「お前にしか、できないことがある」
じんわりとした絶望がクロードを包み込んでいく。
浮遊城が消えない。それはそのまま城の落下を意味していて、そしてそのことは同時にオードランという大国の滅亡の意も有していた。
城が落ちれば、王都は崩壊する。そうすればまだ城に残るアルフレッドたちは死んでしまう。それだけじゃない。王都の崩壊はオードランという大国の中枢機能の麻痺も意味している。それは決定的な隙であり、弱点になる。そこを他国は見逃しはしないだろう。
国が亡ぶ。戦争が始まるかもしれない。そうすればもっとたくさんの人が死ぬだろう。
クロードは恐れを抱く。考えなくてもいいことまで、思考は進み、最悪の結末ばかりが頭に浮かんでしまう。
「ファウストぉ!」
頭を抱え、今にも震えだしそうな自分とは対照的に、姉であるモネはオルタナを抱えたまま怒気をあらわにファウストの名を叫んだ。
「あなた、こうなることがわかっていましたわね!?」
ファウストは言った。彼女だけは、救われたのだと。そんな台詞はオードランが救われないことをわかっていなければでてこない。ファウストは全てわかった上で、この結末まで予測した上で自分たちを強力させていたのだ。
そのことにモネは怒り、殆ど殺意とも言える感情を影の男にぶちまけた。
「騙しましたわね、わたくしたちを……!」
『それは見解の相違というものだ。私は一言も〝この城が消える〟などと明言してはいない』
だがそこまで言って、ファウストは自嘲気味た笑い声をあげた。
『ふふふ――いや、認めよう。確かに私は故意に情報を隠蔽し、君たちを騙した。嘘の情報で協力を仰いだのだ』
「どうして、なんでそんなことを……!」
『何故? それも何度も言ったはずだろう。今の私は防衛機能の意志のもとに行動している。そして防衛機能の意志とは、エルドラドの生存とその保護だ。そしてそのためには君たちの協力は必要不可欠だった。だから騙した。嘘を吐き、エルドラドだけを救うように行動させた』
淡々と呟かれる事実にモネは俯き、体を震わせた。悔しいのだろう。出し抜かれたことも、出し抜かれてしまった己の未熟さも含めて悔しくてたまらないのだ。その気持ちはよくわかる。クロードも今、同じように思っている。
だけどそれどころではない。
悔しさを理由に、停滞してはいけないのだ。
「何故だ……?」
『……何がだ?』
呟くクロード。ファウストが首を傾げた。
「どうして、この城は存在し続けている。オルタナが術式と切り離されたことは真実のはずだ!」
そのことは確信が持てる。自分が行ったことなのだ。オルタナの世界は確かに明確になって、彼女はすでに人型術式ではなくなっている。だとすれば、未だ城が顕現しているのはおかしい。とっくに消えていなくてはいけないはずだと、クロードは言った。
「どうして、この城は消えてなくならない」
ファウストが振り返り、後方にある封剣を指した。
『見給え。封剣はまだ生きている。そして、今あれが刺さっているのはこの城……つまり術式だ。オルタナから切り離された術式に、封剣は〝触れて〟いる。術式はまだルーンの供給を受けている』
その結果、何が起こるのか。
『一度動かした歯車に力を送り続ければ、それは永遠に回り続ける機関となる。それと同じだ。術式もまたルーンの供給が途切れない限り、その姿を顕現し続ける。既に防衛機能を持つエルドラドと切り離された今、この術式には意志も目的も存在しない。故に浮遊魔法も発動されない。しかし、それでもその存在だけは残り続ける。術式の持つ生存本能とでもいうべきかな。強制される生存機能としての防衛機能が語るのもおかしな話か』
「じゃあ、城へのルーンの供給が無くならない限り――――封剣がある限り、この城は残り続けるっていうのか!? 浮遊魔法も何も使わず、ただただ形だけを残して」
そのまま、王都へ落ちる。
それがどのような結末を引き起こすのか、そんなものは明白だった。
『そういうことだ』
「だけど、それじゃあオルタナはどうなる!? 人型術式でなくなった彼女はこの城が落下する衝撃に耐える術を持っていない!」
『確かに彼女は持っていない。だが、君たちは持っているだろう? 正確に言えば、青騎士殿一人だが』
俯いていたモネが顔を上げる。ファウストが彼女に視線を移して続けた。
