命を奪うもの
目深にフードを被り、まるで旅人のような風情で街へと出ました。
王都ではわたくしの名とターコイズの髪はそれなりに知れ渡っていますので、人目を避けた方が良いという判断の為です。
トモヨさん達が旅に出る準備と、ヴィンセントももうすぐ屋敷を出るという事で、一緒に必要な物を調達する事になったのです。
メンバーはわたくしとトモヨさん、ヴィンセントとランベール。
一体どういう組み合わせですの、これ。
よくもまぁ、わたくしとランベールを同じ空間に置こうなどと思いましたわね、と内心失笑してしまいましたが、本日手が空いていたのが彼だけだったのだから仕方がありません。
トモヨさんの護衛役として誰かは一緒にいてもらわないといけませんので。
頭で分かってはいても、どうしても感情面では納得出来ないと言いますか。自分でも不思議なくらいランベールをといると突いて相手を言い負かしたくなる衝動を抑えられなくなると言いますか。
どうしてかしら。彼のあからさまにわたくしを忌み嫌う態度が、余計に対抗心を煽るのかしら。
「あらランベール様、その品を買われるので? ちょっと趣味を疑ってしまいますわね」
わたくし達が今居るのは、旅や戦闘で役に立つアイテムを取り扱っているお店です。
彼が手にしていたのは、戦闘中に一度だけ持ち主の代わりに敵の攻撃を受けてくれるという、身代わりの人形なのですが、やたらと見た目がおどろおどろしくて持っているのを憚られるほどです。
「あ!? ただ何となく持っただけだろ、買わないよこんなもの!!」
ランベールの大きな声が店内に響きました。
客はわたくし達しかいなかったのだけれど、とても居心地の悪い空気が流れます。
「ランベール様……店主のいる前で店の品を、こんなもの呼ばわりするのはどうかと思いますわ」
片頬に手を添えて、残念な物を見る表情を作ると、ランベールは慌てたようにワタワタと人形を元あった場所に戻した。
「あ、あんたのせいでしょうがっ!」
「えーわたくしの責任ではありませんわ。明らかに貴方が場を弁えずに大声を出したのがいけないのですわ」
ぷいと他所を向く。
とまぁ、こんな感じでですね。わたくしとランベールは顔を突き合わせると口論になるのです。
どちらが始めるかはその時々ですが。
けれど彼は意外とチョロ……、いえ口で相手を言い負かすのは得意分野ではないらしく、大抵わたくしが勝ち逃げするか誰かに仲裁に入られるかになります。
気は強いけれど人を攻撃するはあまり得意ではないのでしょうね。良くも悪くも良家のお坊ちゃま育ちと言った感じです。
ランベールから視線を逸らした先、そこにヴィンセントがいました。
「ヴィンセント、準備は整いまして?」
「うん、まぁ大体は。……お姉さん、なんでそんな不満げ?」
「いえだって、準備が出来たのならヴィンセントはあの屋敷から出ていってしまうのでしょう? そんなの寂しいわ……」
切なげに瞳を揺らしながらそう伝えると、ヴィンセントは口をへの字に曲げました。
あらおかしいわね。何故そのようなリアクションになるのでしょう。
「本当の理由は違うんだろ?」
「トモヨさん達の旅に同行していただけないかしら。貴方にとってもそんなお話ではないと思うのだけれど」
「嫌だよ、なんか面倒くさそうだもん」
鋭いわね。口元を手で隠して笑う。
「ええ。それだけは保障するわ」
「一番保証して欲しくなかったトコなんだけど」
「一番重要なのは、確実に魔王が倒せて、己の危険が少ないという事ではなくて?」
そう考えるならば、トモヨさんに同行するのが効率が良いと思いますの。それとも何かしら。ヴィンセントは思春期特有の、「オレは群れないぜ」という意地っ張りな孤高さに憧れでも抱いているのかしら。
それはただの寂しいだけの人生だと誰か優しく諭して差し上げて。
「みなさん、買い物は終わりましたー?」
