一人傷つくその人を
遅くなってすみません…!
「忌々しい巫女め」
憎々しげに吐き捨てた魔族を、わたくしも負けじと嘲笑うように顔を歪める。
馬鹿にされた事を察した彼女は、僕である魔獣を呼び出し、此方へ向けて放ってきました。
「勝手に飛び出すなんて、あんた死にたいわけ?」
遅ればせながらやって来たランベールが恐ろしく大きな禍々しい異形の獣へと魔術を唱えた。心臓にまで響いてきそうな落雷の轟音と、目もくらむような光が放たれる。間髪入れず、オズが獣へと斬りかかりました。
はいはい。あの獣は二人に任せておいて問題ないですわね。わたくしは気を取り直して魔族の女性を見やる。
「何を言っているのかしら。わたくしはもう巫女ではありませんのよ。貴女達がジェイドを消してしまったせいでね」
言ってみれば魔族はジェイドの仇、という事になります。
噛みつかんばかりにわたくしを睨みつけてくる彼女にこれでもかと笑いかけました。
「そんな顔をしないで下さいな、わたくしの方が何百倍も貴女を殺したいのを我慢しているのですよ?」
まるでおもちゃでも見せるかのように、揚々と護身用に身に付けていた短剣を懐から取り出します。
今すぐにでもこの剣で刺してしまいたい衝動を抑え込のに、なんと苦労する事か。言葉は相手の神経を逆撫でさせようとわざと軽くしておりますが、わたくしの目はきっと誤魔化しなどしきれない程に殺気立っている事でしょう。
「……この方をこんな、大量の魔物を差し向けてまで彼を殺そうとした理由は何かしら?」
膝をついて俯いたままの魔術師を庇うようにして立つ。
こうして近くで見ると、思ったよりも小柄な方でした。夥しい数の魔物や魔獣、そして高位の魔族をたった一人で対峙していたのが信じられないくらい、まだ子供と称してもいいくらいです。
しかしいつまでも魔族から意識を外しているわけにはいきません。わたくしは疑問を頭の端に追いやり、魔族に向き直りました。
「この方は、魔族にとって何なのです?」
「お前には関係ない」
「正直にお答えなさいな。その、ご自慢の容姿をズタズタにされたくはないでしょう?」
今は魔族らしい、血色の悪さが目立ってしまっていて本来の美しさが損なわれてしまっているけれど、人間だった当時はさぞお綺麗だったのでしょう。そしてそれを嫌という程自覚している。余程の自信が無ければ、こんな胸や腰つきを強調した服は着ませんもの。
魔族になっても忘れられないくらい、固執していた己の美を傷つけられたくなければ質問に答えろと。
わたくしは再度彼女に向かって短剣を突き付けました。
「あのお方に殺せと、命令されたから殺す。それだけ」
別にわたくしの脅しが効いたわけではありません。彼女は、彼女の意志で答えただけ。魔族である彼女にどれ程の意志が備わっているのかは知りませんが。
まぁ、こうして会話が成立しているのですから、それなりに思考力は残っているのでしょうね。それだけ、この人の魔力が高いという事なので全く嬉しくはないのよ。
「そう。理由も知らされず命令だけされて。使いっぱしりは大変ですわね?」
小馬鹿にしてそう罵った直後、炎の弾が幾つも私に向かって飛ばされました。
至近距離だから避けるのは難しい。避ける必要もありませんが。
微動だにせずとも、火の弾丸は私から逸れて四方へと飛び散った。
同時に腕に付けていたブレスレットが砕けてカシャンと地面に落ちたのを音だけで確認する。
半分石化していても、詠唱無しで強力な魔術を放つ彼女から目を離すような危険を冒すほどお馬鹿さんではありません。
けれど、今わたくしの視界には彼女はいない。
