姉弟喧嘩
荒い息遣い。段々と速度を上げる鼓動。まだ日も登り切っていない薄水色の空の下。クロードはオルタナの手を引っ張るようにして街の中を走っていた。煉瓦で舗装された道を駆け抜ける。右に左に蛇行を繰り返し裏路地を曲がりながら、二人は滅茶苦茶に走り続けた。
ほんの三十分前、宿屋にて二人は二名の騎士団員から襲撃を受けた。青の制服に身を包んだ大柄の青年と中背の中年が突然部屋のドアを蹴破って入って来たかと思うと、何の宣告もなしに魔法を放ってきたのだ。その魔法こそ対象の殺傷ではなく制圧を目的とした水流魔法だったが、騎士が名乗りを上げるでもなく最初に手を出したその事実は事態の重さを表しているようだった。
ただ幸いだったのは、この時二人が一晩中眠ることもなくベッドの上でだらだらと話し続けていたことだ。熟睡の最中か、明け方の寝ぼけた頭ではあっという間に捕まっていたに違いない。
襲撃時のクロードの判断は的確だった。まず放たれた水流魔法、蛇の形をした水の鞭を自身の帽子を楯にして受け流す。バケツで水を受け止めるイメージだ。水流魔法が失敗すれば、待機していたもう一人が立て続けに魔法を発動させるのは目に見えていた。だからとにかく枕とシーツを適当に投げつけた。当たらなくても構わない。とにかく相手の判断を一瞬遅らせられればそれでいい。狙い通り、騎士団員はほんの一瞬だけ魔法の発動を躊躇った。その隙にクロードは荷物とオルタナを抱えて迷うことなく窓から飛び出したのだ。高さは二階。クロードにとってはなんてことない高さ。宿の外で待機していた数名の騎士団員の姿も見たが、彼らが突然のことに驚いている隙に入り組んだ路地に入り込み、そして現在まで逃げ続けている。
クロードは王都での生活は長くはないが、学園生徒たちになるべく合わないように普段から誰も通らないような道ばかり通っているのが功をそうした。土地勘のある騎士団員たちでも入り組んだ裏路地は迷いやすく、慣れているクロードの方が冷静に地形や道順を把握することができていた。
それでも時々、どうしても鉢合わせをすることもある。そうした場合、彼らは何の躊躇いもなく魔法を行使してきた。それもかなり強力な奴をだ。すでに住宅にも被害は出ているはずなのに、一向に躊躇する様子もない。そんな中、クロードがこうしてまだ逃げ続けていられるのは奇跡だろう。しかしそれも時間の問題。いずれは捕まってしまう。そして何より二人が今直面している問題はとても厄介なものだった。
「また……!?」
二人は最初いた宿屋から離れる方向に逃げているはずだった。しかし気づけば宿屋に向かう方向に走っていて――――こうして、何度も宿に戻ってきてしまうのだった。
宿の前には数名の団員。彼らに見つからないよう建物の隙間のような狭い道で二人して息を潜めている。
「どうして離れることができないのよ!」
苛立ちを含めたオルタナの声。見つからないよう、また徐々に宿から離れる方向に歩いているが、その足もいずれは逆方向に向いてしまうのだろう。
「これも騎士団の魔法なのかしら?」
オルタナの疑問にクロードが答える。
「多分そうだ。この辺り一帯を空間的に切り離している」
「切り離す?」
「言葉にするのは難しいんだけど、似たような空間を作ってそこに僕たちを放り込んでいるってところかな。だから騎士団の人たちは躊躇なく街を破壊するような魔法を行使することもできるし、どんなに暴れても他の住民は出てこない。彼らはこの空間にはいないものだから」
「そういうわけね……」
全てに合点がいったという風にオルタナは頷く。現在自分達は騎士団の包囲網の中にいて、そこから出ることができないでいるのだ。いつのまにか宿に戻ってきてしまうのは、空間の端っこは空間内の別の場所に繋がっていて、まっすぐ走っているつもりでも方向が変わってしまうからだ。
「僕たちはこの擬似空間内に閉じ込められているんだ」
「でも、誰がこんな大掛かりな魔法を……」
「姉さんだと思う。。これはきっと姉さんの魔法だ」
「だけど、モネの専門は広域殲滅型の炎の魔法のはずじゃない? こんな小細工みたいな魔法、使うまでもないのが青騎士でしょう」
「だから僕たちを捕まえるために急遽作り上げたんだろう。理論は滅茶苦茶だし、術式としてはまったく洗練されていない。だけど、大量のルーンでそれを無理矢理形作っている。こんなことができるのは姉さんしかいない」
