愚王に集いし臣下達
地上、オードラン城内部。ぽっかりと開けた内庭で、上空を見つめる影が二つ。
オードラン国王、アルフレッド・アドルフ・オードランと、その執事、執事長バトラーの二人がそこにはいた。
二人は神妙な面持ちで上空に鎮座する浮遊城を見上げている。黄金に輝いているはずの建造物群の部分は、浮遊城の真下に位置するここからは見ることはかなわない。ただ、巨大な大地が空に浮かんでいる光景が、二人の見る〝空〟だった。
そしてその空は今、速度を持ってこちらへと落ちてきている。落下しているのだ。
「結局、どうにもできなかったのか……」
落ちないと言っていたはずの浮遊城が速度を上げて落下している。その理由はわからなかったが、意味は理解できた。
クロードたちは負けた。そういうことなのだろう。
あれだけ啖呵を切っておいて、こりゃあねえわ。
それはクロードに対する落胆。だがそう思うと同時、それ以上の自分に対する落胆が湧き上がってくる。
「状況に、勢いに、感情に流されて、的確な判断を怠った俺様のミスだ」
「…………」
「笑ってくれて構わないんだぜ? この国始まって以来の愚王だよ、俺様は」
「国王様の判断に誤りなどございません。あなた様の答えを、正しいものにしていくのが臣下の役目でございます。ですからこれは……」
「やめてくれ。この期に及んで、お前らのせいにするほど、俺様も愚かではない」
もう充分愚かかもしれないが、それはアルフレッドの中に残った最後の矜持、プライドだったのだ。
「まあ、でも逃げなくて正解だったなこりゃ」
この城で、クロードたちがオルタナを救い、国をも救ってくれるのだと信じて待っていて正解だった。正しい判断ではなかったと思うが、それでもいい。こうしてここにいるだけで、自分は死ぬことができるのだ。
「王都を崩壊させた愚かな王でも、王都と共に滅べば王族への批判も少しは減るだろう」
死を持って罪を償う。
自分一人の命で、事足りるとは思わないが。
「それはなりません。国王様」
バトラーはきっぱりとそれを否定した。
「あなた様の死は、国政に混乱を招きます」
「だが、王都が滅んだあと、俺様がのうのうと国王の座に居続けることを民衆は良しとしないだろうぜ。反乱がおきる可能性もある。だったら俺様はここで死んだ方がいい。そして、次の王を選ぶんだ」
ただ自分の背負うものを軽くしたいがため、罪から逃れたいがためにアルフレッドは死を選んでるわけじゃない。無論、そんな気持ちがないとは言いきれない。だがそれだけじゃなく、アルフレッドは自分の死の先、オードランの未来を見据えていた。
「俺様には兄弟も子供もいねぇから、アドルフの家はここで絶える。だけどまだ王族はいる。三百年前、リオン家の血筋が絶え、アドルフ家に全権が移った時と同じだ」
あっちは英雄、こっちは愚王で、かなり差はあるがな……。
「ブロワ家に全権委譲の通達をしておけ。俺様は死ぬからあとのことは任せたぞ、とな。あそこのおっさんなら、上手いこと俺様を悪役にして民衆をコントロールするだろうぜ」
「………………」
「どうしたよ、バトラー。いつものように〝既に準備はできております〟とは言ってくれないのかよ」
力なく笑うこちらに、バトラーはその硬い表情を崩すことなく告げた。
「御身の死を顧みず、その死後までも民草のことを考えぬく姿勢に、このバトラー、感服至極にございます」
そう言って、頭を下げて続けた。
「――――しかしだからこそ、ここであなた様を失うのが惜しい。あなた様はこの国を治めなくてはならない、真の王にございます」
彼の言葉に、アルフレッドは思わず心がくじけそうになる。死への覚悟が揺らぎそうになった。例え嘘でも、その場しのぎの方便でも、バトラーの言葉は充分に自分を救ってくれた。嬉しかったのだ。自分が歩んできた王道が正しかったのだと言ってもらえているようで。
