人間じゃない
「火の神殿が襲撃された事と、光の巫女は無関係。我々に怒りをぶつけるのはお門違いというものです」
激昂するコリアーとは対照的に、どこまでも静かにランベールが反論する。
こういう一面を見るとなんだかランベールがちゃんとした魔術師団長のようですわね。不思議ですこと。
ヴィンセントの後ろに身を顰めながら二人の様子を窺います。
切っ先をわたくしに向けたまま、コリアーはランベールに噛みつくように睨んだ。
「何が違う、同じだ。精霊と巫女がいるから魔族が襲って来る。お前等のせいでまたこの街に魔族が押し寄せてくるかもしれないだろう!? そこにいる女だって、精霊が付いていた頃は行く先々に魔族が現れたそうじゃないか!」
兵士達もそれぞれ剣の柄に手をかけ臨戦態勢です。今はランベールが主に杖先を向けているせいで身動きが取れないだけ、という状態です。ランベールの持つ杖が今は光を帯びていて、きっと即座に術を発動させられる状態なのだと分かる。
そうでなければわたくし達に危害を加える事に何ら躊躇はないように見えます。
「貴方がそこまで恐れる魔族に立ち向かい、根源たる魔王を倒すべく尽力を注ぐ者に対して向けるのは刃だけ。これがこの街の総意と考えてよろしいか、コリアー殿」
絞り出すように紡がれたランベールの声。
国を支えるべき貴族に剣を向ける事への抵抗と、裏切られたという思いが苦渋に満ちた表情に出ています。
けれどコリアーは
「ああ。事実その通りだ」
ガキン、とランベールの杖を己の剣で跳ね除けた。
「やれ、ヘルツォークの女以外は殺せ。宿に残している奴等もな。巫女の死体は魔族どもにくれてやる」
合図と共に兵士達が一斉に襲い掛かってきました。
すかさずランベールが魔術で払い退ける。
けれど狭い室内で威力の強いものを使えば、わたくし達もただでは済みません。力を極力抑えた魔術は、鍛えられた兵士にあまり効力はなく、すぐに起き上がってきました。
「……ヴィンセント、少し時間稼ぎを」
ポーチの中からビンを取りだし、ヴィンセントに手渡す。彼は躊躇いもせずそれを飲み干しました。
短い双剣を操り小回りの利く彼は比較的この狭い室内での戦闘に向いています。だから申し訳ないけれど彼に戦闘はお任せする事にします。
ヴィンセントが飲んだアイテムは、一時的に身体能力を上げる為のもの。
「ランベールは転移魔術をお願いしますわ」
「はぁ? そんな急に」
「早く術式を展開して! 後はわたくしが何とかします!」
転移魔術は恐ろしく高度で扱える魔術師も限られています。
術式を展開させるのにも時間が掛かりますし、消費する魔術も尋常ではないので、まぁ使う魔術師は殆どおりません。
以前魔王がいとも簡単に転移をやってのけたのは、本当はすごい事なのです。あれだけで彼が桁外れた魔力の持ち主であると証明されたも同然です。
ヴィンセントを取り囲むようにしている兵士達に向かってアイテムを幾つか投げつける。
目を見えなくするもの、いつぞやランベールに掛けた身体を麻痺させるもの。可能な限り相手の戦力を落とします。
そして詠唱を始めたランベールに、わたくしも懐に持っていた何種類かのアイテムの入った小瓶を取り出して宙に浮遊させます。
魔力を注ぎ込んでそれら全てを融合させ、一つのアイテムに変化させるのですが、数が多くて時間が掛かっています。
ちらりと見ると、ほぼ無力化した兵士達を一掃したヴィンセントがコリアーと対峙していました。
数で勝っていても技量で言えばヴィンセントの方が格段に上。けれど、本気で殺しにかかってきている相手に手加減をしながら戦うというのも簡単ではないのでしょう。
「魔王を倒すなど、そんな事が本当に出来るとでも思っているのか? 敵うはずがないだろう、あんな化物に。それよりも精霊と巫女を差し出して命乞いをする方がよっぽど早く身を守れる、そうだろう?」
「頭腐ってんじゃないの」
鋭いヴィンセントの一閃がコリアーの剣を弾き飛ばしました。
ちらりと彼を見やれば、心底コリアーの事を蔑んだ声音そのままの表情で睨んでいました。
同時に、目の前がパッと一瞬明るくなって、アイテム精製が完成した事を示しました。
