アイリスの瞳に射抜かれて
さて、ここは何処かしら。いえ大体の場所は分かっているのよ。
父に連れられて、王子の遊び相手となる為に王城へとやってきたのです。
父はさっさと自分の仕事場へと行ってしまいましたので、わたくしはオズワルドと二人で、王子のいる宮へと向かっていました。
確かにオズと二人で歩いていたはずですのに、気が付いたらわたくし一人ぼっちになっていたのです。本当にどうしてなのかしら。
ちょーっと騎士様方が訓練している声が聞こえて来たので、気になってフラッと道を逸れてしまったりなんてしたような、してないような?
けれどまさか、完全にオズの姿を見失う事になるなんて思いませんでした。そしてオズも気が付かないだなんて。
広い広い王城ですが、わたくしが自由に行き来出来る範囲というのは限られています。ほんの一部分だけに過ぎないのです。主に王族の私有地として使われている、奥の方ですね。
騎士団や魔術師団やその他諸々、お城で働いている方々がいらっしゃる辺りはてんで知らないのです。
というわけで、現在王城内で迷子になってしまったというわけでして。どうしましょうか。
ここでボサッと立っていても仕方がありませんし、取り敢えず声がした方に向かう事にします。
誰でも良いので捕まえて、無理やりにでも道案内させるのです。
などとちょっぴり物騒な考えをしつつ、前へ前へと進んでいく。
声がしていた方へと来ていたはずだから、すぐに誰かに出会えると思っていたのだけれど、何故か進めば進むほど、どんどん辺りが静かになって行きます。
さすがに不安になって来て、キョロキョロと首を回して確認しながら歩く。
「……なにかしら?」
一瞬、視界の端にきらきらとした輝きが見えた気がして足を止めました。木々の合間から光が漏れています。
木々を掻き分けて光の見える方へと誘われるように方向を変えました。
暫くすると、すぐにその正体が判明しました。池です。とても大きな池がありました。お城の中にこんなものがあるなんて知りませんでした。
もっと近くへと思って足を踏み出そうとしたのですが、池の傍にどなたかがいらっしゃるのが見えて立ち止まりました。
いえ、人を探していたのですしちょうど良かったのですが、その方が大きな木に凭れ掛かって眠っておられるようなので。問答無用で叩き起こしてしまうのは、さすがに気が引けます。
芥子と濃い灰の二色からなるすこしゆったりとした作りの団服は魔術師団のもののはず。ならあの方は魔術師という事で、こんな日の高い時間に寝ていると言う事は、仕事をサボっているのね。
ならば容赦なく起こしてしまってもいいかしら。いいわよね。自己完結したわたくしは、木々の合間から抜け出ようとしたのだけれど、その寸前で、突然周囲の木の枝が一人でに動き出して、わたくしの顔や頭をバシバシと叩き出したのです。
「や、ちょっ、いたっ、何これ、まっ! いい加減に、いたっ!」
転がるように木の枝から逃げ出した。
大きな池の前まで行くと、大木に寄り掛かって眠っていたはずの人が、鋭い視線でこちらを見つめていました。
右目は前髪で隠れていて見えないのだけれど、左の片方だけでも十分過ぎるくらい相手に威圧を与えるアイリスの瞳に射抜かれて一瞬息を呑む。
自分でも良く分からない対抗心が湧きあがって来て、負けじと睨み返しました。
さっきの木の枝の攻撃は彼が仕掛けたに違いありません。ならばわたくしは、彼に言ってやらねばならない。
つかつかと彼の傍まで寄ると、腰に手を当てる。
「貴方、魔術師ね。この傷治せるかしら」
「ああ」と頷いた男性に、わたくしもまた頷き返す。
「お願い出来る? このまま帰ったら怒られてしまうから」
服や髪に葉っぱが突き刺さり、腕や足に小さな切り傷が作られている。頬もヒリヒリするので、きっと切れているのでしょう。
こんな姿をオズに見られたら、今夜は説教で寝かせてもらえないかもしれない。ブルリと恐怖で震えました。
男性が何気なく片手を翳すと、ふわりとわたくしの身体を風が包み、さっきまであったはずの切り傷達が跡形もなく消えてゆく。
思わず「すごい」と呟いてしまいました。
「おいで」
男性は表情を変えないままに、存外優しい口調で言い、わたくしを手招きしました。
