ぶらり王都二人旅(……デート?)
適当な会話をしながら二人が歩くのは王都南側、港に隣接した港市場。オードラン港市場と呼ばれるこの場所は漁で取れた新鮮な海の幸だけでなく、交易によって得られた他国の珍品。日用雑貨から衣類、観光客向けのお土産まで揃う王都の大規模なマーケットとなっている。市場は毎朝開かれているが、特に休日は観光客目当てに普段は見れないような様々な店まで顔をだすため、相当な賑わいを見せる。
先の路地にて逃亡者オルタナと、その人質のクロードはまずどこに行くかについて話し合った。クロードはてっきりずっと路地に隠れているものかと思っていたのだが、
「一か所に留まれば騎士団の探索魔法にあっさり引っかかっるわ。いくら地図にない場所とはいえ、しらみつぶしに探されたら時間の問題よ。ここを行動の拠点にするけど、常に動き回っていないと」
とはいえそれには一つ問題がある。クロードが抵抗の意思を見せない限りは町中で包丁を取り出さなくてもいいのだが、しかしそれでなくてもオルタナの格好は目立つのだ。彼女は現在布きれ一枚を羽織っているだけのようなものだ。目立つ云々の前に寒くはないのかと聞いたが、オルタナは別に平気だと本当に平気そうな顔で言った。しかし彼女の手足や鼻の頭はもうすっかり赤くなってしまっている。寒くない訳がないのだ。
と、言う訳でまずは彼女の衣服の調達となった。そのためにこの市場に来たのだ。都合のいいことに本日は休日で、市場には食料品だけでなく様々な品が並んでいる。人混みの中で彼女が変に目立ってしまったらどうしようかと危惧したりもしたが、むしろこの賑わいは彼女の異質さを隠してくれた。みな露店の先に並べられた商品にばかり目をやって、たまたま彼女を視界に入れた人もすぐに雑踏の中に消えて行ってしまう。人は意外と他人に無関心なのだろうと、クロードはこの状況をそんな風に考えていた。
オルタナはと言うと、市場を見るのは初めてとのことだったが、特に驚く風でも感激する様子もなく、いつもと変わらぬ態度口調を崩さない。クロードの方を見もしないで、常に視線は露店の方へと向かっているので気にならないというわけでもないのだろうが、しかし彼女は青と銀の鱗を持つ魚を見る時も、赤青黄色の色とりどりの野菜を見る時も、不思議な形をした異国の工芸品を見る時も、みんな同じ目をしていた。どれも同じだと、オルタナの視線はそう言っているようだ。
あくまでも人質。今もアルマ=カルマについて、姉さんについて聞きたいが為の逃亡に過ぎない。だが心のどこかで「オルタナはずっとお城に閉じ込められていたのだから市場なんて見たら驚くぞ」とか、そんな展開を期待していた自分がいたことも確かだった。そのためオルタナのつまらない反応はクロードには少し面白くなかった。その上せっかく靴から上着まで一式全て揃えるのだから好きな物を自分で選んだらいいと彼女に提案したが、
「面倒だし、あんたが適当に選んでよ」
とのこと。冷たい声でそう言われてしまえばクロードに逆らう術はない。言われるがままに彼女の服はクロードの采配に委ねられることに。長いこと同じ場所に留まれば彼女が人目につく確率も高くなるし、同じ店で一式全て揃えるのも怪しく思われるかもしれないので異なる店で少しづつ徐々に揃えていくことに。幸いにも休日の港市場は観光客向けの露店が多く、服を買う場所には困らなかった。
裸足の足は見ているだけでも寒いので、まず最初に靴下と靴を買い、次に下着を買った。下着を選ばされた時は人質なんて止めて逃げ出そうかとも思ったが、そんな試練を超えてようやく彼女は普通と呼べる格好になっていた。
「ていうか、どうして下着まで着てなかったの?」
よもや素っ裸で閉じ込められていたのかとも思ったが、そういうわけではなく。
「お城じゃ普通に普通の格好してるわよ。下着がないのは入浴中に逃げてきたから。あの布も逃げてる途中で拾ったものよ」
そんな彼女の現在の姿。茶色の編み上げブーツ。赤いふわふわとしたキュロットスカート。リボンのついた白い長袖のブラウス。必要はないかもと思ったが、勧められたので買った黒のショルダーバック。殆どが女の子の服のことなんてわからないクロードが店員にあれこれ聞きながら買ったものだ。町娘というよりは都会のお嬢様風ルックス。中央の商店街ならともかく、どちらかと言えば庶民感覚の強い港の辺りでは目立つくらいの服装だった。元の素材がいいので、店員も張り切ったのだろう。最初は渋々動いていたクロードだったが、後半は少しだけ楽しんでもいた。着せ替え人形で遊ぶ女の子の気持ちがわかったような気がする。
