貴方の事を教えて
目を逸らす事が出来ず食い入るように見詰めるわたくしに対して、少年はあっさりと視線をシメオンへと戻しました。
シメオンもまた少年を見据えている。
「お前が魔王か」
少年の少し高く凛とした声が真っ直ぐシメオンを突き刺します。魔王はただ見つめ返すばかりで返事をしませんでしたが、彼の纏う異様な空気と存在感こそが答えでした。
少年は地面を蹴って前へ跳ぶと、魔王に切りかかりました。攻撃は魔王の防御壁によって難なく弾かれた。すると少年はその壁を蹴って空中で一回転すると、そこから今度は魔術を繰り出しました。
短剣で空を薙げば空気がうねって無数の刃が出現し魔王を襲う。それらは防御壁に傷をつけ、ヒビに変え、ついに打ち壊した。
「…………」
魔王は眉一つ動かさずにいましたが、彼の足元に大きな魔術の陣が浮かび上がりました。それに気付いた途端に少年が目を見開いて、わたくしの方へと駆け戻ってきました。
「きゃぁっ」
「大人しくしてて!」
あろうことか少年は私を肩に担ぐと更に魔王から遠ざかろうと走り出したのです。暴れるつもりは毛頭ありませんが、お腹が……お腹に掛かる圧迫感に思わず足をバタつかせてしまったのです。不可抗力ですわ!
ある程度距離を取ると少年は地面に手をついて土で分厚い壁を築きました。
直後、巨大な氷柱が幾つもその壁に突き刺さる。ほんの僅かでもタイミングがずれていたなら、わたくし達は串刺しになっていたでしょう。
もしくは、もっと魔王から距離が近ければ壁を貫いて氷柱がわたくしたちに届いていたかもしれない。そんな絶妙な位置でした。
「お姉さんはそこにいて」
「あ、はい」
降ろされたと同時に指示されて、反射的に頷いていました。
戦闘能力の殆どないわたくしがその辺うろうろしていたら足手まといだものね。ここでじっとしていた方が彼も魔王に集中できるでしょう。
が、それ以前に少年一人で魔王に立ち向かうというこの状況は一体どうなのか、と誰かに問いかけるまでもなく拙いですわね。
魔王はかつて最年少で魔術師団長に就いた最強の魔力を有し、その実力は今も健在どころか、世界を滅ぼそうとしているくらいなのだからより強くなっているように思います。
そんな相手に少年一人で立ち向かうなんて。
どうにかして二人で逃げられる隙を作れないものかしら。
そっと土壁から顔を覗かせると、少年は果敢にも全力で魔王に攻撃を仕掛けていました。
魔王はというと易々と回避するか、シールドで全て躱してしまっています。反撃をしないのは、少年を全く相手にしていないからなのか、様子を見ているだけなのか。
暫く見守っていたのですが、やはりどう考えてもシメオンの動きがおかしい事に気付きました。物理攻撃は避けているのに魔術攻撃はわざわざシールドで受け止めています。
相手の攻撃を弾く防御壁と、吸収してしまうシールド。敢えてシールドばかりを使っているのは――
「逃げて!!」
少年から放たれた魔術を全て一度己の中に溜め込み、一気に放出する為。
わたくしが少年に退避を促すると同時に反応したのは魔王の方でした。まるでわたくしが気づくのを待っていたかのように、片手を翳して横に振り魔術を発動させる。
今まで受けた少年の魔力を全て使っての大魔術を、彼は詠唱もなしに一瞬で繰り広げました。
少年を囲うようにして落ちた四本の雷の柱が円を描き、地面に巨大な法陣を描く。目が眩むような光が放たれた直後に轟音が鳴り響きました。
足手まといだとか、戦力にならないだとか言っている場合ではありません。このままでは少年が死んでしまう。
目と耳がやられて方向感覚が麻痺する中わたくしは立ち上がり、彼等の居る場所に当たりを付けて駆け出しました。
視界が回復するのと、二人のいる所に辿り着くのとが同時でした。
膝をつく少年の前に今度はわたくしが立って両手を広げます。
魔王は第二撃を放とうとしていたのか、片手の平をこちらへ向けた状態で立ち止まっていました。
「あらあら、わたくしごと吹き飛ばせば済むでしょうに、情けを掛けて下さるの?」
魔王が持つ力のほんの小指の爪の先程度でも使えば、わたくしなんて一瞬で消し炭にされてしまうでしょう。少年のように彼の魔術を防御する術など持ち合わせておりませんもの。
「…………」
魔王はわたくしを見つめ、視線を逸らしました。攻撃する気はないと示すように手も下ろす。
最初から勝負にならないわたくしと、疲弊しきった少年に興味を失ったのかしら……。
「それでも、お前は――」
身体を反転させてわたくし達に背を向けたシメオンは、現れた時と同様に何の前触れもなく姿を消しました。
時空の歪みを強制的に作り、出来た割れ目の中へと入って行ってしまったのです。空間転移という高等魔術をもああもあっさり行ってしまうなんて、目の当たりにするとやはり恐ろしい人……いいえ、魔族です。
「……っ」
声にならない呻きに我に返ったわたくしは慌てて振り返りました。そうだわ少年!