「……これを、こんな魔術をたった数日で作り上げたっていうの?」
「数日じゃなくて、一日だと思う。僕を人質に取られて躍起になったんだじゃないかな。朝になって、突然騎士団が押しかけてきたのも、もうとっくに僕たちの居場所はばれていて、術式の完成と共に乗り込んできたってところかな。そうでなければ、完全に熟睡している夜中に襲撃するはずだ」
最初から襲撃の時間が中途半端すぎるとは思っていた。そこから複数の違和感をくみ上げた推論だ。
「でもあんた、よく術式の構成がわかるわね。術式解析の魔法みたい」
「魔法的な解析をしているわけじゃないよ。ただ状況とか、色々なヒントから推測しているだけさ」
とクロードが言ったのを最後に、オルタナは突然足を止めた。
「ストップ! 止まって」
「オルタナ……?」
振り返れば、彼女が地面に膝をついていた。息は荒く、肩も上下して、手は震えている。
「ごめん。もう無理、これ以上は走れないわ――――」
限界だと、彼女は言った。確かにその通りだ。この三十分間、殆ど全力で走り続けている。クロードだって、息が苦しいくらいだ。オルタナが耐えられるわけがない。
昨日一日一緒にいて、薄々クロードは彼女の体が持つ違和感に気づいていた。それは初めて彼女の手を取った時に感じたもの。ガラス細工のように、少しでも力を入れたら割れてしまいそうな――――作り物のような体。彼女はとても脆く見えた。そして実際その通りなのだろう。
脆く、脆く、崩れやすい。
「あんた、本当。魔法以外は凄いのよね」
息も絶え絶えにオルタナが言う。
「まだまだ全然走れそうだし、路地とか道順もすぐに覚えちゃうし。空間把握能力っていうのかしら? ああいうの。襲撃にも真っ先に気づいてた」
「何言ってるんだよ。真っ先に襲撃に反応したのはオルタナじゃないか」
「え……?」
首を傾げるオルタナ。だから、と言葉を続けようとして、クロードは固まった。気づいたのだ。それこそがアルマ=カルマの防衛機能だということに。
オルタナは力なく微笑む。
「私、どうなってた?」
「…………突然、体を起こして扉を見てた」
だからクロードは襲撃と同時に対処することができたのだ。彼女が気づかなければ、彼女の防衛機能が強制しなければ、きっとあそこで捕まっていたはずだ。
「そっか」
そう言って、オルタナは笑った。その笑顔はあまりにも取ってつけたようで、今にも剥がれ落ちて割れてしまいそうで、クロードは見ていられなくなった。
「そんな話より、早く逃げないと。止まっていたらすぐに見つかる。走れないなら僕がおぶるから」
クロードは彼女に手を伸ばす。しかし、それをオルタナが掴むことはなかった。
「もういいわ」
「いいって?」
「もう、いいのよ。これで終わり。これ以上はどうしたって逃げ切れないわ」
だからもういいの、とオルタナは呟いた。
「大体、襲撃の時点でもう終わっていたようなものなのよ。それなのにどうして、あんたは私を助けようとしたの? もう一緒にいる必要もないのに」
それはその通りだった。約束は果たされた。今朝にはわかれようと言っていたのだ。理由なんてどこにもない。
それでも体は動いたのだ。
「いきなり女の子に魔法を放ったんだ。反射的に動いても仕方ないことだよ」
「かっこつけちゃって。そういうところ、やっぱ男の子よねぇ」
何故だか少し嬉しそうにしたあと、オルタナは真剣な面持ちでクロードに告げた。
「クロ。あんたの役目は終わったわ。あんたは十分に私の役に立ってくれた。だからこれでもうお終い。このまま騎士団を振り切って、あんたはモネのところへ向かいなさい。もう結構騎士団に逆らうような行動を取っちゃっているけど、あの子ならあんたの味方をしてくれるだろうから」
「オルタナは――君はどうするんだよ! 探さなきゃならない人がいるんだろう? 会わなくちゃいけないんだろう? もう諦めるっていうのかよ!」
たまらずクロードは叫ぶ。もう終わりなのかと。そしてオルタナはあの笑みを浮かべた。色んな感情の込められた、だけど優しい微笑み。
「諦めなきゃいけないのかもね。私の望みなんて、叶うわけなかったのよ」
それはクロードにはとても悲しいものに見えてしまった。
見えてしまった。見えてしまったから、放っておくことなんてできるわけなかった。
「――――僕が囮になる」
