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1 喪失

 俺の名前はスメラギ・タクト。

 日本人だ。

 兄貴が開発した、アナザーキーというゲームをプレイした結果、アナザーキーの世界へと転生された。

 兄貴が言うには、この世界はゲームの中ではない。

 魔物や大陸、町の名前など、兄貴が開発したというアナザーキーのゲームとは全く違うそうだ。

 つまりは日本とは違う異世界、ということになる。

 本来絶望でしかない中、俺には希望があった。

 それはジャージだけではなく、数多く持つボーナス特典。

 普通の人間には持たないボーナス特典のおかげで、俺は魔物を倒す力を、誰かを守る力を手に入れた。

 姉御肌の長剣使いサーシャ、俺と同じく日本の記憶を持つ銃使いマリア、毒舌のハーフエルフシルフィー、無表情な自律人形ナビとの出会いを通じて、とうとう魔王を倒すまでに至った。


 それと、この世界で得たものはもう一つ。

 

 元・宿屋の看板娘で二刀流の少女、そして今は俺の恋人のミーナ。

 記憶を失っていた彼女だが、今は元に戻ったと兄貴が教えてくれた。


 俺は生唾を飲んで、扉をノックして待つ。

 その待つということがとても長い時間に感じた。

 僅か1秒足らずといったところなのに、ジャージのすばらしさを100万字にしたためるための草案ができあがりそうなくらい長く感じた。

 あと9秒あれば草案ではなく原稿が完成しただろうが。完成して歓声を浴びる文章が完成しただろうが。


「どうぞ」


 その声に、俺は現実へと戻った。

 とても懐かしい感じのする声に、頬が緩む。

 扉をあけると、クリスタルのヘアバンドをした長い髪の美少女がそこにいた。

 太陽の日差しを浴びてベッドに座る彼女を見て、俺ははにかんだ笑みを浮かべた。


「ミーナ、元気そうだな」

「はい、全部タクトさんのおかげです」

「俺は何もしてないよ。むしろ、兄貴が迷惑をかけて申し訳ないと思ってる」

「いえ、テイトさんにはよくしてもらいました。迷惑だなんてとんでもないです」


 ミーナは首を横に振って兄貴の……スメラギ・テイトのことを快く許してくれた。

 彼女は今、療養中となっている。

 昨日の事件により、身体から魔力が溢れ出しすぎたことによる魔力障害らしく、まともに身体を動かすことができないそうだ。


「それより、タクトさん……ごめんなさい、私……タクトさんが大切にしていたジャージをこんなにしてしまって」


 ミーナの枕元には、俺が愛用していた火鼠の皮衣のジャージが置かれていた。

 ミーナを助けた時、ボロボロになってしまったジャージだ。


「気にするな、ジャージは大事だが、ミーナのことはもっと大事だから」

「本当ですか? 私、ジャージより大事なんですか?」

「あ…………あたりまえだろ、流石に俺でも好きな女の子より服を選ぶなんて言わないよ」

「あ、迷いましたね、もう」


 ミーナが頬を膨らませて怒る。


「でも、ミーナを守れたんだ、このジャージも本望だろうさ」


 俺が火鼠の皮衣を我が子のように抱きかかえる。

 とても愛らしい気持ちでいっぱいだが、それと同時にとても悲しい気持ちにもなる。


 すると、扉がノックされた。

 開けると、そこにいたのは――骸骨兵という魔物だった。


「骸骨将軍……あぁ、食事か、ありがとうな」


 俺はジャージを脇に抱え、骸骨将軍がトレイ乗せて運んできた食事をベッドの横に置いた。


「あぁ、骸骨将軍、頼みがある。これは俺が大事にしていたジャージなんだが、お前に供養してもらいたい」

「供養……?」

「傍に置いていてもミーナが苦しい顔をするだけなら、そうするのが一番だろ?」

「そんな……私は苦しくなんか」


 俺はもうミーナの涙を見たくないんだ、というと、骸骨将軍は俺の心を汲んでか火鼠の皮衣でできたジャージを受け取り、


「ってお前が着るのかよ!」


 骸骨将軍がジャージの上下を纏っていった。

 ウエストがかなり緩いのだが、骨盤の上のあたりで紐で結んでいる。

 そして、まさかの骸骨将軍INザジャージになった。

 かなり気に入ったのかポージングまでしている。

 骸骨とボロボロのジャージ、見事なマッチングだ。


「ははは、ミーナのおかげでジャージ信者が増えたな」


 俺が笑うと、ミーナもつられて笑う。


「とても似合っていますよ、骸骨将軍さん」

「だな、やっぱりジャージは使われてこそのジャージだな」


 骸骨将軍は本当にジャージを気に入ったらしく、ミーナの裁縫道具を取り出し、自分でジャージを縫い始めた。

 魔物なのに妙に人間っぽいところがあるな。 


「でも、不思議ですよね、私から邪神の気配が消えたなんて」


 そう、兄貴やシファが言うには、ミーナからは邪神の気配はもう一切感じないという。

