「どうして誰も、わからない」
その時だ。クロードの懐から〝ピピピピピ〟と場違いな音が鳴る。その音の正体に心当たりがなかったクロードは少し焦りながら服をまさぐる。そうすると、上着のポケットに妙な感触を覚える。
「これは……」
取り出す。それは通信用の術式の描かれた術符だった。モネやファウストの方に視線を向けてみるが、モネはこちらと同じように驚いているし、ファウストは何も言おうとはしない。二人にしても与り知らぬ術符のようだった。恐る恐るといった風にクロードは術符を耳に当てる。それが発動のサインだったのか、術符は起動。通信の向こう側の声を届けた。
『おーっす、クロード』
「国王様!?」
声の主はアルフレッドだった。通信先の相手が国王であることにも驚きつつ、クロードは単純な疑問を浮かべる。
「国王様、この術符は……?」
『ん? ああやっぱびっくりしたか? お前が出ていく前にこっそり上着に忍ばせておいたのさ。こういう器用なこと、俺様超得意なんだぜ』
「……それ、形を変えたスリじゃないですか」
アルフレッドはこちらの文句を笑って流す。だが、そのへらへらとした笑いは、いつもの軽薄な雰囲気が足りていないような気がした。どこか、切羽つまっているように聞こえるのだ。
『クロード。そっち、どうだ?』
彼が聞くのは、こちらの状況だ。実際、この術符はそのためにクロードの懐に忍ばされたものなのだろう。頃合いを見て、通信によって状況を把握するつもりだったのだ。
『どうなんだ? 浮遊城に侵入が成功したことは十番隊の連中からの報告で聞いている』
「十番隊……!? じゃ、じゃあリリィさんは? リリィさんは無事でした!?」
『心配すんな。重症だが、死んじゃいない』
その事実に、クロードはホッと胸をなでおろす。彼女が生きていたというだけで、随分と肩の荷が軽くなったような気がした。だがそれはクロードの心情の問題で、現実の事情の解決には至らない。
『教えてくれ、クロード。そっちは今、どうなっている?』
すでにアルフレッドの声からは完全に軽薄さが消えていた。焦ったように何度も繰り返す。
『そっちは、どうなんだ?』
「…………」
クロードは少しだけ迷ったあと、事実をありのままに伝えることにした。
「状況は最悪です」
『こっちでも確認している。やっぱり、浮遊城はこのまま王都に落ちるのか?』
「いえ、浮遊城は落ちません」
『……? なら、何が最悪だってんだ?』
「このままいけば、オルタナを助けることができません。彼女は命を落とします」
『…………』
今度はアルフレッドが迷った。思考の時間はほんの数秒だっただろう。彼は王としての言葉をクロードへ向けた。
『いいか、クロード。国家として考えるなら、オルタナの救出は絶対の課題じゃない。最も優先されるべきは国の存亡だ』
「だけど、僕はオルタナを救いたいです。彼女に死んで欲しくはありません」
王の言葉に真っ向から反論する。そして、更に続けた。
「申し訳ありません国王様。きっと、僕は今からこの国を裏切ることになるんだと思います」
『何をするつもりだ!?』
「オルタナを人間にします。彼女を人型術式でなくします。そうすれば、彼女は死なずに済む」
王は少しだけ考えたあとに言った。
『つまりそれは、あの論争の場でお前が俺様という国家に対して提示した、アルマ=カルマを救出するためのメリットを捨てるってことか』
オルタナを救う。
そのことに対してクロードが提示したメリットは、そのどれもが彼女が人型術式であったからこそ得られるものだった。それを捨てるということ、それはつまりオルタナを救うための国としての大義名分を失うということだ。
『わかってるのか? それをすれば、彼女はこの国にとってデメリットしか持たない完全な害となる。そのことをお前は、わかっているのか?』
「わかっています。これから僕がしようとしていることは、この国にとっては余計なことでしかないんだと思います。だって、このまま放っておけばオードランは生き残るんですから。でもそれじゃあ駄目なんです。僕はオルタナを救いたい。それは僕にとって、何より大事なことだから」
だがそれはきっと国に対しての裏切りだ。円卓の上で語った国への利益を自ら捨てに行くのだ。それは反逆と変わりない。
「ごめんなさい。あなたを裏切るようなことになってしまって……でも僕は――――」
