プロローグ
『ステップシークエンス…ここからは得点が1.1倍になります』
たった4分30秒。
なのに長く感じる。
一番集中しなきゃいけないのに私は過去に浸ってた。
『後半最初のジャンプ…トリプルアクセル、そしてトリプルサルコウの三回転三回転。禰宜、ここで連続に切り替えた!』
彼のジャンプを観る度に半年の出来事が走馬灯の様に脳裏を通り過ぎて行く。
『前半出来なかった一本を取り返しましたね。これは大きいと思います』
最悪の出会いから始まって、改めて最悪だと感じた日…最悪続きから私と彼はここまで来たんだなって、思ってた。
応援だったら腐るほどした。
ホントしょうもないこの人の為に私は一から応援した。
『残るジャンプは二本』
今だって準備室でモニター観ながら、実況聴きながら拳を握りしめてる。
彼の足がもう限界なのは知っていた。
だからこそ私は静観してる。
『トリプルルッツ…ああ、これは大きく傾く…なんとか転倒は防ぎましたが減点は免れられません』
モニターの彼に、私は今すぐにでもリンクへ駆けたい気持ちを殺して…
あと少し…あと少しだから頑張れって私は祈ってた。
もうホントはこの時、得点なんかどうでもよかったんだ。
『ひょっとすると回転不足と判定されるかもしれないですね』
彼が無事に滑り終わるんならそれでいい。いや、滑らずに逃げたって私は笑ったりしない。
多分、今なら理解出来る。
みんなが私を心配してくれた意味。私が彼に掛ける思い、今がそれだから。
『2回転だと表彰台が遠退く可能性があります。まだ後ろには羽生、宇津野といったオリンピックのメダリストも控えてますから』
でも彼は私に言ったから。
私の分も頑張るって言ったから、コートに立てない私の分まで。
私はあの時から応援しようと、決めたんだ。
だから神様…
『さぁ、禰宜、残すジャンプはあと一つ。足は悲鳴を上げてないか、体力は持つか』
神様…
あと少し、ちょっとだけ…
あと半分だけでいいんです。
『最後の最後に残した4回転トウループ、これが決まれば大きい』
前もこんなお願いした。
また同じお願いしたら神様は怒るだろうか。
…怒られてもいい。私、後で怒られます。怒られますから、どうか…
どうか今だけ、このジャンプだけは彼に力を与えて下さい。
足に力を、跳べる力、回る力、着氷する力。今だけ甦れ。
甦れ!
「いけぇ!禰宜丈留!」
『イーグルから…跳んだぁ!運命のジャンプ!』
私の思い、どうか届いて!
「晶ぁ!晶!いつまでお待たせするつもりなの!もう加藤先生がいらっしゃってるのよ」
「分かって、るぅ!もうちょっとだから」
母からの耳が取れるほどの怒鳴り声。それに対して私もつい大きな声で返してしまった。
すぐに行かなきゃいけないのは理解してる。
でも…
「うーん。これでいいよね。髪、揃ってる。跳ねてない、分け目もOK。バッグは…やっぱこっちかな、いややっぱサトちゃんに選んで貰ったこっち!」
もう部屋を出なければならないのにその勇気が持てず、ずっと姿見を睨んで本日のファッションに格闘してる。
私にとって今日という日が特別だったからだ。
去年大きく体調を崩してずっと入院して結局高校卒業は一年お預けになった。
親友と約束した卒業旅行も流れた中で、今日のこの日は今まで約束を破ってばっかだった私への初めてのプレゼントだったかもしれない。
だからこそ私は体調を整えて、補助杖無しでも歩けるようにがんばった。
鏡の前でもう一度笑顔の練習をする。
よしっ。
「晶っ!いいかげんになさい。いつまで先生を待たせるつもりなの」
「マ、ママ!ノック無しで勝手に開けないでよ」
「あなたがいけないんでしょ、今になってもたもたして」
「もたもたなんてしてない。ちゃんと準備はしたもん」
「だったら早くしなさい。用意するまでママはここに居るからね」
「ムゥ……もう終わった」
「だったら行くわよ」
「はい…」
私は母に促され渋々部屋を出る。
母はイライラはしてるが私を無理やり連れて行こうとはしない。私の不器用な歩行に歩幅を合わせて支えながら廊下を付き添う。
「あ…」
その短い廊下の先には私をずっと待っていてくれてる人が立って居た。
「すいません先生、こんなにお待たせしてしまって」
「いえ…それでは今日は娘さんを一日お預かりいたします。電話でも話しましたが松戸なので遅くても夕方の6時までには娘さんを必ずお返ししますでよろしくお願いします」
「まぁまぁご丁寧にありがとうございます。娘をよろしくお願いします。ほら、晶も黙ってないでご挨拶なさい」
「よ、よろしくお願いします」