だけど、耳を傾けてはならない。覚悟を鈍らせてはならないのだ。
アルフレッドはバトラーに背を向けてから告げる。
「いいから、早く準備だけしておけ。終わり次第、お前も城を脱出しろ。生きて、ブロワ家に俺様の言葉を届ける。それが俺様からお前への最後の命令だ」
アルフレッドは強い王になろうとした。何事にも揺らがない、力を持った王にだ。だから、最後の瞬間までそれを全うしようとした。自らの理想に手を伸ばし続けた。
「…………すまねぇなぁ」
だから、最後に漏れてしまった言葉は不覚だ。殺したはずの弱さが、再び姿を見せている。
バトラーは何も言わない。王の見せた最後の弱さに気づかないふりをしたのか、そうじゃないのか。それはアルフレッドにはわからない。もう自分には後ろを振り返る勇気も残っていないことに気づいて、アルフレッドは小さく笑みを作る。
情けない。まさしく愚王そのものじゃねぇか。
行き場を失った視線を上へと投げる。すると、アルフレッドの視界はおかしなものを確認した。
「ああ?」
思わず声が出る。アルフレッドが見たおかしな物体は浮遊城からこちらへ向かって凄まじい速度で落ちている。城の存在によって太陽が遮られているので、目視では正確な距離が測りづらいが、それでも段々とそれがこちらに近づいてきているのは、はっきりわかった。
アルフレッドは驚きこそしたが、慌てることはなかった。城に備わった防護障壁が弾き飛ばしてくれると考えたのだ。だがしかし、その予想は外れる。飛来物は速度を上げながら落下し、防護障壁の発動域を抜けた。
「落ちてきやがるぞ!?」
防護障壁が発動しなかった。それを確認してから落下までは速かった。内庭の中央、アルフレッドの数メートル先の位置にそれは飛来した。
轟音と、風と、抉られた土が舞う。アルフレッドはマントで顔を覆い土を避ける。
風が止んだ。土煙がまだ残っているが、たいしたことではなかった。
「なんだこりゃあ……」
飛来した謎の物体は、縦横ニメートル四方のブロック状の黄金の塊だった。それが落下の衝撃で地面にほんの少しめり込む形となっている。防護障壁が発動しなかったことに驚きながら、岩に近づく。
「…………」
黄金色。連想されるのは上空に鎮座する浮遊城だろう。浮遊城からの攻撃か、しかしそれならば防護障壁が発動しないのはおかしい。
「国王様、これは!」
アルフレッドよりも先に危険がないかを確かめるように黄金の塊を調べていたバトラーが、ある部分を指さして言った。
「これを見てください」
そこには文字が書かれていた。刃物で無理矢理に書いたような拙い文字だが、読めないことはない。
《時間を稼げ》
それだけだ。そこに書かれていたのは。
具体的なことはわからない。ただこれがなんらかのメッセージを持ってこちらに送られたものだとするのなら、送ってきたのは――――。
「…………!?」
再び上を向いたアルフレッドは驚愕に表情を変えた。視線の先、太陽すら届かぬ暗闇の中にそれを見た。
それは蒼い炎を吹きだして空を飛ぶ少女の姿。王国最強の騎士の姿。
何かしようとしている。そのことが直感でわかった。この黄金の塊は、彼女からのメッセージなのだと言うことも。
「まだ、諦めていないのか……」
まだ、戦っているのか。
アルフレッドは呆然と彼女を見つめながら、呟いた。
+
「きちんと、届いたようですわね」
モネは蒼の炎を纏いながら、空を駆ける。辿りつく場所は浮遊城の下部分、竜の巣でもある大地の部分だ。
上の大地と下の大地に挟まれるなんて、おかしな気分ですわ。
思いながら、モネは眼下に広がるオードラン城を見る。こうして見れば、浮遊城の高度が明らかに下がっているのがわかった。全体があまりにも巨大すぎるため、外から見ても落ちているという感覚はわかりにくいが、しかしこの距離を見ればそれは明白だった。
