これがチャンス
わたくしを掴む彼女の手が熱い。焼け付いてしまうのではないかと思うくらい。これが彼女の怨念の度合いなのだとすれば、相当なものです。
「お前だって本当は同じだろう。生まれ持った身分とその容姿、あまつさえ精霊に選ばれた巫女として周囲にちやほやされ、それを失った時に気付いたはずだ。全部がまやかしだったと! 誰一人としてお前の事など想っていない。やっかみ、嫉妬と侮蔑。それだけだったと!」
彼女が人として生を全うしていた頃の事などわたくしは微塵も存じ上げませんし、露程も知りたいとは思いません。
女でありながら並みの男性よりも高い魔術師としての能力を持つことで同僚としてやっかまれ、その美貌は同性から嫉妬の対象とされて、さぞ舐めなくてもいい辛酸を舐めさせられたのでしょう。
けれどわたくしから言わせれば、やはり闇堕ちしてしまったのは、全ては彼女の心が弱かったせい。
わたくしとてよく覚えがあります。けれど僻まれるのも妬まれるのも仕方がありません。
だってわたくしは、皆さんが持ちえなかったもの全てを持って生まれてきてしまったのですもの。
尊き家に産まれ、誰もが羨む美貌に育ち、知識と教養と気品あふれる才女に成長してしまったのですもの。
仕方がありません。
何も持たぬ者を憐れと思い、せめてもの慰めに、相手の言い分を黙って聞き流すだけの度量があれば何ら問題などございません。
この方にはそれが出来なかった。それだけのこと。わたくしにとってすれば、自らの心を堕とすまでに至らしめる要因ではありません。気持ちはお察ししますけれど。
と、長々と語ってしまった気が致しますけれど、時間にするとほんの数秒です。未だ彼女の自爆のカウントダウンの最中で御座います。
「ルルーリア!」
オズが神槍と言われる名具を握りしめ、珍しく焦った形相でわたくしの名を呼んでいます。その隣には同じような表情のランベールが。
下手に攻撃をすればわたくしに直撃しかねませんし、上手く彼女に命中させたとして、その攻撃が起爆剤となってしまう可能性がとても高い。
やめなさい、ランベール。大丈夫よね、これがチャンスとばかりに攻撃なんてしませんわよね?
意外と真面目なランベールですから、そういう卑怯な行為はしない……というか思いつきもしないでしょうが、日ごろから彼に暴言を吐かれ、殺気を向けられている身としては気が気ではありません。
「そんな些末な事にいつまでもかかずらっているなんて、本当に魔術師という生き物は心が弱くていらっしゃる」
「なに……」
わたくしの腕を掴んでいる彼女の手を、空いた方の手で掴み返す。
「貴女が人間でいる間にお会いしたかったものだわ。そうすれば繊細でか弱い貴女の代わりに、このわたくしが下らない妬みを撒き散らすしか能のない低俗な輩を返り討ちにして差し上げたのに」
そしてわたくしは、日ごろの憂さをこれでもかと彼ら若しくは彼女らにぶつけてストレス発散をさせていただくのです。完膚なきまでに叩きのめして差し上げる自信がありましてよ。勿論口で、ですが。素晴らしい程に総て綺麗に収まると思いませんか?
「本当に、残念だ、わ」
「黙れ……」
ジリジリと身が焦がされる感覚に、思わず顔が歪む。わたくしと魔族女性を中心として、地面が円形に抉れていました。
そしてその抉れた地面の大きさに合わせて、ドームのようにドス黒い幕がわたくし達二人を覆っています。
空間圧縮術、というものかしら。円の内側の重力を操り中に入っている物に圧を掛けて潰してしまう術。
けれど圧力がかけられていると言うよりは、焼かれているような熱さと痛みを感じます。
もはや円の外側にいるオズ達の声は聞こえません。
「ふふ、まさか女性に、無理心中を、させられる日が来るだなんて」
身体から力が抜けて膝から崩れ落ちたわたくしの腕を、彼女はそれでもきつく握りしめたまま。
ゆっくりと顔を上げると、彼女は気丈にも立ってわたくしを見降ろしていました。虚ろで感情の読み取れない、魔族の特徴そのものの瞳で。
さっきまでの激情は何処へ消えてしまったのでしょう。
「人間は滅びる。自分達で作り上げた憎悪に焼かれて死ぬんだ。お前も……シメオンも、誰もあのお方には敵わない」
あのお方、と繰り返すわたくしを、彼女は空虚な目で見つめました。
続きを促そうと彼女を見つめ返したいのですが、徐々にわたくしの視界は使い物にならなくなってきて、ぼやけて影のようにしか映らなくなってしまいました。
痛い、熱い、体中が圧迫されてギシギシと悲鳴を上げているよう。彼女に掴まれたままの腕が焼けるように熱い。
「消えてしまえばいい、何もかも……私も」
わたくしが聞いたのは、そこまででした。完全に目の前が暗転し、身体を丸めるようにして横たわりました。
随分と余裕のある大きさだった円は、もはやわたくし達がギリギリ中に居られるくらいにまで狭まっています。このまま徐々に小さくなり、押しつぶされてしまうのでしょうか。
「ぐっ」
彼女の苦しげな悲鳴が聞こえたのだけれど、わたくしにはもう何も見えない。
意識を手放す瞬間、瞼の裏に強い光を感じたような気がしました。
「お前だけは――」
ゆっくりと目を開ける。真っ白だと感じるくらい強烈な光の中、ぼんやりと黒い人影が一人分。
ああ、いつぞやも見た気がします。聞いた事のあるその言葉の続きは――
***
「!?」
ビクッと身体を痙攣させて、わたくしは目を覚ましました。
そして一番に目に飛び込んで来たものに驚いて、目を見開いたまま動けなくなってしまいました。
「…………」
今、わたくしは寝かされているらしい。ベッドの上に。
一体どこのベッドの上なのでしょう。全くもって見当もつきません。
ただ、寝ころんでいる背中に当たる固さや、掛けられているシーツの肌触りからして、とても上等なものとは思えません。
ヘルツォーク家で使用していたものと比べ物にはなりません。
いえ、わたくしが問題視しているのは、ベッドの寝心地の悪さなどではございません。ここが何処か、という事も二の次です。
どちらかと言えば、やはりわたくしの視界目いっぱいに飛び込んできているもの……人。
「あの、なにか?」
「…………」
わたくしの顔を覗き込むように、ジッと見下ろしている人がいます。何も言わず、何の表情も浮かべず、お人形のような顔をして、ただただわたくしを間近から見つめてきます。
「もしもし? もしもーし? あら貴方お声が聞こえないの? それともお話が出来ませんの? あ、もしかしなくても何も考えられなくなる程わたくしのこの美貌に見惚れているのかしら」
「…………」
意志疎通! コミュニケーションという言葉の存在意義はどこへ消失してしまったのかしら!?