「で、結構揃ってきたけど、オルタナ。君の感想は?」
「ま、いいんじゃないの?」
どうやら本当に興味がないようだ。少しくらいは感想を言ってくれてもいいんじゃないかと言いたかったが、なんだか女々しい気がしてやめた。
「じゃあ、次の店だけど」
「何よ、まだ買うの? もう上下揃ってるじゃない」
「上と下着てたらいいってもんじゃないよ。それでもまだこの季節じゃあ薄着さ。それにその、オルタナの髪は目立つよ……」
綺麗だから、と続けようとしたが恥ずかしくなってしまい言葉にならなかった。
オーランドにも金髪の人はいるが、しかしどれも色は薄く、オルタナくらい濃い金色の髪は中々いない。ただ、それを言うならクロードの髪も同じ位目立つのだが。
オルタナは不満げに口を尖らせた。
「そんなに変なの、私の髪の毛」
「そんなことない! 変じゃないんだけど、目立つというか……。それに僕の髪色の方がよっぽど変だし、おかしいよ」
そう言って、自分の髪を引っ張って見せるが、彼女はよくわからないのかふーんと呟くだけだった。
「でも大丈夫なの? そんなに買っちゃって。一応あんたのお金でしょう」
服を買う金は全てクロードが出していた。オルタナが今朝クロードが寝ている間に部屋の中からクロードの財布を探して持ってきていたのだ。抜け目のないやつだと、驚きながらもクロードは若干感心もしてしまった。財布の中を確認してみるが、よくわからない。元々お金に関しては無頓着。女の子の服の相場なんてわかるはずがない。ただ、さっきまで買った服はそれほど高くはないものばかりだった。それにクロード・ルルーは遊ぶ友達も絵を描く以外の趣味もない男だ。月々のお小遣いは当然殆どが使われないまま溜まっていく。よくわからないが、きっと資金が枯渇する心配はないだろう。
「大丈夫だよ。それに必要なお金さ。ちゃんと事情の説明してもらう前に見つかったら敵わないからね」
「……そうね。そうだったわね」
オルタナが短く呟いた。
彼女とは落ち着いたら全てを話すという約束を取り付けていた。外で話せば誰が聞いているかわからないので、誰もいない場所できちんと説明をすると。それまではクロードは大人しく人質でいるとも。
だからこそ、それまでは捕まってもらう訳にはいかないのだ。クロードの目的のためにも彼女には追手を振り切ってもらわなくてはならない。
ただ知りたかっただけのはずなのに気づけばオルタナの逃亡に協力している。この現状をなんだかなぁと思いながらもこれ以外の良策も思いつかない。結局今は流されるしかないのかと、クロードは道行く名前も知らない人々を見ながら思った。
流されるように市場を歩く。港市場の露店は王都の商団の許可を貰えば誰でも店を構えられる。個人のスペースは指定され広さも統一されており、そこにござや商品を並べる台などを持ち込んで、露店としての準備は完了。あとは商品を並べればいい。その性質からかどの店も同じような構えになりやかった。他の店との違いを出す為、何を売っているかわかりやすいよう、また通行人の目を引くように旗や看板を掲げる店もある。要は周りの同業者に迷惑をかけなければなんでもありなのだ。旗、看板はないが大声を張り上げて通行人にアピールをする店も多い。そういう店が近くにあると普段は静かな店主も対抗して声掛けを始めたりするので、港市場は買い物客と店側の声、人々の歩く靴音など、様々な音が混ざり合っている。オルタナはそれをうるさいと一蹴していたが、この喧騒はクロードは嫌いではなかった。人々がざわざわと行きかう様はたくさんの色が動いているように見えて面白い。
そうやって市場を練り歩いていると、雑貨と一緒に服を売る丁度よさげな店を見つける。看板もなく、店主も声掛けをしていないので足を止める人は少ないようだ。立ち止まり、店の前に来れば店主と視線が合う。
「お、いらっしゃい。あたしの店に興味があるなんていい趣味してるよ」
二十代前半ほどの女店主。踊り子のような派手な衣装に身を包んでいる。肩まである赤髪。片目を隠すような特徴的な髪型をした店主はぷかぷかとキセルをふかせながら皮肉めいた笑顔で二人を迎える。店主の言葉に苦笑いで返しながら、クロードは要件を口にする。こういう露店では自分で商品を手に取るよりも最初から店員に頼んだ方が早いと今日でクロードは学んでいる。
「何か温かい上着と、帽子を探しているですけど……」
クロードは小さく頼りない声で要件を伝える。他人と話すときはどうしても声が小さくなる。小心者の特徴だ。オルタナとの会話もまだ慣れていないところがあるくらいだ。今のは相当小さな声だっただろう。
