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魔人の王

 勿論、その一撃は鎧に傷一つ生まなかった。《カルナ》の力によって無効化される。しかしそれだけでも男の気は引けた。クロードを襲っていたはずの鎧の男はすぐに標的をモネへと変える。もともと、防衛機能からすれば最大の敵はモネなのだ。その反応は当然と言えた。

 そして好都合ですわ……。

 再び嵐のような猛攻に襲われる。結局クロードのように攻撃の相殺はできなかったけれど、それでも移動魔法を駆使してなんとか避け続けた。狙いはただ一つ、鎧の男が大きく拳を振り上げた時。右腕を振り上げた大ぶりの一撃。それが勝機だ。それが勝利へと至る道。

 こんな時、クロードだったら上手くその攻撃を誘発させるのかと考えたが、自分にそんな器用な真似ができないことはわかっていた。だから、待つのだ。根気強く、ただその一撃だけを。

 大丈夫、こうしている今だって紙一重でなんとか前に立っているくらいですもの。

 いずれ攻撃は大ぶりになるはず。そう自分に言い聞かせて耐え忍んだ。

 その瞬間は以外にも早くきた。いや、攻撃を避けることだけに夢中になって時間を忘れていたので、実際には結構かかっていたのかもしれない。だがとにかく体感時間ではすぐにチャンスはやってきた。

 男が右腕を大きく振りかぶる。大ぶりの重たい一撃。だが重さの割に充分な速度持っているそれは大した隙にはならない。しかしただひたすらそれだけを待ち望んだモネが動くには充分すぎるほどの瞬間が空いている。

 まず、剣を捨てた。今まで相手の攻撃を受け流し、時には盾として使っていたそれを手放す。今はもう必要ないのだ。同時に炎によって編んでいた鎧もその殆ど解除してしまう。そうして身軽になった体を移動魔法で無理やり鎧の男の懐へねじ込ませる。

「――――」

 小さく呟くのは術式だ。モネはある簡単な術式を呟きながら空になった手のひらで鎧の上から男の肩と足に〝ポン〟と手を置いた。そしてそのまま踊るような足運びでさらに前へ出る。そうするとモネは鎧の男の真横の位置に来た。

 そして次の瞬間、鎧の男の体がぐらりと揺れた。攻撃のため踏み込んだ足が不自然に跳ね上がる。同時に振りかぶった腕が振り下ろされるがそれも妙だった。振り下ろす腕には明らかに力が入りすぎている。それも男自身制御しきれないほどの力だ。どうにもならない重いものに振り回されるように腕は大きく弧を描き、あらぬ方向を殴りつけた。その勢いのまま、男の上半身がぎりりと捻られる。

 ここまでは予定通り。思った通りの結果でモネは思わず笑みをこぼしそうになる。

 彼女がしたことは大したことではない。そもそも攻撃ですらない。あらゆる害意を無効化する鎧の前では全ての攻撃は無意味である。だが意思なき瓦礫の天災など、弱点が存在しないわけではない。むしろそう考えれば《カルナ》はかなり突くべき隙の大きい鎧だろう。

 モネはその隙を突いた。具体的には強化魔法を使ったのだ。あらゆる害意を無効化する鎧であっても、純粋に鎧の主の肉体を強化する魔法までは無効化されない。しかし肉体強化の魔法は行き過ぎれば肉体を傷つける結果を生んでしまう。そうなってしまえば鎧の判定によっては無効化されかねない。

 だからただ強化をかけるだけではな駄目だった。ここぞというタイミングで、必要量の強化だけをピンポイントにかける。大技のために腕を振り上げ、足を踏みこんだその状態でさらにその腕と足にだけ強化をかければどうなるか。

 強化された部位と、そうでない部位との力の差に対応できず、バランスは崩壊する!

 その結果、いきすぎた力はあらぬ方向へと放出され本来想定したものとは違う動きを見せる。だから不自然に足が跳ね上がり、異様な弧を描いて拳は空を切ったのだ。そしてそれに引っ張られるようにして上半身は捻られ、ふんじばるための下半身もバランスを崩している。

 それが今の状態だ。

 つるり、と鎧の男は振り切った腕の勢いのままに空中に浮かびあがり回転する。そしてさらにモネはとどめのため、空中でぐるりと回る男の腹を鎧の上から撫でる。そうすることでまたその部位に強化をかけた。おかしな体勢で浮かび上がってしまい、全身に力の入ったままの腹に強化を加えた。すると腹筋は男の意思とは関係なく異様なまでに収縮する。当然、それによって男は急激に背を丸める結果になる。

 タイミングは完璧だった。腹筋の収縮の瞬間、鎧の男の体は正面を床に向けていた。その状態で急激に背を丸めてしまったのだ。男はその収縮の勢いのまま顔面から床に激突した。

