プロローグ
初めまして。わたくしはルルーリア・ハン・ヘルツォーク、ヘルツォーク公爵家の長女です。
後世まで名を轟かせるであろう、最低最悪の大悪女としての生を送っておりましたが、それもついに年貢の納め時。人生の幕引きをしてまいりました。わーぱちぱち。
悪女なんて言ったって、どうせ大したことないでしょとか思った皆さん。わたくしをその辺のいけ好かない性悪なだけのお貴族息女と一緒にしないで下さいまし。
まず王都の中心で大魔術をぶっ放して爆心地に変え、王城を火の海に沈め、あまつ国王とその家臣達を魔王の元に引きずり渡して、彼らが血濡れて息絶えていくのを高笑いして見ていたような、そんな悪さ加減でした。
あらちょっと皆さんどちらへ行かれるので?
え、ドン引きしちゃった? 何を言っているの。まだまだ話はこれから、ちょ、待ってください、離れていかないで。こっち戻ってきなさいな。
あ、いやいいですいいです、そこに居て下さい。わたくしがそっちに行きますから。絶対、どこまでもついていきますからね、逃れられるなんて思わないで。
やれやれ。いえね、わたくしだって最初からそんな腐った脳みそしていたわけではないのよ。ちゃんと真っ当な人間だったの。でも、ある時を境にわたくしの価値観が一変してしまったものだから。
わたくしについて話をしつつ、ついでにこの世界についてもいろいろお話させていただこうかしら。
といってもわたくし、実は理路整然と起承転結つけてお喋りするの苦手でして、結構話があっちこっち行って分りにくい事になると思うけれど、まぁその辺は深く考えずふんわりと雰囲気を感じ取るくらいに受け取ってもらっていいかしら。
その程度で全然問題ないと思います。
だってこの世界はただの物語の中なのだそうですから。
この世界の構造について語るのに、欠かせないものが幾つかあります。
一つは魔術。これは素質のある限られた人しか扱えない大変便利であり厄介なものです。魔力の有無は生まれながらの先天的な素質によって決まります。後天的な努力では魔力は身につかずどうにもなりません。
魔術というのは例えば指の先から炎を出すとか、水を一瞬で氷に変えたり、指定した場所に雷を落とすだとか、己の意思で自然現象を操作出来る事象を現した言葉です。
魔術無くして文明の発展はなかっただろうと言われる程に、わたくし達の生活水準の向上に役立っている力でもあるのです。
そんな魔力がある者はその正しい使い方を学ぶべく魔術学校へ通うのが義務付けられています。
魔力というのは時に暴走し、自らや他者を傷つけてしまうものだからです。また、魔力に溺れた者の末路はロクなものがありません。
魔力が暴走すると理性は崩壊し、ただ目に映る物を衝動的に破壊するだけのケダモノになり果てるのが殆ど。こういった者達は死した後も死霊となって人々を襲い続けます。アンデッドなどとも呼ばれますね。
理性を残したまま、自ら望んで魔に堕ちる事も稀にあります。そういう者を闇堕ちといい、堕ちた人達はもう人間とは全く別箇の存在として見られ、魔族と呼ばれます。
低俗霊の死霊を操るネクロマンサーだとか、己の意思で魔に堕ちた者は大きな力を有している事が多い。厄介な事この上ないですね。
魔術を駆使する魔族に対し、魔力を持たない人間はあまりにも非力です。武力に長けた人達も勿論多くいますが、魔術を使われちゃ一溜りもありませんし、死霊に至っては幾ら剣で斬ったって彼等はもう死んでいるのだからダメージを与えられずお話になりません。
そこで頼りになるのが精霊の存在。精霊は五大元素、つまり火・水・風・木・土と、あと光と闇の七匹がいます。
彼等はその身に人とは比べ物にならない程の力を有し、時に人を惑わしたり逆に力を貸してくれたりするのです。