その先に、また言い訳を続けようとした。だがそれはアルフレッドの叫びによって遮られる。
『ふっざけんじゃねぇ!』
怒声。怒りを含んだその叫びに、クロードは発しかけた言葉を飲み込む。
『ああ、ムカつく。イラつくぜ! どいつもこいつも何勘違いしてやがる! 間違ってんだよ何もかもよぉ!』
最初、その声はこちらを責めるものだとクロードは思っていた。だけど徐々に、アルフレッドの声にはその響きがないことがわかってきた。むしろ彼の言葉は、自分自身に向けられているようだったのだ。
『おい、モネもオルタナもそこにいるんだろう!? この国の王の言葉だ。全員一言一句残さず聞きやがれ!』
クロードは術符を自分の耳から離してモネとオルタナの方を見た。二人とも、今までの会話も聞いていたようで、不思議そうな顔をしながらもクロードの持った術符の方へ向き直り、王の言葉を持った。
一呼吸。術符の向こうでアルフレッドが息を吸う音が聞こえた。
そして、王は叫んだ。
『国は、死を望まない! 人の不幸を、損失を決して望まない! この国の王は俺様だ。ここは俺様の国だ。俺様が王様である限り、国は絶対に死を望まない! 俺様は人の死を望まない!』
人の死を望まない。
不幸を、損失を決して望まない。
その意味を、アルフレッドは叫んでいるのだ。
『確かに大のために小を切り捨てなきゃならない時はあるだろう。それを実行しなくてはならないこともある。だけど、それは苦渋と後悔の先にある選択だ。国は決して、自ら進んで人の死を望まない。それが例えこの国に対しての害悪であろうと、なんの役にもたたないただの子供だろうと、変わらない! この国は人の優劣で死に意味を与えたりはしない!』
叫ぶ。叫ぶ。その声は、もう王としてのものではなく。ただ目の前の現実に怒り狂う、青年のものだった。
『どうして誰もわからねぇんだ! どうしてみんなわかってねぇんだ! 不当に死を押し付けられることは酷いことだってみんな知ってるだろうがよ! だったらそれは国だって同じのはずだ! 人が集まってできた王国が、人の望まないことを望むわけねぇだろうがよ! そのことを、てめぇらだけでも理解しやがれ!』
クロードも、モネも、こちらへと届く青年の怒りにただ茫然とするだけでたいした反応を返すことができなかった。そんな中、ただ一人オルタナだけが、青年の名前を口にした。
「アルフレッド……」
その声が届いたのだろう。青年は少しの間押し黙ると、再びその叫びを再開する。
『いいか、オルタナ。俺様は、お前の死を望まない。…………俺様だってなぁ! お前に死んで欲しくなんかないんだよ! それくらいわかれよ!』
だから、
『だからクロード! お前の態度がムカつくんだよイラつくんだよ! 何謝ってやがるんだ。何申し訳なさそうな声出してんだよ! 人を救うことが悪いことなわけねぇだろうが!』
「で、ですが国に対しての利益は……」
『ああ!? んなもん今更どうだっていいんだよ! オルタナの存在が国にとっての害でしかないとしてもなぁ、それでそいつが死んでもいいなんてことにはならねぇんだよ! デメリットしかなくても、その分は俺様はなんとかしてやる! 人型術式なんてなくても、俺様がこの国を発展させてやるよ! 誰の悲しみも吹き飛ばしちまうような、最高に面白い国にしてやる。もう誰も失わない、犠牲にならない、そんな国を俺様がこの手で作ってやるよ!』
だから、だから、
『謝るな! 迷うな! 後悔すんな! 救う方法があるんだろ、見つけたんだろ!? だったらうだうだ言ってねぇでさっさと救って帰ってこい! 三人一緒にだ。お前たちは俺様の国の未来に必要な存在なんだよ!』
それは青年の心の吐露。王として正しくあろうとし、結果抑圧された青年としての正しさの主張。魔法師としても落第で、騎士にもなれないこの落ちこぼれが、一国の王に必要とされている。その支持は何よりもクロードの心を響かせた。そして同時に、この通信の先にいる王は自分と同じ一人の人間であるのだと思い知る。
国も王も、誰も彼も、オルタナの死を望んではいない。
「……はい。わかりました」
『本当かよ。大丈夫かよ。本当に、わかってんのかよ』
「ええ、本当に本当にわかりましたよ」
あなたの心は、気持ちは、きちんと僕らのところまで、届きましたよ。
「だから、任せてください」