もうね、もう何なのかしら。わたくしの周囲には会話を成立させようって意志が希薄な男性が多すぎて困りますわ。
「あのですね、ご存じないのなら教えて差し上げますが、女性の顔をそうまじまじと不躾に見つめるものではありませんのよ」
「……見てろって、言われた」
「喋った!?」
本当にお人形のようだったものだから、喋るところを想像できなくて、無様にも素っ頓狂な声を上げてしまいました。
アイリスの隻眼をきょとんと僅かに見開いて、それでも尚わたくしを見おろし続けています。
この子は、水の神殿で出会った、あの女性魔族と有象無象の魔獣とたった一人で対峙していた、小さな魔術師の男の子です。
あの時は魔力の使い過ぎと、度重なる戦闘で疲弊したせいで朦朧としているのかと思っていましたが、この子はこのぼーっとしているのが通常運転なようですわね。
しかし、見ていろって、そう至近距離でつぶさに観察して色という意味ではないのではないかしら。
保護者め……こんな幼い(見た目ではなく中身が)子にわたくしを任せて、自身は何処へ行ってしまったというの。
わたくしが起き上がると、彼もまた身体を後ろに引いて僅かに距離を保って下さいましたが、やはりとても近い位置でわたくしを観察でもするかのように見ています。
「見ていろというのは、そういう意味ではないと思いますわ」
「いみ?」
「まぁいいですわ。そんな事よりも貴方の保護者は何処へ行ってしまいましたの?」
この子の瞳を見れば、見ていろと言った張本人が誰かくらいすぐに予想はつきます。
「というか貴方お幾つ? 十はいっているかしら。あの人いつの間に子供なんて作ったのだか。お母様は? どんな方なの、白状なさいな。わたくし自らが品定め差し上げてよ」
「何をだ」
「あら」
子供に詰め寄っていると、背後からぽかりと軽く頭を叩かれました。
振り返れば、わたくしの予想通りの人物、シメオンが呆れた表情でこちらを見ています。
音もなく急に現れたという事は、空間転移でやって来たのでしょう。
「先生ったら薄情にも程がありましてよ。一番弟子たるわたくしの許可なくどこぞの女性に子供を産ませているだなんて」
「君の許可が必要なのか」
「当然ですわ」
ここで初めて、わたくしは部屋を見渡しました。
部屋、というか小屋というか……。あばら家というのはこういう所の事をいうのかしらと思わされるような場所です。
一応生活をしている様子はうかがえますが、全てのものが古く年季が入っています。更に雑然と古文書や辞典、魔導書のような書籍が積み上げられています。
そんな所は少しシメオンが魔術師団長をやっていた頃の彼の執務室に似ていますが。
「ここは、どこですの?」
「原初の森の入口だ」
「へっ!?」
原初の森!?
それって、創世の女神がこの世で一番初めに作ったと言われる大陸にある森の事で間違いないかしら。
間違いでないのなら、そこは竜など古代から息づく知恵と長寿を持つ生物が棲まう、人間は滅多には近付けない場所であるはずなのですが……
ああいえ、シメオンなら相手が竜だろうと、それこそ女神だろうと恐れを為したりしないでしょうが。それにしたって、まさか十年前に姿を消してからここを拠点としていたというの?
それなら、わたくし達のいる大陸を幾ら探したって見つからないはずですわね。
「何か飲むか」
「ええ、いただくわ」
実はのどがカラカラでしたの。身体もとてもダルイ。
自身を改めて確認すると、服はボロボロ、手や足には包帯が丁寧に巻かれています。服で隠れているけれど、身体の至る所にも巻かれている感覚がします。
するのですが、これを一体誰がやってくれたのかと、今深くツッコミを入れて良いものかどうか悩みますわね。
僅かに考えて、わたくしは結局別の質問をする事に致しました。
「もう、魔族のふりをするのは止めましたの?」
飲み物の用意をしていたシメオンはその手を止めてわたくしを見、苦笑しました。
随分間が空いてしまってすみません…!