魔術が放たれたと同時に、わたくしと魔族の女性との間に立った人物がいたのです。わたくしに背を向け、まるで盾にでもなるように。
土と血に塗れ、至る所がボロボロに擦り切れた服の、どう見たって満身創痍である男が。
その、背中を。わたくしの視界を閉ざし何もかもから遮るように立つ、その姿を。
どうしてわたくしが見間違える事ができましょう。
いつだって、わたくしに一切を見せようとせず、気づきもしないうちに守られていた。何も悟らせようとしないで、一人傷つくその人を、わたくしはもう絶対に見失ったりしない。
「シメオンッ」
小さく、けれど絞り出すように紡いだ彼の名前。私の声に、ちらりと一瞬だけこちらに視線をくれ、彼はすぐにまた魔族の女性を見据えました。
シメオンの放った魔術を真正面から受け止めた魔族でしたが、完全に防ぎきれず防御壁は粉々に砕け散り、自慢の容姿を切り裂く。
「貴様……何故。何故だ、どうして!!」
わたくしが挑発した時の比ではありませんでした。突然、狂ったかのように彼女が叫び出したのです。シメオンを見た途端に。
シメオンはこちらに背を向けているので表情は分りませんが、動じた様子もなく怒り狂う魔族と対峙しています。
「いつもいつも、どうして邪魔をする! お前だって同じだろう、何故人間などに、そんな汚らしいものにしがみ付く!? お前こそがっ、誰よりも呪われているではないか……!」
美しい容姿を歪め、叩きつけるように叫ぶ魔族に対し、シメオンは何も言わず魔術をもって返した。
何も語る事は無いと。退く気もなければ、自分の意志を変える気もないと示すように。
次から次へと、息をする間も与えない速さで攻撃を仕掛けていく。
魔族が怯んだ一瞬の隙に、シメオンはわたくしへと目配せをしました。呆然と見守っていたわたくしは我に返り、最初に魔族の標的とされていた人へと駆け寄りました。
「大丈夫ですか?」
壁に凭れかかってぐったりとしているその人の肩に手を乗せました。やはり、相手はまだ少し幼さを残した少年でした。
まだ身体がつらいのか、緩慢な動きでこちらを向く。
回復薬を渡そうとした手を止めて、目の前にいる方を食い入るように見詰めました。
汗で髪が肌に張り付いている。血の気が失せて真っ青になった顔。苦しげに歪められた、隻眼の釘付けになる。
片方は眼帯に覆われていて見る事は叶いません。けれど、顕わになっているもう一方の目は、わたくしの良く知っている、アイリスの美しい瞳でした。
「…………」
黙り込んだまま凝視してくるわたくしを訝しんだのか、身動ぎをした。
我に返って回復薬の瓶を渡します。
「これ、飲んで下さい。少しは楽になりますわ」
彼の手に乗せれば、彼は暫くじっと見つめ、ゆっくりと口をつけた。
身体の自由がきかないらしく、半分以上は零れ落ちてしまいましたが、問題はないでしょう。
その証拠に全身無数にあった切り傷や火傷が徐々に塞がっていきます。
良かったわ、ちゃんと効き目があって。
後は少し休めば動けるようになるはずです。
ホッと息を吐いて顔を上げると、オズ達と魔獣との戦闘も終局に向かっているようでした。
巨大な魔獣は、もう虫の息というところまで追い込んでいるようです。
魔獣が咆哮を上げて、オズに向かって突進しました。
ランベールがすかさず土の壁を築き上げ、そこに体当たりした魔獣の速度を遅くする。
崩れ、飛び散る土壁から、オズが魔獣の顔目掛けて槍で一突き。
ずぶりと深々槍が刺さり、今度は悲鳴のような唸り声を上げました。
勢いよく槍を引き抜いて魔獣からオズが退くと、止めとばかりにランベールが大魔術を展開しました。
術式の文字列がぐるぐると魔獣を取り囲み、一斉に異様な光を放ちます。
――ドォンッ!!