周りの喧騒にかき消されるかとも思ったが、店主はちゃんとクロードの声が聞こえていたみたいで、微笑を向ける。その視線はクロードではなく、後ろのオルタナに向いていた。
「彼女へのプレゼントかい?」
「え、ええ。まあ」
「今どきマメな男だね。どれ、その子に似合いそうな上着は……」
女店主が次々と上着を引っ張り出してくる。どれもオルタナに合いそうなものばかりで、布も上質なものが多い。いい店に当たったと内心喜びながら、どれにしようかとそれぞれ手に取って見ていると、女店主がうーんと小さく唸った。
「これは……どうだろうな。凄く似合うとは思うんだけど」
そう言って、彼女が取りだしたのはフード付きのポンチョ。形は殆ど一緒の赤と黒の二着。少し短めに作られたそれは確かにオルタナによく似合いそうだった。今まで出してもらったものも十分そうだが、しかしこの二着だけは別格とも言える。一目見ただけでクロードの選択肢の中に他の服は姿を消した。殆ど即決でこれにしようと決める。散々迷った挙句店員に判断を委ねたりしていた今までとは反応が全然違った。それだけこの服はオルタナによく似合っていたのだ。
問題はどちらの色にするか、だ。目立ちにくいという点では黒の方がいい気もするが、赤も捨てがたい。
「オルタナ、どっちがいい?」
二着を手にして聞いてみるが、オルタナはよくわからない顔で首を傾げてしまう。
「どっちがいいって、どっちも同じじゃない。何が違うのよ」
「何がって、色だよ。全然違うじゃないか」
「服はどれも一緒に見えるわ」
それっきり興味を失くしたのか、つんと他の方を向いてしまう。これには女店主も苦笑いだった。仕方ないな、と思いながらクロードは結局散々迷って、しかし誰かに判断を委ねたりせず自分で赤に決めた。少し目立つかも知れないが髪は隠れるだろうし、何より金の刺繍も入っていたりと、まるでオルタナのための服のようだったからだ。
これにします、と女店主に告げるが彼女は苦い顔。
「一杯悩んで選んでくれたのは嬉しいんだけど、それは少し坊やには高すぎるかもね。手が届かないかもしれない」
そんな、と思わずクロードは口に出す。もうこれを買う気満々でいたのだ。クロードは泣きそうな顔で財布を取り出し、これでは足りませんかと女店主に差し出す。と、財布の中を見た女店主の顔が変わった。わかりやすく驚いたのだ。そしてまた皮肉気な笑みを見せる。
「なんだい坊や、そんなナリしてるから田舎の坊主かと思ったら、どっかの金持ちの息子か何かかい? これだったら足りるどころかおつりがくるよ」
言われてほっと胸を撫で下ろす。後ろでその様子を見ていたオルタナが不機嫌そうな口を開いた。
「そういえば、あんたんとこ貴族の家だったっけ。どうりで色々ポンポン買うわけね」
オルタナの言葉に女店主ははてなと首を傾げる。
「貴族なんて、今じゃあ肩書きだけのものじゃないか。上流階級の特権制度が廃止されて随分立つんだ。それでもまだ貴族様にはお金が残っているもんなのかい?」
「そ、その。ルルーの家は元々魔法師として大成した家なんで、特権がなくなってもたいした影響はなかったんですよ」
本当はそれを見越して土地を買っていただとか、割と汚い話もあるのだがそこは伏せてクロードは説明する。すると女店主は再び首を傾げる。
「ルルー? 今、ルルーと言ったのかい?」
「は、はい。僕の姓名です」
何か知っているんですかと尋ねるが、なんでもないさと首を横に振った。そして女店主は少し真面目な顔を見せた。
「まあなんにせよ坊や。今みたいなのはやめておいたほうがいいね。最近じゃここも観光客狙いで阿漕な商売をする輩が増えてきてるんだ。坊やみたいな物を知らない若い奴が金を持っているとわかれば、奴らは虫のように寄ってくるよ」
あんまり人に見せるもんじゃないよ、と言われながら女店主に財布を返される。
「あ、あの。ありがとうございます」
「いいってことさね。ただまあ、そんだけ持ってるならそれだけじゃなくてもっと買って行きなよ。世間の怖さを教えてあげた引き換えさ。坊やもそれじゃ寒いだろうから上着と……それから帽子だね。良い男にしてやるから、いっちょあたしに任せてごらんよ」
言うが早いか、女店主は早速クロードのサイズの服を取り出し始める。完全に断るタイミングを見失ったクロードがあたふたしてるのを見て、オルタナは「ふふん」と愉快そうに笑った。
「ちゃっかりした人間ね」
「しっかりした商人と言っておくれよ。最も本業じゃあないんだけどね」
