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講義「アルマ=カルマ」

 結局その日は騎士団に見つかることもなく、日も傾きかけた夕方五時ごろのこと。そろそろ暗くなってくる。大っぴらに動けない国の捜索が本格化するのはむしろ人々の寝静まった夜だろう。一晩をどう過ごすかクロードが真面目に考えを巡らせていたところ、当の本人であるオルタナは、

「疲れたから寝たい」

 の一点ばり。しかも例の隠れ場所で寝るのかと思いきや、

「あんな硬い地面で寝られるわけないじゃない」

 とのこと。それでもクロードはぼそぼそと弱々しい反論を繰り返したが脛蹴りから頬をつねられあっけなく降参。今夜は宿を取ってゆっくり休むことに。

「というか、話を聞いているとオルタナって結構いい生活してたんだね」

「だから、何も無用に虐げられていたわけじゃないのよ。制限は多かったけど、基本的には普通の生活だったわ。……特にここ数年はその制限も殆どないようなものだったから」

「数年っていうと、もしかして今の王様が即位してから……?」

「厳密には前王が病に倒れて、実質的にアルフレッドが国王の業務を行っていた時からよ。あいつは、なんというか変わった人間で、アルマ=カルマを国力増強のために使おうだとかもっともらしいこと言って、私の生活における制限をどんどん外していったのよ。勿論大臣や議会委員の反発もあっけど、それを押し切ってね」

 アルフレッド、と国王を名前で呼ぶとところを見るにオルタナはモネと同じく国王とも知らない仲ではないようだ。今朝モネが言っていた「自由になりたいのなら王にそう言えばいい」という言葉はオルタナの証言と合わせれば確かに本当のことのようだ。

 あの若年の国王は、この少女を自由にしようとしていたのだろうか。

「ま、そういう制限緩和が私が城から逃げる事のできた理由なんだから、多分今はあいつ責任問題かなんかで議会連中から文句言われているわよ」

 愉快そうに笑うオルタナ。意地が悪いなと言うとまた頬をつねられた。

 しばらく歩けば目的の宿屋に。実はここで三件目。休日の観光客や、来月に迫った年越し祭りに向けて長期滞在する旅行客でいっぱいで中々泊まれるところがなかったのだ。中心街の外れの黒ずんだ木造の建物。どちらかと言えば港に近いどこかくたびれた雰囲気の宿屋。ここも満室だったらいよいよ野宿を決行するしかないが、愛想のない宿主に一室だけなら空いていると言われて二人でガッツポーズ。しかし子供が二人だけで宿を探しているのを不審に思ったのか宿主は怪訝な様子だった。まさかこんな見た目だけど片方は三百歳ですと言う訳にもいかず、オルタナが兄妹のふりの演技なのか『お兄ちゃんっ!』なんて甘えた声で言ってきた時はさすがにお終いかと思ったが、金を払う客に優劣はないのだろう。部屋自体は素直に貸してくれた。

 灯りは術符一枚分は無料だとか、今からだと夕食は出ない等々、早口で語られる説明を聞き流して鍵を受け取り早速部屋へ。

 部屋に入って、クロードは言葉を失った。いや、部屋自体は狭いが綺麗に掃除の行き届いたいい部屋だったのだが――――――ただしベッドが一つしかなかった。

 固まったまま動けないクロードを気にすることもなく、オルタナは早速ベッドに腰掛けた。ずっと被っていたフードを外して、軽く頭を振るえば彼女の輝く黄金色の髪があらわになる。

机とベッド以外には何もない部屋。壁に備え付けられたランプに術符をいれて灯りを灯すが、灯りの強さが足りないのかどこか薄暗い。それもまたクロードの動揺を強く誘った。

「何してるのよ。あんたも疲れてるでしょ、座ったら?」

 そう言って、彼女は自分の隣をぽふぽふと叩いた。「あ、いや……」とテンパって声がでなくなるクロード。頭の中では「女の子。宿。ベッド」という単語が繰り返される。そんなクロードの動揺を悟ったのか、オルタナが意地の悪い笑みを浮かべる。