『落下の衝撃から二人を守ることは難しいだろう。だが君なら城が落下するよりも前に二人を抱えて空へと逃げることができるはずだ。衝撃の届かぬ地点までな』
「まさか、そのことを考えた上で……?」
モネの問いかけに黒い影は大仰に頷いた。
『せっかく助けたはずのエルドラドと一緒に君たちが心中する可能性は著しく低いと、防衛機能はそう考えた。君たちならきっとエルドラドと共に逃げてくれるはずだとな。そうすればエルドラドは生き残る。エルドラドは死なない。――――わかったかね? これが防衛機能の描いたシナリオ。防衛機能の意志だ』
「そんな……」
モネは再びうなだれる。もはや怒る気力も彼女には残されていないのか。オルタナを抱えたまま、ただぐったりとしてしまった。
オルタナを守る意志、その機能に出し抜かれた。騙された。そのせいで王都が滅ぶ。国が亡ぶ。自分たちのせいで、国が消えるのだ。クロードの心はついに絶望に埋め尽くされそうになる。それをなんとか振り払おうと、頭の中でいくつもの対抗策を考える。だがそのどれも、現実味のある作戦ではない。
絶望に追われる。
だがその淵にこそ、希望は現れる。そしてその希望を運んできたのは、おかしなことに絶望を持ってきた者と同一人物だった。
『――――そして、ここからは私個人の意思だ』
ファウストが再び言葉を作る。不思議なことにその声にあの淡々とした響きはない。むしろもっと強い、覚悟の色が見て取れた。
『時間がない。結論から述べるぞ』
黒い影の腕らしきものがこちらに向かって伸ばされた。クロードを指さしているのだ。そしてその体勢のまま、ファウストは告げた。
『良く聞け、クロード・ルルー。君なら、全てを救える』
「なにを、言って……全てってなんだよ!」
苛立ちと共に叫ぶ。だがこちらの反応など意にも介さず、ファウストは続ける。
『全てとは、言葉通り全てだ。エルドラド、オードラン、そして君自身のことさえも。何もかも全て全部を救い、君は英雄になれる。そのための力を君は持っている』
「……お前は一体」
自分たちを騙したり、そうかと思えば全てを救えるなどとわけのわからないことをのたまったり。
「お前は何がしたいんだ。お前はどっちの味方なんだ」
『防衛機能の意志と、私は何度も言ったはずだ。そしてここからは私の意志だともな。エルドラドを生かすというのは私の望みと重なるが、そのために他の全てを犠牲にしても構わないと言うのは、あくまでも防衛機能の見解であり、私のそれとは異なる』
オルタナと術式は切り離された。城の魔法によって再現されているファウストもまた防衛機能と切り離されたのだ。もうその意志に従う必要はないのだと、彼は言う。
『そもそも今の私の存在は複雑で、ややこしい立ち位置であることは理解している。だが君たちと一から信頼を築く時間はない。自分勝手で申し訳ないが、しかしこれだけは信じてくれ。私とて君らと同じ、全てが救われる最後を望んでいる。世間一般から見れば私は狂人の部類だろうが、だが不幸を望んでいたわけではないのだ。それはエルドラドの記憶を知った君ならわかってくれると思っている』
「ファウスト……」
クロードは思い出す。オルタナの記憶の中、ファウストの死を嘆く少女たちの姿を。それに仮にこの記憶がなかったとしても、今の彼の言葉には信じてしまいたくなるような強い意志の響きがあった。それは守るべきものを決め、やるべきことを明確にした人の言葉だ。
「クロ……! 足元を見てくださいな!」
突然、モネが驚きの声を上げる。クロードは一度自分の足元に目をやったが、特に驚くような変換はない。だがすぐにモネの言った足元が自分ではなくファウストのことなのだと気付き視線をそこに向ける。するとそこに見えたものにクロードもまたモネと同じように驚きを見せる。
「おい、ファウスト! お前、足が……!」
正確に言うならば、既にファウストの〝足元〟というのは存在しなかった。彼の足そのものが、消えてなくなっているのだ。脚だけではない。消滅は徐々に上へと上がり、腰のあたりまでもが消えかかっている。
ゆらゆらとうごめく、曖昧な影の姿が消えていっているのだ。
しかし、当事者であるファウストはそのことに少しも驚きを抱かなかった。まるでそれが当然の結末だと知っているかのように、静かな声で一言だけ口にする。
『もう時間がないか』