一体どこで意気投合したのか、その後クロードは息の合った二人に延々からかわれながら上着と帽子、加えてマフラーまで買う羽目になった。
+
昼頃になってくると、港市場では魚や野菜を売っていた露店は姿を消し、観光客向けのお土産店などが幅を利かせるようになる。それと時を同じくして地元住民の姿もなくなり、市場は今朝ほどの賑わいを失くし始めた。それでもまだ人はいる方だが、随分と歩きやすくなったものである。
服を買ってからはぶらぶらと、特に何をするでもなく市場を歩いていた二人だったが、ここいらで場所を移動することに。
「人が多い場所だと、探索魔法の効果も薄くなって都合がいいけど、それでもあまり長いこと同じ場所に留まっているわけにはいかないわ。人目にもつきやすくなる」
そんなわけで、市場を離れて別の場所に移動することに。移動の場所はクロードが決めることになった。地図などで地形を把握してはいても城にこもっていたオルタナより実際に王都に住んでいたクロードの方が詳しいだろうという理由だ。こういった判断を任せられるのは苦手だったが、頭を抱えつつ、ついでにオルタナに「早くしなさい」と脛を蹴られつつ決めた行先は王都中心街。様々な店やオシャレなカフェ、レストラン。ホテルなどが立ち並ぶ豪勢な商店街と言ったところだ。休日の今ならそこそこ人も多いはず。上手いこと自分達の姿を隠してくれるはずだとクロードが言うとオルタナも賛同。
そして中心街に着いたのが一時丁度の話である。
港付近が背の低い倉庫のような建物が多いのに比べ、ここ中心街は背が高く形もそれぞれ独特だ。テラスのあるカフェでは育ちの良さそうな若者や身なりのいい老人たちが穏やかに談笑している。立ち並ぶ建物の窓からは綺麗に整頓されて置かれた様々な商品。時計、アクセサリー、子供向けの人形店。ごちゃごちゃとしていた市場とは対照的な整理された町並み。舗装された道をクロードとオルタナの二人は並んで歩いた。
オルタナはフードを被り、クロードは赤髪の女店主から半ば無理矢理買わされた茶色のハンチング帽を被っている。二人の特徴とも言える髪色は隠され、見た目だけなら中心街を歩く若者と大差ないだろう。
人型術式と落ちこぼれの一行。行く当てがあるわけでもない彼らは中心街を練り歩く。
「ねぇ、オルタナ」
隣を歩く彼女に、クロードは語りかける。
「こうして、何をするわけでもなく歩いているんだけど……そろそろ少しくらいは話してくれてもいいんじゃないかな」
オルタナは仏頂面で答える。
「話すって、何をよ」
「だ、だからその……最終的な目標というか、目的? このまま延々逃げ続けるだけってわけじゃないんだろう? それにさっきも言っていた。自由になりたいわけじゃないって」
それなら他に目的があるはずだと、クロードは彼女に問い詰める。オルタナは少し悩んだ後に口を開いた。
「人を探しているの」
「人? その人に会うために……」
「私は城を抜け出した」
そう言う彼女にクロードは質問を続ける。
「ちなみにどういう人? ああ、勿論今は話せないっていうのなら別にいいんだけど……」
もとより彼女の抱える事情についてはあとで話すと約束をしていたのだ。ただ、先もわからずただ街を徘徊しているこの現状にクロードが耐えられなかっただけだ。クロードの臆病な心は先が見えない不安を許容できなかった。
「どういう人っていうのは、難しい質問ね。私自身、会ったことのない人だから」
「会ったことがない? そんな人に会いたいの?」
「ええ、会いたいわ。心の底から、私はそれを望んでいる」
そうね、と彼女が言葉を続ける。
「だから姿形の特徴はわからないけれど、とにかく能力のある人よ」
能力。それはつまり、才能ということなのだろうか。彼女の言う会いたい人の想像がつかず、クロードは考え込んでしまう。その思考を遮るようにクロードの横でオルタナが静かに穏やかな口調で一人言葉を吐いた。
「良い音ね」
彼女の言っている意味がわからずクロードは最初首を傾げたが、すぐにその意味に気づいた。耳をすませば、確かに彼女の言う音が聞こえてくる。それはピアノ独奏の音楽だ。音の方向を探してみれば、街灯に取り付けられたスピーカーを見つけた。あそこから術符を使い音楽を流しているのだろう。会話に紛れるほどの音量。しかしはっきりと街を演出するその音は耳に心地よい。
あまり中心街には出てこないクロードだが、それでも来たことがないわけではない。だけど、こんな音が街を彩っていることにはオルタナに言われるまでは気づかなかった。どうして気づかなかったのだろう。きっと、気にする余裕もなかったのだ。こんな風にゆっくりと街を歩くことをクロードはもう随分していない。外に出る時はいつも魔法学園の生徒に出会わないかどうか、そんなことばかり気にしていた。
