なろう的異世界における「側妃」の訳出を考える
側妃。それは小説家になろうの恋愛・ファンタジー部門でよく見かける存在。王妃や正室よりも動かしやすいからか、日本人的な奥ゆかしさ? が日陰の身のヒロインを好むのか。はたまた大奥的なドロドロや三角関係など人間関係が作りやすいからか。とにかくあまりに当然のように登場するので筆者自身も麻痺している面もあるのですが、冷静に考えるといわゆる「なろう的異世界」のテンプレである中世・近世ヨーロッパ的世界観で側妃なる存在があるのは実は非常に違和感のあることです。(本論を書くにあたって「側妃」で検索してみたところ、ヒットするのが軒並み小説家になろう関係のページばかりで愕然としました。ネット小説由来の用語をいつのまにか一般的な単語として認識していたようです)
現実のヨーロッパでは、キリスト教価値観の下、一夫多妻制は認められていません。フランスにおいてポンパドゥール夫人等の寵姫に与えられた「公妾」の称号も、意味的にはMaîtresse royale=Royal Mistress=身分の高い愛人に過ぎません。よってその権勢も王の死や寵愛が薄れることによってたやすく失われる程度のものでしかありませんでした。また、非嫡出子の権利も厳しく制限され、継承権は認められていません。「王子が欲しいがために王妃を次々と殺した」と評判のイングランドのヘンリー8世ですら、庶子には息子がいたことからも、いかに一夫一妻制度が厳格なものであったか分かります。
ゆえになろう界隈でよく見るヨーロッパ的異世界での正室と側室の対立や後宮内での勢力争い等々は本来ならばありえない訳です。まあそれは異世界だしキリスト教じゃないしという理屈で押し切ることもできるでしょうし、作者によっては側妃・後宮制度を説明する文化宗教歴史などを設定している方もいるでしょう。
ですが、言語に関してはどうでしょうか。筆者としても小説家になろう内の全ての作品に目を通した訳ではありませんが、英独仏語風の名前を採用している作品が多いのではないでしょうか。言語好きとしては、ここから当然そのような異世界で使用されている言語も現実のヨーロッパ諸国語に近いものではないか、と考えてしまうのです。
ここで疑問が一つ生まれます。
歴史上、これらの国々には側室制度がない以上、これらの言語には「君主の正妻以外の妻」を表す単語はないのではないでしょうか。ヨーロッパ諸国語風の言語を使用している(と思われる)世界では、「側妃」を表すのにどのような言葉をあてているのでしょうか。
言い換えれば、このような世界観の作品を英語などのヨーロッパ系言語に訳するとしたら、「側妃」はどのような言葉で表現されるのでしょうか。
重箱の隅とは重々承知していますが、「雪の女王は戦馬と駆ける」(http://ncode.syosetu.com/n6544cq/)という作品を執筆中に気になって仕方なくなってしまったことがあるのです。
すなわち、「一夫一妻制を常識として育ってきたヒロインが、一夫多妻制の国に連れ去られ側妃になれと迫られた時、彼女の脳内辞書に側妃という単語はどのように登録されているのか、そもそも概念を理解できるのか?」というものです。
自作内で実在の言語から拝借した名前を多用し、その言語を登場人物が使用している体にしているから発生した疑問ですね。トールキンのように独自の言語を作り上げられる知識と熱意があればこんなこともなかったのでしょうが。
ともあれ、疑問を解消すべく調べてみたのが本エッセイになります。
以下は英語でも中国やイスラム圏における後宮制度を語ることもあるだろう、と考えて検索した結果およびその考察です。辞書やWikipediaレベルの知識、また、個人的な疑問と興味を端とした調査ではありますがこの手の作品を読んだり書いたりするのが少し楽しくなるかもしれませんのでお付き合いいただければ幸いです。
まずは「側室」で辞書を引いて出てくる言葉を列挙し、それぞれのニュアンスの違い等を語ってみます。
Secondary wife
従位の妻、とでも訳すべき表現になります。ただしsecondとつき、第二の、という意味もある以上、二人以上の側室がいる世界観の場合には合わないようにも思えます。複数の側室全員にこの呼び名を与えるとすると、第二夫人が複数いるかのように見えて違和感がありますね。あるいはtertiary、quaternaryとくだっていくのか、と考えるのもおかしい感じがします。
また、王侯の配偶者に対して単にwifeってフランク過ぎるのでは、と思うとsecondary queen とかsecondary ladyといった表現になりそうで、そうすると公的な役割も補佐しそうな印象も出てきます。無制限に気に入った女性を侍らせるいわゆる「後宮」的な側室にはそぐわず、ポンパドゥール夫人など、王の補佐役も担ったような女性ならばこのような呼び方にも合っているかもしれません。例えば王妃が病弱だったり幼かったりでやむを得ず代役を務めるような女性、ということになるでしょうか。
恋愛ものというよりは内政ものに登場しそうな有能で野心家なヒロイン像などの方がこの訳語が当てはまるのかもしれません。
Consort
日本で側室といえば平安朝! 源氏物語! という訳で源氏物語がどのように英訳されているかを調べたところ見つけたのがこの単語です。桐壺更衣、弘徽殿女御などの登場人物は、Lady Kiritsubo、Lady Kokidenと並んでKiritsubo Consort、Kokiden Consortなどと訳されていました。
なお、源氏物語の英訳ですが、夕顔がEvening Faceだったり若紫がLavenderだったりと中々に腹筋を刺激する直訳振りでした。どんなものか見てみたいという方はTales Of Genjiで検索してみると面白いです。
それはさておき、ヨーロッパ圏の王室に興味があるという方は違和感を持ったかもしれません。queen consort=王妃、prince consort=女王の配偶者、王配など、現在よく使われる表現、辞書的な意味からは正統な配偶者を指すとしか思えないからです。
