居なくならないで
移送された医務室で、代わる代わる騎士や魔術師、政務官に事情を説明させられました。同じような質問、同じ回答。思い出すたびに心が冷えていくようでした。
彼らが部屋から出て行って、静寂が支配してもわたくしは顔を上げる事も出来ず殻に閉じこもるように身体を屈めて動けずにいました。
「わたくしが……わたくしのせいで皆が死んでしまったわ!」
「ルルは悪くないよ、ルルのせいじゃないから、泣かないで」
簡素なベッドの隅っこで縮こまって震えるわたくしを、小さな身体であの子は抱きしめてくれました。
「もう嫌よ、今度は誰が死ぬの? 誰がわたくしを殺そうとするの? 一体誰なら信じられるの?」
「ルル、ルル。僕はルルとずっと一緒だよ。僕は人間じゃないから闇堕ちしない。ねぇ僕を信じて。ここにいるのが怖いなら、二人で遠くへ行こう。それなら怖くないよね?」
魔術師団長というこの国一番の魔術師が闇堕ちし、あろうことか神殿を破壊するという最悪の行為は、多くの犠牲者を出して漸く鎮静されました。
ソリー・エルクンドによって殺された神官達。そしてそのソリーを殺したわたくし。
罪に罪が重なって、わたくしの手が血に染まって、その染みが感染症のようで、まるでそのまま全身に回って闇に堕ちてしまうのではないかと、今度はわたくしがどなたかを死に至らしめてしまうのではないか、そう思えてなりませんでした。
怖かった。確かに人間だった人が魔族へと転化し襲って来るその事実を目の当たりにして、わたくしが浄化と称して行っている魔族退治は人殺しとなんら変わり無いと気付いてしまったのです。
そして誰しもが魔族になり得るのだと思い知らされました。もしかしたら、隣で笑っていた女性が。通り過ぎようとしていた紳士が。
わたくしに手を差し伸べて下さった騎士が、治療師が、家族が。
誰も彼も信じられなくなったのです。
だからわたくしは、ジェイドと共に王都を離れるという愚を犯してしまいました。
けれど、二人きりで右も左も分らぬ土地を彷徨う生活は、不思議と何も恐れるものなどありませんでした。
粗末な食べ物も、雨風を凌ぐだけのあばら家も平気でした。ただ隣にジェイドが居てくれる。それだけがわたくしの支えだった。全てだった。
そうして、当てもなく人目を避けるために辺境の村々を渡り、時に魔物退治を請け負いながら旅を続けました。
けれど魔物退治をすればするほどジェイドの力はすり減っていきました。
それでもわたくし達は、もはや王都へ戻る事もどこかの村に留まりひそやかに生きる事も許されませんでした。
わたくし達は魔族につけ狙われていたからです。常に移動し続けていなければ、いつ神殿の時のように襲われるか分らない。留まった集落が壊滅してしまうのは目に見えていました。
同じ過ちは繰り返せない。わたくしもジェイドも口にはしませんでしたが、体力も魔力も限界が近づいている事に気付いていても旅を止めなかったのは、神殿で起った悪夢がまだ心を苛んでいたからでしょう。
「ルル、寂しい?」
「え?」
夜、遠くで鳴く虫の声を聞きつつぼんやりと空を見上げていると、ジェイドが覗き込んできました。
闇の精霊であるジェイドは暗い周囲に溶け込んでいるけれど、この子の赤い瞳は爛々と輝いています。
「アルやオズワルド、みんなに会えなくて寂しい?」
「……元気にしているかしら、とは思うけれど。ジェイドがいれば寂しくはないわ」
そう返せば、ジェイドは嬉しそうに抱き着いてきました。そう、わたくしにはジェイドがいる。この子さえいればそれでいい。
それは兄弟や家族に向ける愛情なのか、親友に対する友情なのか、異性に焦がれる恋なのか。
時に訊かれる問いですが、精霊と巫女の関係をどれかに当てはめるのは馬鹿げています。
ジェイドの存在が他の何かと同じものに置き換えられるわけがないのです。
この子はわたくしの唯一で、存在証明なのだから。
「ジェイド、あなただけでいいの」
嬉しそうにはしゃぐジェイドを抱きしめ返し、その存在を強く感じました。人間のような高い体温ではないけれど、それでも確かにわたくしは温かいと感じました。
「僕だけのルル。ずっと一緒だからね」
そう、言ったのに。ジェイドは笑って言ったのに。
あの子はわたくしを残して消えてしまった。
川沿いを下っている時でした。わたくし達の前に多くの死霊が立ち塞がったのです。逃げようと思えば逃げられたと思います。
けれど少し離れた所に、集落を捨てて避難しようとする村民の集団がいるのを見て通っていました。
わたくし達がここで死霊を回避すれば、死霊はその集団へと向かい彼らを殺すでしょう。物理攻撃も魔術も死霊の足止め程度にしかならず、浄化するには精霊と巫女が力を使わなければならない。
どうしても避けられませんでした。
多すぎる数に苦戦し、消耗しボロボロになって、やっと死霊達を一掃した矢先に彼らを操っていた魔族が現れたのです。
多くの死霊を操る能力のある魔族はネクロマンサーと言い、かなり魔力が高く強い。
わたくし達は既に死霊との戦いでほぼ力は尽きかけていました。そのまま力の強い魔族との連戦をする余力など残っていませんでした。
到底敵う相手じゃなかったのです。それは最初からジェイドも気付いていた。
だからあの子はあんな……あんな、馬鹿な真似を。
わたくしを助けるために、自分の全ての力を出し切ってしまうだなんて。
わたくしが死しても、精霊がいればまた新たな巫女が選ばれる。