オルタナは目を瞑って音に聞き入っている。港市場にいた時は常時不機嫌そうな顔をしていたのに、今はとても上機嫌だ。音楽が好きなんだろうか。そう聞いてみると、彼女は小さく頷いた。
「そうね。音楽は好きよ。ちゃんと聞こえるから」
ちゃんと聞こえるという言葉の意味は分からなかったが、確かに彼女は音楽が好きなようだ。
「だったらいい店があるよ」
「いい店?」
首を傾げる彼女を連れて行ったのは音楽屋。その名の通り音楽を売る店だ。音を録音再生する魔術によって術符に音を込める。そうすることでいつでも術符から生の音楽が聞けるのだ。ここはそういった音楽を売る店。内装はどこか図書館などを思わせる。木で作られた背の高い棚にはケースに入れられた術符が並ぶ。それぞれケースに曲の名前や作曲者演奏者の名前が書いてある。奥の方では楽器の販売もしているようだったが、基本は術符を扱う店だ。
店に入るやいなやオルタナは感嘆の声と共に棚に駆け寄った。そして早速物色を始める。後ろから追うようにクロードも後をついて行き、隣に立つ。
「気に入った?」
そう聞くとオルタナは首を大きく縦に振った。
「お城でも術符で音楽は聞いていたけど、こんなに沢山並んでいるのを見るのは初めてよ!」
「それはよかったよ」
「何よクロ。あんたやればできるじゃない。褒めてあげるわ!」
言って、彼女はクロードの脛を二発蹴った。褒められている気はしなかったが、オルタナはかなりご機嫌なようなので文句は言わなかった。沢山の音楽を手にとっては頷くオルタナ。赤のフードからちらりとのぞかす黄金色のおさげも心なしか嬉しそうに揺れているように見える。
これは来て正解だったなと一人喜ぶクロード。そんなクロードのことは最早眼中にないのか、オルタナは気づけば隣の棚に移動していた。しばらくは好きにさせておいた方がいいだろう。
店の中に店員以外の誰もいないことを確認すると、クロードは外に出た。通りに騎士団らしき姿もない。国がアルマ=カルマの存在を隠蔽していたという事実がある以上、動ける人員もそう多くはない。騎士団の中でも少数のはずだ。ならば案外このまま見つからずに済むこともあるかもしれない。探索魔法に引っかからないように注意すれば王都を出ることも可能だろう。
ただ、彼女の目的が人に会うことだと言うのなら、見つからなければいいという話でもない。そもそも彼女も会ったことがないという人物だ。まずはその人物の居場所を探すところから始めなくてはいけない可能性もある。
そこまで考えて、クロードは自分が無意識の内に彼女の目的とやらのために動こうとしていることに気づいた。
何を言っているんだ。自分はただの人質で、彼女といるのは真実を知りたいからだ。ただそれだけのためだ。
そう言い聞かせる。あくまでも自分は知りたいだけだと。
ふと、鼻をくすぐるようないい匂いがすることにクロードを気づいた。見ると音楽屋の真正面はパン屋になっていた。この前までは他の店のような気がしたが、漂う香ばしい小麦に疑問は吹き飛んだ。そういえば朝食から何も食べていない。オルタナもそろそろお腹がすく頃だろうと、クロードは昼食はパン屋のパンで済ませることにした。レストランでゆっくり座る時間もないだろうし、それがいい。
道行く人々をすり抜けつつ店の中に入ると、小麦だけでない様々な匂いが鼻孔を埋め尽くす。ふわりと香るバター、ベーコンやソーセージを焼く油の匂い。甘いジャムの香りも交じっている。ブルーベリー、オレンジ、そして林檎。奥の方からは魚をフライにする時の匂いと音がしている。店内では買い物途中の女性客が多く、それらをかき消すようなキャッキャとした声をあげている。あまり女性は得意ではない。さっさと用事を済ませてオルタナのもとへ戻ろうとクロードは棚に並べられたパンに目をやった。
+
買い物を終えて外に。抱えた白い紙袋は中に入っているパンの熱でほんのりと温かい。思わず空腹が刺激される。オルタナのいる向かいの音楽屋に戻ろうとしたところで立ち止まる。音楽屋の店の入り口にオルタナの姿を見たのだ。彼女は扉から顔だけ出してしきりに外を見渡すようにしている。何か慌てているようにも見える。じっと見つめているとキョロキョロとする彼女と目があったが、すぐに彼女は他の場所へ視線を移してしまう。
騎士団の誰かでも見かけたのかな。