「いいのよ、気にしなくて。例えあんたが我慢できなくなっても、それを受け止めるだけの心の広さを私は持っているわ。伊達に長生きしてないものね」

 私から見ればあんたなんてガキよガキ。とひらひらと手を振りながらオルタナは言った。これ以上馬鹿にされるのも面白くないし、からかわれればそれこそ我慢がきかなくなるので、クロードは大人しく彼女の隣に腰かけた。

 帽子を脱ぎ捨て荷物を置き、一息。一日歩き回っていたため体はそれなりの疲労を抱え込んでいる。できればこのまま眠ってしまいたいが、そういうわけにもいかない。今自分の横に座っている彼女からクロードは聞かなくてはならないことがあるのだ。聞かなくてはならないことを聞こうと、口を開いた瞬間、オルタナがまるでクロードの言葉を遮るように『ご飯』と一言呟いた。

「ご飯にしましょ。歩き回ってお腹空いちゃった」

「ああ、うん……」

 煮え切らない思いを抱きながらもひとまずはオルタナの言う通りにすることに。荷物の中から厚めの紙に包まれた平たい丸の大きな食べ物を取り出す。ハムとチーズのシンプルなピザだ。二つ目の宿が一杯で入れなかったあと、どの宿屋もすでに夕食の時間は過ぎているだろうと買っておいたのだ。幸いにもその後の三つ目の宿にこうして入れているのでまだ温かい。白と黄色を合わせたクリームのような色のチーズの上に薄くスライスされたハムが乗っかっている。クロードが紙をほどいている途中でオルタナは早くも八等分の内の一枚に手を伸ばした。

「ピザは好きよ。食べるところがわかりやすいから」

「基準はそこなのか……」

 くるくると三角形のピザを器用に巻いてチーズが垂れないようにして口に運ぶ。好きだと言ったわりには笑顔を見せるわけでもなく淡々と口の中にピザを放り込んでいく。相変わらず食べるのは早い。クロードも彼女に続けて一枚を手に取り口に放り込む。不味くもないが、特別美味しいわけでもなかった。

「ねぇ、オルタナ」

「ふぁによ」

 口いっぱいにピザを頬張ったままオルタナは返事を返してくる。リスのように膨らんだその頬を見て笑いそうになるが、グッと堪えて真剣な面持ちで彼女に向かい合った。

「ついて早々だけど、もう聞いても大丈夫かな?」

 聞くこと、聞かれること。オルタナもわかっていたのだろう。口の中のものをゴクリと一気に飲み込むと、その顔から表情を消した。

「そうね。そもそもクロは私から色々聞くために今まで人質でいてくれていたんだものね――――いいわ、話してあげる」

 クロードは自分が汗をかいていることに気づいた。それは緊張からくるもの。自分が巻き込まれたこの事件の全てを、今知ることになるのだという期待と不安。それらが混じりあった言いようのない感情。

「さて、まずは何から話そうかしら。私の目的……と言っても、それはもう道中で殆ど話しちゃってるのよね」

「会いたい人がいるんだっけ?」

「そ、会いたい人。会わなくちゃいけない人がいる」

 会いたい。会わなくちゃいけない。その二つの言葉の差異を感じながらクロードは更に質問した。

「その人っていうのは、確か顔も知らない人だよね? そして、才能のある人。……その才能っていうのは具体的にはどういうものなの?」

「私が探しているのは魔法師として優れた人材よ。そうね、あなたたちにわかりやすいように言えば――賢者、かしら」

「けん、じゃ? 賢者だって……?」

 クロードは自然と自分の顔が驚きで染まっていくのを感じた。驚愕。それもそのはず、この世界で、魔法師で、賢者と言えば彼らのことで間違いはないはずだ。

 かつて世界は混沌の中にあった。天は荒れ海は震え、化け物がはびこる混沌の時代。そこに三人の魔法師が降り立った。一人が天と海を鎮め、一人が化け物を退かせ、一人が大陸を創りあげた。たった三人の魔法師によって混沌の時代は終わりを告げる。賢者とは彼らのことを指す呼び名だ。三人合わせて三賢者。三百年前の大戦よりも前、現在では半ば御伽話と化している創世の魔法師の伝説。