震える声で、クロードはそう言葉にした。利益なんてない、リスクしかない選択肢。臆病な心を必死で抑えつけ、見ないふりをしてクロードはそれを選んだのだ。
「どうせここで、別れるはずだったんだ。だったら最後にもう一度だけ役に立つよ。僕が騎士団を引き付けるから、その間に君は一人で逃げて」
「何言ってるのよ。そんなことしたって、あんたが傷つくだけじゃない!」
「でも、君は逃げられるじゃないか!」
怒ったように告げられたクロードの言葉にオルタナは何も言えなくなる。
「抜け道だってあるかもしれない。そうじゃなくても、姉さんの術式は脆いから、その部分を突くことができれば君一人なら逃げれるかもしれない」
「……それは可能かもしれないけど」
「だけど、時間がかかる。ならその時間は僕が稼ぐよ」
そう言った。言うことができた。震える声だが、それでもなんとか言うことができた。
オルタナは驚いたような顔したあと、ふっと微笑んだ。
「まったく……男の子っていうよりガキね。そんなに震えちゃって、情けないったらないわよ」
「ごめん。でも、僕にはこれくらしか――――」
その時だった。
「しっ、静かに!」
オルタナが笑みを消して、その顔を険しくさせた。明らかな動揺。
「来るわ。青騎士が……来る!」
夜明けが終わろうとしていた。
+
薄水色だった空は段々と青に染まり、白い太陽が半分ほど顔を見せ始めた。
太陽を背にするようにして、その騎士は現れた。ふわりとさせたスカート、所々に付けられたフリル。騎士団の制服を改造した青の衣装の上から胸当てや腰鎧などを付けた典礼衣装のような服装をした女騎士。左右の腰に二本の直剣を携えて、彼女はこちらへ向かってくる。
その立ち姿に迷いはない。
その歩みに憂いはない。
ただ誇りに満ち溢れた胸を張り、朝の王都を歩く。
王国最強の騎士。青騎士レヴァンテイン。
その名はモネ・ルルー・レヴァンテイン。
クロードの姉であり――――そして今は敵だ。
「おはようございます。クロ」
クロードから距離にして五メートルほどの位置でモネは止まり、丁寧に頭を下げて挨拶。いつも朝は寝ぼけ眼で「おはよぉ~」という挨拶しかできないモネには珍しいことだ。さすがに騎士団の仕事ともなれば、彼女も寝ぼけている訳にはいかないのだろう。眠気も疲労も感じさせないその表情はクロードの姉ではなく、青騎士のものだった。
「…………」
クロードは何も言わない。ともすれば気を抜いてしまいそうだったから、言葉を消して気を張る。
「挨拶はきちんと返しなさいな。それが、礼儀というものですわ」
「……何しに来たんだよ。姉さん」
おはようの代わりの憎まれ口。モネは呆れたようにため息を吐いた。
「団員から、弟さんに反撃されたと聞いた時に嫌な予感はしましたが。まさか本当にオルタナの味方をしているなんて」
彼女が何者なのかわかっていますの? とモネがクロードに問い詰める。
「わかってるよ。全部聞いた。彼女のこと、アルマ=カルマのこと。それに、姉さんのことも。姉さん、オルタナの前で僕の話ばっかしてたんだって?」
「んなっ! オルタナめ……余計なことをですわ」
ぐぬぬぬ、と拳を握りしめて赤面するモネ。
「べ、別に深い意味はありませんのよ? ただ姉として、弟のことを心配するのは当然ことでして――」
「僕が学園で虐められていたのも知ってたんだね」
「!? そ、それは!」
「あと、僕の絵が載った雑誌買ってくれたんだ」
「彼女そんなことまで話したんですの!? こ、この……先日に引き続きなんという辱め!」
「別にそこまで恥ずかしがらなくても……」
そ、そうですの! とモネは真っ赤になった顔を今更キリっとさせて言った。
「オルタナは! 彼女はどこにいったんですの?」
クロードは自分の周りを見渡す。周囲にいるのはモネだけ。どこにもオルタナの影はない。
「さあ、逃げたんじゃないかな」
とぼけたようなクロードの物言いに、モネは表情を険しくさせる。
「ふざけないでください。いいからわたくしに彼女がどこにいったのかを教えなさい。今ならまだ言い訳も聞きますわ。王国騎士団六番隊の隊長が便宜を図れば、悪いようにはならないはずです」
答えない。クロードはすでにモネを、騎士団を敵と見なしている。オルタナの居場所を教えるはずがない。
「どうして、何故彼女に肩入れするんですの……? はっ! まさかオルタナが可愛いからとかじゃないですわよね!? もしかして昨日宿で一緒に泊まったのはそういうことなんですの!?」
