20 買物
井戸の迷宮からさらに北西に二百キロメートル。
海辺の町、コモル。
瞬間移動の連続でそこにたどり着いたときには昼だった。
井戸の迷宮から抜け出したときはもう朝靄に包まれていた。徹夜でレベリングをしていたらしい。
ミルの町に戻って教会に泊めてもらおうと言ったが、ミーナが神父様たちを起こすのは申し訳ないからと断る。
王都に戻って宿をとろうと言ったがそこはマリアが拒否した。
俺たちはとりあえず軽い朝食(マリアの用意していたパンとジェリーゼリー)を食べ、交代で仮眠をとり、そこから七回の瞬間移動でこの港町までやってくることができた。
当然王都よりは狭いが、ミルの町よりは大きな港町だ。
潮風の香りがする。
ミルの町や王都とちがい、壁に囲われていることはなかった。
町から西に三キロメートルのところにも迷宮があってね、そこも結構有名な狩場のため、地上にはほとんど魔物がいないのがその理由だとマリアが語った。
「コモルは東の大陸から北の大陸への定期船のある唯一の町よ。治安もいいし、海も綺麗なところって聞いたわ」
「へぇ、北の大陸か。どんなところなんだ?」
「そうね、エルフとドワーフの対立する谷があったり、魔法学園があったりするらしいわ」
「魔法学園か……一度いってみたいな」
もしかしたら、伝説の魔法についてもわかるかもしれないし、俺の世界についての書物もあるかもしれない。
暫く歩くと、海が見えてきた。埠頭には大きな帆船が止まっている。
ほかにも小さな船がいくつか見える、漁船だろうか?
初めて見る大きな船にミーナとサーシャが感嘆の声をあげて微笑む。
「行ってみたいのはいいけど、一つだけ注意が必要よ。瞬間移動の魔法は基本、同じ大陸の中でしか使えないの」
「そうなのか?」
「うん、原因はわからないけど、距離とかの問題じゃなくて、大陸間の魔法移動はできないようなのよ。
大陸と大陸の間に特殊な結界があるのか、それとも大陸によって異なる微妙な魔法の力場の差が影響しているのかはわからないけどね」
マリアが瞬間移動の新たな弱点について説明を加えた。
そうか、新しい大陸に行くことがあったら注意しないといけないな。
とうぶん予定はないけど。
「とりあえず宿に行きましょ」
宿屋の場所は町によって建てる傾向があるが、大体の場所は見当がつくとミーナが言った。
ミーナに任せて進むと、本当にその場所を知っていたかのように宿にたどりつく。
さすがは宿屋経営者といったところか。冠に“元”とつけないといけないのが忍びないくらいだ。
入るとすぐに受付があった。
「うん、掃除の手入れは行き届いていますし、値段設定も良心的ですね。でも、水が少し高い気がします」
「あはは、手厳しいね。でも、ここは港町だからね、このあたりを掘っても塩水しかでないから、井戸が遠いのさ」
「あ、すみません、つい」
五十歳くらいの男主人が笑いながら現れて、ミーナは恥ずかしそうに頭を下げる。
変わって、サーシャが店主に尋ねた。
「マスター、部屋あいてるかい?」
「四人かい?」
「うん」
「二部屋にわけていいなら用意できるよ」
二部屋?