それにしては随分と目立つようなことをしているように見える。聞いてみればわかるか、と彼女のもとへ近づいて声をかける。
「どうしたのオルタナ。焦ったような顔して」
すると彼女は驚いた顔でクロードを見つめて、すぐにその視線をキッと鋭くした。
「クロ! あんたどこ行ってたのよ!」
何も言わずにいなくなったことを怒っていると気付いて、クロードはごめんと小さく呟いた。
「ちょっと向かいの店に行ってて……」
「逃げたのかと思って探しちゃったじゃない!」
「あれ? じゃあやっぱり僕のことを探してたの?」
目があっても何の反応もなかったので、別の理由かと思ったがそうではないらしい。オルタナは怒ったように「ふん!」と口に出してそっぽを向く。
「クロは特徴ないから近くで見ないと判別付かないのよ」
「でも髪色見れば……ってああそうか。今は帽子で隠れてるんだっけ」
と、いうことは本当に特徴がないということだろう。クロードは素直に肩を落とす。
「でももう結構な時間一緒にいるんだから、顔くらい覚えてくれてもいいのに」
「人間はどれも一緒に見えるわ」
「人は服と同じなのか……」
こっちはオルタナの髪やその表情の一つ一つが一生忘れられないのではないのかと思うほど強く網膜に焼き付いているというのに、不公平だ。
うじうじしちゃって、気持ち悪い。
今朝彼女の口から言われた言葉がクロードの頭をぐるぐると回る。自覚はあるが、人に言われるとやはり傷つく。特にオルタナから言われるのは嫌だった。
「ま、いいわ」
そんなオルタナは実にさっぱりとした調子で話題の終わりを告げるとクロードを店の中に引っ張った。その際当たり前のように手を繋がれ、クロードは最初意味がわからず思考が止まり、再び動き出した時にはその衝撃に心臓が張り裂けんばかりの鼓動を刻んだ。ばくばくと暴れ狂う心臓。しかし再起動を始めた思考は冷静だった。冷静にオルタナの手の感触を鮮明に記憶しようと必死になっていた。
自分の手よりも小さい女の子の手。細い指はまるでガラス細工のようで、少しでも力を入れればすぐに割れて砕けてしまいそうだった。だけど硬さなんてものは全く感じさせない。
内の混乱を治めるよりも前にオルタナはクロードを店のレジの前に連れてきた。そこで目にしたのはレジの上に積まれた大量の音楽術符。山のように折り重なったそれを指さしオルタナは一言。
「これ、買うから」
「………………さすがに多すぎない?」
「買うから」
有無を言わせぬオルタナ。それでもさすがの量にクロードがたじろんでいると、オルタナが愉快そうな笑みを浮かべて呟いた。
「それとも、手を繋ぐだけじゃ足りないのかしら?」
ぎょっとして身を引くが彼女はクロードの手を掴んだまま放さない。どうやらオルタナの行動はクロードが「女の子と手を繋いでドキドキしちゃう」ところまで考えてのものだったようだ。
しかし悔しいかな、そこまでわかっても手を繋いだドキドキは止まらない。心臓は未だに緊急事態を告げている。
「手じゃ駄目なら胸でも触ってみる? それが嫌ならお尻。あ! ちゅーしてあげるっていうのはどう? ほっぺでも口でも、好きなところに……」
「も、もうわかったからやめて!」
クロードは赤面して熱を持つ顔を片手で隠しながら降参だ、と叫んだ。
「買うよ、払うから! だからもうやめて!」
降参し、完全に服従を決めたクロード。オルタナはふふんと得意げな笑みを見せながら言う。
「あら、別に色々触ってからでも構わないのに」
「…………からかうのは禁止。これ以上したら買わないぞ」
怒ったように呟く。オルタナは得意げな笑みのまま「はいはい」と言ってクロードの手から離れた。彼女の熱が消えて、段々と冷えていく自分の手のひらを自覚しながらクロードは惜しいことをしたかもしれないなぁと思ったが、すぐに否定した。どうせからかわれているだけだと。
それが証拠にオルタナは一向にその愉快そうな顔を止めない。クロードはわざとらしいため息と共にせめてもの意趣返しと文句を垂れる。
「こんなにたくさん買ったって、この術符はルーンが切れたらおしまいだよ?」
ルーンが切れてしまえば術符は紙屑同然だ。さすがに一回聞いただけでルーンが尽きるということはないが、それでも聞ける回数に制限はあるのだ。
「別にいいのよ。また聞きたくなったら買えばいいじゃない。あんたお金だけは無駄に持っているんだし」
「また僕に買わせる気なのか……」
上手いこと手のひらの上で転がされているという感覚はあったが、もう何を言っても勝てないだろうと早々に諦めてクロードは支払いを済ませることに。店員はほくほく顔だった。