「いや、そうじゃないよ」
一人勝手に狼狽するモネに向かって、クロードははっきりと告げた。
いや、勿論可愛いからという理由が全くないわけじゃない。だけど、それが全てではない。
「僕は昨日一日、オルタナと一緒にいたよ」
最初に会った時、なんて綺麗な色をした女の子なんだろうと思った。そして彼女がアルマ=カルマだと、人の形をしたただの術式だと告げられて愕然とした。だけど、そのあと一緒にいてわかった。
「彼女はただの人間だった」
彼女はただの人間で、ただの女の子で、自分と何も変わらないということがわかった。確信できた。
「姉さんはオルタナを連れ戻して、どうするんだよ。また城の地下に繋いでおくの? 僕らと変わらない、普通の人間をまた三百年も閉じ込めておくつもりなの?」
「ですが、何も脱走なんてしなくても、彼女は自由になれたんですわよ! 現国王はそのために色々手を回して、それを彼女は裏切ったんですわ!」
「オルタナが素直に受け取らなかったってことは、それは彼女にとって意味のない自由だったんだろう。彼女の願いが叶わない自由だったんじゃないのか?」
そうじゃなかったら、こうして逃げ出したりなんかしないはずだ。
「姉さんだって、こんなのおかしいって思ってるだろう? 初めてオルタナと合った時、何度も謝っていたって。それは彼女に対して負い目を感じていたからじゃないのかよ!」
モネは何か悔しそうに唇を噛むと、また余計なことをと怖い声で呟いた。
「姉さん?」
「…………あなたは何もわかっていませんわ」
何もわかっていない。
「どうして王国が、彼女を使うでもなく殺すでもなく、ただ生かしたまま繋ぎ止めておいたのか、その理由がわかりますか?」
「どう、して」
「彼女が、一体、何を望んでいるのか、クロはわかっていない」
これでもわたくし怒っていますの。
モネは腰に携えた直剣を一本鞘ごと引きぬきながら言った。
「馬鹿な弟が、何もわかってないくせに王国を敵に回そうとしていることに、わたくし腹を立てていますのよ」
引き抜かれた剣がクロードの足元に投げつけられた。
「他の兵は既に退かせてありますわ。あなたの立場が悪くならないように、わたくしが捕まえることで口裏を合わせようかと思っていたのですけれど――――気が変わりましたわ。剣を取りなさいクロ。個人的に、お仕置きですの」
与えられた剣を取る。モネの愛刀の細身の直剣。青い鞘からそれを引き抜くと、銀色の刃が姿を現す。冷たい刃をまじまじと見つめる。手にズシリとくる重みは人を切るための力の証だった。
「クロ。あなたなら騎士が抜刀する意味がわかるはずですわ。騎士の力は国のために、力の象徴である剣を抜くということはつまり――――」
モネのお得意の騎士道説法が始まった瞬間。クロードは受け取った剣の鞘を思いっきり姉に投げつけた。
驚きながらもモネはそれを払いのける。が、その時にはすでにクロードはモネに背を向けて真っ直ぐに裏路地へと走り出していた。
「小癪な真似を!」
叫びながらモネは駆け出す。同時に彼女の周囲には薄い緑色の発光体が姿を現した。それは数を増やし、光を強め彼女を包んでいく。青騎士が臨戦態勢に入った証だ。剣も魔術も惜しむことはないという覚悟を示す光。
「青騎士レヴァンテイン。抜刀いたしますわ」
言葉と共に剣を引き抜く。その彼女の姿を確認しながら、クロードは裏路地へと足を踏み入れる。右に曲がり、左に曲がり、彼女から見えない位置に来たところで窓が開いていた住居の一つに忍び込んだ。どうせ誰もいないことはわかっていたので気後れする意味もない。住居の中で息を潜め、モネが来るのを待つ。クロードを追いかけてきた彼女が家の前を通り過ぎた瞬間、クロードは窓から飛び出し彼女に向かって剣を振り下ろした。
ギィイン、と鉄と鉄がぶつかり合う音が響く。クロードの不意打ちの一撃をモネはすんでの所で剣で防ぎ切ったのだ。
「くそっ」
声にだして叫びながら、クロードは再び彼女に背を向けて走る。
単純な戦闘では敵わないことは目に見えている。卑怯な手だが、こうした不意打ちや騙し討ちを重ねていくしかクロードには勝ち目はない。
今度もまた彼女は追ってくるものだと思っていた。しかしその気配がない。違和感を覚えたクロードはその場で立ち止まる。すると、先程までクロードが走っていた道の壁が綺麗に吹き飛んだのだ。