精霊に気に入られてその力を貸してもらった者は巫女と呼ばれ、世界各地に点在するそれぞれの精霊を祀る神殿に属する事になり、至る所で悪さをする魔族のところへ派遣されて退治する役目を担います。
しかし精霊というものは実に気紛れで、常に人に力を貸してくれるわけではないし、有する力が減ると自動的に永い眠りに就いてしまうものなのです。
なので七人の巫女がいつもいるとは限りません。数人同時に巫女が存在する時代もあれば、一人もいない時だってあります。
そしてちょうど間の悪い事に、たった一人しか巫女のいない時に事件が起こってしまったのです。
かれこれ十年ほど前、魔術師歴代の中でも一二を争う魔力の持ち主であるシメオンという男が闇堕ちしました。これは世界を震撼させました。
だってこの男が一度術を使えば、都市が一つ簡単にこの世から消えると言われるくらい、実力のある男だったのです。その人が魔族に転じてしまった。
それだけでも恐怖なのに、魔術師達が彼に魅入られたかのように次々と闇堕ちしていったのです。
魔力によって人は生かされ、そこから魔族が生まれて巫女に倒されて。
そうして成り立っていたこの世界の均衡が、雪崩が起こるかのようにどんどんと崩壊していきました。
ついには魔族等が、神殿を襲い破壊するという暴挙に出るようになり、魔族を倒せる存在である精霊が次々と消されてゆくという絶望的な事態に陥ったのです。
精霊の守護によって豊かだった大地は魔に染まり徐々に枯渇していく……。
世界が崩壊しかねない危機的状況に陥って、最早最後の望みはこの世にたった一人だけである巫女のみとなりました。
はい、その巫女こそが闇の精霊に愛されたこのわたくしであるわけです。ここ最重要ポイントですよー、テストに出ますのでマーカーで印いけといてくださーい。
全世界の人々の希望を一身に背負わされたわたくしは、それはもう身を粉にして働きました。
精霊はわたくしのところにしかいないわけですから、完全に魔族達の標的にされましたし。
いつ襲って来るか分らない魔族から守る為と教会に閉じ込められた時期もあったけれど、結局その教会は破壊されてしまいました。魔族はわたくしが返り討ちにしてやりましたよ、勿論。こてんぱんに叩きのめしてやりました。
それにしたって、今にして思うとあれ、完全にオーバーワークですよ。
休日なんてものは存在せず寝る間も惜しんで重労働。しかも気を抜けば殺されるという恐怖と常に隣り合わせで精神的にも追いつめられ……。
いつ過労死してもおかしくない状況でした。しかも見返りもない。ある人に言わせると、一応巫女というのは教会に属する労働者なわけですから「これ世が世ならブラック企業として教会側を相手取って訴えていいレベルの過酷さだよ!」という事でした。
ちょっとわたくしには意味が理解しかねますが、要するに人を扱き使い過ぎという事よね。
敵は無尽蔵にやってくるけれど標的はわたくし一人。
いくら精霊が強大な力を持っているからといって無限ではない。昼夜問わずの攻撃をたった一人で相手していればいずれ力が尽きる。
あの子は自分の力の一滴が枯れるまでわたくしを守る為に身を挺して戦ってくれた。
精霊は己の中の力が一定量減ると、回復するまで眠りにつく。けれどもあの子は自分の回復よりもわたくしを守る方を取って力を使い果たしてしまった。それはつまり存在の消滅を意味し、人で言うなら死だ。あの子はわたくしの為に死んでしまったのです。
その悲しみに暮れる中で現れたのがトモヨさんという異世界からやってきた女性でした。わたくしと対を成すように光の精霊の加護を受けた彼女。
どうやら光の精霊は神殿が破壊された際に傷つきながらも異世界へと飛んで九死に一生を得ていたらしく、そこで見つけたトモヨさんを巫女としてこちらに連れてきちゃったわけです。