 そんな賢者を彼女は探しているという。

「正確には賢者に匹敵する魔法師、よ。いくら賢者でも不老不死の術を完成させていたわけでもないし、さすがに死んでるわ。だから私が探すのは賢者と同じ位の実力を持った優れた魔法師。賢者の器を持った人間よ」

「だけど、賢者っていうのは海を割って大陸を作り出すような魔法師だよ。それと同じ力を持った人が本当にいるの?」

「いなくても探すし、見つけるのよ。それが私の望み。その人だけが私がしてほしいことをしてくれる…………だから、絶対に見つけるの」

 絶対に見つける。そう繰り返した彼女の瞳には強い意思がみなぎっている。決して諦めないという硬い覚悟。しかしどうしてかその強い意思を持った瞳は全てを拒絶するようで、どうしてそこまで……と尋ねようとしたクロードの口を閉ざしてしまう。変わりに出てきたの別の質問。

「姉さんは――姉さんは賢者じゃないの?」

 クロードが考えうる限り最高の魔法師はモネだ。今まで見てきた魔法師の中で、あれほど凄まじい才能は他にない。

 しかしオルタナは微妙な顔つきになって言った。

「どうかしらね、あの子は確かに天才かもしれないけど、賢者の器足りえるかどうか……」

「だけど、姉さんはあんなに強いじゃないか」

「そうね、モネは確かに私が知る限りでも最強に近い騎士だわ」

 でも強いだけじゃ駄目なのだとオルタナは言った。

「賢者とは魔法師として優れた人物。決して強さだけが判断基準ではないわ。騎士団にだって、そうそういるかどうか……」

 国を背負う魔法師でも駄目だと言うのなら、本当に賢者と呼べるような人物は存在するのだろうか。益々疑問を重ねるクロードにオルタナは言った。

「大丈夫よ。前例がないわけじゃないわ」

 続けられたオルタナの言葉にクロードはさらに驚く。

「本当にいるの? 賢者と同じ実力を持った人が」

「いた、だけどね。私は前にその人に会ったことがあるし、それにそもそも私を作った人間――――天才魔法師ファウスト。あいつも賢者の器だったのよ」

 ファウスト。人型術式の開発者。天才と呼ばれた彼こそが賢者の器だった。そう聞かされたクロードは言葉を失う。

「人の形をした術式なんて変態じみたもんを完成させちゃった人間よ? 賢者じゃないはずがないわ。本人に自覚はなかったようだけれど」

 昔を思い出したのか、しみじみとした表情を見せるオルタナ。しかしすぐに表情を消して続ける。

「ちょうどいいわ。確かあんた、アルマ=カルマについても聞きたがっていたわよね。それも一緒に話してあげる」

「うん。でも、一応ちょっと予習くらいはしてきてるんだよ」

 歴史書に書いてあったくらいのことでしかないが、それでもまるで知らない訳ではなかった。

 アルマ=カルマ。人の形をした術式。三国三つ巴の大戦の中で生まれた天才魔法師ファウストによって作り出され、各国へばら撒かれた。大戦の影の支配者と言われるアルマ=カルマはそれ単体で魔法を扱う兵士百人分の兵力を持つとまで言われ、アルマ=カルマの所有数が各国の勝敗を分けたとされている。しかし大戦の中で殆どが死亡し、今では生き残った数すら把握しきれていない状況である。

