絡め取られる運命ならば
自分勝手に語るから。返事や相槌は必要ない。ちゃんと聞いていなくてもいい。
そう最初に伝えてからルーク様は静かに話し始めました。
夜に溶け込むような低い声は、不思議な程耳にすんなりと入って来ます。
わたくしは彼の足に凭れ掛かったまま目を瞑り、黙って耳を傾けました。
『シメオンが世界の何を知ってしまったかは分らんが、人間が背負うべき分を越えている。小さき人の業で賄いきれるものではなかろう。だからこそあ奴は人から外れる道を選んだのか。
どれだけの意志と決意を持っていれば、あれだけの重い苦しみに耐えきれるか想像も出来ん。
本来ならば、かような想いを受けたルルーリアは幸せだったのやもしれん。だがな、あの男が強靭な精神力を持って生を廻るせいで、ルルーリアがヤツの運命に絡め取られ、身を震わせ泣いているのならば、いっそ断ち切った方がいいのではないかと思うのだ。
いっそ何もかも忘れ、オズワルドやもっと他の男と辿る道を模索した方がルルーリアは苦しまずに済むのではないか……』
「それは違いますわ、ルーク様」
黙ってお言葉を聞いていたのですが、思わず口出しをしてしまいました。
だってあまりにもルーク様が苦しそうだったから。
人の身では遠く及ばない気高く誇りある竜族の王たるルーク様が、まさかわたくしなどにこうもお心を砕いて下さっているだなんて、思ってもみませんでした。
優しき帝竜様に心安らかであれと願っていただけるなど、この身に余る栄誉な事ではございますが、わたくしにも引けぬ一線というものがあります。
わたくしの為を想って下さるルーク様だからこそ、誰にも打ち明けなかった内を、ほんの少しだけ曝してもいいと思えたのです。
「あの方に絡め取られる運命ならば甘んじて受け入れたい所ではございますが、生憎シメオンという人は一人で何でも決断して行動してしまうばかりで、わたくしを関わらせては下さらないのです」
それがわたくしに全く関係のない事ならば、どうぞご勝手にと笑顔で見過ごしますけれど。そうではないでしょう。
「だからわたくしは、自らの意志でシメオンに関わって行くと決めたのです。わたくしが彼の運命に絡め取られたのではありません。わたくしの運命に彼を無理やり引き摺りこみたいのです」
ルーク様に見える様に少し身体を反らせて上を向いて笑顔を作りました。
美しい帝竜様の瞳が、一瞬きょとんと瞬いた、ように見えました。けれどすぐに細められた。ゴロゴロと喉が鳴りそうなくらい、嬉しそうに。
「魔王を運命に引きずり込む、か……豪胆な事だな。竜騎士団に、いや竜王の嫁に欲しいくらいだ」
「あら。ルーク様にそう言っていただけるのは光栄ですが、オズが嫌がりましょう」
「あいつの意見など知った事ではないわ」
さすが帝竜様。本人の意思を捻じ曲げてでも、自分の意見を押し通すのですね。
実際にオズが嫌がれば無理強いはしないのでしょうけれど。オズの場合、心に決めた女性でもいない限り抵抗するのも面倒くさいから、なんて理由であっさり受け入れてしまう気も致します。
いえ違いますわ。いるじゃありませんの、トモヨさんが。オズは彼女のハーレム要因でしたわね。最近その設定がすぐに頭から抜けてしまって。
トモヨさんと愉快な男達の仲がにっちもさっちもいかないのが原因と思われます。
けれど、そうですわね。考えた所でどうにもならないとは分かっておりますが。もしもの場合を考えたなら。
シメオンとの記憶を取り戻したわたくしは、もう彼以外の男性を想う余地はありませんが、もしもシメオンを師と仰ぎ慕っていた記憶を失ったままだったならば。彼と過ごした歳月を無かったものとしていたならば。
わたくしは、オズやもっと他の男性を愛しいと想う可能性はあるのでしょうか。誰かと結ばれる未来という選択肢はあったのでしょうか。
あったかもしれません。シメオンを魔王として捉え、敵対するだけの未来だって、ないとは言い切れない。
今のこの、一度失った記憶を取り戻したわたくしの状況は、色んな偶然が重なった結果なのですから。一つでも何か条件が抜けていれば、未だわたくしは何も思い出せぬままでいた事でしょう。
そう考えると、奇跡のような今を簡単に手放したくは有りません。
例え火の街でのように命を奪われそうになっても。どんな謂れのない罪を着せられても。人に恨まれても。わたくしは耐えられる。
「魔王が為そうとしている事由は分らん。だがな、シメオンという男が己を投げ打ってでも為そうとする理由なら解かる。あの男は気が遠くなるような歳月を、想いを絶やす事無く挫折を許さず、唯独りで行動し続ける辛さは筆舌に尽くしがたい。吾とて為し得なかった程に」
「ええ。彼はお馬鹿さんなのですわ」
諦めたって良かったのです。見捨てたって良かったのです。
誰に彼を責められましょう。何の罪もなかったシメオンが、こうして人間の敵となってまで貫かなければならない未来なんて、捨ててしまっても、誰も文句は言いませんのに。