そんな彼の姿を見てクロードは気づく。目の前のファウストが浮遊城の魔法によって再現された存在ならば、それは消えた浮遊魔法と同じ存在のはずだ。防衛機能によって現れた彼は防衛機能との切断によって、消えてしまう。もうすでに彼をこの世にとどめようとする意志はどこにもないのだ。
『いいか、クロード』
消えゆくファウストはその間際、初めてクロードのことを親しみを込めて呼ぶ。
『お前なら、全てが救える。そのための力がお前にはある』
「待て! ファウスト!」
立ち上がり、手を伸ばす。まだ、消えては駄目だ。まだクロードはファウストの言葉の意味を理解していない。
「力ってなんだ!? それは創造魔法のことか!?」
『それも一つだ。だが全てではない。いいか、考えろ。思考するんだ。お前の創造魔法、戦術、体術、剣術、技術の全て――――その根幹はただ一つの〝力〟だ。そしてお前は深淵に至り、深淵と成った者。お前にしかできないことがある。〝力〟と〝深淵〟はそれを可能とする』
「な――――」
なんだ、と言う暇さえ与えられなかった。その間にもファウストの体は消滅していく。既に、残されたのは胸から上だけだ。
『いいか、考えろ。思考するんだ。考えるんだ、クロード。それが――――』
最後を言い終わるよりも前に、ファウストの体は完全に消滅した。
影の男がいなくなった。稀代の天才は消えてしまった。
残されたのは騎士と、無力な子供だけだ。
「なんだよこれ。嘘だろ……」
呟く。もうそんなことしか、クロードにはできない。
ファウストはクロード・ルルーなら――自分ならば全てを救えると言い残して消えた。だけど、それだけだ。具体的なことは何一つ聞けていない。どうすればいいか、わからない。思考が停滞を始める。その時だ。
「クロ……」
モネが不安そうな表情でクロードの名前を呼んだ。そんな姉の姿を見て、クロードは思う。
どうしていいのかわからないのは姉さんも同じだ……。
いや、実際モネの方がもっとわからないはずだ。ファウストは言った。全てを救う。それはクロードにしかできないことなのだと。モネにはできることがない。ただ、見ていることしかできないのだ。
彼女の手の中、まだ目を覚まさないオルタナを見る。その綺麗な金色に、渇望した少女の肌にそっと手を伸ばそうとして、寸前で思いとどまる。
駄目だ。今、オルタナに触れてはいけない。
それはきっと、逃避になる。そうしたら最期、クロード・ルルーは二度と絶望に立ち向かえなくなる。
立ち向かえ、抗え、戦い続けろ。砂を噛み泥をかぶり、地面を殴りつけて立ち上がれ。不様だと、哀れだと笑われながら、その嘲笑に怯えながら、それでも前へと進んでいく。それが自分の歩んできた道だ。劣等感と共に培ってきた確かなものだ。
今更、こんなところで逃げ出すな。
ここには自分を笑うものは一人もいない。怯える理由はないのだ。
「諦めるな……まだ僕は、戦えるだろう!」
口の中、己にだけ聞こえるようなほんの小さな声で呟いた。
消えゆく男の言葉を思い出す。防衛機能によって再現され、防衛機能の意志のままにオルタナを救おうとした男。そして最後にはその呪縛から解き放たれ、自らの意志によって全てを救おうとした男。彼はずっと戦っていたのだ。己を縛る枷と、そして自分自身と。
自分は、彼から託されたのだ。なにもかも全てを救う終わりへと導く方法を。
だから、諦めてはいけない。折れてはいけない。
彼もまた、オルタナが生きることを望んだ者なのだから。
その望みを僕が違えるわけにはいかない。
託された思いを確かに、クロードは再び思考する。停滞しかけていた思考を無理矢理に稼働させ、全てを救う終わりへの方程式を組み立てる。ヒントは全て、ファウストが残してくれている。
「全てを救う。英雄になれる――――」
ファウストが残した言葉を口にして、確認していく。そして呟く言葉よりも思考は遥か先を行く。そうして考えてみれば、キーワードとなる単語は二つだ。
「〝力〟と〝深淵〟か……」
自分の力と聞いて、真っ先に思い浮かぶのは創造魔法だ。だがファウストはそれも一つであるが、全てではないと言った。それだけじゃない。自分の持つ魔法、技術、その全てにはただ一つの根幹となる〝力〟があるのだと言ったのだ。それこそがファウストの言う要素の一つなのだろう。
だけど、それは一体なんだ?