ああそうか。きっと先ほども別に彼は睨んだつもりは無かったのでしょう。こういう人なのですね。
わたくしも警戒心を解き、笑顔で彼の前に座った。
ふ、と目を開ける。視界に入ってきた景色がいつもと違っていたので、あれ、と思ったけれどすぐに竜騎士の砦に来ていたのだと思い出しました。
ぼんやりと天井を見つめ、片手で顔を覆う。
何か夢を見た気がするけれど、上手く思い出せません。
なんだったかしら、誰か知り合いが出てきたような気もしますが、それが誰だったかもさっぱりです。
イーノック? オズワルド? いや違う。一人一人心当たりを頭に思い浮かべてみても、しっくりとくる人がいません。
いつも見る、わたくしではない誰かの記憶とも少し違ったように思います。
「すっきりしないわ……」
朝から重たい溜め息を吐く羽目になってしまいました。ベッドから抜け出たわたくしは、サイドテーブルにおかれていた衣類を手に取りました。
男所帯の竜騎士団舎ですから、自分の事は自分で、とは言っても炊事洗濯お掃除を彼等だけに任せておいては一月と立たず荒んでしまいます。
なので、女性の給仕の方々は何人かいらっしゃるのですが、当然個別に面倒を見てもらえるわけではありません。
食堂に行けばご飯が出てくる。洗濯物を頼んでおけば洗ってもらえる。そのような感じです。
巫女時代ですっかり慣れてしまった、一人で身支度を済ませます。
わたくしが昨日着ていた服はもうボロボロで使いものになりませんので、女性用の竜騎士の軍服をお借りしました。
お見かけしたことはありませんが、一応女性のドラグーンさんもいらっしゃるのね。
黒を基調とした、身体のラインにぴたりと添う動きやすさを重視した服です。こういうのは初めて着るので、なんだか変装をしている気分で照れます。
初めは、給仕の方の服を貸していただければ、とお願いしたのですが、どうしても了承をいただけなかったのです。
貴族のわたくしが着るべきではないと。
あと、色々と想像してしまうので……と、若い見習いの男の子が若干頬を赤らめていたのだけれど、全く意味が分りませんでした。
どうして軍服はいのかしら。
用意を終えて出ていくと、食堂にトモヨさんとウィスプがいました。
トモヨさんもわたくしと同じ軍服を着ています。
「おはようございます、お二人共」
若干気まずそうにしているトモヨさんに、ニコリと笑顔を向ける。昨晩のあれを見られていたのは確かに恥ずかしいけれど、別に彼女もわざと覗いていたわけではないのだし、そこまで気にしてはいません。
「お待たせいたしました巫女様方!」
わたくしが着損ねた給仕服に身を包んだ女性が、テーブルに食事を並べていく。
「ありがとうございます」
食堂はガランとしていてわたくし達以外にほとんど人はおりません。
竜騎士の方々はもうとっくに食事を終えてお仕事中なのでしょう。
「あ! お姫さんだ!」
食堂の入口に立った男性がわたくしを指してにこやかに駆け寄ってきます。
あら、この方は。
「お久しぶりです。ロジャー様」
「相変わらず美人だなぁ、お姫さんは」
「ロジャー様もお変わりないようで」
口を開けば軽口か、女性を口説くための文句しか出て来ないようなこの男性。この方が女性に対して使う言葉は八割増しの誇張が入っているので、真面目に取り合ってはいけません。
ここは恥じらうシーンではなく、スルーするところなのです。
そんな彼はロジャーといってオズの友人で、同じく竜騎士です。
友人。友人? そう紹介されたのですが、もしかしたらわたくしの知っている友人という意味とはちょっと違うのかもしれませんわ。
寡黙で無表情のオズと、口が軽く表情豊かなロジャー。本当に正反対といっていい二人です。
「変わりませんよ。変わらず貴女への愛を抱き続けております。あ、勿論有償ですが」
「必要ございません」
無駄にキラキラした目で見てくるロジャーの言葉をニッコリと笑顔で斬り捨てます。
本当に、オズと正反対だわ。
遠い目をするわたくしを、トモヨさんが気遣わしげに見つめてきます。良い方ですわね。
それでこそ、後々ハーレムを作る方と言えましょう。今回は絶対間近でその様子を観察させてもらうのです。
「ルルーリアの緊急突撃リポート」をさせてもらうのです!
