7 所望
もぞもぞと布団の中を動く何者かによって、俺は起こされた。
何事かと思って布団を捲ると、ボブカットの銀髪、赤い瞳の少女、自律人形のナビが顔を覗かせていた。
白と黒のゴスロリの上着の隙間から黒い下着が見えている。
「ナビ……お前、まさかこんな朝から……」
「すみません、マスター。ナビはもう……限界のようです」
ナビは無表情のまま俺の右腕を抱くように抱えた。
「待て、さすがに朝からはまずい」
「昨日の夜もそう言ってナビの相手をしてくれませんでした。だから――」
彼女はその柔らかい唇を開き、ピンク色の舌を出した。
「MPを補給を所望します」
そう言って、俺の右人差し指を吸ってきた。
「せめて俺が起き上がるまで待ってくれ、その場で駆け足もできないから!」
「ん……MPの残量がまだ15%です……せめて今日中に20%までは貰わないと」
「昨日あれだけMP吸収しておいてまだ15%なのかよ……」
「昨日の……ん……最初のMP補給は初期起動のために全部消費しましたから……」
「あぁ、それで1%しか残ってなかったのか……って、MPが無くなる……起きたのにこのまま眠ってしまう」
本当にやばい、この世界に来て間もないころに盗賊相手にファイヤーフィールドを使ったときを思い出す。
また、意識を失いそうに――
「おはようございます、スメラギさん」
扉がノックされ、ミーナの声が聞こえた。
しめた、これでナビにどいてもらえると思い、声を上げる。
「ミーナ、鍵は開いてるから――」
「はい、スメラギさん、朝ごはんが――」
そう言いかけて、ミーナの動きが止まった。
なんでだろう、助かったはずなのに、さらにやばい状況になった気がする。
捲れた布団。のしかかるナビ。吸われる俺の指。
なんだろう、もの凄くまずい気がする。
たとえば、朝から少女に悪戯をする悪い男のような図にも見えなくもない。
「名称:ミーナの魔力上昇を確認。敵性と判断」
「待ってくれ! ミーナは敵じゃない!」
それは魔力の上昇じゃない、怒りのボルテージの上昇だ。
「そうですか……ではMPを補給させてもらいます」
だから、やめてくれ。本当に起きれなくなってしまう。
俺がそう言おうとしたとき、
「ダメです! ダメです、朝からそんなことをするなんて――」
ミーナが先に待ったをかけた。そうだ、これを期待していた。
とりあえず、せめて起き上がらせてくれ。そうでないと歩いてMP回復すらできない。
「え、MPの吸収なら私からしてください!」
「了解しました」
そう言い、ナビはベッドから立ち上がり、ミーナの前まで歩いていく。
爪先立ちでミーナの頭の後ろに手を回し、瞳を閉じ、ミーナの唇を自分の唇へと引き寄せた。
「………………!」
「………………ん」
あまりの出来事にうごけないミーナとMPを吸収するナビ。
そして、その光景から目を離せない俺。
永遠とも思われる時間が続いたとき、
「おぉい、タクト、ミーナ、朝ごはんが――ってみんな朝っぱらから何やってるんだよ!」
部屋に置いてあった本をサーシャが投げ、俺の頭にぶつけた。打ちどころがわるかったのか、MPが少なくなりすぎたのか、俺が意識を失うにはそれで十分だったようだ。
「……朝ごはん食べ損ねた……」
「ナビも十分なMPを補給できませんでした」
俺は、ナビと二人で町中をうろついていた。
「どうだ? ナビ、何か思い出せそうか?」
「いいえ、全く思い出せません。私の封印技術は完璧ですから」
「……自慢げに言われても困るんだが」
そう言って俺はため息をついた。
昨日の朝、ナビを連れて帰り、いろいろと聞いた。その結果わかったのは、
・彼女はナビゲーションシステムとしての機能を持つ。
・彼女はMPを吸収した相手が使える魔法を使うことができる。ただし、吸収したMPを使い切るとその魔法は使えなくなる。
・彼女はどうして迷宮の奥に封印されていたのか、封印される前は何をしていたのか、それらの記憶は彼女自身の機能によって封印されている。
というものであった。それを聞いて、ミラー先生はナビの記憶を呼び起こすために、まずはこの町を歩いてみてはどうか? と言った。
刺激の少ない部屋の中よりも多くの物が存在する町のほうがいいだろうと。そう言い残し、ミラー先生は発見した書物を解読するために部屋に篭った。