モネのの視線の先にはアルフレッドたちがいる。望遠魔法でようやく視認できるレベルだが、確かに王はそこにいた。その王に対して、浮遊城の建造物群の一部を切り取って伝言を記し、落としたのはモネだ。他にも色々と方法はあったのかもしれないが、咄嗟に思いついた中で一番早く要件を伝えられるのはこれだった。
「防護障壁に防がれるかどうかは微妙なところでしたけど、発動しませんでしたわね」
味方であるモネの行動だったからだろうか。詳しいことはわからないが、とにかく伝わったことは確かだ。あとはアルフレッドならなんとかしてくれるだろう。
あの王は軽薄で、学生時代を知っている身からすれば正直頼りにならないというかしたくないが、それでもやる時はやってくれる。モネの中でも理解しがたい妙な信頼が、あの王にはあるのだ。
「さて、と……」
これでもう頼れるものは頼った。足りないものはきっとアルフレッドがなんとかしてくれる。自分は、目の前のことを成すだけだ。
モネは浮遊城、その大地を見上げる。直近で見ればその巨大さは一層引き立ち、どんどん自分が小さく思えてきた。急に不安が襲ってくる。だが、負けるわけにはいかない。時間を稼がなくては。クロードが勝つための時間を。
彼が英雄になるための時間を。
「よし!」
覚悟を決める。既にこの身は精霊魔法によって精霊と化している。力は充分、この体に存在する。あとは、それを、ぶつけるだけだ。
モネは蒼の炎をまき散らしながら上昇。空の大地に向かって凄まじい速度で飛び出した。
やっぱり、わたくしは頭は良くないですわ……。
特に、クロードには絶対に勝てない。あんなものを見せられたあとで、彼に思考力で敵う人間がいるのかどうかも怪しい。あれは間違いなく、クロードにしかできないことだ。
だが、自分にも自分にしかできないことがある。みんなが認めてくれた才能がある。
この身は世界に愛され、力を得る。
――――モネは上昇する速度を保ったまま、大地へとぶつかった。
「う、ぐぅうう……」
勿論、その程度で大地はびくともしない。ただその表面を多少抉っただけだった。その程度、浮遊城の全体の質量を考えれば微々たるもの。だが構うものか。自分は浮遊城を破壊しにきたのではない。それはクロードの役目だ。クロードにしかできないことだ。自分の役目は時間を稼ぐこと。そのための力が自分にはあるはずだ。
「いっきますわよぉおおおおおおおおおお!」
雄叫びと共にモネは大地に手を付き全力で、力の限りに〝押した〟。
噴き出す炎の翼を推進力に、ただひたすらに落下する城を押し上げる。
それは酷く単純で、とんでもなく強引な力技。だが、それを成すだけの力が自分にはあると、モネはそう信じていた。
「城一つ押し上げられないで、なにが王国最強ですの!」
頭の良くないわたくしは、これくらいしか時間を稼ぐ方法は思いつきませんけど、でもだからこそ全力を尽くしますの!
考えるための力も何もかも全て全て全部を賭けて、ただひたすら城を押し返す。そうして流れに逆ってみて初めて、城が落ちているという感覚を得た。両手に、いや全身に伝わる重さと力がその証拠だ。その力に体が壊れそうになり、咄嗟に防護魔法と強化魔法で自身を防御。その間も城を押し返す力は緩めない。
浮遊城が落下する速度は確かに、落ちていた。だがそれはほんの小さな減速だ。城が落下するまでに換算してもたったの数秒ほどしか変わらないほど。それだけでは、時間稼ぎとしては失格だろう。
全力を尽くして、これだ。モネは絶望をその心に抱きそうになり、それを吹き飛ばすために心の内で叫んだ。
負けません! 負けませんわよ! クロだって、命がけで戦っているんですわ! お姉ちゃんが頑張らなくてどうするんですの!? こんな城、この程度の大きさ! わたくしがクロを思う気持ちに比べたら百分の一にだって届きませんわ!