これは、上記のsecondary queenという表現と同様、公的な役割を担う女性であることを示唆しているからということのように思われます。更衣、女御もそもそもは朝廷において与えられた官職であることもこの推測の根拠になります。「愛人」ではなく「正式な妃」が複数いる文化であるというニュアンスになるのでしょう。
中華ものなど、後宮内での階級付けがきっちりと定められているような世界観の場合は訳語としてConsortが合っていそうです。
Concubine
先に紹介した表現が堅苦しく用法も限られるため、側妃ってもっと気楽なものだと思っていたよ……という方にお勧めなのがこの単語です。じつはコレ、辞書で「側室」を引くと真っ先に出てくる単語で意味的にも「一夫多妻制における正妻以外の妻」という、まさにそのまんまな単語になります。
敢えて順番を入れ替えて紹介したのは、上記のconsortの項で述べた推測と関連して面白い記述を発見したからです。
英語版WikipediaのHaremの項を見ると、中国の後宮制度を説明した文にHougong (後宮)refers to the part of the palace reserved for the Chinese emperor's consorts, concubines, female attendants and eunuchs.(後宮とは中国皇帝のconsort、concubine、女官や宦官のための宮殿の一部分)とあります。つまり、consortとconcubineとは別の存在として記述されていたのです。Consortを皇后、貴妃などの高位の女性とするならば、concubineはより下位の、「その他大勢」の女性であるように読み取れます。
また、同じくWikipediaの記述ですが、イスラム圏のハーレムにおける女性たちもconcubineと表現されていました。そもそもこのconcubineという単語、ラテン語の「共に寝る」が語源のようですから、政治的な立場は一切斟酌しなくて良いでしょう。政治には関わらない愛人、子供を産むための役目、女の園というあたりいわゆるなろう的異世界における「側妃」のイメージに近いように思われます。
じゃあ王・皇帝などの権力者に愛されて、でも政治には関わらないで人間関係のドロドロごたごたを繰り広げていれば良いある意味お気楽な「側妃」=concubineで良いの? かというとやや短絡でして、留意すべきことがあります。
実はconcubineの意味として辞書に載っているのは「側室」だけではありません。むしろ第一義として載っているのは「内縁の妻」という意味なのです。語尾変化した名詞concubinageに至っては「内縁関係、同棲」という意味しか載っていません。
つまり、先に述べたSecondary Queen、Consortといった表現に比べて、Concubineはより「愛人」「妾」のニュアンスが近い単語ではないかと考えられます。清純なヒロインが側妃を目指す、側妃で満足する系の作品では使用に注意した方が良いでしょう(訳語がどうかという話というよりも、その作品中での側妃制度の設定についての注意ということになりますが)。
ここまで調べた上で拙作についての疑問に話を戻させていただきますが、拙作中における「側妃」の訳語として筆者がコレだろう、とあてたのはconcubineになりました。当該国が男尊女卑かつ脳筋なお国柄のため、王妃といえども産む道具扱いの国風である、という設定からです。
そして上述した「内縁関係」の意味もあるというところを踏まえて、ヒロインの心理として「私が妾? いいえ、この国では王は複数の妻を持てるから側妃とでもいうべきだったはず」のように単語と概念を結びつけるのにワンテンポ置く描写を採用しました。
たった一文の描写にどうしてここまで考え調べているのかとは我ながら思いますが、登場人物の心理を掘り下げられたという点で大変(自己)満足のいく結果となりました。
今回きっかけとなったのは「側妃」という単語でしたが、「この世界ではこの表現はどのような単語で表されるのだろう?」と考えるのは、作品を読む際も書く際も世界観を広げてくれる興味深いアプローチになり得ると思います。小説家になろうにおいてそのように言語的な掘り下げを行っている作品がもっと増えれば良いなあと言語好きとしては思うものでありました。
蛇足1
Wikipedia内で検索すると「曖昧さ回避」のページが出てくることがありますね。Haremで検索した際、本エッセイで取り扱ったいわゆる「ハーレム」に加えて動物学上の一夫多妻制についての項目やイラン、シリア等の地名が出てくるのは想定の範囲内でした。が、Harem:genreとしてアニメや漫画において主人公が複数の異性に愛されまくる展開を解説した項目があったのには思わず笑ってしまいました。
ambiguously-defined subgenre of anime and manga(曖昧に定義されたアニメや漫画のサブジャンル)とのことで執筆者の困惑が伝わってきます。ちなみに逆ハーはreverse haremだそうです。日本文化が外国でどのように紹介されているか、どこまで正しく伝わっているかを見るのは興味深いですね。
蛇足2
ドイツ語ではどうなのだろう、と英独辞書でconcubineを引いたところ、Nebenfrauという単語が出てきました。nebenはbeside、nextに当たる前置詞で、Frauは妻という意味ですからまさに側らの妻=側室という意味になりますね。このように「……漢字、知ってるよね?」と聞きたくなるような成り立ちの単語がたまにあるところも筆者がこの言語を好きな理由の一つだったりします。
こんなことを考えてながら書いている作品が「雪の女王は戦馬と駆ける」(http://ncode.syosetu.com/n6544cq/)です。
愛憎と陰謀渦巻く群像劇の戦記ものになりますが興味を持たれた方はご一読いただければ幸いです。