見えたのは青い炎。彼女が青騎士と呼ばれる所以となった青く煌めく炎が壁を、家を巻き込み包み、吹き飛ばし灰に変えていく。高熱がクロードのいる位置からでもはっきりと感じた。
そして、その炎の中でモネがこちらを見ていた。
「見つけましたわ!」
見渡しがよくなってしまった裏路地。モネがこちらを睨んでいる。そして、口を開いた。
「火、火、重ねて炎。蒼天の紅。三つの力を三つの方向に!」
唱えられた術式。彼女の周囲のルーンがわずかに反応する。そうして現れたのは三つの青の火球。一つ一つが大人の男よりも大きなそれが、クロードに向かって放たれた。
走る。あれだけ大きな炎なのだ。狭い通路には入れまいと考えて、クロードは少し先の角を曲がろうとしたが、クロードの走りよりも火球の方が圧倒的に早かった。まるで行先を封じるように目の前に火球が着弾する。それは通路を塞ぐどころか周囲の建物ごと通路をなかったことにしてしまう。崩れ落ちる瓦礫や衝撃から逃げるように別の通路に向かおうとしたが、それもまた目の前に落ちる火球で防がれた。更に立て続けに後ろにも落ちる。もう道は前しか残されていない。クロードは焦ってまとまらない思考のまま走った。
そうして道の先に出て、クロードは自分が失敗したことを悟る。
「嘘だろ……」
裏路地を出た先は開けた広場だった。家や、店に囲まれた。広いけれど、何もない空間。
誘導されたことは明白だった。真っ向からの勝負では勝てるわけがないとして行った裏路地を使った姑息な作戦はものの見事に打ち砕かれた。何の小賢しさもない、ただ圧倒的な火力を前にクロードは成す術もなく相手の土俵に叩き上げられてしまったのだ。
「わたくしにあの程度の策が通じると、本気で思ってましたの?」
クロードが着た場所からモネも姿を現した。振り返り、とにかく距離を取る。そうして剣を構える。打つ手はない。とにかく今は少しでも時間を稼ぐべきだと、クロードは考えた。少しでも、オルタナが逃げるための時間を。
「最後にもう一度だけ忠告しますわ」
モネが切っ先をクロードに向けた。
「大人しく、オルタナの居場所を教えなさい。さもないと、わたくしは本気であなたと戦いますわよ」
告げられた言葉は冷たく、しかしそれは実の弟に対する最大限の譲歩だった。それをクロードはすぐに突っぱねる。
「それは、できないよ!」
「この馬鹿! 聞き分けなさいな!」
怒声と共にモネがクロードの方へ飛び出す。わずか四歩で間合いを詰められ、地面と水平にされた剣の切っ先がクロードへと放たれる。前方へと移動する力を乗せた突きの一撃。クロードはそれを剣の腹で受け流し、剣の位置はそのままに体だけ半歩前にでる。そしてその剣を自身の後ろから前へと運ぶように横の薙ぎ払いをモネに対して放った。
大きな動作で行われた突きのあとの反撃の一撃。確実な隙に狙いを済ませたクロードの攻撃は、しかしモネの鎧の表面をなぞっただけだった。
薙ぎ払いがモネの体を両断しようとした瞬間、彼女の姿が突然消えたと思うと、次の瞬間にはモネは先程の位置から数歩下がった場所に立っていた。瞬間移動のようにも見えたそれは、しかし違う。彼女がおよそ人間にはありえない動作と速さで後ろ下がったのだけのこと。クロードの目では追うことが出来ないほどのスピードで移動して見せたのだ。その結果、胴を切るはずだったクロードの剣は虚しくも鎧を多少傷つけただけだった。
「魔法による移動法……」
モネの周りには今もなおルーンの発光体が輝いている。更にクロードは突きの瞬間に彼女の口が小さくだが動いていることを確認していた。最初からこの保険を持った上で彼女はこちらの懐に飛び込んできたのだ。
しかしクロードは別段驚きはしなかった。むしろ、あんな攻撃は姉さんに当たる訳がないと思っていた。そうでなければ、本気で剣を振るうことなんてできない。どうせ当たらない。どうせ勝てない。そんな悲観的な考えがクロードが本気になれる要因だった。なんとも滑稽なことに。
「ルーンエネルギーを運動エネルギーに変換する。魔法の基礎と言っても過言ではない術式ですの」
モネがなんでもなさそうに語る。こんなことは誰でもできると、そんな風に言っているようだった。実際その通りで、魔法による移動法は学園生徒ならば中等部の子供でも用意に使える魔法であって――――そしてクロードにはやはり、その魔法は使えないのであった。