「かみ、さまぁ……!」
自身の何百倍という質量を持つ強大な大地をただ一人で押し返そうとする少女。
少女は幾度目かの無力感を味わいながら、神を呼ぶ。
「あなた、そこにいるんでしょう……? わたくしを愛してくれているんでしょう……?」
だったら、助けてください。
そう望む。だがそれは自らの救助ではなかった。
「クロを、助けてください。わたくしの弟を助けて……」
望むのは、考えるのは弟のこと。自分の、家族のこと。
「あなたはあの子を愛していないのかもしれないけれど、でもあの子、本当に頑張っているんですのよ。それがようやく、報われるかもしれないんですの…………だから、だから! あの子を助ける力をわたくしにください! あの子の夢を、望みを叶えるために!」
それが、自分の望みだ。
だから、
「かみさまぁ! 助けてください!」
子供のように、叫んだ。
果たしてその懇願が神のもとへと届いたのか――――モネは突然、下方向へと体を飛ばされた。
「うそ……!」
自分はただひたすらに大地を押し上げようとしていたはずだった。そのための力は常に加えていた。大地の重さも常に感じていた。それが突然、弾き飛ばされるなんてことはないはずだった。考えられるとすれば、一つだけ。それはもっと別の、モネのとも大地のとも違う〝第三の力〟が介入した結果だ。
下方向に動く力に上昇する力をぶつけて無理矢理に停止した。通常なら身体がばらばらになるほどの負荷がモネにかかるが、防護魔法と強化魔法を展開した今なら問題はない。そしてよく、自分のいた場所を観察する。
見えたのは薄い青色に輝く壁だった。それがまるで空を飛ぶ巨大な城を支えるかのように、自分と大地の間に存在していた。
首を回し、体を回し、全体を確認する。薄い青色に輝く壁はいくつかに点在して、浮遊城の落下を止めていた。それがなんなのかを、モネは知っている。
「防護障壁ですの!?」
+
「防護障壁かっ!?」
アルフレッドは空を見上げながら叫んだ。
モネが浮遊城を押し上げようとしていたのも、見ていた。はたから見れば自暴自棄、苦し紛れの最後の手段のように思えるが、その結果、少しだけだが速度が弱まったのだ。だが、それがどうなると、アルフレッドは考えてしまった。ただ王都が滅ぶまでの時間が数秒伸びただけのことだとしか思えなかった。
何も言わず、ただ空を見上げていた。それしかできなかった。だが突然、その視界の中に防護障壁が現れたのだ。それによって浮遊城は完全に落下を止めた。その動きを停止したのだ。
「なんとか間に合ったようだ」
背後から声がした。廊下から、内庭へと歩いてくる人物。一番隊副隊長のジャン・ジャックだった。
彼の姿を見て、アルフレッドは驚愕する。既に自分と執事とメイドたち以外は避難をさせていたはずだ。
「お前、どうしてここに……!」
「……命令違反であることは承知しております。ですが、残らねばならぬ理由がありました」
ジャン・ジャックはアルフレッドの前まで来ると、膝を付いて右の拳を己の胸へと当てた。
「我らは王都の守護を任された騎士団の一番隊でございます。それが、王一人を置いておめおめと逃げることなどできません」
「…………」
ここは怒るべきだろうか。文句をいってやる場面だろうか。わからない。どうしていいのかが、アルフレッドにはわからなかった。
駄目だな、もう全然いつもの調子じゃねぇや。
ふざけた言葉の一つもでてこないのだ。
ただ黙ってしまったアルフレッドを見上げ、ジャン・ジャックは続けた。
「それに、他にも理由はあるのです」
「他にも、だと?」
「はい。今、この城には十番隊の隊員たちがいますね?」
十番隊の隊員たちはその殆どがクロードとモネの援護に向かい、負傷している。何人もの重症者を出しながらも、結果的に一人として欠けずに戻ってきたのはたいしたものだろう。やはり外海に挑む者たちは違うと、アルフレッドは感心さえした。
だが、隊員たちの中でも肝心のリリィが最も酷い怪我を負ってしまっていた。他の者たちとは比較にならないほど彼女は酷く傷ついていた。隊員たちの負傷もその半分が最後、リリィを守るためについたものだという話だ。