「と、まあこんな感じかなぁ」

「ふんふん。基本的なところはちゃんと知っているみたいね。偉い偉い」

 まるで子供をあやすかのごとく頭を撫でられる。からかわれていることは明白だったのでクロードは赤面しながらだが、その手を払いのけた。

「ふざけないでよ、まったく……」

「クロは少し可愛げがないわね。それはそれで可愛いけど」

「意味がわからないよ。それより、僕が知っていたことに間違いはないの? 全部歴史書に書いてあっただけのことだけど」

「兵士百人っていうのは言いすぎかもしれないけど、概ねあってるわよ。確かに私たちアルマ=カルマの存在があの戦争の戦局に大きく関わった。殆どが死んだのも、事実よ」

 言いながら、彼女はピザをもう一枚手に取った。

「そうね。じゃあ私たちアルマ=カルマという術式について、話をしてあげようかしら」

「そうそれだよ。僕が聞きたかったのは」

 アルマ=カルマについて、その大まかな歴史や生まれた経緯などは様々な書物で取り上げられてはいるが、しかし実際にどんな機能を持った術式なのかは全く言及されていない。

 そのことを口に出すとオルタナは頷きながら答えてくれた。

「そういう術式の詳しい説明が現存する書物に載っていないのは、その手の詳しい情報が大戦の中で消えてしまったという理由が一つ。もう一つの理由が、そもそもファウスト以外で人型術式の理屈や理論を理解できる人間がいなかったことよ。確か、彼の実験ノートだったりは残っていたはずだけれど、誰も何が書いてあるのか理解できなかった。だから段々と大衆の目に触れるような場所からはそういう情報が消えていってしまったの」

 成程、と感心したようにクロードは呟く。まるで授業を受けているみたいだなと思いながらも思考は完全にオルタナの話す内容で埋め尽くされる。

「だからまあ、そういう難しい理論については割愛するわ。私自身も全ては理解できなかったことだし……そういうわけだから私が教えられるのはアルマ=カルマの性能だとか、術式の結果の話になるわ。それでも構わないかしら?」

「それで十分だよ」

 そ、と小さく呟き、ピザを一口。それを飲み込んでから口を開く。

「そもそもどうしてアルマ=カルマが大戦の影の支配者となり得たのか、まずはそこからよね。私たちは人型術式アルマ=カルマ。その名の通り人の形をした術式。でも、ただ人の形をしているだけならば大戦の影の支配者にはなれないわ」

「そうだろうね。確かにそれは術式としては稀少で優れているかもしれないけど、戦争中なら戦力としのての力とか、破壊力とかを重視したはずだよ」

「そういうこと。ただ人の形をしているだけならば、意味はない。そんなもの紙かなんかに書いた方が、戦場ではよっぽど役に立つわ」

 だからどうしてアルマ=カルマが大戦の影の主役になることができたか。

 そう言って、オルタナは指を二本たてた。

「それには二つの理由があるわ。一つ目が、アルマ=カルマが持つ普遍性よ」

「普遍……?」

「アルケーと同じように万人に扱える術式だということよ。私たちは人の形をしているけれど、人ではない。だからルーンを束ねることはできない。だけど、人の形をしているがゆえにルーンの変換の場としての機能は果たすことができるのよ」

「えっと、それはつまりルーンは集められないけれど、ルーンを使うことはできるということ?」

「そういうこと。アルマ=カルマは外部からのルーン供給を受けて自身の術式を発動させる。変換の場が術式の中にあるのだから、扱う人間の魂や体の作りも関係ない。アルマ=カルマはルーンさえあれば誰でも扱えるという普遍性を持つ。それが一つ目の理由ね」

 二本の指の内一本が折りたたまれる。

「二つ目。アルマ=カルマは人という形をそのまま術式に組み替えたもの。人という生きている存在、その魂から全身までを使っているのだから、自然とその術式は複雑で強力なものになっていく。つまり二つ目の理由っていうのは私たちが単純に強力な魔法だからという理由よ」

 残された最後の指が折りたたまれた。

「この二つの理由を合わせれば、私たちが大戦で重宝されたわけもわかりやすいわ。誰でも使えて、かつ強力な力を持つ。これ以上に戦争に役立つ兵器はないでしょう?」

 まるで自虐のように兵器という言葉を選んだオルタナ。その選択の真意も気になったが、しかしそれ以上にクロードは気になった点があった。

「ねえ、オルタナ。アルマ=カルマは万人に扱える術式で、その仕組みもわかった。でも、それだとアルマ=カルマを扱う人間はいらないってことにならない? 外部からルーンを供給さえすればそれで魔法は発動できるんだろう?」