クロードは考える。思案する。その過程で創造魔法によってこの城を消すことが出来ないかとも考えたが、すぐさま自身で否定する。創造魔法は究極的にはルーンの定着という単純極まりない魔法でしかない。創造魔法は無から有を生み出す魔法。完全に有を消し去ることはできないのだ。
やはり創造魔法だけでは無理なのだ。それを司る根幹を知らないことには、全てを救えない。
「そして深淵か……」
彼が言った二つめのキーワード。それをどこかでクロードは聞いたことがあった。
「思い出せ、思い出せよ」
脳をフル稼働させて記憶を洗い出す。覚えがあるということはきっと最近のことだ。最近、それもとてもインパクトのなる出来事……。
その疑惑の答えにはすぐに思い至った。オルタナと契約した際、彼女が発した言葉の中にそのキーワードはあったのだ。
――――汝に問おう。我が深淵を覗く覚悟があるか?
あの契約の口上はファウストによって考えられたものだろう。アルマ=カルマに契約機能を付けた彼が施した契約の儀。深淵という言葉はそこで語られていた。
我が、深淵? つまり深淵とはオルタナそのものなのか……?
オルタナそのもの、というよりは人型術式そのものということなのだろうか。
そしてファウストが言った『深淵に至り、深淵と成った者』とはつまり……。
「深淵がそのまま人型術式と同じ意味なら、じゃあなんだよ。そういう、ことなのか……」
「クロ、さっきから一人で何を呟いていますの……?」
怯えるモネにクロードは詰め寄る。
「わかったんだ! あいつが、ファウストが残したキーワードの内の一つが!」
なんのことだかわからない様子のモネは狼狽えるが、しかし今のクロードには彼女を気遣う余裕はなかった。場違いな興奮で体が燃えるように熱くなってさえいるのだ。
深淵に至り、深淵と成った者。
つまりそれはアルマ=カルマへと至り、アルマ=カルマに成った者。
「僕はオルタナと同じなんだ。彼女へと至り、彼女へと成った」
「な、何を言っていますの!?」
「僕は人型術式なんだ。僕はオルタナと同じアルマ=カルマなんだよ!」
モネは驚きの声を上げる。それもそうだろう。クロードでさえ、まだ半分は信じられずにいるほどだ。だが、それで説明できることがあるのだ。
「クロがアルマ=カルマ? 人型術式? そんなはずありませんわ! あなたがファウストによって作られた存在だとでも言いますの!?」
「違うよ、姉さん。僕はアルマ=カルマだ。でも、ファウストによって作られたわけじゃない」
確かに人型術式アルマ=カルマは今までファウストにしか作れなかった神秘と禁忌の体現だ。だがしかし、今までがそうであったからといって、これからも絶対にファウストにしか作れない保障はどこにもない。
「ならファウストと並ぶ天才がクロを作りあげたとでも? だけどクロは確かにわたくしの弟ですわ。腹違いではありますけれど、それでも確かにルルー家の人間ですのよ。誰かに作られた存在だなんて、そんなこと、ありえませんわ」
それに関してはクロードも同じ意見だ。誰かに作られた、何者かの手によって操作され、アルマ=カルマとして生まれた……わけではない。
深淵に至り、深淵と成った者。
つまりそれはクロードが自らの手で人型術式という存在へと、至ったことを意味しているのだから。
「僕は僕自身の手によって人型術式へと至った。僕は深淵に成った者。つまり、深淵そのもの、僕は人型術式なんだ」
「……そうだとしても、どうしてそんなことになったのかはわかりませんの? 自覚がなかったということは、クロだって気づいていなかったことなのでしょう?」
「うん、その通りだよ。そして理由は正直わからない」
だけど、考えがないわけではなかった。