本来ならホムンクルス研究の第一人者である彼にとってナビは最高の研究対象なのだろうが、それよりも古い書物のほうが大事なようだ。
本当はミーナも一緒に町を歩く予定だったのだが、今朝のことがショックだったのか、自分の部屋に閉じこもってしまっている。
ちなみに、口付けの理由としては、ミーナは普段魔法を使わないため、魔力を吹きだすための穴が指先に少ないためだという。
口を通じて直接魔力を吸いとったらしい。
そういう理由で二人きりで歩くことになった。まるで一昨日のミーナとの買い物みたいだな。
「そういえば、ナビは食事とかできるのか?」
「可能です。分析機能があります」
「鑑定スキルみたいなものか?」
「味の評価を100点満点で評価できます」
「そうか……世の中にはマイナス評価もあるってことを覚えておけよ」
シメイズマの町で行われた料理大会のことを思い出して言った。マリアの料理は何点なのだろうか。来年、もしあの大会に行くことがあれば、シルフィーとナビの二枚看板で審判をしてもらおう。
「ということで、ナビには栄養としては食事は必要としません」
「そうか、おいしいものを食べておいしいと思うことはできるんだな?」
俺はよし、っとナビの手を引いて目的の場所に向かった。
そこは、一昨日ミーナと一緒に働いた果物屋だった。
40歳くらいの屈強なおっちゃんが出迎えてくれた。
「おっちゃん、儲かってるか?」
「おぉ、我が店の救い主様じゃないか」
「その呼び方はやめてくれ」
エルフたちにそう呼ばれた時を思い出す。本当の救い主様はサーシャ、マリアと別行動中だ。
魔法学園の中にある図書館に行っているらしい。本が好きだもんな。
サーシャは、最近、マリアから借りている物語本にはまっているらしい。図書館にいったのもそれが理由なのかもしれない。
朝だというのに、俺と同時にやってきた生徒らしい少年が冷凍みかんを買っていった。
「店の方は儲かってるみたいだな」
「おうよ、食べてくかい? 一本60ドルグだぜ?」
おっちゃんが冷凍パインを出してくる。しっかり金をとるあたりさすがは商売人だ。
60ドルグは冷凍パイン一本の値段としてはかなりぼったくりな気がするが、まぁ、ケチケチするほど貧乏でもないしな。
「じゃあ、2本もらうから100ドルグにしてくれないか?」
銀貨を1枚出す。おっちゃんは快く了承してくれた。
値切りスキルを久しぶりに付けておいたおかげかもしれない。
「まぁ、朝飯替わりならこれでいいだろ」
「……ナビはトゲパウルよりもMPのほうが嬉しいのですが」
「そういうなって、一人で食べるのも寂しいしな」
そして、俺は冷凍パインを食べながら、ふとおっちゃんと出会うきっかけを作った少女のことを思い出す。
「おっちゃん、あの女の子、メイラは大丈夫なのか?」
病院ではただの風邪と診察されて、一週間はまともに魔法を使えないという。
「あぁ、ただの風邪だと言ってたが、まだ意識を取り戻していないらしい」
「……そうなのか? それは心配だな」
俺は冷凍パインの最後の一口を食べて呟く。
「それがよ、メイラみたいな症状の生徒が一人や二人じゃないらしくてな」
おっちゃんが言うには、どこの病院のベッドも全て埋まりかけているらしい。
しかも、不思議なことに病気にかかってるのは学園の生徒だけのようだ。
「学園のほうからも特殊な風邪だが命に別状はないから安心するようにだとよ」
「そうなのか……じゃあ、おっちゃん、これ――」
俺は一昨日働いて稼いだドルグの一部をおっちゃんに渡す。
「ん? なんだ? この金は?」
「メイラが目を覚ましたら、これで果物の詰め合わせでも送ってやってくれ」
「あぁ、じゃあ最高のお見舞いの品を送ってやるよ」
おっちゃんは白い歯を輝かせてその金を受け取った。
「ところで、マスター……一つお願いがあるのですが」
「どうした?」
MP吸収なら今はやめてくれ、と先に言っておく。
「ナビは凍らせたトゲパウルをもう一つ所望いたします」
「……おっちゃん、もう二本頼む」
そう言って、俺は銀貨を1枚おっちゃんに渡した。
食べすぎて風邪をひかないようにしないといけない、そう思いながら、俺とナビは冷凍パインを食べていた。




