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後悔は夜明けまで

 オルタナから大体の事情の説明を受けた。アルマ=カルマという人型術式。そして自身の姉のこと。聞きたかったことは確かに彼女の口から聞けた。結果、なんというか拍子抜けするような真相がそこにはあったわけだが――――しかしこの時のクロードは姉のことやアルマ=カルマという術式のことにばかり目を向けていて、オルタナという少女個人のことを考えられていなかった。例え彼女に何を言われることになろうとも、クロードはそこで問いただすべきだったのだ。何故、賢者の器を探すのか。その者に一体、何をしてもらおうというのかを。


 説明を終え、食事を終え、もう聞きたいことはないかと問うオルタナ。特にない、と答えると彼女はクロードに言った。

「なら、これでお終いね」

「お終いって、何がお終いなの?」

「この関係よ。クロはもう私はから聞きたいことを全て聞いた。ならもう無理して人質を続ける必要はないでしょ」

「そ、そうだね……」

 この関係が、終わる。

「いくら私が刃物を所持していたからって、基本的にアルマ=カルマは契約した人間の権限がなければ何もできないのよ。今の私は契約をしていないから、能力的には刃物を持ったただの女の子でしかないの。いくら落ちこぼれだろうと仮にも魔術学園に通う男子生徒が、そんな長い間拘束されていると怪しまれるわ。早いとこ私から離れて保護された方が身のためよ。……今ならまだ、巻き込まれずに済むわ」

「…………」

 オルタナの言葉は正しい。確かにこれ以上クロードが人質でいれば、何かしら不都合がでてくるはずだ。それでなくてもクロードは知ってはいけないことまで知ってしまったのだ。これ以上自身に不利な条件は抱え込むべきではない。

 彼女との約束は果たされた。クロードは聞きたいことが聞けたし、彼女は一日逃げ延びることができた。服も買ってやったし、ご飯も、宿だってクロードのお金で出したのだ。もうすでに十分お互いは利益を得た。損害は背負うべきではない。

 わかっていた。わかっていた。そもそも自分は昼間、この関係が約束が果たされるまでのものだと自分で自分に言い聞かせた。だから理解はしている。わかっている。

 だけど、彼女と離れたくはなかった。

 このままじゃあねと手を振って、お互い幸せになろうなんて嘯いて、そのまま自分とオルタナを探しているであろう騎士団のもとへと向かう。オルタナの居場所を聞かれるだろうが、それはまあ嘘を吐いてしまえばいい。彼女への最後の協力だ。全て簡単なこと。

 その簡単なことがクロードには酷く難しい。今日一日一緒にいて、クロードの心はもう殆どオルタナに奪われてしまっていた。彼女の輝く金の髪や、ふりふりと揺れるおさげからただよう少女の匂い。彼女の脆い手の感触、その表情の一つ一つがクロードの心をがっちり掴み取って離してくれないのだ。こんなにも強く誰かに惹かれるなんてことは、今まで一度だってなかった。

 手伝うと言えばいいのだろう。一緒に賢者を探すと、この街にいても自分はどうせ魔術師にはなれないし、同じ学園の生徒たちの影に怯えて暮らすのも馬鹿らしい。君と一緒に行かせてくれと、そう言えばいいのかもしれない。でもそれすらクロードには難しい。臆病な自分は何より自身の保身を考える。彼女と共に行くことのリスクをまるで買い物の金額を数えるように冷静に計算するのだ。危険は沢山ある。国家を敵に回すようなことだ。しかし人間ならば抗えるはずの防衛本能に、クロードの弱い意思はどうしても勝てなかった。

 彼女と共にいたいという欲求と、それに伴う危険と恐怖。二つの間で板挟みになったクロードはどうしていいかわからなくなってしまう。

「あ、あの……」

「どうしたのよ、クロ」

「いや、で、でも。今日一晩くらいはまだ一緒にいてもいいかな? その、せっかく宿も取ったんだし」

 どうしていいかわからなくなったクロードの口から出たのは問題を先送りにする提案。もう少し待ってくれ、とそんな風に告げる情けない言葉。その真意にオルタナは気づいていたのか、いないのか、少し驚いたような顔を見せた後、