「無理はしないで」
懐に入れていた回復効果のあるアイテムの瓶を渡します。
趣味で常に幾つもの薬品を持ち歩いているのですが、まさかこんな所で必要になるなんて思いませんでしたわ。世の中何が起こるか分らないものです。
身体に力が入らないらしく、溢しながらも何とか薬を飲み終えた少年はそのまま力尽きて意識を失ってしまいました。
あらまぁ、どういたしましょう。わたくし一人では到底運べませんわね。貴族令嬢として蝶よ花よと育てられたわたくしは、一輪の花以上に重い物は持てないのです。
はい、今笑う所でしてよ。花どころか竜以上に重くなってしまった場の雰囲気を一掃しようというわたくしの努力を無駄にしないで下さいませね。
なんてそれこそ馬鹿言っている場合ではありませんわ。
もうそろそろ御者がわたくしを迎えに来るはずですから、彼に運ばせるとしましょうか。
死者の弔いに来たはずなのに、墓地ごと吹き飛ばしかねない激しい戦闘でそれどころでは無くなってしまいましたわね。
それにしても
「彼は一体なんて言いかけていたのかしら」
それでもわたくしは人間の敵なのだと、そう言いたかったのかしら。彼の真意など知った事ではないけれど、ああも意味ありげに中途半端な言葉を残されたら嫌でも気になってしまうじゃないですの。
今夜眠れなかったらどうしてくれるのよ。
「そう思いません?」
苦しげに眉を寄せて横たわる少年の前髪を横に流す。薬の効果はあったようですが、魔王の攻撃を受けたのですから、すぐに元気になるなんて事はまず無理です。
そもそも、あの攻撃が直撃して一命を取り留めただけでもすごい事だと思います。この少年の実力は本物です。どうして魔術師団に入っていないのか不思議なくらい。
取り敢えず少年を屋敷に連れて帰って手当と介抱をするのが先決ですが、その後やって来るであろう諸々の七面倒くさいアレコレが目に浮かぶようで、いっそわたくしも寝込んでしまいたいくらいです。
はぁと溜め息を吐く。とんでもない休日になったものですわ。
「貴方の事も何も分からないままね……」
この少年は一体何者なのでしょうか。どうして助けて下さったのか。
どうして、ジェイドに瓜二つなのか。
愛し子にそっくりな顔をそっと撫でる。
彼が大魔術を受けた瞬間、胸が張り裂けるかと思いました。ジェイドがわたくしを庇って魔族に傷つけられた情景と重なって、大声で叫びそうになりました。
この子はジェイドじゃない。分かっています、あの子はこの世から消え去っている。私は過去へ遡って、また人生をやり直しているけれど、あの子はもういない。
目を閉じて、首を振る。いけない、今考えるべきはジェイドの事ではありません。
「早く貴方の名前を教えて下さいましね」
そうでなければ、ジェイドと呼んでしまいそうになるから。
重ねたくないのに、してはいけないのに、貴方をあの子の身代わりにしてしまうから。
だから。そうしない為にも、貴方の事を教えて