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君の世界に色を乗せて

 クロード・ルルーが再び目を覚ました時、目の前に広がっていたのは自分が焦がれた金色だった。

 ああ、やっぱり綺麗な色だ……。

 まだどこか判然としない意識でそんなことを思う。その間にもクロードの耳には聞きなれた声が聞こえてくる。それもまた自分が焦がれた人の声。彼女が必死に、こちらを呼んでいるのだ。

「クロ……! クロぉ!」

 強く肩を揺さぶられた。そこでようやく、クロードの意識はまともな水準にまで回復した。ゆったりとした動きで自分の肩を掴んで揺らすオルタナを見て、周囲の様子も見渡して、自分の置かれた状況を確認する。

 クロードの意識が戻ったことを知ったオルタナは肩を揺することは止めたが、手を放そうとはしなかった。まだ心配そうな瞳でこちらを覗き込んでくる。

「僕はクロード・ルルーだ」

 彼女の不安を取り除くため、クロードははっきりと言葉を口にした。

「僕はクロード・ルルーだ。オルタナじゃあ、ない」

 繰り返す。己自身に問いかけるように。

 自分はクロード・ルルーだ。

 弱くて惨めな、少年だ。

 オルタナは一瞬だけ、ぽかんとした顔を見せた後、肩に置いた手を離し、クロードの胸を軽く小突いた。

「遅いわよ。馬鹿……!」

 力の抜けたその声に、彼女が本当に安心したことを知って、クロードもほっとする。

「心配させちゃったよね。ごめん、遅くなって」

 これもまた、自分の弱さが招いた結果だろう。クロード・ルルーの心の弱さが、オルタナをこんなにも心配させてしまったのだ。オルタナだけではない。きっとモネだって心配していたはずだ。少し離れた位置、ファウストと共に佇むモネにクロードは視線を向けた。

 モネは何も言わない。ただ軽く頷いただけだ。その反応はきっと信頼の証でもあるのだろう。だけど、やっぱり姉弟だからか、胸の内ではきっと泣きそうなくらい不安に思っていたに違いないことがわかってしまう。そのことはとても申し訳なく思う。

『成功したようだな』

 ファウストがやはり淡々とした口調で言う。まるで成功すること自体わかっていたかのような口ぶりでもあった。

『悪いが、感動のシーンを演じている時間は残されていないぞ』

 城は落下している。そしてそれは、オルタナの肉体の限界を告げるリミットでもあるのだ。自分が記憶の中を漂っていた間、現実世界ではどれくらいの時間が経ったのかわからないが、ファウストの言う通り時間が残されていないのは確かだろう。

「わかってる。もう、大丈夫だ」

 自分は今、オルタナの記憶と心と、その全てを自分の事のように見てきたのだ。クロード・ルルーの頭の中には、今でも彼女の全てが眠っている。彼女の全てを見て、理解した。ならばクロードにとってオルタナはまっさらなキャンパスそのものだ。色のないまっさらな記憶のキャンパスに色を乗せていく。ただそれだけでいい。

 クロードはふらつくオルタナの体を支えながら立ち上がり、封剣のもとへとやってきた。ルーンの光に溢れたその空間に立ち、透き通る結晶の剣の柄に手を伸ばす。

「行くよ、オルタナ」

 一度、オルタナへと視線を向ける。

「今、君の世界を明確にする」

 目を瞑り、再び彼女の記憶に身を投げ出す。

 封剣をその手に握り込んだ。

 色のない記憶が、クロードに迫る。

 僕はまた彼女の記憶の中に潜っている。自分という存在をきちんと認識した今では、その奔流に飲み込まれることもなく、僕は僕としてオルタナの記憶を見ることができた。

 色のない記憶。

 オルタナは自分に心がないといった。

 苦しみも、幸せも感じられないとも。

 だけど、心は確かにあった。体を切り裂かれる痛みは知らなくとも、心を裂かれる痛みを彼女は知っているはずだった。誰かと共にいる幸せを彼女は知っているはずだった。ただ、それに気づいていないだけだ。気づけないだけだ。色のない記憶は何もかもをまっさらにならしてしまって、本来そこにあるはずの感情も壊してしまうのだ。

