大人しく守られて
よく見る夢があるのです。
背中を丸め、足を抱え込んで目の前の炎を見つめていた。聞こえてくるのは虫の鳴き声と、燃える木の枝の音だけ。
顔を上向ければ夜空には満点の星。
ふと気づけばすぐ傍に男が立っていた。顔は見えないが連れのようで、親しげに話しかけてくる。すぐ隣に座った男にぽつぽつと言葉を返しながら、もう一度空を見上げた。
男が星に向かって指を差す。少しずつずれて行く指を追って視線を動かしながら、彼の言葉を頭の中で反芻してゆく。
何を話しているのか、彼が語った内容はどんなものだったのか、それ以前に彼の顔さえも夢が覚めた瞬間にわたくしは忘れてしまう。
けれど、夢を見たのだという事だけは嫌という程覚えています。
場面はいつも違うのです。けれど同じように彼と旅をしている情景を切り取ったワンシーンであることがほどんど。
わたくし自身が経験したものではありません。どなたか男性と二人で旅に出た事などございませんもの。けれど、ただわたくしの脳が作り出した想像というにはあまりにリアルで、些細な一場面ばかり。
最初は不思議で仕方ありませんでしたが、今は慣れました。この夢ともかれこれ長い付き合いです。ジェイドと契約をした頃からですからもう八年くらいになるでしょうか。
この夢についてジェイドに一度語った事がありまして、するとあの子は過去を振り返っているのか目を瞑って暫く考えてから、今ではない、以前の巫女の記憶だと言いました。
わたくしではない、以前にジェイドと契約し巫女となった女性の辿った人生の断片をわたくしが垣間見る。
仕組みは分りませんが、存在そのものが謎な精霊と契約した影響なのだと思えば、そんなものだと素直に受け入れられました。
そしてこの夢を見ると必ず、わたくしは目覚めた時に涙を流しているのです。
のそりと起き出したわたくしは、手の甲で目元を拭い、次いで頬をぺちりと叩きました。わけのわからない感傷に浸っている暇はありません。
今やるべき事、やらなければならない事が盛りだくさんなのですから。
トモヨさんと時間を共にする中で色々と探りを入れてみたのですが、どうやらトモヨさんには時間を巻き戻しているという感覚はないようです。
この世界に飛ばされてきて不慣れな様子とか、魔族との戦いに関しても完全な素人でとても一年近く魔王討伐の為に旅をしていた人とは思えません。
演技をしているようには見えませんでした。戦闘経験というのは体に染みつくものなので、意識的に抑えようとしても身体が勝手に動いてしまうものなのです。
なので、戦えないふりというのは実はとても難しい。それにそんな事をすればウィスプがすぐに気付くはず。
最初はわたくしのように隠しているのかとも勘ぐったのですが、どうもそうではないらしいです。
本当にどうしてわたくしだけが時間を遡ったのでしょう。
この世界が物語だというのならば、未来の記憶を残して過去へ跳ぶのは普通、主人公たるトモヨさんではないでしょうか。
所詮サブキャラクターなわたくしが何故こんな大役を任されたのか。ただの事故のような気がしてならないけれど。
だってわたくしにはもうジェイドはいません。元々わたくしが持っていた魔力は微々たるもの。とても魔族に太刀打ち出来るものではありません。
大して戦う力のないわたくしに出来る事なんて、たかが知れています。
わたくしが同じ時間を二度繰り返しているという事実を誰かに相談してみようかとも思いました。しかしながら実際誰に話すのかとなった時点で、そんな相談ができる人が誰もいないという事実に行き当たりました。
貴族女性の友人知人は差し障りのない上辺だけの付き合いしかしてきませんでしたし、家族にも話しづらいし。
トモヨさんは自分の事でいっぱいいっぱいだろうから、わたくしの負担まで負わせられません。
あの腹黒……もとい頭の良い王子ならと思わないでもなかったのですが、瞬時に却下しました。だって考えてみたら、相談するという事は、わたくしが魔王側に与して引き起こした国家反逆まで洗い浚い話さないといけなくなるわけですからね。王族に伝えられるはずありません。
悔い改めて今世では絶対にしないと誓えるとしても、事実一度引き起こしたわたくしは完全な危険因子。信じて下さいと情に訴えたところで、あっさりと命を絶たされてもおかしくないのです。ムリムリムリ! 前世では死んで安堵なんてしましたが、今となっては殺されるとか絶対無理!