「なぁに~? もしかして本当に私を押し倒す気なのかしら」

「ち、違うよ!」

 にやにやとクロードに詰め寄るオルタナ。そんな彼女を直視することが恥ずかしくなって、クロードは目を逸らす。

「……」

 離れたくない。そばにいたい。君と一緒に行きたい。

 それは言葉にならず、ただ言い訳のように「もったいないから……」とクロードは呟いた。

「もったいない、ねぇ?」

 含みを持たさせたオルタナの言い方にクロードは少しむっとする。その反応がますます面白いのか、彼女はより愉快そうに笑った。

「ま、いいわよ。夜寒い中歩かせるのも酷だものね」

 だけど、と彼女はおもむろに着ていたポンチョを脱ぎながら言う。

「この部屋にはベッドが一つしかないのだけれど、私たちはどこで寝ればいいのかしら」

 結局、二人ともベッドで寝ることになった。クロードは自分は床でいいからと何度も言ったが、オルタナは風邪を引くだとか寝不足になられても面白くないだとか何やらそれらしいが一貫しない主張を並べる。最終的には上目使いで「寂しいの……」なんて言いだすから本音はなんだと問いただすと満面の笑みで「クロからかうの超楽しい」と言いのけた。あっさりとんでもない本音をぶつけられて呆れると同時にムカついたクロードは思わず勢いで一緒に寝てやると宣言。

「僕が女の子と一晩ベッドを共にしたくらいでは動じない男だということを見せてやる!」

 そして現在。クロードは眠れない夜を過ごしていた。

 いや、眠れるわけがない。このベッドで一緒に寝るという行為はその言葉以上に強力なものがある。まず一人用のベッドに体だけは殆ど成熟した人間が二人で寝るのだ。当然隙間なんてものはない。肩なんかずっと触れっぱなしだし、寝返りをうとうと足を曲げればすぐに彼女の脚に触れてしまう。だからクロードは仰向けで手足をピンと伸ばし、布団の中で気を付けをするようにしてピクリとも動かないでいた。しかし自分が動かなくても彼女の方は違う。一つのベッド、当然掛布団も共有しているので彼女が動く度に自分にかかる掛布団がわずかに動き、触れ合った肩が擦れ、時々脚がぶつかる。否が応でも彼女の存在を感じずにはいられなかった。

 彼女のいる右側からこちらに流れる人の熱。ふわりと漂うのは黄金色の匂い。また、また忘れられないものが増えていく。クロードの記憶に刻まれていく。深く、深く、決して取り除けないほどに。

 布団が動く。彼女が寝返りをうち、こちらに顔を向けたのがわかった。

「ねぇ……」

 耳元で彼女が囁いた。くすぐるような声はクロードの中の枷をゆっくりと外していくようで。

「もう、寝ちゃった?」

「あ、あ…………」

 振り向いてはいけないと思った。今彼女の顔を見ればきっと全ての枷が外れてしまう。しかし耳元で囁かれる彼女の甘い声の誘惑にクロードは簡単に耐え切れなくなる。

「オルタナ……!」

 そうして振り向くと、にやにやと意地の悪い笑みを浮かべたオルタナがそこにいた。心底愉快そうににんまりとしたその顔を見ると、クロードの中で湧き上がっていた様々なものが一気に冷めて消滅していった。

「床で寝る」

「もう、そんな怒らないでってば」

「床で寝る」

「はいはい。どーどーどーどー」

 体を起こしてベッドから降りようとするがオルタナに胸の辺りの服をぎゅっと掴まれて、そのまま、またベットに寝かされた。なんだかもう抵抗する気もなくしたクロードは彼女のされるがままになっていた。せめてもの意思表示として彼女に背を向けるように寝返りをうつ。背の方ではオルタナがくすくすと笑っている。