ゆるやかに回るアイテムの瓶を手に取り、今度は部屋の真ん中に投げつける。
すると、ぐにゃりと部屋の一部が捻じ曲がります。
空間を歪めて転移魔術の展開速度を格段に早くするためのものです。
「ランベール」
「ああ、もう出来た!」
床を杖で叩くと歪んでいた空間の周りに魔法陣が浮かび上がり、何もない筈のその場がぱっくりと割けました。
早く、と二人に入るよう促そうとした時でした。
「お荷物のヘルツォーク家の女を連れて回って。魔王を倒したあかつきには、それを免罪符にして許しでも請う気か? 無駄だと思うがな。どこへ行ったってその女は――」
「何してるのお姉さん早く!!」
コリアーの言葉に動きを止めたわたくしを、ヴィンセントが無理やり腕を引っ張って空間の裂け目へと投じた。
真っ暗で何もない、けれど無限に広がっている空間の合間を、ヴィンセントに引かれたまま潜り抜ける。この狭間に取り残されたら最後、一生出て来られず、この空虚な場所を彷徨い続けることになります。
きっとヴィンセントがいてくれなければ、きっと身体が震えてわたくしはその場から動けなくなってしまっていた事でしょう。
コリアーはさっき何て言いました?
震えを必死で堪える為に、空間が繋がった先の出口に出るまでの間、きつくヴィンセントの手を握り返した。
浮遊感に襲われて、その後すとんと落とされました。
しかし衝撃らしいものが無かったのは、ヴィンセントにしっかりと抱きとめられていたからでしょう。
「ありがとう」
心配そうに見つめてくるヴィンセントに笑顔を向けます。わたくしの反応に何か言いたげにしましたが、結局彼は何も言わずに腕を離しました。
「ああ、ランベール様もご無事で」
一足先に到着していたランベールが、ぶすりと不機嫌そうに立っていました。
「妙な事に巻き込んでしまって申し訳ありません」
「まったく、あんたに関わると何時もロクな事が無い」
「あら酷い言い草ですこと」
苦笑で返す。
そう言われてみれば、王都で魔獣に襲われた時もランベールが付き添いでしたわね。
わたくしを嫌っているランベールを何かと荒事に巻き込んでしまっています。これでは更に疎まれても仕方がありません。まぁ彼にどう思われようと気に等致しませんけれど。
「あんたが人に恨まれるのも、命を狙われるのも初めてじゃないでしょ。それだけの事をしてきた結果なんだ。今更何を傷ついた顔をしてる?」
馬鹿にしたような口調で言い放ったランベールをぼんやりと見上げる。
あらまぁ、ごもっとも過ぎて返す言葉もありませんわ。
人に恨まれるのも、面と向かってそれをぶつけられるのも、今に始まったわけではありません。
何度も何度もそれを受けて、受け止めきれずに溢れて……心が壊れた。そして向けられた以上の憎悪が身体を侵食して闇へと堕ちてゆくのです。
もう慣れたと思っていたのですが、コリアーの言葉にこうも揺さぶられてしまうなんてまだまだですわね。
「じゃああんたは、一度は命を掛けて守ろうとした人達にこんな仕打ちをされて、平然としていられるのか。死ねと面と向かって言われて、あんたは傷つかないのか。
理性が無いのが魔族だとアンタは言ったけど、おれは相手の気持ちを汲む心がない奴は人間じゃないと思う」
「ヴィンセント……」
苛立たしげに早口で言い放つと、ヴィンセントは先に歩いて行ってしまいました。
まだ少し幼さを残す後姿を黙って見つめます。
きっと同じような経験が彼にもあるのでしょう。
育ての親であり、師でもあるレニエ・ガボリオ大神官を、じいちゃんと呼び慕っていたヴィンセントです。
晩年、大神官が受けた謂れなき仕打ちにさぞ憤ったはずです。きっとヴィンセント自身も人々に悪意を持った言葉を浴びせられた事もあるのでしょう。
魔王シメオンを育てたガボリオ大神官と、弟弟子であるヴィンセント。たったそれだけの事実が、人々から悪意を向けられるのに足る理由となる。
ヴィンセント達が何をしたわけでなくとも。神官として多くの人を救った偉人だとしても、です。
ヴィンセントが殊更わたくしに同情的なのは、そう言った理由からなのだと思います。