 つまりルーンさえあればアルマ=カルマは自らの意思を持った、完全自立型術式になるということだ。

 しかしクロードの質問はオルタナにとって予想できていたものらしく、むしろ待ってましたと言わんばかりに「ふふん」と得意げに声をだした。

「そこが私たちの、アルマ=カルマの一筋縄じゃ行かないところなのよ。誰にでも扱えて、しかも術式自体が自分の意思で発動させることができる魔法なんて、危ないったらありゃしないわ。ファウストは……まあ変な奴だったけど、悪戯に世の中滅茶苦茶にしようとまでは思ってなかったはずよ。変な奴だったけど」

「変な奴だったんだ」

「変な奴よ。でも、天才だった。だからファウストは私たちに枷を付けたの。それが契約機能。これはアルマ=カルマの独断専行と、魔法の乱用や悪用を避けるための機能なの」

「契約機能? それって一体……」

「簡単よ。アルマ=カルマは正式な契約を結んだ他者の命令がない限り決して魔法を発動することはできない。契約を結べるのは一度に一人まで、その契約者が死ぬか契約を破棄しなければ他の人間と契約をすることはできない。アルマ=カルマ単体での術式発動を制限し、使用者を一人に絞る機能よ」

 普遍であるがゆえに契約を結んだ一人しか使うことができないように、かの天才はアルマ=カルマをそういう風に作ったのだ。

「契約機能を踏まえても、アルマ=カルマの力は国とって有益だったからね。契約者を殺して無理矢理アルマ=カルマに契約を迫ったり、結局悪用は止まらなかったわ。こればかりは人の業。それこそカルマだから仕方のないことね」

 諦めたようなオルタナの言葉にクロードは何も言えなくなる。そんなクロードにまだ授業は終わらないわよ、と彼女は告げた。

「まだ、何かがあるの?」

「あるわよ。アルマ=カルマに備え付けられたもう一つの機能。それが防衛機能。例えばクロ、あんたが今突然目の前から刃物を投げつけられたら、勿論避けようとするわよね」

「まあ、そりゃ当然だよ」

「じゃあその刃物を投げつけてきたやつが男だとして、そいつが今度は鈍器を持って襲い掛かってきたら?」

「逃げるか、それが駄目ならなんとか反撃しようとするんじゃないかな? 多分」

「うんうん。ナイス模範解答よ。きっと大抵の人間がそういう風に、つまり生き残ろうとする方向に動くはずよ。それは人間の生き物としての防衛、生存本能って奴ね。襲い掛かる危険を人は回避しようと本能的に動く」

 だけど、とオルタナはそこだけ声を低くして告げた。

「人間はその本能に抗うことができる。例えばさっきの質問の時と同じ、男が鈍器を持って襲い掛かってきた時、あんたは逃げる、立ち向かう以外の選択肢も選ぶことができる。……それがなんだか、わかる?」

「逃げない、立ち向かわない。つまり、諦める。黙って殺されるという選択肢……」

「そう、その通り。そういう受動的な状況もそうだし、もし今ここにナイフがあったとして、あんたの気持ちはどうであれ、そのナイフを使って死のうと思えば死ねるはずでしょ? 腹でも喉でも、好きなところを掻っ切って」

 指先で、喉を切るようなジャスチャーを彼女はして見せた。

「受動的、あるいは能動的に人間は自分から死ぬという選択肢、危険を冒す選択肢を選ぶことができる」

 そこまで言って言葉を止め、オルタナは少し顔を伏せるようにしてあとの言葉を続けた。

「だけど、私たちアルマ=カルマにはそれができない」

 どうしてだろうか、そう言った彼女の言葉にまるっきり感情らしいものを感じなかったのだ。

「私は死という選択肢、危険を冒す選択肢を選ぶことができない。それが、アルマ=カルマの防衛機能よ。生存本能の強制とでも言えばいいのかしら? 簡単にまとめれば、アルマ=カルマは危険を回避しなければならないようにできているのよ」