 だから、色を乗せよう。この記憶に色を付けるのだ。

 森の緑を色取ろう。

 雲の白を色取ろう。

 氷の青を色取ろう。

 夜の紫を色取ろう。

 草原の群青を色取ろう。

 大空の橙を色取ろう。

 世界に色を乗せていく。人を、森を、湖を、炎を、瓦礫を、血を、何もかも全てを鮮やかに色取っていく。

 暖かさには赤を、冷たさには青を。

 苦しみには黒を、喜びには黄色を。

 孤独には藍を、絆には茜を。

 人に色を。

 自然に色を。

 物に色を。

 感情に色を。

 心に色を。

 世界に色を、乗せていく。

 鮮やかに、鮮やかに、その綺麗でおぞましいものたちを色取る。

 ――――ねえ、オルタナ。君の記憶はこんなにも醜く、ともすればすぐに真っ赤な血の色に染まってしまうような壊れた地獄でしかないけれど、でもそこに幸せがなかったわけじゃない。安らぎや、暖かさは確かに君の中にだってあったんだ。

 この鮮やかに狂った世界で、君は多くの人に生きることを望まれてきたんだよ。

 モネは祈っていた。世界を織り成す神様に、自分を愛してくれた神様に、ひたすらに。

 弟が、大好きな人を救えますように――――。

 すでにモネの役割は終わった。自分にできることはもう何もない。祈りは、手を出せないことからくる焦りを払拭する手段でもあった。とにかく何かをしているという、その感覚が欲しかったのだ。そんな自分のことを卑怯だと知りつつも、やはり祈ることはやめられない。

 縋るように、縋るように、彼女は神へと祈った。

 手を合わせ神に祈り、しかし目線はしかと二人のことを見つめていた。目線の先にはクロードとオルタナがいた。クロードがオルタナの肩を掴むような形で、眼を瞑り……そこから次の動きが生まれることはなかった。

 どれくらい時間がたったかはわからない。もしかしたら、ほんの一瞬のことだったかもしれない。

 ――――クロードの体が揺れた。目を閉じ、顔を伏せていた彼が顔を上げてぐらり、と体を傾けたのだ。

「あ……!」

 危ない、とそう思った。このままでは頭から床に倒れかねない。モネは咄嗟に移動魔法を発動、クロードのもとへ駆けつけようとした。だが魔法の発動の瞬間、モネは倒れそうになるクロードがこちろを向いていることに気づいた。彼の口が何かを訴えかけるように開いていることにも。

 一瞬のアイコンタクト。明確な意志まではわからなかったが、弟の様子だけで〝何かがある〟ということに気づいたモネは瞬間的に周囲を見渡す。クロードの言っていた何かは彼のすぐ近くに存在していた。それも目の前。オルタナだ。クロードが体勢を崩したことに気を取られ確認が遅れてしまったが、オルタナはクロードよりもよっぽど危ない倒れ方をしていた。

 というかあれ、意識を失ってますの!?

 判断は瞬間的だった。モネはクロードに向かうように発動していた移動魔法の上からさらに新たな魔法をかけ直す。発動させた魔法は二つ。いずれも最初の一つと同じ移動魔法だ。自分の向かう方角に対して正面に来るような力の流れを作り、減速を行うための一つと、方向を変えるための一つ。それによってモネはクロードに向かっていた自身を無理矢理オルタナのもとへと届かせた。

 魔法による高速の移動。モネはオルタナが完全に倒れ、床に体をぶつけてしまうよりも前に彼女のもとへ届き、その体を両の手で支えた。

 間に合ったことにほっとし、胸をなでおろすが、すぐにクロードも倒れそうだったことを思いだす。急いで振り返った先、弟は倒れているものの綺麗に受け身を取っていたのでたいした怪我はないようだった。

