誓約破棄の代償
「あなたとの婚約なんて破棄するわ」
叫ぶように告げられたのは、僕と彼女の関係解消のための言葉だった。
彼女の隣では、僕のことを見下していることを少しも取り繕うことのない男。
「私、レオン殿下と結婚するの」
こちらが返す間も無く続けられた言葉には、確固たる意思があった。
婚約者であるミラは王子にしなだれかかっている。
王子の方も、ミラの腰に手を回して受け止める。
僕たちを取り囲む野次馬たちの反応は、さも愉快そうに見物しているだけ。
誰も婚約者のいたミラやそれに手を出した王子に対して批判の声をあげることなどない。
つまり、これは予定通りというわけだ。
この僕にとって最初で最後の社交パーティで婚約破棄と新たな婚約を発表する。
知らぬは僕だけだったのだろう。
「婚約の破棄とは言っても、この婚約自体はグレイス家の先祖から交わされた物だ。それに、当時の王族も承認している。僕に非があるわけでもなし、そう簡単に覆せるものではないはずだ」
彼女たちが一体何を考えているのか分からないが、落ち着いて返答する。
少しでも情報を集めて、整理したい。
「それなのだけど、私が過去の、先祖の話に縛られるのはどうかと思うの。そもそも、そんな約束が本当かも分からないのだし」
「王家との婚約だ。ただ生きているだけの化け物よりもそちらの方が遥かに重要であろう。それに俺たちには愛がある。これほどの美姫、絶世の美女が望まぬ結婚で生を終わらせるのはあまりに不憫であり、人類の損失だ」
当たり前のように話すミラと王子。
それに周囲も相槌を打っている。
聞いているだけで頭が痛くなってくるような内容だ。
「レイ」
この騒動について考えていると、聞き慣れた声で名を呼ばれた。
顔を向けると、そこにはグレイス家現当主夫妻にミラの兄弟、それと国王夫妻がいた。
これまでのことは全て把握しているのだろう。
彼らもこの状況において、取り乱している様子は皆無だった。
「あんたたちはどう考えているんだ?」
尋ねると、一瞬顔を顰めてからグレイス家当主が口を開いた。
「私はレオン殿下とミラの結婚に賛成だな。ミラの言う通り、我が先祖と貴様との誓約が真実であるかも分からん。それに、勘違いをしているようだが、貴様は我が家の財を食い潰すだけの穀潰しではないか。それは十分に罪深い害悪だ。これを機に我が家を出て行くがよい」
当主の話が終わると同時、ミラの兄弟たちが挙ってこれまでの不満とやらを吐き出してきた。
彼らから好かれているとは思っていなかったが、思いのほか嫌悪されていたらしい。
先ほど顔を顰めたのも、こちらの話し方や態度が気に食わなかったのだろう。
「ふむ、だが、一度婚約が許可されている以上、その後の決定には国王の、つまり、余の判断が必要であろうな」
続いて語る国王。
これに、騒めいていた野次馬や鬱憤を晴らすべく悪口を吐くミラの兄弟たちも静かになる。
「まず、ミラ・グレイスについてだが、彼女は文武に優れ、人格的にも問題はない。市井でも民からは聖女として慕われておると聞く。まさに非の打ち所がなく、国母に足る存在であろうな。我が息子のレオンに関しては王太子として次期国王が内定しておる。妃に迎えるのは優秀であり、王と共に歩み、支えることのできる人物が相応しい」
国王の言葉が一度止まる。
穏やかな表情で言及される二人に視線を送った後、咎めるような態度に一変し、言葉を続けた。
「一方で、レイとやら。貴様は何だ。グレイス侯爵家は長男のシュルツが継ぐわけで、貴様が爵位を受けることもない。先祖の言いつけであるからと侯爵家に世話になりながら、なんの益も生み出さぬ。これでは過去に取り憑く亡霊ではないか。500年を生きた亡霊と次期国王、どちらが婚約者であるべきかなど考えるまでもないな」