「それは……」

 それではまるで人間じゃないみたいじゃないか。

 そう言おうとしてクロードはすんでのところで踏みとどまった。何か言いかけてやめたクロードのことをオルタナは不思議そうに見つめている。彼女の瞳はランプの灯りに照らされてその髪と同じ金色に輝いている。呼吸の度にほんのわずかに上下する肩はオルタナが生きている証拠だ。生きている。彼女は生きている。だからこそ、防衛機能と呼ばれるものの存在はにわかには信じがたかった。

 危険を回避する、のではなく、回避しなければならない。

 自ら死ぬことを選べない生きることの強制。

 だからこそ、防衛本能ではなく、防衛機能。

 まるで……まるで…………。

「そ、その……」

 また何か言おうとして、

「いや、だから…………」

 何も言えなくて、

「………………………」

 結局、クロードには黙ることしかできなかった。情けないと思う。こんな時になんて言えばいいのかわからない。上手い言葉の一つだって浮かんで来やしない。沈黙はまるで自分の無力を認めているようで、悔しくてたまらない。

 耐えるように、じっと黙ってしまうクロード。オルタナはそんな彼を見てふっと微笑んだ。色々な感情の込められた優しい笑み。だけど、どうしてだろう。今のクロードにはそれがとても悲しく思えたのだ。

「……でも、この機能のおかげで私は大戦を生き残れたのよ。意識なんかしてなくったって、危険が近づけば体が勝手に動いてくれるんだから。魔法が飛び交う戦場の中だって平気で歩けたのよ」

 そう言って、彼女はクロードの頭を撫でた。子供をあやすようなそれを、クロードは振り払うことはしなかった。

「さて、これでアルマ=カルマに関する基本的なレクチャーは終わったわけだけども」

 クロードの頭からオルタナの手が離れた。

「あと話すことは、アルマ=カルマのそれぞれの魔法についてかしら」

「それぞれ?」

「人型術式アルマ=カルマはそれぞれ異なる魔法の術式なのよ。色々面白い魔法があったのよ? 天候を操ったり、物質や現象そのものをなかったことにする存在否定の魔法だとか……」

「へぇ……」

 簡単な説明だけでも、それがどれだけ高等な魔法かは用意に想像がついた。特に天候を操るなど、それこそ三賢者の魔法に酷似している。

「オルタナの魔法はどんなものなの?」

「私? 私は面白い魔法の中でも更に面白い部類よ。人型術式アルマ=カルマ・タイプオルタナティヴ。それが私の正式名称よ」

「お、オルタナティヴ?」

「代替って意味。他のアルマ=カルマと違って、私には一貫とした形はないの。契約機能によって契約を結んだ人間の力量やその魂によって姿形、その能力を変えていく代替のカルマ。それが私なの」

 人によって全く違った能力になる術式。それがオルタナの人型術式としての魔法だった。

「本当に人によって変わっていくの?」

「そうよ。武装だったり、幻惑魔法だったり、人によってがらりと形を変えるのが私の能力なの。そうねぇ、そういえばモネと出会ったのも私のこの力が原因だったわね」

 モネ。自分の姉の名前を聞いてクロードは自身がオルタナに聞きたかったことを思い出す。

「そうだよ、オルタナ! 教えてよ。姉さんがこの件にどういう風に関わっているのかを」

 身を乗り出すようにしてオルタナに詰め寄るクロード。彼女は小さな声でそうね、と呟く。それも教える約束だったわねと。

「元々、私の存在を知るのは王国政府内でもごく少数。騎士団の中では団長と副団長のたったの二人だったわ。でもある時、現国王が言ったのよ。王国最強の騎士にアルマ=カルマを持たせてはどうかって。まあアルフレッドの狙い自体はわかりやすいものだったんだけど」

「アルマ=カルマが戦力になることを証明しようとしたのか」

「そういうことよ。私を自由にするための口車。議会委員たちもそれはわかっていたんでしょうけど、王国最強の騎士とアルマ=カルマの組み合わせは彼らにも魅力的に移ったみたいで、すぐにゴーサインがでたわ。あの子が私の存在や、その処遇について知ったのはその時でしょうね。初めて幽閉場にきた時のモネは凄い申し訳なさそうな顔をしていたわ。私と目があった瞬間、ごめんなさいって頭を下げてきた。なんで謝るのよ、って聞くとまた頭を下げたわ。面倒だからさっさと契約済ませて終わりにしようと私は急いで契約を終えた」

