愛して』くれるんだろう……。
「エドナ! いるかい? 仕事が終わったよ!」
母親の今の恋人だ。
母親エドナの恋人は科学者だ。
エドナは恋人に必死である。
お母さんは“あの人”にばかり“愛”をあげて、“ボク”にはくれない。
喜んで恋人へと駆けて行く母親の後ろ姿を見つめる要。
エドナはそのまま、男の手を取りながら家を出て行ってしまった。
……おなか……すいたな……。
戸棚と冷蔵庫を覗くと、チーズとパン、シリアルにミルクだけがある。
今の要には、新しいベビーシッターが来るまで、あるもので食い繋ぐしかない。
エドナが料理を作るわけもない。
たまにエドナがテイクアウトしてくる料理の残り物を、それこそ容器を舐め拭う程までして食べる事もある。
そんな我が子の姿を、エドナはいつも嫌悪の目で見ている。
オモチャなんて品物も何もない中で、要の相手はTVと数多い疑問。
その中の最高の喜びは、何か理解し覚えた瞬間。
エドナは時折、男と夜中に帰って来て自分の部屋やリビングのソファーなどで、肉体の快楽を愉しむ。
その喘ぎ声に目を覚ます要は、いつも部屋の前で二人の男女が繰り広げる光景を見つめており、そんな中である日思った。
ボクモ、『サイエンティスト』ニナレバ、オ母サンニ愛シテモラエルカモ知レナイ。
14年後、要は18歳になっていた。
その間に世の中は、政府時代からフォースジェネレーション時代に変わり、フレデリック=ユーグ・ウィンタースという名の男がこの世を治めていた。
要のその天才的頭脳は評判高く、まだ18歳でありながら世界にその名を轟かせる勢いだ。
要はいろんな発見や発明をし、講義も上手かった。
何よりも周囲を驚かすのは、要の講義での論鋒である。
彼はまず、ダラダラとした理論なしに、単刀直入なのだ。
つまり、論より証拠という考え方だった。
普通こういうタイプは、科学者になりにくいにも関わらず要は違う。
この先26歳での要を知る限りでこの過去は、要らしいと言われればそれらしい。
そしてこの若者は飛び級でマスターも取得し、Ph-Dの資格も手にし最早、齢18歳にして“サイエンティスト”となったのだ。
母に愛されたい。
母に褒められ、愛してもらいたい。
ただその一心から要は、ここまでのし上がったのである。
なので、要は念願の資格を手に入れたその喜びを、真っ先に愛する母親に報告する為、家へと飛び込むように駆け込み、母親に嬉々として告げた。
「お母さん! 僕もようやく科学者になったんだ!」
「……へぇ。だから?」
エドナは冷めた表情で煙草を片手に、息子の笑顔に満ちた表情を見ようともしない。
「これでお母さんは、僕を愛してくれただろう!?」
要は期待に胸躍らせながら、両手を広げて母親からの褒美の抱擁を早くも目を潤ませながら、迎え待つ。
『おめでとう要。よく今まで頑張ったわね。お母さんはあなたの母親でとても幸せよ。ああ、愛しているわ。私の息子……』
そうエドナは、優しく微笑みかけて強く要を抱きしめる。
生まれて初めて味わう母の優しさ、愛情、温もり、感触……。
要にとって生涯最大の、とても新鮮で素晴らしい悦びであろう。
ああ、お母さん。
僕のお母さん。
大好きだよ。
お母さんの為なら、自分を犠牲にしてでも、お母さんに幸せをあげる。
だって僕はこの世界中の誰よりも、お母さんのことを愛して……。
――「冗談じゃないわよ」
この冷めた一言で、要は白昼夢から覚めた。
――……え……?
「何を勘違いしてんだか知らないけど、お前がどれだけ偉くなろうが私はお前なんか、大っ嫌いよ。とっとと私の前から消えて、自立して出てって頂戴」
科学者になれば、母は自分を愛してくれると思っていた。
そう信じてきたのだ。
それなのに……。
“ピシン”
要の中の心が音を立てた。
そういえば、お母さんは僕が生まれて一度だって僕の名前を、呼んでくれた事がない。
“パシン”
再び要の心の中で何かが弾けた。
こんなに、こんなに努力したのに。
“パリン”
お母さんは僕を愛してくれると思ったのに。
“ピキン”
そうじゃなかったんだ。
僕を、愛せないんだ。
“ビキビキ”
だって、僕のことが大嫌いだから。
要の中の、今まで保っていた純粋な心が音を立てて壊れた。
「お前なんか……貴、様なんか……母でも何でもない……っ。――大っ嫌いだああああああぁぁぁぁぁーっっ!!」
そんな要の変貌に、母親エドナは目を見開いて驚いた。
あんなにおとなしかったこのガキが、何を生意気に怒りを爆発させてるの!?
エドナは思うと、座っていたソファーから立ち退き、後ずさる。
「何よいきなり!!」
「……貴様の方が、俺の前から姿を消してしまえばいい。純粋な我が子の愛も受け入れず、どこぞの馬の骨のナニをしゃぶって、馬鹿丸出しの猫撫で声で自分を誤魔化し、不潔極まりない醜い姿をよくも今まで散々見せ付けてくれやがって……。さぁ、早くどこぞへと行くがいい!! 地獄でもどこでも……――地下へでもな」
要は静かな口調でそう言うとギロリと母親を見下し、そして怒りと呪いを宿したその手を伸ばしてゆっくりとエドナの襟元を、鷲掴みにするのだった。
――「カナメ・ムラセ、18歳か。凄いね。その年でドクター資格取得とは。君の噂はこの|ネオジェネレーション研究所《NGT研》に届いているよ。君のような若い実力者はこのNGT研では大歓迎だ。よろしく頼むよ」
面接担当のNGT研究員は、頼もしげに要に言う。
「お任せください。私の知識がこのNGT研の力になるのでしたら、いくらでも活用しますよ」
要の自信を含んだ冷静な対応に、職員は感心しながら更にもう一つ訊ねる。
「ところで、ご家族は今どちらに?」
「――地下にひっそりと暮らしていますよ。母が一人、情けない姿でね」
要は静かに言うと、ふと冷酷な微笑を浮かべるのだった。