「わたくしはあの方と共に在りたい。けれど、それが叶わないのであれば、ルーク様にそこまで言わしめる彼の運命を、ここで終わらせます」
わたくしが記憶を取戻し、もう一度生を歩んでいるのはその為ではないかと思うのです。
「ところでルルーリア。さっき川に飛び込んだ時に落し物をしてしまったみたいでな。拾ってくれんか。そこにあるんだが」
「ルーク様。わたくし今珍しく真剣に語ったのですけれど」
別にいいのですが。ちょっぴり寂しいと言うか、話半分な相手に熱く語った自分が恥ずかしいというか。
はっはっは、とわざとらしく笑うルーク様を横目に立ち上がり、川に近づこうとしたのですが。
「いやいや、ルルーリアのすぐ足元だ」
「え?」
ルーク様の言う通り歩いて行くまでもなく、すぐ傍にキラリと光るものが落ちているのを見つけました。
この位置では、川に飛び込んだ時に落としたと言うわけではなさそうなのですけれど。
拾い上げてみると、夜闇の中でも白銀に輝く鱗でした。
「これは……」
「うむ。拾ってくれた礼に、それはルルーリアにやろう」
手の平に乗っているルーク様の竜麟に視線を落とします。
確かオズも同じものを持っていて、これがあれば低級の魔族魔物は寄って来れないくらいの力がある、とても貴重な物です。
そもそも竜騎士しか持つ事は無い代物で、売られていても、これ一枚で屋敷が一軒建ってしまうくらい値が張って、とても手が出せない高級品。
「ルーク様……」
「遠慮するでないぞ。勝手にポロポロ生え変わるものだからな。動物でいう毛だな」
「え!? これ抜け毛なのですか!?」
「そのようなものだ。そんなものでもルルーリアの手助けになるなら、持っているといい」
はっはっは。とまた笑いながらルーク様は、のしのしと巨体を動かして皆が休んでいた方へと向かいます。
ランベールとイーノックの背後を陣取って眠る事にしたようです。身体を丸めて寝る体勢になりました。
朝起きた時のランベールの反応が見ものですわね。
なんとなく残されたわたくしは、暫くその場に立ち尽くしました。
もしもの時があった場合、この鱗があれば非力なわたくしでも魔王に太刀打ち出来るかもしれない。
勿論、これがあったとしても、わたくしがシメオンに勝てる確率など限りなくゼロに近いのは分かっています。けれど、全くないとは言い切れない、くらいには可能性が上がったのは確かです。
「ありがとうございます、ルーク様」
向こうの方で眠りに就いているルーク様に向かって、深く深く頭を下げました。
***
「ルルーリアさん、ルルーリアさん!」
折角気持ちよく寝ていたというのに肩を揺さぶられて、ちょっぴりイラッとしたので反対側を向いてもう一度眠りに落ちようとしたのですが
「おっきろー!」
「ぐふっ」
脇腹に思い切りズシッと重いものが圧し掛かって来て息が詰まりました。
身体を捩って上を見ると、満面の笑みを浮かべるウィスプが乗っかっています。
「ウィスプ……朝からご機嫌ですわね」
「ごきげん、ルルは朝ー?」
毎朝起きた瞬間から全力で大はしゃぎのウィスプですが、今朝はまた一段と賑やかね。そしていまいち言っている意味が分らないわ。
「この子どうしたの……」
「起きたらルーク様がいたからテンション上がっちゃったみたいで」
「てんしょん?」
気だるい身体に鞭を打って起き上がると、たった今までわたくしの上に乗っていたはずのウィスプが、ルーク様の足に抱き着いています。
なるほど、精霊って竜の事大好きですよね。ジェイドもそうだったし。大きいくて珍しいからかしら。
それにしたって、全然寝た気がしませんわ。
「あの、ルルーリアさん、それ」
指を差されましたが、意味が分らず首を傾げました。
「服だろ、服」
「服? あ」
少し離れた所に座って、しれっとわたくし達の会話を聞いていたらしいランベールも、そう言ってわたくしを指しました。
そういえばオズに上着を借りたまま寝てしまったのでした。
あら皺だらけになってしまいましたわ、どうしましょうね。まぁそのままお返ししますけれど。
「夜中に濡らしてしまったのでオズが貸して下さったの」
「濡らし……!?」
「ええ。勢いがすごくって、あっという間にびちゃびちゃに」
「び、びちゃ……っ!?」
顔を真っ赤にしたトモヨさんが、何故か食い入るようにわたくしの服を……身体を? 見つめてきます。
一体どうしたというのかしら。
首を傾げているとランベールが冷めた目で睨んできます。だから何だというの。
「何か声聞こえてくると思った……たく、やめてほしいんだけど。旅の間くらい自重したら? ていうかよくやるよ外でとか」
「自重……? ああ、そういう事。ルーク様が川に飛び込んだ時に水を被って服がずぶ濡れになっただけです。邪推するのはやめて下さいませ」
「はぁ!?」
ランベールとトモヨさんが同時に聞き返してきました。