「特にローラン殿の怪我は酷く、避難させることもままならないそうですね」
十番隊の隊員が城に残っているのもそのためだ。無事な者、動かせる者は全員避難させようとしたのだが、彼らは隊長の傍から離れようとしなかったのだ。
「ならば、守らなくては。彼らもまた、私たちと同じ騎士なのだから」
「ジャン、お前……」
アルフレッドは驚く。十番隊を海賊だと罵っていた男が、その彼らを〝騎士〟と呼んだのだ。
ジャン・ジャックは王の反応を見て、恥ずかしそうに俯いた。
「私とて、どうしようもない石頭ではないつもりです。あれだけの戦いを見せた彼らのことを、認めない訳にはいかないでしょう」
騎士とは守るものだと、彼は言う。
惚れこんだ男のため、その男が守りたいと思った気持ちを守るために、巨大な敵と戦った彼らは間違いなく騎士なのだと。
「それに、死んでもらっては困るのです。野蛮な賊だと罵ったことを、謝らなければ。そうでなければ、私は騎士でいられない。この誇りが折れてしまう」
自らの誇りを守るために、ジャン・ジャックは残った。逃げずに、立ち向かう道を選んだのだ。
王の命令には逆らっている。その時点で、騎士としては落第のはずだった。
だけど、よぉ……。
今、自分の目の前で膝を付き、かしずく男の姿はまさしく誇り高き〝騎士〟そのものだ。
命令違反を問いただすことは簡単だ。だが、それをやる気にはなれなかった。なんだっていい。今こうしてこの場にいてくれることが、最大の忠義だと、そんな風にさえ思ってしまったのだ。
「おい」
だから言った。これまでのことではなく、これからのことをだ。
「あれはなんだ。防護障壁みたいだが、お前んとこの魔法か?」
「……勝手ながら城の防護障壁に手を加えさせていただきました。我々一番隊は王都の守護者。守りの魔法は得手でございますゆえ」
防護障壁は全体ではなく、浮遊城との接触面だけで発動しているように見えた。つまりあれは展開型ではなく反応型の防護障壁なのだと、アルフレッドは予想。もともとオーランド城に備え付けてあったのは展開型だったので、その辺りの変換を行っていたのだろう。
だがしかし、その予想を述べると、ジャン・ジャックは首を横に振った。
「あれは展開型でも反応型でもありません。全て一番隊隊員たちの手によって手動で操作しています」
「手動で、自分達で動かしているのか?」
「浮遊城の重さをできる限り分散させるよう、計算して障壁を展開しています。我々が行っていたのはその辺りの変換と調整。そして単純な強化です。最も、根本から違う魔法に作り替えるような作業になってしまったので、少々時間を取られてしまいました。間に合わせることが出来て、本当に良かった」
ジャン・ジャックは安堵の表情を見せた。
このために、彼はどれだけ走り回ったことだろう。彼らが諦めずに動き続ける間、自分が何をしていたかを考えて、アルフレッドは恥ずかしくなった。ただ諦めて上を眺めることしかできなかったことが、とても悔しくなったのだ。
何やってんだよ、アルフレッド……お前、王様だろうが。この国、背負ってんだろうが。
俯き、唇を噛む。行き場のない自身への怒りに震えていると、それを吹き飛ばすような明るい声が響いた。
「国王様ー! ご飯ができましたよー!」
は? と思わずずっこけそうになりながらも声の方向を向く。すると、メイド長のメアリが巨大なお盆を片手で器用にバランスを取りながら持って、小走りでこちらに来た。小走りと言えど、結構な速度を出しながらも、お盆は常に水平に保たれている。さすがメイドだ。だが不思議なことにお盆の上には全く何が何だかわからない謎の黒い球体がいくつも乗せられていた。あれは一体なんなのか、アルフレッドが考えている内にメアリはすぐに肉薄するほどの位置まで寄ってきて――――
「えーい」
なんて、気の抜ける掛け声と共に、その拳ほどの大きさの丸めた団子のような、謎の黒い球体をこちらの口へ無理矢理突っ込んできた。
「む…………ぐぅ!?」