俺はもしかして、と尋ねた。
「それって一人部屋と三人部屋?」
「いんや、二人部屋二つさ」
そうですよね。
「じゃ、それでいいや。私がタクトと一緒の部屋でいいから」
「ちょっと、お姉ちゃんはいびきがうるさいから、スメラギさんとは私が――」
「ここは姉妹仲良く一つの部屋にいなさい」
「いいや、私とタクトとは切っては切れない契約で結ばれてるんだ」
「それって奴隷契約のことでしょ」
あぁ、わかっていた。
みんないい子たちだから、自分が犠牲になると譲り合ってくれている。
でも、やっぱり恥ずかしいよな。女の子と同じ部屋なんて。
話し合いでは決着がつかなかったらしく、今度はじゃんけんはじめた。
宿屋のおっちゃんもあきれ顔だ。
「よし、私の勝ち、タクト、よろしくね」
「あぁ、お手柔らかに頼むよ」
結果、サーシャが犠牲になったようだ。
「うぅ……あの時チョキを出していれば」
「じゃんけんなんて確率論でしかない。うん、これは運命とは関係ない」
二人が悔しそうに、俺と同じ部屋でいたかったと装ってくれている。
本当にいい子たちだ。
「あ、あと自分で料理をしたいんですが、厨房って貸してもらえますか?」
「今は夕食付の客の料理をしているが、もうすぐ空くよ。使用料は10ドルグだが、いいかい?」
「はい。あ、あと薪の値段も教えてください」
ミーナはそういい、いろいろと交渉していく。
「スメラギさん、食材のカードの中で食べたいお肉があったら出してください。私が料理しますから。あ、スキルも料理知識と料理技能に付け替えてください」
「お、助かるよ」
俺はミーナのスキルを変更すると、今朝とったばかりのカルビのカードを二枚ミーナに渡した。
「もちろん」
俺は100ドルグカードを10枚ミーナに渡した。
「え? こんなに?」
「いや、ジェリー1匹100ドルグだから、10匹分と思ったら少ないと思うけど」
「料理の材料だけなんで1枚でもおつりがでるんですが」
「いいじゃん、ミーナ、残ったもので好きなの買えば。もちろん私にもくれるんだよね、タクト」
「あ、ああ」
同じく100ドルグカードを10枚サーシャに渡し……
「わ……私にも……ううん、お金は自分のがあるからいいわ」
「え? あ、そうか。マリアは自分の取り分とったほうがいいんじゃないか? いくら給金があったからっていっても、今は対等なパートナーなんだし」
「パートナー? うん、あなたのことだから意味は考えてないとは思うけど、そうね。あとで取り分についても話しましょ」
三人はそれぞれ目的があるらしく、そそくさと宿をあとにする。
「まぁいいや。とりあえず、俺は目的のものがあるし。本当は王都で買いたかったんだけどな」
「あの……先に勘定をいただいてもよろしいでしょうか?」
「あ……」
宿のおっちゃんが困ったように言った。
すみません、忘れてました。
港町ということで、町を歩くと魚が市場に並んでいた。
だが、問題があり、
「全部カードで売ってるんだな」
さまざまな魚のカードに、イカのカード。エビのカードに貝のカード。
代わりに、野菜や果物は現物で売っている。
「お、リンゴだ。この世界にもあったんだ」
赤い木の実。禁断の果実。食べたらかしこくならないかな。
「これはパウルの実だよ。そのままで食べてもおいしいが、買うかい? 1個30ドルグだよ」
「ああ、一個くれ」
店にいたおっちゃんに100ドルグカードを渡す。銅貨を七枚返してくれた。
新鮮そうなパウルの実をそででこすり、かぶりつく。
そこそこうまい。やっぱりリンゴだ。
「うまいだろ、北の大陸から届いた産地直送品だよ。王都でもめったにお目にかかれない品物さ」
「そうなのか?」
「カード化した魔物の肉とちがって穀物や野菜、果物は日持ちしないからね」
「あぁ、なるほどな」
確かに、果物や野菜を落とした魔物は見たことがないな。
植物系の魔物なら落とすのだろうか?
「ねぇ、おっちゃん、ほしいものがあるんだけど、売ってる場所しらない?」
「ん? どんなのが欲しいんだい?」
俺は目的のものを告げた。
宿に戻ると、すでに食事は用意されていた。
ミーナが
「カルビ肉とピーラとマルヤサイの炒め物です。お口に合うかどうか」
「いや、うれしいよ。何より、ごはんがあるっていうのがうれしい」
「よかった、マリアさんが教えてくれたんです。スメラギさんならきっとこのほうがいいって」
「うん、でもよう炊けたな、米って炊くの大変じゃなかったか?」
「米? あ、エンダのことですね。お母さんに教えてもらったことがあるんです。パンよりもごはんが好きな冒険者がいて、中にはエンダを持ち込む冒険者がいるから、絶対必要だって」
「そっか、料理の得意なお母さんだったんだな」
ピーラはピーマン、マルヤサイはキャベツのことだった。
この世界、肉はそのままの名前が使われているのに、野菜や果物の名前は日本とは異なるんだな。
リンゴのこともパウルって言ってたし、レモンもどきはスプスプだった。米はエンダか。
「なぁ、これって何て名前?」
「え? パンですよね」
「あ、うん、そうだね」
ミーナのそばにあったパンについて尋ねたら、パンと答えてくれた。
「じゃあパンの材料は?」
「シタレタネですね」
「そっか、シタレタネ粉でパンができるのか」
「いえ、シタレタネを挽いたのは小麦粉ですよ」
おい、おかしいだろ。
俺は心のなかでつっこんだが、
「なぁ、パウルをパイにしたお菓子ってある?」
「アップルパイですね、私もたまに作りますよ」
そこはパウルパイだろ、と俺はツッコミたいが……わかった。
植物の原料の名前は日本とは異なるのに、料理や加工品の名前は日本そのままなのだ。
納得したようなしないような。
とりあえず、俺はカルビの炒め物とごはんをスプーンとフォークで食べた。
ごはんは国産米まではいかないが、それでもおいしい。この世界に来る前なんて食パンだけだったからな。
肉にも塩胡椒がふんだんに使われていて、カルビはやわらかく、カルビから出た肉汁がキャベツとピーマンにからんで上手い。
あと、用意してくれたのは卵とワカメのスープだ。そういえば卵もカード状態で売ってたな。
なんの卵かは考えないでおこう。鶏卵とは限るまい。
「お、できてるね」
「おいしそう、お米なんて久しぶりだわ」
サーシャとマリアが帰ってきた。
マリア、俺のためじゃなくて自分が食べたかったんじゃないのか?