二人がそんなに驚いている事にわたくしが驚きなのですけれど。なんて勘違いをなさるのかしら。
「いやいや、え? 待って待って。は? 夜中にあんた何やってたの?」
「ルーク様と川のせせらぎを堪能しつつ、おしゃべりを楽しんでおりました」
「夜中に!? しかもオズワルドじゃないのかよ!」
「ええ、ルーク様と真夜中に、ですわ」
一体何を待つと言うの。
ルーク様の巧みな話術のお陰でつい時間を忘れ、夜が更けってしまったのです、などと適当な説明をしてみます。
そして話の内容を微妙に逸らす為にトモヨさんに話題を振ります。
「まったく、トモヨさんまで酷いですわ。一体どんな想像をなさったのです」
「い、言うの!? 今ここで!?」
「へぇ、言えないような想像してたんだ?」
ニヤニヤとランベールがトモヨさんをからかっています。素直で可愛らしいのだけれど、彼にまでイジられてしまうのはどうかと思いますわ。
少し可哀そうなほどあたふたしていますし、わたくしが少し助太刀いたしましょうか。
「ランベールは何を想像していたというの」
「え、勿論オズワルドと性交――」
「わーっ!! ウィスプッ!!」
カッ!! と目の前が光ったかと思うと、ランベールの座っているすぐ真横が黒焦げになっていました。
どうやらトモヨさんがウィスプの力で小さな雷を落としたようです。
とても力技でランベールを黙らせようとなさいましたわね。当たっていたら、暫く喋るどころか口を開く事も出来なくなっていたでしょうね。
「あぶなっ!」
「ご、ごめんなさい!」
はっきり言って、相手がランベールでなければごめんなさいで済む話ではないのですが。
彼に当たらなかったのはトモヨさんが狙いを外したわけではなくて、ランベールが魔術回避のアクセサリーをつけているからです。
ランベールだけでなく、わたくし達全員がつけています。魔物や低級死霊ならいざ知らず、魔族の基本攻撃は大抵魔術ですので、このアクセサリーの有無で戦闘状況が変わってくるのです。
ちなみにこれをつけていると、回復魔術もサラッと回避してしまうのですが、幸か不幸かわたくし達の中で回復魔術を使える者が一人もおりませんので問題無しです。
「女子三人はさっきから賑やかに何話してるんです、出発する準備して下さいよ」
すっかり支度が出来上がっているイーノックが、座り込んで話しているわたくし達に呆れながら急かしました。
「おい、三人って僕が何で女子枠に入れられてるんだ!?」
「同じようなもんだろ」
「同じ要素がないじゃないか!」
どこが問題なのか分らない、と本気に見える表情で訝しむイーノック。ランベールが怒り出すのも無理はないと思いますけれど。一言いいかしら。
「ランベールの容姿が可愛らしいのは認めます。認めますけれど」
「認めるなよっ」
「れっきとした女性であるわたくし達と、これを同列にしないで下さいまし!」
「これ言うなっ!」
イーノックの言葉を否定して差し上げているのに、いちいち突っかかってくるランベールは華麗に無視です。
力強く頷いて下さるトモヨさんにお力をもらって、もう少し反論してみましょうか。
「いつまでそのままでいる気だ、ルルーリア」
口を開きかけたところにオズが現れて、乾かしておいたわたくしの服を手渡されました。
あらそう言えば、話に夢中ですっかり忘れていましたわ。元々これが原因で拗れた話でしたのに。
「着替えて来い」
「はーい」
大きな岩場まで駆けていって、くるりと振り返る。
「絶対覗かないで下さいましね、ランベール」
「誰が、あんたなんか、覗くか!!」
「早くしろ」
それこそ雷が落ちそうな勢いで怒鳴られてしまいましたわ。嫌よね、短気な男なんて。それともランベールの場合はヒステリーかしら。
オズもオズだわ。真面目なのだから。もうわたくしは身分を持たない、しがない身の上。少しくらい羽目を外した会話をしてもいいじゃないの。
「お待たせしました」
野宿の後を綺麗に片付け終わっていた皆さんの所に戻ります。
ルーク様はもうとっくに発ったようね。
「そうだわランベール、朝起きてルーク様が背後にいて驚いたでしょ」
「いや、別に」
「え、でもわたしはランベールの叫び声で目が覚めたよ」
折角ランベールが虚勢を張ったと言うのに、間髪入れずにトモヨに破られてしまいました。
無意味な強がりは虚しいわね。
「さ、そろそろ出発しましょうか」
この世で一番残念な美形の事はもう放っておいて、そろそろ出発致してしまいましょう。
「次はどちらに行きましょうか」
「何処か街に立ち寄って、色々補充しないと野宿もそろそろ難しいですね」
「ここから一番近いのって何処だっけ?」
「ミザ……だな」
地形を頭の中に思い浮かべているのか、上をぼんやりと見つめながらイーノックが呟く。
「じゃあ、そのミザ? の町に向けて出発しましょう!」
元気のいいトモヨさんの掛け声に、全員が頷きました。