「あ、そうだ忘れてた。オズがお姫さん達の事呼んでるから迎えにきたんだったわ」
「えっ」
「あらどうして?」
わたくしとトモヨさんが同時に首を捻る。
全くオズの要件に心当たりがないと言った様子のわたくし達に、ロジャーは苦笑を零した。
「書簡の返事、用意出来たってよ」
「……ああ」
「ああ!」
そういえば、そんなものを渡していましたわね。他に気を取られ過ぎてすっかりと忘れていましたわ。
トモヨさんも、ぽむと手を叩いていますし、ウィスプは……彼女を真似て遊んでいるだけですわね。
「まったく、そういう事なら早く言ってくれませんと!」
「悪ィ悪ィ。いやてか、お姫さん達が本気で忘れてたとは思わなかったんだよ」
すっかりと冷めてしまった朝食に目を向けます。
「ではロジャー様は先に戻って、オズには今からゆっくりしっかりと朝食を食べてから参りますので、暫くお待ちなさいとお伝え下さいな」
一日の始まりは朝食にあり。これらを完食するまでわたくしは梃子でも動きませんわよ。
「はっはー、オズワルドにそこまで言えるのはお姫さんくらいだよなぁ」
自分で言って頷きながらロジャーは、じっとトモヨさんを見ました。
あ、これは……そう思った時には既に遅かった。
「あんたが巫女様だな、噂通り春に咲く花々のような可憐さだ」
さっきまでバカ笑いしてたのはどこへやら。あんぐりと口を開けるトモヨさんの手を取って、真剣に見つめる。
どこでどんな噂が流れているのか、とても興味がありますわ。
ですが、ロジャーのお得意の女性口説きの口上もここまででした。
「トモヨに、触るな!」
カッとウィスプが目を見開く。と同時に光線が出ました。目から。
え? 何、今の……
ロジャーの手に一直線に光が伸びたかと思うと、じゅっと不吉な音がいたしました。
「あっつ!!」
飛び上がったロジャーの右手の甲に、小さな赤い痣が出来ているのがチラリと見えました。火傷のようです。
す、すご! ウィスプったら目から光線出しましたよ!? ジェイドだってあんな事出来なかったのに!
精霊は直接魔力を使って何かを攻撃出来ないと思っていましたが、やれば出来るのね。
こんなくだらない場面でウィスプのレベルが上がるなんて、世の中何が功を奏すか分らないものですわ。
「あああ! 大丈夫ですか!? ウィスプなんて事を……」
「いいのですよ、トモヨさん。気になさらないで」
「なんでお姫さんが答えてんの!?」
手の甲に息を吹きかけながらロジャーが拗ねる。
だって、あれはどう見たってロジャーに非があるじゃありませんか。
嫉妬深い精霊の仕返しが、あれで済んで良かったくらいです。
これ以上構っていては、いつまで経っても朝ご飯にありつけませんので、まだ騒いでいるロジャーやウィスプを無視して食べ始める事に致しました。