術式が組めない。それどころか人間一人を移動させるだけのエネルギーなどクロードには収束することはできない。例え術式を組めたところで、精々動かせるのはコップ一つ。それも中身が入っていればそれだけで動かせなくなるだろう。
「くそっ!」
暗い考えが頭をよぎる。それらを振り払うようにして、クロードは剣を振るった。
間合いを詰めて、剣を振り下ろす。受け止められ、弾かれる。だがそれは想定内。すぐに体勢を立て直し、次の攻撃に備える。
切る。払う。受ける。流す。突く。
鉄と鉄のぶつかり合う音が響く。それは一定のリズムを刻み、時折変調し、まるで一つの音楽のようだ。
モネの剣先がクロードの頬をかすめた。それとほぼ同時にクロードは剣を振り下ろす。が、それはモネの鋼鉄製の籠手に阻まれる。しかしそれでも勢いの乗った一撃。両腕ではなく片腕の防御だったこともあり、衝撃は確実に彼女の腕に響いた。
一度間合いを開けるが、すぐにまた至近距離での剣劇が始まる。モネとクロードの実力はほぼ互角。要所要所で挟まれるモネの移動魔法にクロードは翻弄されるが、その上でクロードは彼女と凌ぎ合っていた。
クロードの下から振り上げる一撃と、モネの上から叩きつける一撃が激突。今までで一番大きな音をたてる。するとモネは移動魔法を使ってクロードと距離を取った。瞬間移動じみた速さで五メートルは開けると、常に切っ先を敵に向ける構えを解いた。剣が地面に向けられ、彼女の周囲に集まっていたルーンが四散しその姿を見えなくさせていく。
モネの意図はわからなかったが、クロードもまた同じように構えを解く。呼吸が激しい。汗もかいている。荒い息を整え、額の汗を拭う。すると頬にチクリとした痛みを感じた。触ってみれば赤い血が流れ出ていた。先程、頬をかすめた一撃の時にできた傷だろう。クロードは手にした血を人差し指と親指で擦ってみる。ぬるりとした感触だった。
「本当に、あなたは優秀ですわ」
クロードと違い、息が上がることもなく。凛とした姿を崩さないモネ。彼女の口から漏れた言葉にクロードは思わず苦笑した。
「優秀? 僕の一体どこが優秀だって言うんだよ」
「わたくしとこうして剣術で凌ぎ合っているところが、ですわ。こちらは移動魔法に疲労軽減の術式も組んでいる。あなたはそれに自分の体と剣一本でついてきている。これと同じようなことができるのは騎士団でも隊長クラス。副隊長クラスなら、その半分もいないはずですわ」
あなたの剣術の腕はすでに並の騎士団員よりも高いんですのよ。
クロードは何も言わず、ただ姉から目を逸らした。そんな弟の姿を見ながら、モネは続けた。
「剣術だけではありません。わたくしの部下の襲撃をかわして見せた機転。この限られた空間の中で捕まらずに逃げ続けたこと。……座学の成績一つとっても、あなたは非常に優秀な学生ですのよ? ――――それが、ただ自分よりも魔法が使えるだけの他の学生に馬鹿にされている」
悔しくないんですの。
モネが叫ぶ。奥歯を噛みしめるような叫びだ。
「魔法学園の高等部は、言いかえれば騎士の養成学校でもありますのよ。魔法だけではなく、剣術体術、魔物のことを学ぶ授業だってありますわ。その広い視野の中でただ一つできないことがあるというだけであなたは馬鹿にされ虐げられているんですのよ? 総合的に見ればあなたほど優秀な学生はいないのに! ただ魔法が使えるだけで偉そうにしている彼らに見下されて、あなたは悔しくはないのですの?」
「だけど、魔法が使えないっていうのは騎士にとっては致命傷だよ。それくらい、姉さんならわかるだろう?」
いくら剣術に優れていようと、意味はないのだ。移動魔法や疲労軽減の魔法を駆使すれば実力で劣った相手にも並ぶことは簡単だし、それを超えることだってできる。強化魔法で剣を強化すれば、同じ剣だろうとなんの魔法もかけられていないクロードの剣はあっさりと叩き折られてしまうはずだ。
クロードはモネと凌ぎ合ってなどいない。モネは明らかに手加減している。できるはずのことをわざとやっていないだけだ。さっきのような炎の魔法で攻められれば、剣など振るう間もなくクロードは灰へと変わるだろう。
「それが本当の実力なんだよ、姉さん」
騎士としての本当の力。
剣術で劣った点は魔法を使えば補える。しかし剣術で魔術を補うことはできない。剣が得意なだけならば兵士にでもなればいい。騎士とは魔法と剣を携えた者のことだ。