 今度こそ本当に安心するのと同時、弟に対しては少し過保護すぎたかと反省する。彼を心配するあまり、本当に危なかったオルタナを見逃すところだったのだ。

「しかし……」

 オルタナは気を失っている。理由はわからない。どういうことなのかと、解説を求めるようにモネはクロードを見つめる。クロードは立ち上がり、頭を振りながら答えた。

「成功はしたはずだよ。創造魔法は間違いなく発動した。オルタナの世界はもう明確なはずだ」

「でも、どうしてこの子は気を失ってますの?」

「それは……」

 と、クロードは口ごもる。その理由までは、クロードにもわからないようだった。彼にしてみても自分が倒れたと同時に、オルタナまでも倒れてしまい、相当に驚いたことだろう。難しい顔をしながら、モネの腕に抱かれているオルタナを覗き込む。

「死んでいるわけではないよね……?」

「ええ、それは確かに」

 脈はある。ためしに体を触診してもみるが、目立った異常は見られない。

「急激に現実を改変したから、その変化にオルタナ自身の体がついてこれていないのか?」

「それで目を覚まさないと、そういうことなんですの?」

「完全に思いつきだから、なんとも言えないけど……」

 自信なさそうに首を傾げるクロード。

『その推測は殆ど正しい』

 いつの間にかファウストが自分達の後ろに立っていた、彼はやはり淡々とした口調で告げる。

『だがそれが全てというわけではない。エルドラドの気絶は単に創造魔法のせいだけではない。むしろ、自分の身体から切り離されたことのほうが多く関係しているだろう』

 自分の身体。それはこの場合……。

「術式、ということか」

 クロードが答える。ファウストが小さく頷いた。

『君が世界を変革させた。彼女の世界を明確にした。結果、エルドラドは人型術式としての機能を失った。そうして今ある術式と切り離されたのだ。彼女が意識を失ったのはその際のショックが原因だろう』

「大丈夫、なんですの?」

 モネは思わず不安そうに問うた。話を聞く限りでは結構な大事のように思える。今のオルタナに負荷をかけるのはまずいのではないかと、そう思うのだ。身体を切り離されるという言葉のニュアンスはとても痛い。

 だがファウストは板って落ち着いた様子で続ける。

『問題はない。こうなることは予想の範疇だった。むしろこうなったことで、彼女が救われたという確証を得られたくらいだ』

「そ、それじゃあ!」

 オルタナは救われた。彼女の世界は変わった。もう人型術式ではない。この城は既に彼女と切り離された。もう、オルタナの命を脅かすものはなにもない。そう思っていいのかと、そんな思いでモネはファウストに聞いた。

「もう大丈夫なんですね?」

 ファウストは動かない。ただ言葉だけを投げかける。

『ああ、これでエルドラドは救われた。もう大丈夫だ。――――彼女だけはな』

 彼女だけは。

 その言葉の真意を理解するよりも先、現実が、現象が全てを語る。

 聞こえたのは轟音。大気を震わす圧音だ。それに合わせて床が、天井が、城そのものが鈍く震えだす。あらゆるものが震え、大気が裂かれ、音と振動が体を伝わる。

「な、なんですのこれは……!」

 モネは咄嗟にオルタナを抱く腕に力を入れる。何かあった時は自分が彼女を守らなければと思いながら、周囲の状況を確認する。だが何がおこっているのかわからない。伝わってくるのは音と振動と、それだけだ。まるで世界そのものが壊れていくようで、モネは判然としない恐怖を抱く。

 震えているのが城か、自分なのかわからなくなった頃、クロードが穴の開いた天井から空を眺めながら呟く。

「落ちている? それもさっきよりも早く……」

 彼の言葉を聞いて、モネは背筋が凍る。突然襲ってきた絶望を振り払うように、それこそ縋るような声でモネはクロードに尋ねた。

「で、でもオルタナはもう人型術式じゃないから……だからこの城も消えるはずで――――」

 しかし、クロードは焦りながらも冷静に、絶望的な真実を言葉にした。

「いや、消えていない。むしろ消えたのはわずかに残っていた浮遊魔法の方だ。この城そのものは消えていない……!」

 クロードが拳を強く握り、それを床に叩きつけた。

「このままじゃ城は確実に落ちる! オードランが滅んでしまう!」


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