フェロモンとカレー
勇者の勇者たる所以は、祝福技能の「ブレイブ」にある。このスキルの発動中は、集中力、瞬発力が爆発的に高まるのだ。勇者としての自覚のない武田ハルコのブレイブ時間は、十秒もない。それでもハルコの武力をもってすれば、大抵の敵は瞬殺できるだろう。だが相手は百戦錬磨の魔王、小娘のハルコはまだその恐ろしさを知らない。
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ドモ、トウジ改めヒデマルッス。今、決闘が終わったところッス。オレは隠れて見ていたんだけど、何が起こったのかまったく理解できなくて、脇汗が止まらないッスよ。あ、ありのまま今起こったことを話すと―
『ハルコ先輩が魔王様をぶっ飛ばしたと思ったらゲロを吐きながら逃げて行った』
な、なにを言ってるか分からねえと思うけど、これが見たまんまの描写なんスよ。美少女のゲロ姿がご褒美だとか、そんなチャチな変態紳士の話じゃないスから! オレは魔王様の恐ろしさの片鱗を味わった、そんな気分ッスよ……。
おっと、呆然としてる場合じゃねえッス。ぶっ飛ばされて倒れてる魔王様に、オレは駆け寄りました。
「主殿! 大丈夫ッスか? オレに何かできる事あるッスか?」
魔王様はオレの言葉に応えず、苦しげにうめいているッス。だけど眷族になったオレは、魔王様の状態を何となく感じるッス。再生魔法を発動して、少しずつ回復しているみたいッス。とりあえずこのまま見守ってれば良さそうッスね。
―ぷぅぅぅん
ん? なんスかね、この匂い。甘くて妖しくて僅かに酸っぱい。懐かしさと安心感も感じるッス。ああそうだ。昔、妹のオムツを変えた時の匂いだ。ということは……
これ魔王様のウンコッスよね……。脱糞、ってやつなのかな? しょうがないにゃぁ。何か探してくるか。
「体育用具室をあさってきたッス。タオルと、あとブルマがあったッス」
オレがタオル類を探している間に、魔王様は半身を起こす程度には回復できたようです。顔色はまだ青いッスね。
「下着の替えはありがたい。サイズも合うな。わが校の女子はブルマじゃないはずだが、まあよいか」
「部屋の隅に落ちてたッス。そう言えば体育教師の真田マサシがブルマ愛好家って噂があるッスね。闇のブルセラショップで手に入れてるとか。でも性癖以外は面倒見のいい先生ッスよ」
魔王様はまだふらふらとしながらも着換えを完了して、オレたち主従はようやく一息ついたッス。そしてオレは魔王様から、決闘中に何が起こったのかを聞いたんスよ……。
―――ハルコがブレイブを発動するとは我にも想定外だった。ブレイブ時間は短いが、奴はすぐにも飛びかかってくるだろう。だから我が先手を取るしか勝機はなかった。
幸い彼女は魔法の存在を知らぬ(先日我が使用したが気づいていない)から隙はつけそうだった。我はすでに半実体で見えにくい触手魔法を発動して、彼女の足元の影に潜ませていたのだ。
我が竹刀で打ちかかると同時に、触手を足首に絡めてやろう。触手の拘束力は弱いが、数秒あれば足腰を滅多打ちできるはず、そう確信して我は動いた。
「キョエエエエッィ!!」
我は動画サイトで見た剣士をまねて、甲高い雄叫びを上げながらハルコの間合いに飛び込もうとした。だがその刹那―
「グギュルルゥ」
我の大腸が悲鳴を上げたのだ。これまで経験したことのない凄まじい便意に襲われた。集中力を失った我は触手を動かせない。
「あへぇぇ」
我ながら情けない悲鳴を上げて、まるで力のこもっていない竹刀を振り下ろした。
ハルコは緩みきった竹刀の一撃を余裕でかわしながら、我の懐に飛び込んできた。その勢いのまま、飛び膝蹴りを我のみぞおちにぶち込んだのだ。ブレイブ中の膝蹴りは、ヘビィ級の戦士の蹴りよりも、重くて鋭かった。
「グボアオォエェェッ」
我のアバラ骨が砕けた。と同時に脱糞。吹っ飛ばされた我が口からは血反吐、そして鼻水、涙、大小便を垂れ流してピクピクしていたのはお前が見てのとおりだ。
そうだ、あの強烈な便意は偶然ではない。魔法攻撃だ。奴は状態異常魔法『ポイズン』を竹刀で打ち掛かる直前の我にかけたのだ。しかもブレイブ中だったから効果倍増よ。
本来、低レベルのポイズン魔法など大したことはない。軽い疲労感に襲われるだけだ。だが奴のポイズンは違った!
あの凄まじい便意。あれはポイズンの効果を便意のみに集中させて、威力を高めたのだ。もはや新種の魔法、いわば『脱糞魔法』だ。
しかも奴は、勇者としての訓練も受けてないまま、無意識下で新魔法を創造して発動したのだ。凄まじい才能よ―――
ヒェェ、なんて恐ろしい! あんな魔法を人前でかけられたら、社会的に死ぬッス!
「あ、でもなんでハルコ先輩はゲロって逃げたんスか。いつの間に主殿が精神攻撃したッスか?」
「脱糞魔法は諸刃の剣よ。勇者は魔族の匂いに敏感だ。ましてや我が大便には魔王フェロモンが濃縮されている。一般人には臭いだけの便臭だが、勇者にとっては正気を失うほどの破壊力があっのだろう」
「オレはそれほど不快な臭いとは感じなかったスけどね」
「うむ。お前は我が眷属だからな。一族の匂いとしてむしろ安心感を覚えるだろう。まあ、正直に言えば、我が大便が勇者に対してあそこまで効くとは知らなかったがな。ハルコは、今ごろ我が便臭の記憶を消そうと必死にあがいているだろうよ。フハハハ」
今回の勝負、ハルコ先輩の自滅で終わったッスね。ただ、勇者の潜在能力の凄さも思い知らされたッス。油断大敵ッス。まあ、最大の収穫は勇者の弱点が分かったことでしょう(ウンコ)。
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武田ハルコは学校近くの有名カレー店、麻布森元町の「スーリャ天目山」の激辛カレーを、涙目になりながら食べている。最終的に、便臭の記憶を上書きするには一皿では足りず、三皿を必要とした。