『……いいか、胸を張れクロード。そうじゃなきゃ、何も任せらんねぇぞ』
「はい」
背筋を正す。胸を張る。向こうからは見えてはいないだろうけど、そうした。
『王として、男として、このアルフレッド・アドルフ・オードランはお前に全てを任せた』
――――頑張れよ。
最後にそう言い残して、アルフレッドとの通信は切れた。
ルーンを失い、効力を失った術符をクロードは投げ捨てた。もう言葉は要らないと示すように。
わかっていますよ。本当に。
心の中、地上にいるはずの王へと告げる。
わかっているから、任せてください。
「クロ……」
オルタナが、少しだけ不安そうな顔をしてこちらを見ていた。クロードは彼女を真っ直ぐに見返して、言う。
「行こう、オルタナ。君を救うために」
王の許しを得た。一人の男から全てを任せられた。
ならばもう、止まる訳にはいかなかった。
「始めよう、ファウスト」
アルフレッドからの予想外の通信も終わり、いよいよクロードはファウストの指示を仰ぐ。すると彼はクロードではなく、モネの方を見て説明を始めた。
『エルドラドの記憶、人格の情報化。及びその情報のクロード・ルルーへの埋め込みは魔法によって行う。その魔法の発動は青騎士殿、君に頼みたい』
「わ、わたくしですの?」
突然の指名にモネはたじろぐ。
『今の私は魔法を行使できない。エルドラドの魔法ならば同じことが可能だが、これ以上彼女に負担をかけるわけにはいかない。クロード・ルルー自身が魔法を使うという選択肢もあるが、彼が創造魔法以外の魔法式を行使できない以上、必然的に青騎士殿に頼むほかないのだ』
「それはわかりましたけれど……しかしわたくしはそんな、記憶の情報化なんて魔法使ったことありませんわよ? 一から術式を構築するにしても……」
『問題ない。すでに君に合うよう、術式の構成は考えてある』
言って、ファウストはどこからか取り出したチョークで床に不可思議な言語や模様の入り混じった図を描いていく。それはクロードがオルタナの魔法を発動した際にも現れた言語と酷似していた。つまりこれがファウストの使う魔法式の基本なのだろう。
『青騎士殿の魔法特性は変換と生成。炎を剣に、剣を炎へ変えていくエネルギーの循環。魔法という技術の基礎中の基礎とも言える特性だ。その分面白みに欠けるが、しかし基本に特化したからこそ、君は最強の模倣者足りえたのかもしれないな』
言いながら、ファウストは流れるような手さばきで術式を床に描いていく。円形を軸にした魔法陣系の魔法式。いくつもの複雑な言語と図形によって何週も重ねるように描かれたそれは大木の年輪を思わせた。
『よし、これでいい。これなら、あとはルーンを込めるだけで青騎士殿でも情報化と埋め込みが同時に行えるだろう』
「本当にこれで……?」
『君が有り余るルーンによって無理矢理に魔法を形にする技術を持っていることは既に防衛機能の知るところだ。少し大きくなってしまったが、半分以上は術式そのものの強度の強化にあてているから、遠慮なくその無尽蔵のルーンを込めてくれ。まあそれでなくてもなるべく君の特性に合うような構成にしたつもりだがな』
モネは床に描かれた術式を指でなぞりながら全体を物色する。何度か視線を行ったり来たりさせてから、感嘆の声を上げた。
「基本となる言語や図形は意味不明ですけれど、全体の構成はわたくしの魔法に似通っている……というより殆ど一致していますわ。確かに、これなら大丈夫かも」
モネは顔を上げてファウストのことを信じられないものを見るかのような目で見つめた。
「まさか防衛機能からの情報だけで他人の魔法特性を理解したんですの? この短時間で、信じられない……」
『何を驚くことがある。私は天才だぞ』
大仰に答えてから、ファウストはようやくクロードとオルタナの方へ向く。
『クロード・ルルーとエルドラドはこの魔法式の中心に座ってくれ』
手招きをされるがまま、クロードはオルタナを支えて立ち上がる。オルタナはクロードに支えられてようやくゆっくりだが歩けるようになるほどで、もう肉体の限界は近いようだった。それでも、そんな状態でも彼女の顔には苦痛の色すら浮かばないのが、クロードにはなんだかとてもたまらなく悲しく思えてしまった。
『よし、それでいい。青騎士殿はここだ。この位置が術式の核となっている。ここに座って、合図と共にルーンを術式に送ってくれ』