「からかわないでよ」

「それは無理な相談ねぇ」

「……じゃあ、もうさっさと寝てよ」

「それも無理な相談ねぇ」

「どうして」

「眠れないのよ」

 笑みを消した声。予想以上に真剣なその言葉にクロードは驚いてしまう。

「どうしてかしら。なんだかとても、落ち着かないの」

 彼女の落ち着かないは、クロードの落ち着かないとは別の理由だろう。悔しいけれど、オルタナは自分と一緒に寝たくらいでは動揺一つ見せないはずだ。だからきっと、別の理由。彼女自身にすらわからない何かが、彼女の心をざわつかせているのだ。

「ねぇ、今度はクロの話をしてよ」

「僕の話……?」

 唐突な提案。オルタナは少しだけその声に笑みを取り戻しながら続ける。

「いいじゃない。私の話はしてあげたでしょ? だから今度はクロの話。私が眠くなるまで、何か話してよ」

「……僕の話なんかしたって、面白くもなんともないよ」

 騎士になりたかった。

 それに失敗した。

 クロード・ルルーの話なんてその程度。その程度のことしかない。それしかない。なりたかったものになれなくて、結局何者にもなれなかった男の話。

 そんなものの何が面白いというのだろう。

 クロードは何も言わずに言葉を閉ざす。しばらくして、背中でオルタナが口を開いた。

「モネはさ、私のところに来る度にあんたの話をしてたわ」

「僕の話?」

 姉さんが?

「ええ。本当に弟のことばかり話していたわ。あんたのことが気になって、仕方なかったみたい。最近だと、そうね。弟が学校で虐められているんだけど、どうしたらいいかーなんて相談しに来てたわ」

 やっぱり気づいていたか、とクロードは一人納得していた。気が付かないわけがないだろう。学園中がクロードを虐げていたのだ。騎士団の仕事で忙しいとはいえ、未だ学生の身のモネの耳に入らない訳がない。一度もそのことが話題に上がらなかったのは、モネが意図的に避けていたのだろう。言い出しにくかったという理由も察しが付く。

「私は虐めている奴ら全員呪術かなんかで懲らしめてやればいいって言ったんだけど、モネの奴しばらく悩んでから絶対駄目だって言って怒り出したのよ」

「そりゃ駄目に決まってるよ……」

 でも、しばらくは悩んだらしい。

「それにさ、虐めている奴ら全員なんて言ったら、学園の生徒殆どが対象になるよ」

 そんな規模での集団呪術など、さすがのモネでも簡単にはいくまい。簡単にはいかないが、しかし最終的には成功させてしまいそうなのがあの姉の恐ろしいところだが、しかしそうだとしてもやるはずがない。モネは騎士なのだ。その誇りはクロードもよく知っている。

「姉さんは正義に反することはしない」

「そうでしょうね。あの堅物騎士様はね。それにあいつはこうも言ってたわよ。『そんなことしてもクロは喜びませんわ』ってね」

「僕が喜ばない、か」

「そうなの? あんたを虐めてた奴よ。あんなに怖がって、避けていたじゃない。全員は無理でも何人か一番酷い奴らだけでも懲らしめてやったら、それであんたの気持ちは晴れないの?」

「どうかな……」

 自分を笑った彼らが、そのせいで不幸な目にあって、その時自分が何を思うのか、正直わからない。自分が決して善良な人間でないことは自身が一番よく知っている。だから喜ぶのかもしれない。スカッとして、ざまあみろと笑ってやるかもしれない。

 だが、どんなにその時のクロードの気分が晴れても、

「僕が弱いことには変わりない」

 そう。根本的な問題は何一つ解決しない。最もクロードの心を虐げるのは、クロード自身の劣等感に他ならない。学園の、彼らの言葉はそれを写す鏡だ。彼らが酷い目に合ったところで、クロード・ルルーの劣等感が払拭されることはない。

 だからモネはそれをやらないし、何も言えない。クロードが一人で勝手に傷ついて、傷つけているだけなのだから。

「僕が勝手に落ちぶれて行っただけの話だよ」

「…………でも、よくある話だとは思うわよ。どういう内容かはともかく、問題の原因と結果が全部本人の中にあるってことは、何も珍しいことじゃないわ。自分の中だからこそ、どうしようもないっていうのもね」