「そもそも人型術式ってのがなんなのか、問題はそこだ。ファウストにしか作れなかったからと、大仰に、仰々しく言っているけれど、もっと簡単に言ってしまえばアルマ=カルマとは〝術式として機能できる人間〟のことだ。その身、その存在そのものが一つの術式として機能し、ルーンの供給によって魔法を発動させることのできる人間」
それが人型術式の定義だとするならば、
クロードは握り込んだ自らの拳を眺めてから、言う。
「既存の人間を人型術式へと至らせることだって可能のはずだ」
「そんなことが……!?」
「できる。僕の存在がその証明だ」
理由はわからない。たまたま運が良かっただけかもしれない。だがしかし、この身は確実に人型術式と成っている。自分は深淵に至ったのだ。
「待ちなさいな! そもそも、クロは本当に人型術式なんですの……?」
「……そうだするのなら、創造魔法のことだって説明がつく」
言語式にして十の千二百乗。無量大数以上の天文学的数字からなるはずの術式。膨大にして複雑なはずのその術式をクロードは持っていない。創造魔法の発動の際、クロードが行うのはただ一つの言葉を心の中で呟くだけ。それこそスイッチを押すだけだ。スイッチによって発動されるはずの機関はどこにあるのか……。
「僕が人型術式だとするなら、そのことに対しての説明ができる。術式は僕自身だ。オルタナはこの浮遊城を構築する術式をその身に内包していた。なら、創造魔法の膨大な術式だって、人の身に収まらないことはないはずだ」
契約者として、アルマ=カルマの魔法を発動する際に必要なことは二つ。一つは発動の意志を示すこと、そして発動に必要なルーンを供給すること。クロードという人型術式にとっての発動の意志とはすなわち心の内で呟かれる一言だ。あれこそがクロード・ルルーという魔法を発動させるためのスイッチそのものだったのだ。
モネは小さく頷いた。疑惑はまだあれど、とりあえずは納得したのだろう。
だけど、と彼女は言った。
「クロがもし本当に人型術式で、創造魔法の術式はクロ自身であったとして――――それでわたくしたちはどうすれば全てを救えますの?」
モネの問いかけに、クロードは何も言えずに黙ってしまう。
その通りだ。例え自分が人型術式であったとして、それで状況が変わる訳じゃない。何も変わらない。クロードは創造魔法を使える。それだけだ。
だけどファウストは言った。必要なのは〝力〟と〝深淵〟だと。つまりこの要素もまた、全てを救うには必要なもので…………同時に力もまた、必要不可欠だということだ。
考えろ、考えろ。ファウストの言う力とはなんだ? その意味に気づけなければ、何もかも失ってしまう。全ては救えないのだ。
考えろ、考えろ。思考しろ。どんな小さなヒントも見逃してはならない。彼の言った言葉を、その挙動の全てを思い出せ、洗い出せ。
再びクロードは記憶を引っ張り出そうとして、止まる。思考を一度、リセットしたのだ。
……待てよ。どうしてファウストは全てを語らなかった?
時間がなかったというのもあるだろう。だが最後、消える瞬間までこちらに希望を託そうとした男がどうしてあんな思わせぶりなだけの台詞を用意したのか。わざわざヒントをちりばめることなどせずに、ただ事実だけを語ればそれでよかったはずだ。
ファウストの行動の違和感に気づいたクロードはもう一度、男の最後の瞬間を思い出す。
――――いいか、考えろ。思考するんだ。
――――その根幹はただ一つの〝力〟だ。
――――そしてお前は深淵に至り、深淵と成った者。
――――お前にしかできないことがある。
――――〝力〟と〝深淵〟はそれを可能とする。
やっぱり、おかしい。〝力〟だけが、なんでこんなにも曖昧な物言いなんだ。
深淵については言葉が違うだけで、事実をそのままに述べている。だからクロードもすぐに気づくことが出来た。だが肝心のもう一つ、力に関してはファウストは明らかに明言を避けているようにも思える。
この場では言えないこと? 避けなくてはならない言葉だった?