轟音と共に光が弾ける。
思わず目を瞑って顔を背け、それからゆっくりと目を開いて確認すると、魔獣の巨体が地響きのような音を立てて昏倒しました。
「貴様らぁっ!!」
シメオンとの戦闘中にもかかわらず、魔族の女性は僕を倒された事に激昂し、オズ達に向かって手を翳す。氷の弾丸が無数に現れオズ達に向かって豪速で飛んでくる。
オズが槍が弾丸を薙ぎ払ったのですが、払い損ねたものが彼の頬を掠め、血の滴が流れました。
間を与えずに彼女はまた新たな魔獣を召喚しようとする。
「きりがない!」
ランベールが杖で地面を力いっぱい叩きながら悪態を吐く。
オズは何も言わないけれど、その表情がランベールに同意している事を示していました。きっと、わたくしが見ていない間にも何体もの魔獣を倒しては、新たに出現され、を繰り返していたようです。
しかし、魔獣が現れる召喚陣が作られる直前で、彼女の背からお腹にかけて、細長い筒状の岩石が貫き、そのまま地面へとその身体を縫いとめました。
「魔王!?」
ようやっとシメオンの存在に気付いたランベールが驚愕で目を見開いている。
遅すぎますわ。国を、大陸を代表して魔王討伐に乗り出した一員ですのに、目の前に標的がいて今の今まで気づきもしないだなんて、お間抜けにも程がありますわ。
呆れを通り越して、むしろ憐れみの目を向けると、ランベールは噛みつかんばかりに睨んできました。
「あんた! 魔王がいるのに何でそんな平然としてるんだよ!」
何でと言われましても。いえわたくしだって十分驚きましたわよ。少し前に。ですがそれどころでは無い展開になって来ましたので、とりあえず自分に出来る事をしておこうと思ったまでですのに。
「それより。何故魔族同士で殺し合っている」
槍を構え臨戦態勢のまま、オズが冷静に問う。
それに答えたのは魔族の女性でした。
片腕を落とされ、お腹を串刺しにされても尚、彼女の勢いは衰えませんでした。そうでしょうとも。魔族は痛みに恐ろしく鈍いのです。わたくしもかつてはそうでした。刺されても、魔術で死にかけていても、痛くないのです。死というものが恐ろしくない。その事こそが恐怖だと人間である今なら思えますが。
「魔族、同士、だと!? はははっ!! 何も知らぬ人間共。その男が何者かも気づかないのか!? お前達が死に物狂いで殺そうとしているその男は、お前達と同じ人間だと気付きもしないで!! 何も知らなぬまま、一体誰が人間を滅ぼそうとしているかもわからぬまま消え去るがいい……!!」
絶句するランベールとオズを余所に、彼女は激しく暴れました。その度に身体を貫いている岩石が食い込み、本来ならば激しい苦痛を伴っているはずですのに。
絞り出すような声で、まさに血反吐を吐くように紡ぎだされた言葉は、人間に対する彼女の思いの丈でした。
「死ね……お前等も、みんなみんな人間なんか死んじまえ!」
「お前だって元は人間だろう」
「違う、私はあんな奴等とは違う! 蔑み弄び虐げる事しか知らない人間なんかじゃない! 人間など滅びろ、恐怖に慄きながら死ね……っ!」
言い終えるが早いか、彼女は残った片方の手で、近くにいたわたくしを掴んだ。瀕死の状態でどこにそんな力が残っているのか、腕に食い込む指の強さに思わずうめき声を上げました。
「な、に」
「ルルーリア!」
オズが叫ぶ。その声はどこか焦りを含んでいるように感じました。
そしてわたくしは、漸く悟りました。
彼女が自爆しようとしているという事に。わたくしを巻き添えにしようとしている事に。
あれ、ヴィンセントがいなくね?と思われた方、申し訳ありません。
彼はトモヨ達と戦線離脱しています。その辺の描写が綺麗に抜けているのにさっき気付き、前ページに追加しております。
そしてシメオンが喋ってくれない。オズ以上に喋ってくれない。