 だけど、と彼女は続ける。

「だからこそ、それを見ているしかない立ち位置の人間は辛かったりするのよ。モネもそうだった。あの子はいつもあんたを気にしていて、あんたに気後れしているようだった。いつだったか、あの子は言ったわよ。自分のせいで、クロの居場所を奪ってしまったって。わたくしが強すぎたせいだって」

 居場所を奪った。強すぎたせいで。

「居場所っていうのは、学園の居場所のこと? それとも他に何かあったの?」

 告げられる問いにクロードは少し迷ったあと、答えた。

「学園の居場所もそうだし、それ以外にも。むしろ姉さんが言っているのはそっちの方かもしれない」

「そっちって?」

「……僕の実家、ルルー家は貴族の家系だって言ったよね」

 ルルー家は貴族の家。大戦の時代、魔法師として大成し、貴族の特権が失われた今もその力を維持し続ける名家。

「貴族だからこそ、そして、魔法師の家系だからこそ、ルルーの家は変わっているとこがあるんだ」

 魔法は、術師の魂や肉体に大きな影響を受ける。それは血筋の影響と言い換えることもできる。優れた魔法師の子は同じように優れた魔法師になりやすく、得意な術式の構成なども似通ってくるという。しかしそれはあくまで遺伝的な形質であり、確実に現れるものではない。ルルーの家はその遺伝の血筋の力を確実な、より強いものにするために代々なるべく血縁の近い強力な魔法師と子を成してきたのだ。

 その結果生まれたのがモネ・ルルー・レヴァンテインという才能だ。ルルーの歴史の中でもモネほど優れた魔法師はいないと言われている。まさに彼女こそルルーの家が作り出した最高傑作なのだ。

「だけど、そうだとしたら……」

 背中でオルタナが呟く。彼女の動揺がはっきりと伝わってきた。

「クロ、あんたは一体」

「…………」

 クロード・ルルーには魔法師としての才能がまるでない。ルーンを束ねること、術式の構築。魔法師としては致命的なまでのハンデを背負っている。

「でも、当然なんだ。僕はルルーの家の血を半分しか継いでいない。僕と姉さんはちゃんとした姉弟じゃないんだよ」

 腹違いなんだ。

 クロードがそう言うと、オルタナが沈黙した。あまりにもあっさりとした口調だったからかもしれない。

「ルルー家の正式な跡取りカミーユさん――姉さんの母さんと、それとその従兄妹だった父さん。その父さんがどこの娘とも知らない愛人と作ったのが僕なんだ。僕の本当の母さんは僕を生んで一年とたたずに死んでしまって、そんな僕を父さんはルルー家の養子にしてくれた。その時初めて、僕は姉さんの弟になったんだよ」

「だとしたら、居場所を奪ったっていうのは――」

「母さんに続いて、父さんも跡を追うように死んじゃったんだ。残されたのは僕と姉さん。それとカミーユさん。カミーユさんは僕を立派な魔法師にしたかったんだ。ルルーの家は魔法師の家系だからね。だから小学の頃から実家の近くの魔法学園に通っていた。でも、僕に才能がないことはすぐにわかった。最初の内はカミーユさんが直々に修行を見てくれたり、色々と手にかけてくれていたんだけど……気づいたときはそんなこともしてくれなくなった」

 段々と会話が減った。その内クロードはカミーユを避けるようになり、カミーユもまたクロードを避けるようになっていった。魔法学園の高等部に行くと言った時は多少驚いたようだったが、理由も聞かずにすぐに了承が出た。まるで、どうでもいいと言わんばかりに。

「だけど、高等部には入学できたんでしょう? それはそれだけの実力があったってことじゃない」

「座学の成績はよかったんだ。あとはルルーという家の看板かな。殆どコネみたいなものだったんだよ。その頃には姉さんの騎士団入団の話も出ていたから」

 入学できたのは周りの力。決してクロード自身の実力ではない。それが証拠に今では立派な落ちこぼれだ。

「これでも入学できた当初は喜んでたんだよ。周りのおかげだっていうのは薄々感づいてはいたけれど、王国唯一の魔法師養成学園に入学できたんだ。そこでなら、僕でも騎士になれるかもしれないって思ってた」