「王都だとここの十倍の値段になるのよ、お米って。詐欺だと思わない?」
「給金は十分にもらってたんだろ?」
「貰ってたけど、そのせいでごはんを食べさせてくれる店はないのよ」
「それぐらい自分で用意すれば……いや、無理か」
マリアのスキルを思い出した。
殺人料理。
魔竜でも倒すとかにわかには信じがたい料理スキルの持ち主であるマリアに米を炊けというのは無理な話か。
「二人は何を買ってきたんだ?」
「ん? ふふふ、秘密」
サーシャが不敵な笑みを浮かべる。
「私は本よ」
マリアは普通に答えた。やっぱり研究所をやめたとはいえ研究は重ねているということか。
「タクトくんは何を買ったの?」
「俺は魔法書だ。これで新しい魔法を覚えられるよ」
そう、俺が買ったのは魔法書三冊。
結構な値がしたが、それでもやはり覚えておくことにこしたことはない。
雷の魔法書、氷の魔法書、光の魔法書だ。
「あれ? タクトくんって炎の魔法使いじゃなかったかしら?」
「あと回復魔法も使えるよ」
「どうして?」
あれ? もしかしてマリアは気付いていないのか?
俺には魔法全属性取得可能ボーナス特典が備わっている。
「……あ、あの絶対に取れそうにないボーナス……あれって120ポイントだったっけ」
「そうだ」
「六年も前のことだから忘れてたわ」
そうか、流浪の民は基本100ポイントまでのボーナス特典しかないから、マリアも思い出せなかったのか。
話を聞いていたミーナとサーシャは何のことかわからずに……
「ときどき、タクトって私たちの知らない話題でマリアと盛り上がるよね……」
「……ずるいです、マリアさん」
とか呟いている。
「ま、さっき名前は書いたし、魔法の名前も覚えたから、実践あるのみだよ」
スキルを確認したら、魔法技能のレベルが15まで上がっていた。一人前と玄人の間といったところか。
各魔法の属性レベルをあげたら、自ずと他の魔法の威力もあがるだろう。
「ねぇ、タクト、お願いがあるんだけどさ」
「ん? なんだ? 言ってみてくれ」
「……ううん、なんでもない」
俺はこのとき気付くべきだった。
サーシャの様子がいつもと違うことに。
その後、店主にお湯を桶に三杯用意してもらい、サーシャにはミーナとマリアの部屋にいってもらい、俺は一人で身体を拭いた。
途中でミーナが「お背中拭きましょうか?」と入ってきたのには驚いた、トランクスを脱ぐ前で本当によかった。
その後、俺はトランクスを脱ぎ、買ってきた絹の服をまとう。
ジャージは持ち出して、宿のマスターに洗濯を30ドルグで頼んだ。
それをミーナに話したら、「頼んでくださったら私がしましたのに」と怒られた。いや、トランクスとかミーナに洗ってもらうのは抵抗があるというか。
部屋に戻ってきたサーシャとはとりとめのない会話をしただけで、蝋燭の火がなくなったので寝ることにした。
寝るときや部屋を空けるときは窓を閉めるようにと店主に言われた。潮風が部屋の中にはいると掃除が大変だという。
そんなことを忘れて窓をあけて寝ていた。
遠くから聞こえる波の音が気持ちいい。
「タクト……」
サーシャの声がした。
閉じていた瞼をゆっくりと開いた。
そこには、下着以外なにもつけていないサーシャが、右手で胸を隠して立っていた。
月明かりだけが照らす彼女の姿がとても幻想的で、一枚の絵にしたいくらいで……
……夢……じゃない……よな。
何をしてるんだ、と声をかけようにも、俺は声がでなかった。
今にも泣きだしそうな彼女にかけていい言葉が見つからなかった。
海の音だけが、静寂を打ち消していた。