それにしてもこんなに買うってことは本当に好きなんだろうなぁ。
ぼんやりとそんなことを考えながら術符を詰めた袋を渡される。勿論持つのはクロードだった。当人の態度がどうであれ女の子に荷物を持たせる気はさすがになかったのでクロードも大人しく従った。見た目は大きいが、中身が紙なのでたいした重さがないことは幸いだったと思う。幸いというだけで最善ではないのだが、そろそろそんな感覚も麻痺してきていた。
清算を済ませ、二人は再び中心街の通り道。買ってきたパンは閉まっていた店の壁に背を預けて立って食べることに。わざわざ座れるところを探すのも面倒だというオルタナの意見だ。ついさっき増えた荷物を地面に置いてパンの袋を開ける。買ったパンは四つ。ベーグルサンドとジャムの詰まったパイが二つづつ。オルタナの好みがあるだろうと、どちらも味は違うものを選んでいる。
「サーモンのフライとエビをボイルした奴。どっちがいい?」
どっちでもいい、と即答するオルタナ。その素っ気ない回答に不満を持ちながらも黙ってエビの方を渡す。紙に包まれたそれをオルタナは受け取って、そのままじっと見つめて動かない。どうしたのかと思って見ていると、なんとオルタナは紙に包まれたままのベーグルサンドに躊躇なくかぶりついたのだ。唖然とするクロード。ビリビリと中身ごと紙を噛みちぎるオルタナ。彼女はそのままくちゃくちゃと口の中で紙を咀嚼して……ゴクン、と飲み込んだ。
「…………」
「ま、待った待った! 待て待て待て! 待て!」
特におかしな様子もなくそのまま二口目に進もうとするオルタナをクロードが慌てて止めた。まるで犬を相手にしているかのように「待て」を連呼するクロードをオルタナは怪訝そうに見つめる。
「何よ。待ったらご褒美でもくれるの? その次はお手でもすればいいのかしら」
「そ、そうじゃないよ! 何やってんの君!?」
「…………」
オルタナは手にしたベーグルサンドに一度目をやって、真面目な顔でご飯を食べてるわと返してきた。
「見てわかるでしょう? というか、あんたがご飯にしようって言ったんじゃない」
「違うよ! そうじゃないって! それ、紙! なんで紙ごと食べてるんだよ!!」
指を指してクロードが指摘すると、オルタナはしばらく自分の歯型の付いた紙を見つめて一言。
「全く気が付かなかったわ」
「うっかりさんかよ!」
「これが盲点というやつね」
「盲点も何も食べた時点で、いや口に含んだ時点で気づくでしょ……」
「かなり上質な紙を使っているみたいよ。味も触感もパンと違わないわ」
「そんなわけあるかぁ!」
普通気づくだろうと呆れたように呟くクロードにオルタナはむっとした顔で告げる。
「食べ物はどれも一緒に感じるわ」
「…………」
もう何も言う気になれなかった。黙っていると、オルタナは更にむうっと口を膨らませる。
「クロのくせに生意気よ。大体、こんな食べるところがわかりにくいパンを買ってくるクロが悪いのよ」
文句を言いながら、食べかけのパンをクロードに突きつける。よくわからないままとりあえず受け取るとそっぽを向いてしまったオルタナが言った。
「ちゃんと食べれるところだけ私に渡しなさい」
「そんな子供じゃないんだから……」
「言っておくけどね、私はあんたの軽く二十倍以上は歳上なんだからね。年上の言うことは黙って聞くものよ」
子供じゃないとするのなら、つまり老人介護なのだろうか。ただそれを口にしたら脛が擦り減るまで蹴られそうだったので黙って言うことを聞いておくことに。
「ああ、そういえばそれも気になっていたんだけど、オルタナは三百歳くらいってことでいいの?」
「…………」
不機嫌そうにこちらを睨んでいたオルタナだったが、しばらくして質問に答えてくれた。
「そうね。私は作られた当初の記憶が曖昧だから正確な年齢は不明だけど、大体そのくらいよ」
つまり推定三百歳ということらしい。見た目は十四、下手したら十二くらいの女の子にしか見えない。見た目と中身の差異が半端ではない。若作りとか、そういうレベルではない。
「……アルマ=カルマは、その……不老不死なの?」
聞くべきかどうか迷いながら口にした疑問。オルタナはそれに迷うことなく答えた。
「不死ではないわ。不老ではあるけどね。大戦中に大勢死んだってそう書いてあったのでしょう? あれは真実よ。みんな死んだ。殺された。残っているのが誰なのかも、私にはわからない」
死んだ。殺された。その言葉はクロードに重くのしかかる。人が死ぬのは嫌いだった。殺すのも殺されるのも。
「探し人っていうのは――」
アルマ=カルマなの?