ジェイドの力が僅かになっても、その存在そのものが人々の希望となるのです。ジェイドさえ生きてここを切り抜けられればそれでいい。
ですから、わたくしはジェイドを守るために賭す覚悟でした。
なのにあの子はそれを良しとしなかった。どうしてと今でも思う。
精霊と巫女の関係は決して対等ではありません。悠久の時を生きる精霊と、たったほんの一瞬の時間を共有するだけの人間である巫女。
その巫女も、一生を精霊と共にいるわけじゃありません。精霊が一定の力を使い切り神殿で眠りに就くまでの数年寄添うだけ。
精霊にとって巫女は、一時的に力を貸すだけの契約者に過ぎないのです。契約中はお互いがお互いにとっての唯一で、彼らは直向きに巫女へと愛情のような感情を与えてくれます。しかし、それはあくまでも契約中だけの話。終了してしまえば眠りに就き、新たな巫女を選び、その感情を託す相手を変えるのです。ですので、それだけの存在の為に精霊が命を張るだなんて有り得ません。本来ならば。
その前提条件をまさかジェイドが覆すなんて考えもしませんでした。
「ルル、大丈夫。僕が守るから」
守って欲しいわけじゃない。
黒い水泡がジェイドの周りを囲う。いいえ、ジェイドという存在の欠片が水泡となって消え失せてゆく。
「ずっと一緒だって言ったじゃない、ジェイド」
「一緒だよ。……これからだって、変わらない……だから、泣かないで」
いつかと同じように、ジェイドがわたくしを抱きしめる。もう半分その存在が消えかけて透けている身体で腕をいっぱいに広げて。
「消えないでジェイド。あなただけは居なくならないで。……ジェイド!」
ジェイドを失いたくなくて、どこにも行って欲しく無くて、わたくしはあの子の身体を抱き締め返そうとしたのですが、もうあの子の身体には触れられませんでした。
「大丈夫……僕は――――だから、寂しくないよ」
ジェイドが笑ってわたくしの頬へと触れようとしたのは分りました。けれども、あの子のひんやりとした小さな手の感触はやってきませんでした。
「ジェイド、ジェイド!!」
ビクリと身体が跳ねて、わたくしは目を覚ましました。
べったりと汗をかいた額に髪が張り付いて気持ちが悪い。心臓がどくどくと喧しく息が上がっている。
真っ暗な部屋、粗末なベッド、少し息苦しい暑い空気。
そう、でしたわね。今わたくしは原初の森にいるのでしたわね。夢の世界から現実へ戻るのに僅かばかり時間が掛かりました。
指を動かしてそれを実感し、ゆっくりと起き上がりました。
一緒に寝ていたはずの男の子の姿が無い。
と、思ったらどういうわけか部屋の中央にあるテーブルの下で丸まっているのが、うっすらと身体の輪郭が見えました。
一体どういう寝相をしていたらあそこまで眠りながら移動できるのかしら。
ふふ、と小さく笑みを零す。
ああよかった。わたくしは笑えるのですね。
「…………」
虫の鳴き声が耳に付きます。今外に出るなんて自殺行為ですわね。分かってはいるのだけれど、汗を大量にかいてしまいましたし、夜風に当たりたなってしまいました。
少しだけなら平気かしら。
わたくしとて野宿には慣れっこの身。多少の虫くらい……平気、かもしれません。ここにいるのは本当に大きくて、大陸のものよりさらに気持ちが悪いのですが。
男の子を起こさないように、足音を極力立てないようそろそろと歩いて外へ出ました。
やはり空気はじっとりとしているけれど、たまに風が吹いて小屋の中よりは身体が冷えます。
ジェイドの夢を見るのは嬉しいのですが、なにもあの場面でなくとも良いでしょうに。わたくしの夢のくせにわたくしの思う通りにならないだなんて腹の立つこと。
あの子がいなくなってしまう所なんて、もう二度と体験したくないというのに。忘れられるはずもありません。思い出す必要もなく、いつだってわたくしの心にある光景です。けれど、夢で追体験するなんてまっぴらです。
そっと、あの子が最後に触れようとした頬へ、手を持っていく。あの子はもしかしたらわたくしの涙を拭おうとしてくれたのかしら。
「どうした、眠れないのか?」
「先生……」
森の奥から、ふらりと先生が現れました。
あら、そう言えば小屋の中にいませんでしたわね。失念しておりました。というか先生はこんな真夜中に森へと入って行って何をしていたのかしら。わたくしには言えないあれやこれやが森の中にはあるというのでしょうか。
ぼんやりと考えていると、わたくしの目の前までやってきたシメオンが答えを待つように首を捻りました。
「眠れないわけではないのですが、眠る気が起きないといいますか、夜風に当たって物思いに耽りたい気分になったと言いますか」
「それを一般的に眠れないと言うのではないのか」
まぁまぁ、そうでしたの。
公爵家令嬢として箱入りに育てられてきたせいか、一般常識に疎い所がございまして。そんな事が関係あるのかどうか知りませんが。
「夢を、見たのです」
人に語るような内容ではありません。わたくしとジェイドの思い出を誰かと共有しようなどと今まで思った事はありませんでした。
けれど何故か。先生の隻眼のアイリスの瞳がわたくしを真っ直ぐに捕えるから。
なんとなく。本当になんとなくなのですが。
わたくしの心の中にある、これまで誰にも打ち明けた事のない思いを伝えてみたくなったのです。
他でもない、シメオンに。
やっとジェイドについて語るターンがやってきました。