「…ああ」
「晶、くれぐれもご迷惑掛けないようにするのよ」
「分かってる。いってきます」
「はいいってらっしゃい。先生、よろしくお願いします」
母の言葉に彼は会釈して私達は家を後にする。
「…」
家を出ると途端に喋る事が無くなる。
私は少し緊張して、この人は何を考えてるか知らないけど。ただ、私が不器用に歩く姿を見て一人で私を置いて行く様な事はせずタバコを吸いながらであるが歩むスピードは合わせてくれた。
エレベーターを降りたロビーの前には車があって、彼は後部席の扉を開けようとしたのだが、私は気付かず助手席のドアに手を掛けていた。
「あっ、今舌打ちしたでしょ、なんで」
「…」
「そうやってすぐ黙る」
「お前さ、父親に通学の時送り迎えしてもらってるだろ」
「?」
「後ろに座らないのか」
「後ろはお客さんの座る席じゃん。私はいつも前」
「それでか」
「何?」
「なんでもねぇよ。 早く乗れ」
「変なの」
私はそのまま助手席へ。
私の隣りに座るこのアラフォーの肉団子オヤジは私のオシャレした格好に何を言う事もせず車はエンジンが掛かり走り出した。
会話は生まれない。
ラジオが流れてそれを聞いて、私がリスナー気分でコーナーに答えても隣りのオヤジは反応しない。
だから雑談だってそのうち消えていくしすごく車内は息苦しく感じた。
「ねぇ先生」
「…」
「もし井上さんがまだ生きてたとして怪我とかちゃんと治ってたら、どこらへんまで活躍してたと思う?」
「さあな」
「やっぱミワちゃんぐらいの可能性あったのかな」
「…知らねえよ。奴のバスケは高校で終わった、それだけだ」
「…」
「…」
ホント素っ気ない。
それでも私は楽しかった。
私の隣りに座るこの人は、私が高校で所属していた部の顧問で、私のバスケ人生における師匠の様な人だ。
今日はその人の元教え子が眠る墓地にお参りに行く。
と、いうのは建前で今日は私にとっての人生初のデート。私は勝手にそう決めていた。
ホントなら今日のこのお墓参りはもっと早くするはずだった、けど私が倒れてずっと入院して、それでも挫けず頑張れたのは、この人がちゃんと治ったら連れて行ってくれると言ってくれたからだ。
そしてホントに今日それが実現した。だからすごく嬉しくて、会話が続かなくても、別に今日がただのお墓参りでも何でも良かった。
社交辞令じゃなかった。この人は本当に覚えてくれていた。
それだけで私の胸は高鳴る、ドキドキする。
夕方なんて来なければいい、ずっと車の中で素っ気ない空気のドライブでもいい。
ぶっちゃけ松戸まで行かなくても…
青い空、今まで自分にとってゴールデンウイークはバスケの練習日だった。
バスケをやらないゴールデンウイークは去年に続いて二度目。でもバスケを考えないゴールデンウイークはこれが初めてだ。
「…」
運転してる先生をチラッと見る。
なんかすごく今が不思議だ。
私が親以外の異性とこうやって車で遠出するって…
デート、か。
やっぱり行きは、まぁお墓参りでいいけど帰りくらいは何かデートっぽい事したいなぁ…お茶くらい連れてって欲しいよ。
「…」
って無理かな。
せいぜいお昼食べるくらいだ。しかも母からは絶対奢ってもらったりしたらダメって言われてるし…
窓開けてタバコの煙を逃がしてる先生を見て思う。ってゆうか女子高生の前でタバコ吸うんじゃねぇよ。
はぁ、と小さくため息。
大人のデートってこんなもんなのかな。
「先生」
「…」
「あのさ、帰り、アイス食べたい」
「あ?」
「アイス。すごく気になってるお店があって…」
「んな物食ってねぇで、しっかりした飯を食え」
「食べるよ。食べるけど…アイスだって食べたいんだもん」
「…」
「アイス!食べに行きたい!」
「ガキか、お前は」
「松戸の近くにもオープンしてるんだもん、いいじゃん、寄ってくれたって。私、お小遣いもあるし今日のお礼にセンセのも奢る」
「俺は甘いのが嫌いだ」
「ムウ…」
「…」
「…アイス、食べたかった」
「チッ。うるせえガキだな」
「…」
「分かったよ、寄りゃいいんだろ」
「ホント?」
「…」
「ありがと」
先生はまた舌打ちした。
でも私はそんなの関係無しに笑顔になる。
アイスなんてどうでも良くてこれで少しだけデートするって雰囲気掴めたら、後は全部が楽しくなる。
そんな今日になりつつあった。
ただこのデートが私がこれから復学するにあたって、私の卒業までの平穏な生活を大きく変えるとは微塵にもこの時思ってもいなかった。
次回から本章スタートします。
第一話 『Scandal Girl 』 お楽しみに。