 それが何を示すのか、一時的なものなのかはまだわかっていない。

 それともう一つ。


「それに、タクトさんの記憶が無くなってないなんて思いませんでした」

「俺がミーナのことを忘れるはずないだろ?」

「そう言ってもらえてとてもうれしいです」

「じゃあ、俺は用事があるから行くけど、しっかり食事を食べるんだぞ……あと、骸骨将軍は適当に追い出してくれ」


 未だに裁縫を続ける骸骨将軍を見て、俺は嘆息を漏らす。

 まぁ、ジャージ仲間になったわけだから、そこは大目に見よう。


 部屋を出るとき振り返ると、ミーナは笑顔で応えてくれた。

 その笑顔がとてもうれしく、そしてとてもつらい。


「上出来だよ、タクト……」

「サーシャ達がいろいろと教えてくれたからだよ」


「それに」……と俺は付け加えた。


「きっと、俺が……俺の心が助けてくれたんだと思う」

「記憶は失っても心は失わない……か」


 サーシャはそう言い、俺の肩を叩いた。


 そう、俺には記憶がない。


 兄貴――スメラギ・テイトのボーナス特典転移という技により、俺の持っていたボーナス特典、記憶継承をミーナに移した。

 それによりミーナの記憶は戻ったが、俺の記憶は失われた……らしい。

 その後、ミーナは魔力の放出により意識不明の状態になった。

 記憶を失った俺は、サーシャ達から自分が何者なのか、どうしてこうなったのか、俺がどういう人間だったのかを聞かされた。

 本来なら信じられないような話もあったが、サーシャたちのことは無条件で信じたい、と俺の心が囁いたため、俺は全てを受け入れた。

 全てを聞かされた上で、俺が記憶を失っていることはミーナには黙っておくことになった。

 ミーナからはどういうわけか邪神の気配が全く無くなったのだが、それが一時的な状態とも限らない。

 

 ミーナの心が再び不安や悲しみで覆われた時、邪神が再び彼女の闇につけこまないともかぎらない。

 だから、俺たちはミーナを騙すことにした。

 そう、俺はミーナを騙している。

 そう思うたびに罪悪感で胸が締め付けられそうだ。


 ただ、サーシャが言うには、それも俺のミーナへの思いがあってこそだと言った。

 ミーナが羨ましいとも。

 俺とサーシャ、シルフィー、マリアの関係がただの仲間だったのか、それ以上の関係だったのかは俺にはわからない。

 ただ、三人とも俺にとってはとても大切な人だったはずだ、と言ったら、三人とも嘆息を漏らし、


「よく恋人の姉にそんなこと言えるわね」とサーシャ。

「記憶を失ったらジゴロになるのかしら」とマリア。

「はずとは何とも曖昧ですね。優柔不断は記憶を失っても治らないようです」とシルフィー。


 あれ? 三人からの俺への好感度は俺が思っていたよりもかなり低いようだ。

 記憶を失う前の俺、もしかしていつもこんな扱いを受けていたのか?



    ※※※



 タクトさんが去った扉を私はじっと見ていました。

 頬を涙が伝いました。


「気付かないわけ……ないじゃないですか」


 タクトさんには記憶がない。

 それを無理してごまかしている。

 そんなこと、部屋にタクトさんが入った瞬間からわかりましたよ。

 当たり前じゃないですか、世界で一番好きな人の変化くらいわかって当然です。

 このタクトさんは今までのタクトさんとは違うんだな、と思いました。

 そして、それは私を守るためなんだとわかりました。

 記憶を失っている間の記憶を、今の私はしっかりと引き継いでいます。

 だから、タクトさんが私のために記憶を失ったこともわかっています。

 私の中にいた邪神を再度呼び戻さないためにウソをついているのもわかっています。

 なのに――必死にごまかそうとしているタクトさんを見て、私は――


「え?」


 目の前にタオルが出されました。

 私の部屋に置いてあったタオルです。

 その手は骨の手で――タオルを差し出してくれたのは骸骨将軍さんでした。


「ありがとうございます」


 すっかり横にいるのを忘れていた骸骨将軍さんにお礼を言うと、骸骨将軍さんは敬礼をして、縫いかけのジャージの上着を羽織って部屋を出て行きました。

 しっかりと私の部屋にあった裁縫道具を持っています。

 泥棒です。

 あの裁縫道具は魔王城の備品ですから、正確には泥棒ではないかもしれませんが。

 あっけにとられた私は――少しだけ元気を出せました。

 

「泣いてばかりいられませんね。まずは体力を回復しなさい、ミーナ」


 そう自分に向け命令し、私はベッドの横に置かれた食事を食べだしました。

東→北→北→南→南で最終章。

西はどうした? という話ですね。

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