「わたくしはそんなことを言っているわけではありません! 悔しくはないのですか、と。クロ、わたくしはあなたにそう聞いたのですよ!?」
「…………悔しかったら、なんだっていうのさ」
「言い返して、見返してやればいいんです。騎士になって、自分を馬鹿にしたことを後悔させてやるんですわ!」
「そんなこと、できるわけない」
自分は騎士になんてなれない。魔法師にだって、なれやしない。自分は失敗したのだ。失敗して、挫折した。
できない。無理だと弱音を吐くクロードにモネはできると声を大きく叫んだ。
「ほんの少しづつでも前に進めているんでしょう? だったら必ず。いつかあなたは騎士になることができるはずです。努力は決して人を裏切りませんわ! ですが、あなたが今やっていることは自分から努力を裏切る行為ですのよ。今回のことを理由に退学を迫られたらどうするんですの!? それだけじゃない。国に目を付けられたら、あなたは二度騎士になることはできませんわ!」
うるさい。
胸の奥のどす黒い感情が呟いた。
「それがわからないほどにあなたは馬鹿なんかではないのでしょう? だったら聞き分けてください! クロは今、自らの努力を踏みにじろうとしているんですのよ!」
「うるっさいなぁ!」
叫んだ。モネの言葉をかき消すように。胸の内に生まれた感情を吐露するように、クロードは喉が痛くなるような声を出した。
「悔しかったら、見返せって。そんな簡単にできるわけないじゃないか! 僕なんかが騎士になれるわけない。姉さんみたいになれるわけない。無理なんだよ!」
震え、しかし怒りを伴ったその声はまるで子供が泣き喚くようだった。嫌だ嫌だとだたをこねるような、そんな叫び。
クロードの叫びを受け止め、モネもまた徐々に熱がこもり喚くような声で叫んだ。
「クロはいつもいつもそうやって、駄目だとか無理だとか、言い訳ばかり並べて! そんなことを言う暇があるのなら、なんでもっと努力をしてこなかったんですか!? どうしてもっと頑張らなかったんですか!? わたくしのようにはなれなくても、せめて普通の魔法師と呼べるくらいの実力を身に着けてくれれば、お互いに負い目なんて感じずに普通の姉弟でいられたのに!」
そんなことだから、とそこまで言ってモネは躊躇うように言葉を切り――――しかし一層声の調子を強くして言い放った。
「そんなことだから、あなたはいつまでたっても落ちこぼれなんじゃありませんの!」
告げられた姉の言葉にクロードは胸を穿たれたような衝撃を受ける。
わかっている。逃げていることも、自分が落ちこぼれだということも。
だけど、努力をしてこなかったわけではない。
「ふざけるなよ!」
否定された痛みは、そのまま怒りとなってモネにぶつけられた。
「姉さんは僕の気持ちがわかってない! 努力は人を裏切らないとか、頑張ればいつか必ず、とか! そんなのは全部できる奴の言葉だ。姉さんは駄目な奴の気持ちがわかってない!」
努力はいつだって、クロードを裏切ってきた。
「頑張っても頑張っても、駄目な奴はいるんだよ! 努力したって、もうどうしようもない奴はいるんだよ!」
「だったら、」
クロードの気迫に押されながら、モネは恐る恐る口にした。
「だったら、もっと頑張るしかないじゃありませんの……」
「もっと? もっとってどれくらいだよ! 僕はいつまで馬鹿にされて笑われて虐げられながら頑張ればいいんだよ!」
先の見えない暗闇を延々と歩き続けられるほど、クロードの心は強くない。もうとっくに限界はきていたのだ。圧迫されて、抑圧された精神は傷だらけのボロボロで悲鳴ばかり上げている。誰もそれに気づかなかっただけだ。
「僕の努力はいつだって踏みにじられるためにあったよ。姉さんみたいな奴が、知らず知らずの内に踏みつけるんだ。もっと頑張れって、やればできるって。僕がどれだけ頑張って来たかもしらないのに」
駄目な奴は頑張っていない奴だと、勝手に決めつける。自分はできたから、誰にだってできると平気な顔で『頑張れ』なんて言うのだ。
勿論、クロードは自分が一番頑張った奴だとは思っていない。そこまで驕っている訳ではない。
モネも頑張ったのだろう。努力をしたのだろう。二人の違いはただ、それが報われたか、報われなかったか。ただそれだけだ。ただそれだけの違いでモネの努力は祝福され、自分の努力は見向きもされず埋もれていく。それは当然のことだとは思う。当たり前だと、わかっている。