この世界とはまったく異なる文化と文明をもつ、ニホンという国からやって来たトモヨさんの語る話はとても興味深かった。
彼女がいう事には、このわたくし達が住む世界はフィクション、作り物なのだとか。
しゅみれーしょんげーむ、というこっちには概念のない、ストーリーを進める遊びのその物語の中なのだと。
トモヨさんはしょけんぷれいの途中で連れて来られた為、物語の先がどうなって一体結末はどんな風なのかは一切知らないらしい。
聞いた時には唖然としました。わたくしも大好きでよく冒険譚やフェアリーテイルなどの物語本を読みますが、まさか自分達もそういったものの登場人物だなんて言われて、ああそうなんですかと受け入れられるものではありません。
しかしトモヨさんがわたくし達の常識の外からやってきた人物である事には違いありません。
という事はつまり、トモヨさんは物語の中に飛び込んでしまったという、子供の頃に誰しも一度は思いを馳せる夢のような体験をしているって事になりますわね。
彼女にとってはリアリティーのない作り物のストーリーを目の当りにしているのだろうけれど、わたくし達にとってはここが現実。
この世に生を受けて成長する。人の知恵によって文明は発展していくし、戦争もある。叩かれたら痛いし斬られたら死ぬ。
きっとトモヨさんの世界となんら変わりないはず。誰かの創作による世界だとかそんなのは関係がない。
というところでわたくしの考えは落ち着きました。
こう言ってしまっては身も蓋もありませんが、どうだって良かったのですそんな事は。
そんな事よりも、闇の精霊ジェイドが消えてしまった悲しみが大きすぎてそれ以外はどうでも良かった。
それにね、はっきり言いましょう。辛かった。
巫女にとって精霊は家族以上の繋がりのあるかけがえのないもの。それを失ったばかりのわたくしの目の前で、仲睦まじく寄り添い合うトモヨさんと光の精霊ウィスプを見ていられるわけがない。
暫くして、暴走している魔族を討伐すると言って、トモヨさんは国の中でも選りすぐりの精鋭を揃えて旅に出ました。
わたくしの弟や友人もその中に含まれていて、わたくしはただ無力で彼らの無事の帰還を王都で待っているしか出来ずにいました。
崩れ落ちて見る影もない神殿で只管祈りを捧げる日々。周囲の人達はそんな私を痛ましげに腫物を触るように遠巻きに見ているだけ。だから彼等は気づきませんでした。
わたくしが本当は何を思っていたのか。どんな願いを吐き続けていたのか。
だってそうでしょう。わたくしが失ったもの得たトモヨさんは、その上大切な人達を掻っ攫っていったのですよ。
国王を始め皆が、巫女であった時はやたらと絡んできて無責任に頑張れと、魔族を滅せよと。魔族とはいえ元は人間だった人達を殺せと平気で言う。
そしてわたくしが力が無くなった途端見向きもしなくなったかと思うと、トモヨさんが現れ彼等はそちらに飛びついた。当然とはいえその無神経さには言葉を失ったものです。
わたくしの周りには誰もいなくなった。誰も想像すらしなかったに違いない。
ジェイドが目の前で消えた時の身を引きちぎられるような己の半身を失った喪失感。
用済みとなったわたくしには家族でさえ寄り付かなくなり、それでもまだ気にかけてくれていた弟や友人もトモヨさんに取られ。
卑屈にもなろうというものです。
何よりも大切なあの子を自分のせいでこの世から消してしまったわたくしに、前向きに生きろと言う方が無理な話だと思いませんか。
ズタボロの精神状態の中、目の前で見せつけられるわけよ、トモヨハーレム。国でも屈指の騎士様とか魔術師とかその他諸々の男達を周りに侍らせてね。もう分かるの、男共が揃ってトモヨさんに惹かれてるっていうのがね。
てめぇら世界が滅びに向かってるっていうこの緊急事態に何色ボケてんだ、ふざけんなコノヤロウがっ!!