国王が場内を見渡し、グレイス家当主夫妻、ミラ、王子に対して頷く。
「宣言する。我が国に500年前の誓約に縛られた婚約がある。これは、今を生きる者の未来を損なうものでる。当事者のミラ・グレイスは国母に相応しく、レイはこの婚約を履行するに不適格だ。よって、個人の未来を鑑み、国の将来の繁栄のため、この婚約を無効とする。同時に、ミラ及びレオンの婚約成立を許可しよう」
国王の宣言に場内が沸き上がった。
拍手と二人への祝福の声、僕への罵倒。
それはこの空間のみならず、外からも聞こえてくる。
タイミングよく入ってきた兵士の持つ魔法具に城外の様子が映し出されている。
その様子は、ここと同じか、それ以上。
どうやら、国王は一部始終を魔法により、王都にいる民衆へと中継していたようだ。
「そうか。あんたらは祖の言葉を蔑ろにし、誓約を破ろうと言うのか」
「何を言う。確かに祖先の言葉は十分に大切だ。だが、同時に我々は未来を見据える必要があるのだ」
「そうだ。何もわかっていないくせに偉そうなことを抜かすな」
呟いた言葉に返されるも否定的な言葉。
もはや、この熱狂は止まないのだろう。
「十分な実績を示している殿下に才媛ミナ殿、そして、国防の要である結界を司るグレイス家も歴代最高と謳われるシュルツ殿とは、この国の未来は安泰ですな。それこそ、大陸の覇権が狙えましょう」
呑気に語られる国の未来。
額に手を当て、考える。
彼らは言った。
誓約を破棄することを。
ならば、こちらとて制約されることもない。
「僕も婚約の破棄を認めようか」
やることは決まった。
「当然、誓約に基づいた条件は全て無効となる。君たちの祖から貸していた力を返してもらおうか」
「ふん、何をほざいている。貴様から借り受けているものなど何もない。当然、返すなどあるはずも……」
得意気に話す男は驚愕に言葉を失った。
どんな魔物や敵からも守護していた結界が消失したのだ。
「この国だけが特別魔法が強く、結界なんて存在する事を全く不思議に思わなかったようだね。まあ、これからは弱体化した本来の状態で生きることになる。精々足掻けばいいよ」
借り物だったグレイス家の結界は返してもらう。
この国の魔法を強化する力もだ。
訳が分からない者、現状を理解して蒼白になる者、パニックに陥る者と様々だ。
「ま、待て。どう言うことだ」
「待つのだ」
騒動の只中、国王やグレイス家当主、ミラや王子たちまで慌てている。
中には魔法を使い、想定以下の力に叫んでいる者もいる。
絶望の最中、制止の声を無視して城を出、街を出た。
かつて、力の代わりに500年後のグレイス家から嫁を娶る誓約を交わした彼らは、子孫がこうなる事を想定していたのだろうか。
自分たちの言葉が眉唾である、もしくは捏造であると思われることを。
借りたに過ぎない力に溺れ、残虐性を高めたことを。
それが故に自ら首を締める事になったことを。
これからのこの国の未来は決して明るくないだろう。
魔法に頼り切った生活を送り、ろくに体を鍛えることもしていなかった。
結界が無くなった事に気づいた魔物たちが押し寄せてくるだろう。
仲間が残酷に殺されたことを魔物たちは覚えている。
これまで散々苦渋を舐めさせられてきた周辺諸国もすぐには攻めてこないだろうが、魔物襲撃の惨状から、情報を集め、動き出すと思われる。
自分たちに都合のいい世界で好きに生きてきたツケが回ってきただけだ。
一度、街を振り返り、その混乱に耳を傾けた。
栄華と衰退、その転換点を目に収めた。
ふと視線をあげると、いつぞや見覚えのある傷ついたドラゴンが飛んでいた。
「苦難の始まりは思いのほか早いようだ」
一言だけ呟くと、過去に取り憑くことになる亡霊たちを置き去って行った。