いやその可能性は低いだろう。ここにいるのはクロードとモネだけだ。この二人に対して避けなければならない言葉が事実になるとは到底思えない。
「くそっ!」
絞り出されたのは不甲斐なさからくる自身への悪態だった。
もっと別の違和感を、他に思考するべき個所を探す。
考えろ、とにかく思考を止めてはいけない。
そう自分に言い聞かせる。すると、その言葉に対して頭の片隅で待ったをかけた。ほんの小さな違和感と、既視感。思い出すまでもない。考えろ、思考しろ。その言葉は他ならぬファウストが言った言葉だ。
考えろ、思考しろ。
それをファウストは何度も繰り返していた。その言葉だけを執拗に、何度もだ。
ならばそれはきっと彼にとって意味のある言葉だったのだろう。
これもまたヒントなのか? とクロードはその言葉を他のヒントと結び付けようとしたが上手くいかない。このままでは駄目だということはわかる。もっと視点を変えてみる必要があるとクロードは考えた。
「そもそもあれはヒントだったのか……?」
なんの他愛もない。ただ考えろ、という意味の言葉だったとしたら。自分が勘ぐっているだけで、言葉そのままの意味だったとしたら……。
いや、違う。そうじゃない。
一度頭を振るい、クロードは思考をまとめる。
もしもあの言葉が、言葉そのままの意味だったからこそ生まれる別の意味があったとするならば?
そのままの意味だったからこそ生まれる、全く別の解釈。
「ヒントじゃあ、ない。ならあれは、そのまま真実だったのか?」
気づく。閃きは一瞬で、クロードを答えと導いた。
ファウストは残された時間でヒントを述べていたわけではない。思わせぶりな言葉を吐いていたわけではないのだ。彼は最初から真実だけを語っていた。
そうだ。あいつが結論のあとに最初に述べた言葉も「考えろ」だったはずだ。
ならばそれこそが真実。それこそが〝力〟の正体。
創造魔法、戦術、体術、剣術、技術の全ては考える、思考する力――――クロード・ルルーの持つ思考力を根幹に持つもの。クロードの〝力〟とはすなわち、思考だ。
考えること。思考すること。それこそがクロードの持つ力、才能。
正直、にわかには信じられない。自分には特別すぐれたものがあるという事実は否定したくもある。だがもしもこの答えが正しかったのなら、と考える。
クロードは封剣を見つめる。その圧倒的なまでのルーンの発光は幼い頃にモネが見せてくれた光に似ていて、だけどやはりどこか違っていて――――そんな感慨と同時にクロードの頭の中では全てが一つに繋がった。
「そうか! そういうことか!」
思わず叫ぶ。全てが繋がった興奮で、身体が震えている。震える拳を握りしめ、クロードはもう一度叫んだ。
「そういう、ことか」
「ど、どうしたんですの?」
怪訝そうな顔を向けるモネにクロードは振り返る。
「わかったんだよ、僕たちが何をすべきか。どうすれば全てを救うことができるか」
答えを見つけたのだ。モネは安堵とも驚愕ともとれる表情を見せる。
「本当、ですの?」
「……浮遊城が顕現しているのは封剣のおかげだ」
クロードは視線を封剣へと向ける。向こうの景色が見えるほど透き通った美しい刃を睨みつける。
「封剣からの強制的なルーン供給のせいで、城はその形を保たなくてはならなくなっている。だったら、どうすればいいかは単純だ。その供給を止めてしまえばいい」
「で、ですが、封剣は引き抜くことも壊すこともできないんですわよ?」
おまけに触れる事すらできない。それが、かの英雄だけが扱えた封剣リオンハートだ。
「一体、どうやって……」
落胆しかけるモネにクロードは告げる。どうすればいいのか、その答えをだ。
「封剣のルーンを使い切る」
「え……?」
「城が落下するよりも早く、封剣がルーンを収集するよりも速く、封剣のルーンを使い切ってしまえばいい。そうすれば術式へ送られる分のルーンは無くなり、城は自然と消滅する」
「ですが、それこそどうやって――――いえ、できるはずありませんわよ!」
「できるよ」
できるはずだ。その道を示してくれた男がいるのだ。
全てを託された自分は、できなくてはならない。
「僕にしかできないこと。〝力〟と〝深淵〟はそれを可能にする、か。まさしくその通りじゃないか、ファウスト」
「まさか、また創造魔法ですの? 魔法によって、封剣のルーンを使い切るつもりですのね!?」