突如、口の中には猛烈な甘さと辛さと苦みとしょっぱさが混ざったような劇的な味が広がる。まるで味覚の絨毯爆撃だ。だがその強烈なインパクトととは裏腹に、飲み込んだ後の後味はすっきりとしている。
これは……、
「美味ぇ、じゃねぇか……」
今まで食べたどの料理とも違う。なんだかよくわからない味と触感の凄まじいものだが、だけど美味しかった。本当に、どうしてだかわからないけど。
美味しい、という言葉を聞いて得意げになったメアリが顔をほころばせる。
「こんなこともあろうかと! 十番隊の皆様の治療の片手間に手の空いたメイドたちで戦闘用食を作っていたのです! 王国メイドにだけ伝わる秘伝レシピ《千日兵糧》! これ一つで千日は戦えるといういわくのあるものですわ!」
いわくなのかよ、と心の中でツッコミを入れながらアルフレッドは苦笑する。
「さすがに千日は戦い続けたくねぇな」
「ええ、ですから。今日一日で、千日分頑張ってください」
メアリはやはりお盆は水平に保ったまま、深々と頭を下げた。
「アルフレッド様の頑張りのお手伝いをするのが、私の役目。メイドの仕事でございます」
頭を上げたメアリはにっこりと笑った。その笑顔は自分が幼いころから見てきた、彼女のいつも通りの笑顔だった。そしてそのいつも通りのまま、メアリはジャン・ジャックにもその千日兵糧を口に突っ込む。直後、ジャン・ジャックが何やら凄まじい顔をするのを見ていると、バトラーがアルフレッドの肩を叩く。
「国王様、兵士団長様から緊急の通信です」
「クレマンからか?」
渡された通信術符を起動し、通話を始める。するとすぐに兵士団長カーネルの声が聞こえてきた。
「ああ、国王様ですか?」
「そうだよ。まったく、今度はなんだってんだ?」
「今度……? いえ、それよりもまずお伝えしたいことが」
なんだ? と問い返すと、カーネルは普段通りのどこか抜けたような口調で告げる。
「いやねぇ、そちらからは見えないと思いますが……浮遊城、小さくなっていってるんですよ」
「は?」
「削れていってるんです。外周から、少しづつではありますが」
アルフレッドは理解した。モネからの「時間を稼げ」というメッセージの目的と意味を。
どういう理由かはわからない。だが、浮遊城は小さくなっている。徐々に消滅していっているのだ。モネはその消滅までの時間を稼ぐために時間稼げと、そう言って、自らもそのために行動したのだ。
あれは苦し紛れの最後の手段ではない。勝つために、前へと進むための行動だったのだ。
「まだ半分ほどは残っていますが、防護障壁のおかげで動きも止まったし、もしかしたら王都落下までに間に合うかもしれませんやね」
「ん……?」
アルフレッドはカーネルの言葉に一つ引っかかる部分を見つけた。
「おい、お前。防護障壁が視認できる位置にいるのか? もしかしてまだ王都からでていないのか!?」
当たり前だが、兵士団も一番隊と一緒に避難を命じたはずだった。術符の向こう、カーネルは小さな声で「あちゃー」と呟いている。
「お前なぁ……れっきとした命令違反だぞ?」
「はっはっはー、そうかもしれませんね」
「…………どうして残っていたんだ」
カーネルは答えた、いつもと変わらぬ口調だが、しかしその言葉のどこかに重さを加えてただ一言〝悔しかった〟と。
「まだ学生だっていう子供に国の命運を預けて、彼らのために騎士様たちが必死になって戦っている横で、私らは何もしていない。避難誘導が終われば、それだけです。他に仕事も、できることもない。それがどうしても悔しかったんですよ。だから何かできることはないかと、時間ぎりぎりまで王都を回っていたんです。逃げ遅れた人や、取り残された人がいるかもしれないと思ったんです。ま、さすがにそんな人はいませんでしたがね」
そうして王都を回っていると、浮遊城が小さくなって言っていることに気づいたのだと言う。
「無駄なことをしていたと思っていました。ですがその無駄のおかげで、こうして国王様にご報告することができた」
「カーネル……」
「国王様、希望はまだ、あるかもしれませんよ」