荷物を抱えたトモヨさんに問いかけられて、わたくし達は彼女の方を向く。
「ちょっとランベール様。よもや女性に荷物を持たせたままなんて事はありませんわよね?」
わたくしの言葉に、はっとしたランベールはムスッとした表情でトモヨさんに近づくと、彼女から荷物を奪うように取り上げました。
「そのくらい、言われる前にやって下さいませ」
「うるさい」
……この方、絶対女性にモテないわ。こんなに見た目は良いというのに、女性の扱いが本当に下手すぎます。
元々貴族の出なのだし、礼儀作法や女性との接し方は叩き込まれていると思うのですが。
これはもう、本人が気が利かない性格なのが一番の原因なのですね。やれやれ残念な方だこと。まず紳士的な態度が取れるようになっていただかないと、とてもトモヨさんの恋のお相手として認められません。わたくしが全力で阻止いたします。
「それでは次は何処へ――」
他に必要な物はないか確認をしようとした時でした。
遠くから獣の咆哮と人々の悲鳴が耳に届いたのです。
「なに?」
トモヨさんが不安げに辺りを見渡す。わたくし達は用心深く気配を探る。
「魔獣!」
一番初めに気付いたのはヴィンセントでした。
緊張した面持ちで一点を見つめている彼の視線に合わせて全員が同じ方向を向きました。
「来る」
直後。地響きとともに恐ろしい獣が姿を現しました。
自然に生まれる筈のない、獰猛な魔物が幾つも連なり重なった異形の獣。
悪臭を放ち、涎を垂らしながらこちらへ一直線に向かってきます。途中に出くわしてしまった人達をまるで障害物のように、薙ぎ倒し踏みつけながら。
「狙いはわたくし達、いえトモヨさんかしら」
「だろうね」
魔獣は魔族によって作り出された歪な獣。魔族が狙うのは精霊と巫女。
この大陸の何処よりも守りが堅い王都にこうも易々と侵入するだなんて。
「ランベール様、ヴィンセント、被害を最小限に止めて下さいませ」
「それは相手次第だろう」
言いながら、ランベールもヴィンセントも武器を取り出して構えました。
わたくしとトモヨさんは後ろに下がって様子を見ます。
猛進してくる魔獣に向かってランベールが魔術を発動させた。
地面の石畳を貫いて現れた無数の木の根が魔獣の身体に巻きつこうとうねる。
しかし魔獣は高く高く跳躍してそれを躱すと、真っ直ぐにわたくし達へ鋭い爪を突きたてた。
「トモヨさん!」
トモヨさんを突き飛ばし、わたくしも反対側へと避けました。
一瞬前までわたくし達が立っていた処は、大きな三本の爪痕が痛々しくつけられています。
威力の大きさに、じわりと額に汗が浮かびます。
己の振り下ろした前足を退かし、獲物を仕留め損ねた事に気付いた魔獣は、ゆっくりと視線を巡らせました。
トモヨさんを見、次いでわたくしと目を合わせた魔獣はこちらへ身体を向けた。
トモヨさんではなく、わたくしの方へと。金縛りにあったようにその視線に縫いとめられて動けなくなりました。
「お姉さん!」
ヴィンセントの声に我に返ったわたくしは、急いで立ち上がると同時に駆けだしました。
分らない。何故わたくしに的を絞ったのか分りません。が、トモヨさんではなくわたくしを狙っていると言うのなら話は早い。
魔獣がいるという事は、近くに操っている魔族もいるという事。出現した一体だけで終わるとは思えません。
少しでもトモヨさんから遠く、他に人の居ない所へと魔獣を誘導しなくてはなりません。
幸いにもこの区画は光の神殿へと続く場所。そこまで行けば何とか……
体格の大きな魔獣が入って来られないような小路を選んで走る。
縺れそうになる足を必死で動かします。いつものドレス姿ではなくて良かった。
後ろを振り返ると、この小路に入って来れなかったのか、それともランベール達に倒されたのか先程の魔獣は追っては来ていないようです。
安堵しかけた矢先、耳障りな甲高い奇声が頭上から降りてきました。