「それで、どうなったの……?」

 オルタナが城を抜け出したのなら、つまりその契約は何らかの形で失敗したということになる。少なくとも成功はしなかったはずだ。成功したならば、今頃オルタナはモネの術式として自由になっていたはずだから。

 クロードは真剣な面持ちで次の言葉を待つ。するとオルタナはなんとも拍子抜けするような愉快そうな笑みで言い放った。

「それがね、面白いことにあいつ私を使った時のほうが弱くなったのよ!」

 もうおかしいでしょ、と腹を抱えて笑うオルタナ。その横でクロードはポカンと口を開けて固まってしまう。

「まあつまり、モネ・ルルー・レヴァンテインという人間の才能に私という術式の能力が追い付かなかったってことよね。あの子にとって私は足枷にしかならなかったのよ。アルフレッドは苦笑いで、議会委員はぷんぷんしてたわ。期待外れだ! なんて言ってね」

 オルタナは笑っているが、クロードは笑っていいのかどうかもわからず。なんとなく微妙な苦笑いを浮かべていた。きっと王様もこんな顔だったに違いない。

「それからよ。私とあの子の付き合いは。もう私のもとへ訪れる意味なんてないのに、モネは何かと理由をつけて私のもとへ通ったわ。私もあの子のことは嫌いじゃなかったから、拒んだりもしなかったわ」

「じゃあ、姉さんが捜索隊の指揮をとっているっていうのは」

「私のことを知っているから、でしょうね。今騎士団の殆どは他国の境界線や外海に出払っていて、私の事情を把握していて、尚且つ指揮の取れる人物がモネしかいなかったんでしょ。本来なら団長に任せるはずの案件だけど、その団長がいないみたいだから仕方ないわね」

「それで、僕が人質になると思って家に忍び込んだと……」

「モネは騎士としては有能だけど、それでもまだまだガキなのよ。まあ私から見れば団長だってガキだけど、モネはその十倍はガキね。子供すぎて甘いところがあるし、指揮官には向かないわ。それにあの子から弟の話はよく聞いていたから、人質にするなら格好の的だなーって思ってね」

 自分が巻き込まれた理由を知り、クロードは驚くやら呆れるやらだった。たいした理由があったわけでもなく、こいつは人質にしやすそうだという一方的な理由で巻き込まれたのだ。驚くし、呆れもする。本当に自分はちょっとした偶然の積み重ねの結果、国家がひた隠しにしてきた真実を知ってしまったのだ。

 もしかしたら僕はかなり危ない橋を渡っているのかもしれない……。

 そんな当然とも思えるようなことにクロードは今更気づくが、もう十分引き返せないところまで来てしまっていた。

「でもまあ、正直あんたを人質にしてもその場しのぎにしかならないのは目に見えていたわ。モネはガキだけど、優秀よ。男一人抱えて逃げ切れるとは思っていない。あんたが抵抗しなければの話だけどね」

 オルタナは手にしていたピザを口に全て放り込んだ。そしてあっという間に飲み込んでしまった。その様子をじっと見つめていたクロードをオルタナは不機嫌そうに指さした。

「まさかあんたが進んで人質になるとは思わなかったわよ。モネも中々変なやつだけど、あんたは別格ね」

「そんなことはないと思うけど」

「普通、真相が気になるからって自分を人質にした誘拐犯について行こうとは思わないわよ。…………ま、そのおかげで今日一日逃げ切れたわけだし、そこそこ楽しかったりもしたし。感謝はしているわ。ありがと」

 らしくもなく素直に礼を言われて、クロードが反応に困っていると、彼女はピザの最後の一枚を手に取ってクロードに突きつけた。

「これは感謝の気持ちよ。取っておきなさい」

「感謝の気持ちはピザ一切れなんだね……」

 しかもそれはクロードのお金で買ったものだ。文句を垂れるクロードに彼女は意時の悪い笑みを浮かべる。

「細かいことは気にしないの」

 そう言って、再びクロードの頭を撫でるのだった。


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