無茶ですわ、とモネは叫ぶ。
「いかに創造魔法が多量のルーンを必要とすると言っても、封剣の内包するルーンはそれを遥かに超えて膨大ですのよ!? 先程、一度試したではありませんの。オルタナの世界を明確にしても、その程度のルーン消費量では封剣にはなんの変化も訪れなかった。それを使い切るだなんて……」
確かにその通りだろう。モネの懸念は正しい。だがそれを超えてクロードにはやらなくてはならない、という思いと、必ずできるだろうという自信があった。
「大丈夫。自暴自棄になったわけじゃない。勝算はある。確証だって、ある。……ファウストが道を示してくれた。それに、これは僕にしかできないことだ」
ははは、と口から変な笑いがこぼれた。極限状態でおかしくなってしまったのかとも思ったが、そうじゃない。ただただ、この状況が面白かったのだ。
多くの人が、多くの騎士が、国が、皆必死になって自分をここまで運んでくれた。竜と戦い、英雄と戦い、天才と呼ばれた男と邂逅した。そしてその先、自分にしかできないことが存在している。多くの人の意志を背負い、押しつぶされそうにさえなった自分が、全てを救うための鍵を握っている。
おかしな話だ。隣には王国で一番強い騎士がいるのに、この場の主人公はまるで自分みたいではないか。状況が、世界が、自分に英雄になれと迫っているようで、それがおかしくてクロードは声を上げて笑ってしまう。
「姉さん。僕ね、嬉しいんだ」
笑いをこらえるようにして、クロードは言う。
「――――ようやく僕は、自分を許せる気がする」
自分のことは嫌いだ。己の弱さも、未熟も、醜さも、大嫌いだ。
だけど、それでもそれを許してやってもいいかなと、そんな風に思うのだ。
だってこれから自分は、多くのものを救うのだから。
その褒美としては妥当なところだろう。
……僕は自分を許せるだろうか。
「僕はやるよ」
ごめん、とは言わなかった。ただ、行くと。自分の意志をはっきりと告げる。それは決して折れないぞという意地の表れでもあった。そのことをモネもわかっていたのだろう。姉弟なのだ。大抵のことは他人以上に伝わってくれる。だから、
「あ……」
と、何か言おうとして、だけどその言葉は飲み込んで強く真っ直ぐにこちらを見つめる。
「行きなさい」
そして、告げる。
「わたくしはクロを信じていますわ。あなたならきっと、大丈夫。もし駄目でも、その時はお姉ちゃんが頑張りますわ。だから今は、あなたが頑張りなさい」
突き放すのではない。背中を押してくれる言葉。そのことに感謝しつつ、クロードは姉に背中を向けた。
もう何も言わない。言葉は要らない。自分はやるべきことをやるだけだ。
封剣の前へと立つ。その透き通る刀身を眺め、手を伸ばす。
――――僕にしかできないことがある。
ならばそれは自分の役割で、使命だ。
それを果たすため、力と深淵を携えてクロードは行く。
今度は両手で、封剣の柄を握り込んだ。
+
封剣に触れた瞬間、クロードを襲ったのは体の内側をかき混ぜられるような、そんな感覚だ。液体となった体に棒を突っ込まれているようにも感じる。
何かが体の内へと侵食してくるという実感は、純粋な不快感を生み出す。
だがその程度のことで手を離すわけにはいかない。なによりこの不快感はクロードにとっては二度目のことだ。先程、オルタナの世界を明確にするために創造魔法を使った時も、同じような感覚を得ながら封剣に触れたのだ。あの時と違うのは、今度は封剣のルーンが切れるまで手を離すわけにはいかないという点だ。たった一回魔法を発動させたあとは手を放しても良かった前回とはわけが違う。連続する不快感に耐えながら、絶えず流れ込んでくるルーンの処理もしなくてはならないのだ。それは特に集中力を有する作業だろう。
だから、こんなことを考えている場合じゃあないな!
ルーンが体に流れ込み、許容量を超えて肉体が破裂してしまうまでのほんの一瞬の間にクロードはそんなことを考える。それと同時に既に頭の片隅には創造魔法を使う際のイメージも出来上がっている。
創造し、変革するのは世界そのもの。
なるべく大きなイメージを持って、クロードは封剣のルーンを使い切りにかかる。
――――行くぞ、クロード・ルルー!
心の叫びは自らへの宣戦布告。弱い己を肯定し、しかし叩き伏せ、前へと進む戦争だ。
今、クロードの静かなる戦いが始まった。