そう続けようとして、しかしそれはオルタナの言葉に遮られた。
「違うわ。今更仲間を探そうなんて思っていないわよ。さっき言ったじゃない。私が探しているのは顔も知らない誰かなの」
「そっか……」
そう呟いて、この話は終わる。だけどクロードは確かに聞いた。彼女が他のアルマ=カルマのことを《仲間》と呼んだことに。
「はい。もう全部、食べれるところだよ」
紙を剥いたベーグルサンドをオルタナに手渡す。彼女はそれを何も言わずに受け取ると、早速一口。赤と白の小ぶりのエビ。濃い緑色の瑞々しいレタスの葉。底に敷いてあるソースはチーズが入っているのか鮮やかなオレンジの色をしている。それらが彼女のさくらんぼのような色の唇の中に消えていく。その様子を見ながらクロードも自分のパンを紙から取り出した。
お互い殆ど無言で食事を続ける。ベーグルを食べ終わり、ジャムのたっぷり入ったパイに移った時。クロードの視界に見慣れた服がかすめた。白を基調とした魔法学園の制服だ。肩には王家の紋章である獅子のマーク。三人組の学園の生徒が楽しそうに話しながらクロードたちの前を横切って行く。クロードは反射的に視線を落とし、帽子を深く被って髪と顔を隠す。三人の声と足音が聞こえなくなるまで、じっと何かに耐えるかのように動かないでいた。チラチラと帽子の下から周りを確認してからようやく顔を上げた。
その一連の様子を見ていた、オルタナが冷たい声で言い放った。
「ビクビクしちゃって、馬鹿みたい」
その言葉が胸に突き刺さる。冷たい刃が心を抉る。いや違う。馬鹿みたいだと、情けないと思っているのは自分自身で、痛むのも全て古傷だ。自分がつけた傷に彼女は触ってきただけに過ぎない。
「だって、見つかったら馬鹿にされる……」
わかってはいても、口は勝手に言い訳をする。そんなクロードをオルタナは心底馬鹿にしたような顔で罵る。
「言い返すこともできない弱虫ってわけ」
「……そんなことしたって、仕方ないじゃないか」
「見返すことも、仕方ないことなの?」
「お、オルタナに何がわかるんだよ」
わからないわ、と彼女は続ける。
「わからないけど、知っている。あんたのことは大体モネから聞いてるわ」
クロ、とオルタナはクロードの目を真っ直ぐに見つめながら名前を呼んだ。
「あんたが思っているほど、あいつらはあんたのことを気にかけてもいない。昨日あんたに言ったことなんて、今はすっかり忘れているわよ。……だからあんたも、そんな気にすることないわ」
言って、彼女はすぐに別の方を向いてパイを口にした。
励まし、だったのだろうか。
よくわからない。殆ど馬鹿にされているような気がしたが、それでも最後の気にするなという言葉はまるで「大丈夫よ」とそう言われているようにも思えた。
彼らは自分のことなんかたいして気にかけてもいない。昨日馬鹿にしたことも今日には忘れている。
だけどそうだとしたら、それこそ不公平だとクロードは思う。彼らは自分のことを気にもしないで楽しい毎日を送っているのに、自分は彼らの姿にいつも怯えなくてならない。それを気にするなとオルタナは言ったのだろう。だけどそれは無理だとクロードは断言できる。自分に向けられた中傷を笑って見過ごすだけの強さをクロードは持っていない。気にしないなんて、無理な話なのだ。
「……ジャム、ついてるよ」
パイを頬張るオルタナのほっぺたに紫色に光るジャムがついていたのに気付いて、クロードは持っていた紙で拭ってやる。小さくありがとうと呟く彼女の姿は年相応の女の子にしか見えなかった。