アルフレッドは笑ってしまった。笑いは連続し、背をのけぞらせ声を上げた大きな笑いから、いつもの軽薄な笑みへと変わっていく。いつもの王へと、戻っていく。
「無駄じゃねぇよ」
はっきりと言った。
「お前らの努力や、諦めなかったその働きは決して無駄じゃない。おかげで俺様は希望を見つけた。俺様はまだ、前へと進める。全部、お前らのおかげだ」
バトラー、ジャン・ジャック、メアリ、カーネル。
一番隊の隊員に十番隊の馬鹿ども。
リリィに、モネに、そしてクロード。
この場にいる者にも、いない者にも、全員に告げるようにアルフレッドは口を開く。
「ありがとう。この愚王は精一杯、お前らに感謝しよう」
それだけ言って、肩の力を抜いた。ため息を吐くとぼんやりと呟く。
「まったく、諦めさせてくれねぇのな」
迷い、悩むことすら許さない。
自分を王として集った彼らは、ただ前へ進めと背中を押す。
それの、なんとありがたいことか。そのおかげで諦めずに済んだ。前へと進む希望を見つけられたのだ。
「これがこの国の力ってやつか」
「いいえ、国王様」
バトラーが微笑みながら言った。
「これはあなた様の力です」
「……そうかい。だけど多分、それも違うな。これはきっと、俺様たちの力だ」
王だけでも、国だけでもない、それを含めた全ての力。
人の力だ。
「副隊長殿!」
廊下を走り、内庭へと入ってくる一番隊の隊員がいた。彼はジャン・ジャックの傍まで来ると、焦ったように息を荒くしながら口を開く。
「報告です! 強化した防護障壁ですが、これ以上はもう持ちません! やはり浮遊城ほどの質量ともなると――――」
ジャン・ジャックはすぐに表情を変えた。
「いい! とにかく、あとどれだけ持つのか答えろ!」
「もって二分ほどかと思われます!」
小さなうめき声が聞こえた。ジャン・ジャックが漏らしたものだろう。だがすぐに神妙な面持ちで自分の部下に指令を伝える。
「わかった。なら確実に二分は持たせろ。集中させていた障壁をできる限り薄く引き伸ばせ。ルーンの消費量は増えるが、それで二分はなんとかなる」
「はっ!」
隊員は敬礼もおざなりにすぐさま元来た廊下を走って消えた。ジャン・ジャックがアルフレッドに振り返り、頭を下げた。
「申し訳ありません。ご覧の通りです。我々の力は及びませんでした……」
「いや、いい。――――二分だったな?」
確実に二分は持たせろ、とジャン・ジャックは命令した。それは正しい判断だし、同時に嬉しくもあった。自分たちが出来る精一杯を諦めない、そんな気概のように感じたのだ。
「バトラー」
アルフレッドは執事を呼ぶ。
「ワインを持ってこい。それも、とびきり上級なとっておきのをだ」
振り返る。そこにはバトラーが栓の開いたワインボトルを持って立っている。
「既にご用意しております」
「…………ああ、それでいい」
先代の代から取っておいたとっておきのワインを受け取ると、アルフレッドはそれをそのまま半分ほど一気に飲み干した。そして、残った半分はそのまま地面にぶちまける。
二分あれが充分だった。
それだけあれば、この魔法の発動に事足りる。
それは再起のため、国のため、自分を信じてくれた全ての者たちのため。
「さあ、全身全霊全力、全てを賭けて精一杯、時間を稼ぐとするか」
誰もが諦めず、ここまで付いてきてくれた。
だったら今度は、俺様が諦めない番だよなぁ!
「行くぞ……」
手を合わせる。祈りのように両の手指を絡めてそれを水平方向に突きだした。
「――、――――――!」
呟かれるのは現代の言葉ではない。オードラン建国当初、今では殆どお伽話でしか語られることのない三賢者の生きた時代の古代の言語。
すると、その言葉に反応して、地面へとぶちまけたワインが集まり、複雑な図式を作り出す。
古代言語を詠唱に、さらに図形式を重ね、アルフレッド自らが一国の王であるという事実すらも術式に組み込む。そうすることで発動されるのはオードラン国王にしか使えない魔法。アルフレッドが王であるが故に使える、限定魔法。
「この身に背負う歴史を知れ! 王国魔法《歴史の重み(ヒストリア)》ぁ!」