建物の上から二体の猿の魔物が飛び降りてきました。
「きゃあっ!!」
魔物を避ける為、無理に走る方向を変えたせいで体勢がぐらつき、壁に肩からぶつかりました。息が詰まる。
わたくしの数歩後ろに着地した魔物達が歯を剥きだしにして威嚇してきた。
咄嗟に取り出したアイテムを魔物に向かって投げつけました。魔物の足元に落ちて瓶が割れると、そこから勢いよく炎が巻き起こりました。
燃え上がった魔物が悲鳴を上げながら悶える。
「……っ」
それを見届ける事無く、わたくしはまた走り出しました。
肺が痛い。喉がひりひりする。足が重たい。それでも必死で走り続ける。一体何の為に逃げているのだったか分らなくなるくらい。
突然、脳裏に今とは全く違う情景が過ぎりました。
砂利道。木々の合間をぬって今と同じようにわたくしは息を切らせながら死に物狂いで走っています。いえ、走らされていると言った方が正解でしょう。
わたくしの腕を取って、引き摺るようにしている人がいるのです。わたくしは、その方の背中を涙でぼやける目で見つめながら足を動かしている。
なんだと、いうの……
片手で頭を抑えた。他の事に気を取られている場合ではないと言うのに。
振り返って魔物が来ているのかどうか確認する。
すると、またさっきの情景がフラッシュバックしました。
後ろを確認して目に移ったのは、魔族でも魔物でもなく、武装した人でした。
怒声を上げながらわたくし達を追いかけてきている。
『振り返るな!』
わたくしの手を引く男性の声が頭の中で木霊します。
貴方は誰。手を引かれているのは本当にわたくし?
それともこれも、誰か違う方の記憶が混在しているだけなのでしょうか。
だってわたくしには全く覚えのない情景なのですもの。それともまた、記憶が抜け落ちているだけ?
現実逃避するように考えていると、細い道が開けました。小路を抜け、大きな通りに出たようです。
後は橋を渡れば光の神殿に着く。いいえ、ここまで来ればもう十分でしょう。周囲を見渡してもわたくし以外は誰の姿もありません。
一度走る速度を緩めると、限界を既に超えていた足はすぐに一歩も前に進めなくなってしまいました。倒れ込みそうになるのだけは何とか耐えます。
魔物が数体、上空から巨大な魔獣が一体、此方に向かってきているのが見えます。
わたくしみたいな小物一人に、何を思ってどれだけ仕向けてくるのかしら。
けれど魔族の姿は見当たりません。どこかで高みの見物でもしているのかしら。とても腹が立つわね。その場から引きずり降ろしてやりたくなります。
魔物程度ならばわたくしでもどうにかなりそうですが、魔獣の相手はどう考えたって無理ですわね。
命が欲しいなどと思っているわけではありませんが……やはりこうして直面すると緊張してしまうものなのですね。
腰に掛けていたポーチの中から数種類のアイテムを取り出します。
最後まで何方だったのだか分らず終いでしたが、錬成術をわたくしに教えて下さった方に感謝申し上げたいですわ。
間近に迫った敵を見据えながら、錬成の陣を編み上げて行く。宙に浮いたアイテムの瓶がくるくるとわたくしの周囲を回る。
眩い光を放ち、アイテムが一つに合わさる。新たに生まれた薬液を手に取り、眼前の魔獣に向かって投げつけようと手を振り上げました。
しかし、わたくしが己で錬成したアイテムの威力を知る前に、魔獣も魔族も全てが塵と化しました。
呆気に取られたわたくしは、手を上げたその状態で立ち尽くす。
無数の氷の柱が敵に突き刺さったかと思うと、倒れた魔獣達の真上に迅雷が降り注いだのです。
「錬成術は命を奪うものではなく救う為の術、だろう」
背後からした声に視線を巡らせる。
一体いつから居たのか、わたくしのすぐ後ろに魔獣達を一瞬で倒したであろう人が立って、此方を真っ直ぐに見据えていました。
「シメオン……」