「……了解しましたわ」
まだ驚愕が抜けていないモネだったが、ファウストの言われた通りの位置に座り、クロードとオルタナも指定された魔法陣の中心に座る。その際、ファウストからオルタナと向かい合うように座れと指示を受けたので、その通りにする。
『さてこれで準備は殆ど整った。あとは最後の仕上げだ』
パチン、と影は手を叩く。
『クロード・ルルー、エルドラドと肉体接触をしろ』
「は…………はぁ!?」
突然の要求にクロードは一瞬で平静を失う。
に、肉体接触? それって、どどどどういう…………。
『何を驚いている。君はこれからエルドラドの肉体と情報のやり取りをするのだぞ? 肉体同士は近ければ近いほどいい。接触面があれば尚更だ』
「い、いやそうだとしても、こんな姉さんの前で……」
逡巡するクロード。その様子に不審なものを感じ取ったファウストは小首を傾げ……直後ににやりとした嫌な笑みを顔のないはずのそこに浮かべた。
『ほう、どうやら君は何か大きな勘違いをしているようだな。卑猥な妄想たくましくしているところ悪いが、手でも繋いでもらえばそれで充分なのだぞ』
「え……?」
一瞬、何を言われているのわからず固まる。だが次の瞬間には全てを理解して、直後に自分の体温が急激に上がっていくのを感じる。今鏡を見れば顔を真っ赤にした自分が映ることだろう。
口をぱくぱくと動かすが言葉は出てきてくれない。そんなクロードの姿が面白かったのか、ファウストはさらに追い打ちをかける。
『まあ君のような年頃の男子の思考が淫猥な方向に行きがちなのは私も承知している。この私にだってそういう時代はあったわけだしな。いやはや若いというのはそれだけで恥にもなり得るのだなぁ、はっはっは』
「い、いんわいとか言うな! 大体あんたが肉体接触なんて紛らわしい言い方をしたのがいけないんだろうが!」
『ほほう、責任の擦り付けと来たか。ならばその主張に対して私は「喚くなよエロ餓鬼」と反論しておこう』
「それは反論じゃなくてただの悪口だ!」
こいつ、こんな冗談も言う奴だったのか、とクロードはどこか掴み所のないファウストの人格に対して思った。ただそれはそれとして非常にむかつくので一発殴ってやろうかとも考えたのだが、拳を握りかけたその手のひらをオルタナに掴まれた。
彼女が両手でクロードの腕を包み込むように握る。その細い指の感触が伝わってきて、そんな場合ではないと思いつつもクロードの心臓は鼓動を早くする。
「これでいいんでしょ」
「あ、オルタナ……」
「しっかりしてよ。私を救ってくれるんでしょう?」
そう微笑まれる。高鳴る心臓とは別に、頭の中は急激に冷やされていく。これから、彼女を救うのだ。ふざけているわけにはいかない。オルタナの手を握り返す。その壊れそうな感触をしっかりと確かめた。
その様子を見ていたファウストが更に面白いことを思いついたようで、一層楽しそうな声で告げる。
『せっかくだから手だけではなく、もっとがっつりとした接触を試みてもいいかもしれないな。どれ二人とも、額も合わせてみてくれ』
「何がせっかくだからだ……」
『接触面積は多ければ多いほどいい。私の完璧な術式を使うとはいえ、魔法の発動者は青騎士殿だからな。精度が期待できない以上、なるべく二人に努力してもらわなくては』
「ああ、もうわかったよ」
半ば諦めの気持ちでオルタナと額を突き合わせる。彼女の綺麗な顔が眼前にやってきてクロードの鼓動はますます速くなる。
自分が手の平に、額に感じている彼女の温かさ。それを彼女は知らない。知ることが出来ない。今から自分はその現実を変えるのだ。彼女の全てを理解して、彼女の全てを受け入れて、彼女のために現実の全てを変革する。
オルタナの世界を明確にする。
『いいか、クロード・ルルー』
ファウストがその声に真剣さを取り戻して言う。
『自分を見失うな。エルドラドの三百年に対して君の十数年。あまりに小さな時間だが、しかしその時間は君が過ごしてきた時間であることを忘れるな』
「ああ……」
『自らを見失いかけたら思い出せ。自分が何者であるか。君が向き合ってきた、自分自身をだ』
自分が何者であるか……?
一体それがなんだというのか。そのことを聞くよりも早くファウストは宣言してしまう。
『さあ、始めよう』
僕は――――――僕は何者なんだ?