 だけど結局、何も変わらなかった。

「最近じゃあ、僕が退学になるなんて噂が流れてるくらいだよ。もしかしたら現実になりかねないんだけどさ。――――でも、そうして実家に帰ることになっても、カミーユさんは何も言ってくれないと思うよ。何も言わずに、おかえりも言わずに、そのまま追い出されたりしてね」

 笑えない冗談。クロードは無理をして声に弾むような調子を付ける。不器用な強がり。オルタナには通じないはずだ。彼女はしばらく何も言わずにいた。

「――――――こういう時、そんなの酷いとか、可哀そうって言えればいいんでしょうね」

 オルタナが静かにそう言った。

「無駄に年はくうもんじゃないわね。こういう時、変に冷静になっちゃうわ」

「別に、それは悪いことじゃないよ」

 カミーユも最初はクロードの事を考えてくれていたはずだ。立派な魔法師になれば例え正式な子供でなくとも、ルルー家の人間として負い目なんて感じずに済むと。そんなカミーユの気持ちを裏切ったのはクロードの弱さなのだ。

「愛人の子供の僕を、ここまで育ててくれたことには感謝してるよ。学費だって出してくれているし、生活面で姉さんと区別をつけられることはなかった」

「だけど、居場所はなかったんでしょう?」

「なかったというか、確かに実家にはいづらかったけど。いや、だからなかったのかな……」

 そういえばどこにいてもクロードには居場所というものがなかった。学園にも、実家にも。なんだかいつも足元がおぼつかないような、そんな気がするのだ。

 でも、とクロードは少しだけ声を低くする。

「それを自分が強いせいだって、姉さんには言ってほしくない。それは、酷いよ」

 家に居場所がなかったもの、学園で虐げられるのも、全てクロードが弱いせいだ。自分の弱さのせいなのだ。それは誰のものでもない自分だけの責任。

 その責任まで姉さんは奪おうというのか。

 モネが負い目を抱く気持ちはわからないでもないが、だけどそれだけは言ってほしくはなかった。

「そうね。酷いことかもしれないわね」

 そう言って、再び沈黙が訪れた。お互い黙ったまま、しばらくしたら口を開いて、また黙る。そんなたどたどしい会話。そして一番長い沈黙を破ったのはオルタナだった。

「ねえ、クロ。どうしてあんたは騎士になろうとしているの」

 投げかけられた質問の意図がわからず、クロードはどうしてと聞き返してしまう。

「自分に魔法の才能がないことはあんたが一番よく知っているでしょう? それなのにどうしてそんな、傷つくだけの道を進もうと思ったのよ」

「それはルルー家は魔法師の家系だから……」

「でもそんなのはルルー家の正式な子供ではないあんたには関係のないことでしょう。わざわざ才能のない人間に魔法をやらせたって、ルルーの家の汚点になるだけよ。だからカミーユもあんたのことを見放したんじゃない」

 見放した。見放された。それは誰から?

「私はアルマ=カルマとして、人型術式として、その生き方しか選べない。そうとしかいられない。でもあんたは違うじゃない。騎士になんかならなくても、もっと素晴らしいものにあんたはなれたはずでしょ?」

「もっと、素晴らしいもの?」

 そんなものが他にあるのだろうか。

「あんた、魔法の才能はなくても、絵の才能はあるらしいじゃない。私は絵のことはさっぱりだけど、何度か雑誌にも載ったって。その度にモネが本を抱えて私のところへ自慢しに来ていたわよ。有名な画家のアトリエに弟子入りしないかって誘われたこともあるんでしょう? それはモネが魔法師として優れているのと同じくらいに、貴重な才能よ。どうしてあんたは、それをわざわざドブに捨てるような道を選んだのよ」

 どうしてまだ魔術師になりたいなんて言うの?