と、怒り心頭になってもおかしくないと思いませんか。私を咎めるような人がいたら、そいつの胸倉掴んで揺さぶりながら小一時間ほど説教してやる。
……あら、思い出したらちょっと頭に血が上ってしまったわ、ごめんあそばせ。
何だか滔々と喋ってしまいましたね。
えぇと、何だったかしら? あ、そうそう。それでね、プツっと頭の血管が切れてしまったわたくしのところに現れて手を差し伸べてきたのが、諸悪の根源である魔族の長。魔王と恐れられる男、シメオンでしたの。
甘言で悪に誘い込むとかそんな訳ではありません。表情筋死んでんじゃないの大丈夫? って言いたくなるくらい徹底的な無表情を貫く男が、無言で手を伸ばしてきました。
膝をついてただただ、世界の死を望んでいたわたくしの腕を掴んで立たせてそのまま引っ張って行く。この瞬間、わたくしは魔に堕ちたのです。
それからはもう早かった。闇の精霊が長らく憑いていたわたくしは、そもそも魔に堕ちやすかったらしいのです。
精霊の力の代わりに膨大な魔力を与えられ、惜しみなくそれを使いまくりました。精霊が使っているのも魔力みたいなものだから、耐性のある身体に魔力は馴染みました。決して副作用が無かったわけではありませんが、自暴自棄になっていたわたくしは自分の身体がどうなろうと構いやしなかったのです。
わたくしは首都のど真ん中に居たわけですから、手始めに街を火の海に変えて城に押し入ってやりたい放題。
人の死を見ても、それが例え浅からぬ仲だった人達だったとしても、あの時のわたくしは何も思いませんでした。何の思い入れも抱きすらしませんでした。恐ろしい事に。あれが堕ちるという事なのでしょう。
ここでお気づきでしょうか。魔王討伐に向かったトモヨさん達だけど、シメオンここにいるじゃないっていうね。
見事陽動に引っかかってんじゃない、馬鹿じゃないのと高笑いしたものよ。ごめんなさいね、性格悪くて。
それで魔王が首都にいる事に気付いて戻ってきたトモヨさん達と感動の再会したのだけど、もう既に魔王によって国王や重鎮達が皆殺しにされた後でした。
魔族との激戦の末にトモヨさんの精霊も消失して、皆も疲弊しきってヘロヘロの状態。
そんな彼女達が血まみれのわたくしを見た時のあの青天の霹靂とでも言いたげな愕然とした表情。笑いが止まらなかった。
実の弟でさえわたくしの気持ちを何も理解なんてしていませんでした。いつ魔に堕ちてもおかしくない精神状態だったと気付きもしない。
所詮はそんなものなのかと。人の繋がりなんて所詮こんなものよ。あの子が居たらわたくしはこんな風にならずに済んだのに。
わたくしが、この国の皆がジェイドを殺したのだ。
過ぎた時はどんなに悔いても戻らない。あの子は生き返らない。高笑いする以外どうしろというの?
戸惑うトモヨさん達とわたくしは戦いました。あの方達を傷つける事に何ら抵抗は無かった。
……はずなのに、彼女等との戦いで力尽き、息を引き取る間際に感じたのは安堵と解放感。ああやっと終われる。
苦しいのも辛いのも悔やむのも恨むのも、もう本当にしんどかった。摩耗した心が求めたのは死という究極の逃げ。
死にかけで虫の息のわたくしを、「許さない」と人々が取り囲んだ。それぞれ手に武器を持って。
まったく、死にゆく乙女にそんな恨み言を声を大にして言わなくたっていいじゃないって笑っちゃったわ。
確かにわたくしの所業がいかに非道であったか承知している。
彼等の救世主たるトモヨさんに対して、わたくしはその痛みを誰よりも理解しているにも拘わらず、彼女に宿る精霊を消滅させた。それに留まらず、直接手を下したのは魔王とはいえ国王達の死に携わっていたのだから、わたくしが殺したと言っても過言ではありません。
彼等がわたくしを許せないのは当然だし、世界を滅ぼす引き金を引いたわたくしを一度殺したくらいで気が済まないのだってちゃんと解かっているわ。
わたくしは皆を恨んだから、逆に恨まれる道を選び取った。意識していたわけではないけれど、そういう最後を選択してしまいました。
それでいいと思っていました。何が間違っているのと本気で考えていました。
けれど、もう、あんな思いはしたくない。二度とご免です。
もしやり直せるというのなら、わたくしは違う道を選びたい。
血を吐き、崩れ落ちたわたくしを取り囲んだ騎士達。
そしてその彼等を押しやり盾になろうとしてくれたのは、他でもない先ほどまでわたくしと戦っていたはずのトモヨさん達だった。
覗き込むトモヨさんの瞳に映ったわたくしの顔は血と涙でグシャグシャになっていて見れたものではなくて笑ってしまいました。
必死でわたくしに呼びかけている彼女達の声はもう聞き取れなかったけれど。こんなわたくしなんかの為に泣いてくれる彼女や弟達に、少しだけ、ほんの少しだけ救われたような気がした。
わたくしが仕出かした所業の贖罪が出来るというのならしたい。詫びて済む問題ではないのなら、皆に味わわせてしまった絶望を上回る幸福な未来へ導きたい。その為にならまたわたくしは人に恨まれて死しても構わないから。