だけど、わかってはいても、辛いものは辛いのだ。苦しいものは嫌なのだ。
クロードは自分の頬に何か温かいものが触れていることに気づいた。泣いているのだ。自分は涙を流している。切れた頬に涙が滑ってしみた。
誰にも認められないのは辛い。努力がなかったことにされるのは苦しい。そして何より、悔しい。涙を流して叫ぶことでしか、自分の頑張りを証明できない無力がクロードは死ぬほど悔しかった。
正しいのはモネの方だ。駄目だったなら、もっと頑張ればいい。できないのなら、できるようになればいい。結局、そんな単純な答えこそが最も正しい正解なのだろう。だけど、そんな正しい選択肢を迷いなく選べる強さはクロードにはない。
「けど……けど、わたくしは悔しいんですのよ。魔法が使えないだけで、クロの全てが否定されてしまう。わたくしはそれが悔しくてたまりませんの!」
気づけば、モネも泣きそうな顔をしていた。うるんだ瞳はクロードだけを見つめている。そんな姉から目を逸らして、言い訳のような台詞を吐いた。
「頑張っても、頑張っても駄目だった。努力しても報われなかった。だったら、別にいいじゃないか。全部捨てて、投げ捨てて、たった一人女の子がやりたいことをやらせてあげたって! それはそれで、素晴らしいことなんじゃないのかよ!」
「だったら! だったらなんで魔法師になんてなろうとしたんですか!」
ついにモネの頬にも涙がつたった。それを目にしてしまい、クロードは激しい後悔に襲われた。後悔の原因は罪悪感。身勝手な自分の弱い心が彼女を泣かしてしまったことによる罪の意識。
「泣くほど辛いなら、途中で諦めればよかったじゃありませんの。なんでわざわざ高等部に入学してまで、それもこんな形で終わらせなくてもよかったじゃないですか! 魔法師になんてならなくたって、わたくしはクロのことが好きなのに! クロの書く絵が大好きだったのに!!」
どうして魔法師になろうとしたのか。
どうして途中で諦めなかったのか。
いや、実際は何度も諦めた。希望を捨てて、望みを捨てて、だけどいつのまにかまた捨てたはずの憧れを手にしていた。諦めきれなかったのだ。
その理由をクロードは知らない。ただ頭に浮かぶのあの光景。幼い頃、モネが見せくれたルーンの輝き。ただ、それだけだ。
「そんなの――そんなの僕は知らない!」
わからないから、その不安や苛立ちをぶつけるようにクロードは怒鳴った。まるで子供の癇癪だと、どこか冷静なもう一人の自分が自嘲する。
「この分からず屋!」
モネが叫ぶ。同時に彼女は持っていた剣を握り直し、こちらに向けた。
「そんなに苦しいのなら、わたくしが終わらせて差し上げますわ!」
言葉とほぼ同時、彼女の周囲にルーンの輝きが現れる。向けられた剣がその光を反射させ薄い緑色に染まった。
「火、火、重ねて炎。蒼天の紅。繰り返す動きによって束ねられ、力は正しき方向へ放たれる!」
剣先に青の炎が灯った。それはしだいに膨張し、渦を巻くことによって細く小さく束ねられる。収束され凝縮された青の炎はまるで雷鳴の如くバチバチとはじけるような音を立てた。モネの意思一つであれはクロードの体を穿たんと飛んでくるだろう。剣を構えてみるが、すぐに諦めて構えを止めた。止められるわけがない。あんなもの、どうしろというのだ。クロードにはあれを止める力はない。
全てを諦めて、体は脱力する。殺されるということはないだろうが、ある程度怪我は負うだろう。だがそんなことすら今のクロードにはどうでもいいことだった。どうでもいい、なんだっていい。このまま死ぬのも構わない。諦めることができるのならそれでいいと、クロードはこの時本気で命を投げ出した。
しかしクロードは結局諦めることなんてできなかった。どうでもいいと投げ出した命は、予想もしなかった人物の手で拾われたのだ。
「そこまでよ」
声がした。クロードの背の方から、誰かの声。透き通るような可愛らしい、それでいてとても冷たい響きを持った声。発動しかけていたモネの魔法が中断され、剣先の炎は消えていく。
「これ以上、こいつに手を出すことは私が許さないわ」
まず目に入ったのは風にたなびく金色のおさげ。赤のポンチョをゆったりと来たその姿。
まるでクロードの楯になるように、オルタナが後ろから姿を現したのだ。