 その問いにクロードはすぐには答えられなかった。わからなかったのだ。考えてみても、自分が騎士を目指した理由が思いつかない。確かにあるはずのそれがクロードには見つけられなかった。

「わからないよ」

 だから素直にわからないと言った。でも、

「憧れは合ったと思う」

 クロードが物心ついたころには、すでにモネは神童と呼ばれるような才能を持ち合わせていた。まだ十歳にも満たないその歳ですでにルーンの収集は大人のそれよりも優れていたのだ。その頃のクロードにはまだ魔法がどうとか、難しいことはわからなかったけれど。ルーンが集まって作りだされる、あの光は好きだった。だからいつもモネに頼んではそれを見せてもらっていた。姉の腕に抱かれながら見た空中に漂う薄い緑色の発光体。クロードには決して出せないもの。幼い頃のその光景を、クロードは今でも鮮明に覚えている。

「姉さんのことは好きだ。優しくて、温かくて、小さい頃から大好きだった」

 だからこそ、今のこの微妙な距離感がクロードはとても悲しいのだ。お互いがまだ子供だった時は、なんのしがらみもなく、二人で一緒にいられた。

「レヴァンテインっていうのは、ルルー家の家名みたいなもので。正式なルルー家の人間が名乗るものなんだ」

 モネに与えられたその称号は、クロードには与えられなかった。それは何もクロードが愛人の息子だからというだけではないだろう。魔法師の家系として、その最低限の責務すら果たせそうにない弱い人間に、それを名乗る資格はないとカミーユはそう考えたのだ。

「ちゃんと騎士になることができれば、色んなしがらみが消えると思ったんだ。本当の姉弟みたいになれると思ったんだ」

 そのためには絵描きでは駄目なのだ。騎士でなければ、騎士にならなければ、ルルーの家は認めてくれない。騎士でなければ、クロードの内の劣等感は消えてはくれない。この劣等感を消すために、クロードは騎士の道を選んだ。しかし実際にはその道を選んだがために劣等感は増すばかりだった。日々強くなる自己嫌悪は今にもクロードを押しつぶすほどに巨大になっていく。

「だからやっぱり僕の責任なんだ。逃げる勇気もない僕が、中途半端に立ち向かったりしたから、こんなことになっちゃったんだよ」

 自業自得。それに尽きる。

「本当の姉弟みたいにか……」

 オルタナが呟いた。

「あんたらはとっくに姉弟していると思うけど」

「そう、かな。だったら本当に、僕はなんのために、何がしたくて騎士を目指したんだろうね」

 どうせオルタナには見えないと、自嘲するような、自虐するような、自分を傷つけるような笑みを浮かべてクロードは言う。

「案外、僕はただ姉さんを困らせたかっただけなのかもしれないよ」

 こうして、オルタナの脱走の手助けをしているのもそういう訳なのかもしれない。

 そうだとしたら、それこそ救いがないなとクロードは再び笑った。

「ごめんなさい」

 すると、オルタナがクロードの耳元で囁いた。気づけば彼女はクロードの背中にぴったりとくっついている。彼女の体温が、壊れそうな体が押し付けられる。熱を持った吐息がクロードの首筋を撫でた。

「オル、タナ……?」

 硬くなる体を自覚しながら、クロードはなんとか声を絞り出す。

「ど、どうしたの?」

「なんでもないわ」

「でも――」

「なんでもないのよ」

 なんでもない。そう繰り返しながら、しかし何度もオルタナはごめんなさいと呟いた。それが誰に対して許しを乞うている言葉なのか、クロードにはわからなかった。

 そういえば、幼い頃モネと一緒にこうして同じベッドで寝たことが何度もあった気がする。実家のベッドはとても広くて、こんなに狭くはなかったけれど。どうしてかは覚えていないが、いつのまにかよく二人で一緒に寝るようになったのだ。

 たいした理由がなくたって、昔は一緒にいることができたんだ。

 そのことに気づくと、背中の熱が余計に熱くなった気がした。


 その夜、二人は眠りにつくこともなくベッドの中で他愛もない話をし続けた。紫色の夜が明け、空が薄い水色に染まるまで。

 そしてそれを最後に二人の逃亡劇はあっけなく終わりを告げることになる。

 夜明け直後。人々がまだ誰も活動を開始していない時間帯。二人は騎士団の強襲を受けた。


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