一人、幼馴染の顔が思い浮かびましたが、あの人とはもう暫く会っていないし、忙しいでしょうから手を煩わせるのは躊躇われます。
というわけで、この事実はわたくしの胸深くに仕舞い込んでおくことにいたしました。それしか道はありませんでした。
こんな事なら面倒くさがらずに、ちゃんと色んな人と交友関係築いているべきでしたわ……
「ルルーリア様? どうなさいました」
「え? いえ、……イーノック様の見事な剣さばきに惚れ惚れとしていただけですわ」
「さっきから枯れた小枝ばかり熱心に見つめていらっしゃったようですが?」
「あら! ほほほ! 実はわたくしの目は後頭部にありますの」
だったら今私を見ているそれは飾りですか、とニコやかに笑いながら辛辣なツッコミを入れてくるイーノック。
皆様覚えておいででしょうか。トモヨさんがこの世界へやって来たあの庭園にもいらっしゃった騎士様ですわ。
ついでに言うと、近い将来トモヨさんの魅力にメロメロになってハーレムの一員になるお方です。
まぁ、この方については追々語るとしましょう。
「トモヨさん、まずはウィスプの気配を感じる事に集中してください」
「は、はい」
緊張した返事をしたトモヨさんは胸の前で両手を握って目を閉じた。
今は魔族との戦闘訓練の真っ最中です。巫女になったからと言って自動的に戦えるようになるわけではありません。
精霊の力の使い方は勿論、体力が無くてはお話になりませんし、多種多様な魔族の特性も頭に入れておかなければならないのです。
トモヨさんは魔法や魔術という概念のない世界からやって来たみたいなので、余計に使えるようになるまで時間が掛かるでしょう。
精霊は人型を模して現れる事もありますが、基本的に巫女の体内に同化しています。
その内に眠る力を引き出して駆使するのです。
こういうのは実際に魔族を目の前にした緊張感の中で習得するのが一番。というわけで王都にほど近い魔族出現ポイントに連行して来たわけです。
けれどまさか二人きりでなんて無謀な真似など出来るはずもありません。というわけで護衛としてイーノックにご同行をいただいたわけです。
「イーノック様、ここにいる死霊以外の魔族や魔物は打撃が有効ですので、じゃんじゃんやっちゃって下さい」
「簡単に、言いますけどねぇ!」
文句を言いつつ騎士団長イーノックは襲いかかってきた下級魔族を斬り裂いた。
元々は王族の近衛を務めていた彼ですが、トモヨさんが現れた折に彼女の護衛の任を請け負ったのです。
「トモヨさん、イーノック様にかかればこの辺りの雑魚などお話になりません。焦る必要はありませんのでゆっくりと」
たまにポイと攻撃アイテムを投げてイーノックを援護しつつ、トモヨさんに笑いかける。
青褪めつつも頷くトモヨさん。そう簡単に習得できるとは思っていません。まずは慣れる事が重要なのです。
というわけでイーノックについてでも語りましょうか。
二十六という若さにして誉れ高き騎士団の団長の任についているイーノック・ラプラス。あ、別にフルネームを覚える必要はありませんわ。
平民の出という事で実力はあるにも拘わらず、出世の見込みはないとされていたのだけれど、実力主義の王子に見初められて近衛に就任し、そこから出世街道まっしぐらというお方。だからレオナルド様に頭が上がらないのです。
ライトブルーの髪と金の瞳というとっても鮮やかな配色をしています。普通金髪碧眼じゃねぇのって思われた方、わたくしも全くの同意見です。
少々真面目過ぎるのが玉に傷ですが、話は分かる方なのでわたくしはそこそこ好感を持っておます。そこそこ。
「ウィスプ……ウィスプお願い、力を貸して!」
おっと、気付いたら何時の間にやら死霊に遭遇していたようです。
イーノックが攻撃を与えて間合いは取っていますが、コイツ等は精霊の力でなくては倒せません。
焦燥が手に取るように分かるトモヨさんの祈るような声に呼応して、ウィスプの力が発動しました。
眩い光の波動が死霊を貫き、一瞬で消滅した。
「お疲れ様ですトモヨさん。見事でしたわ」
ぱちぱちぱちー! 拍手と労いを送ると何故かイーノックが剣をしまいながら溜め息を吐く。
アルといいこの人と言い、わたくしに対してはぁはぁし過ぎじゃないかしら。
「取りあえず今日のところはこのくらいで良いでしょう、お嬢様」
「ええ、お付き合いくださってありがとうございます、イーノック団長様」
『お嬢様』の部分をやたら強調してくるけど、貴方の嫌味なんて真に受けませんわよー。
視線で火花を散らすわたくしとイーノックの事を、何故かトモヨさんは楽しげに見ていました。
「さぁさ、お屋敷に辿り着くまでが魔族討伐ですわ。気をお抜きにならぬよう!」
「なんですか、それ」
呆れたように言うイーノックを無視してトモヨさんを促す。
「ほらイーノック様、最後までしっかりトモヨさんを守ってくださいまし」
トモヨさんはこの世の最後の希望。戦いの経験値はあげていただかなければなりませんが、少しだって危険に曝すわけにはいかないのです。
細心の注意を払っていただかないと。
けれどイーノックは深々とため息を吐いた。あら、このわたくしに対して何て態度を取って下さるのかしら。
「私の本日の任は、トモヨ様とルルーリア様をお守りする事です。なので貴女も大人しく守られて下さい」
「……まぁ」
なんて事かしら。この方って天然タラシだったのね……。
わたくしではなく他のご令嬢なら、さっきのでコロッといっちゃいますわよ。
平民出とはいえここまで名の知れた騎士なら、身分差もさほど苦にはなりませんでしょうしね。
怖い怖い。もしかしたら爽やかな外見の裏で、こうやって若いお花を摘みまくっているのかもしれませんわ。
「そうですわね。ありがとうございます、イータラシノック様」
「……なんて?」
「イー・タラシ・ノック様」
「ルルーリア様。一度貴女とはじっくりとお話をさせていただいた方がよいですね」
いやよ。だって貴方タラシなのだもの。
一対一でお話をして、タラシっぷりを如何なく発揮してわたくしを籠絡させる気なんでしょう?
と、イーノックに対するわたくしの評価をあけっぴろげに伝えた所、「馬鹿じゃねぇのかあんた」と敬語をも取り去った、彼の素の言葉遣いで罵られてしまいました。
終始傍観に徹していたトモヨさんが「すげぇ、――――だ」とか何とか呟いていましたけれど、声が小さすぎて聞き取れませんでした。