 強化魔法もそうだが、同じように《カルナ》は鎧の主本人の動きによって生じる衝撃は無効化しない。そんなことをすれば相手を殴ることすらできないからだ。

 いくら強化をかけられたといっても、基本的にここまでの彼の動きは全て彼自身の筋肉が、体が反応して行った結果にすぎない。だから《カルナ》も男を守ることは出来なかった。

 ガアアアアアアン! と凄まじい音と共に頭から床に衝突した鎧の男は、それっきりピクリとも動かなくなった。

 モネはしばらく、その場に立ち尽くしたまま呆然としていた。自分がやったことのはずなのに、目の前で起きたことが信じられなかった。そこまで上手くいくとは思わなかったのだ。正直に言ってしまえば、腕と足を強化した次からは殆ど運に頼った。強化魔法を使い彼自身の力によって強い勢いで頭から叩き落す。鎧の男を倒すための一番手っ取り早い方法がそれだったが、しかし思ったよりも困難なことだった。どれだけの強化をどこにかければ、どんな方向にどんな勢いで垂れこむのか。そんなことモネにはわからない。だから腕と足、そして大ぶりの攻撃の瞬間を狙い確実に体勢を崩したあとは、出たとこ勝負だった。

 それでも上手くいった。しばらく鎧の男を見つめて、ようやく自分は奴を倒したのだという自覚がわいてきた。

「姉さん!」

 離れて見ていたクロードが近寄ってくる。満面の笑みだ。

「さすがだよ、やっぱり姉さんは凄い!」

 そう言って、クロードはこちらをねぎらうように肩の上に手を置いた。そのことを少し恥ずかしがりながら、モネも反応する。

「何言ってるんですの。クロがわたくしに気づかせてくれたんですわ。あなたがいなかったら、こんな手考えつきませんもの。むしろ、気付くのが遅くなって申し訳ありませんの……」

「そんなことない。思ったよりもずっと早くてびっくりしてたんだから」

「……それ、微妙に馬鹿にしてません?」

 しまった、という顔をしてクロードは目をそらして露骨に話題を変えた。

「あ、ああでも最後の流れは見事だったよ。あいつの攻撃を受けるばかりで反撃に出ないときはひやひやしたけど、あの一瞬の反撃は凄まじかったよ。本当に姉さんは凄いや」

「……ま、いいですけど」

 先程の発言の真意を問いただしたいところだったが、クロードのおかげで全て上手くいったのだ。その働きに免じて黙っていてあげることにした。

 そんなことよりも、今はオルタナの方が先決だった。

「かつての伝説もわたくしたちの前では相手にもなりませんでしたわね」

 強がりのようにそう言って、モネはオルタナに告げた。

「さあ、どうしますの? まだこれ以上強い敵がでてくるのですか?」

 何が来てもクロードと一緒ならば大丈夫だと、そういう意味も含ませてモネはもう一度告げる。

「さあ、どうしますの?」

 強気な態度で問いただす。しかしオルタナはなんの反応も返さなかった。ただピクリとも動かず、こちらを見下している。その時だ。視界の端に、信じられないものが映ったのは。

「嘘だろ……?」

 最初に気付いたのはクロードだった。モネと同じようにオルタナを見ていたはずの彼はいつの間にかオルタナから視線を外し別の方向にやっていた。驚愕する彼の声に釣られて、モネもまたその方向に目をやった。

 その視線の先、先程まで床に伏していたはずの英雄が起き上がっていた。

「あははははははは!」

 オルタナの高笑いが部屋中に響いた。

「確かにあんたの手際は見事だったわ、モネ。だけど本当に、かつての伝説が頭から落ちたくらいで死ぬと思ったの?」

 馬鹿にするように、彼女は笑いながら言う。だがその声はどこか遠く、モネの耳へとは入ってこない。それほどまでに衝撃的だった。

 どうして、どうして立ち上がれますの……?

 自らの体重や、落下の勢い、そして強化による強制的な筋肉の収縮による勢い、それら全ての衝撃をまとめて一つの頭で受け止めたのだ。いくら兜があったとしても、その中で頭がくだけでいてもおかしくない。首の骨だった無事じゃすまないはずだ。運よく致命傷にまでは至らなくとも、しばらくは立ち上がることも不可能なはず。そうでなければおかしいのだ。

 何故死んでいない。何故立てる。

 疑問が脳内を埋め尽くす。しかしいくら考えてもわからなかった。あれだけの衝撃を頭蓋に受けながら、立ち上がれる人間のことなどモネにわかるはずもなかった。

 咄嗟に防護魔法を発動させたんですの……?

 だがその仮定もあり得ない。そんな暇はなかったはずだし、何より彼の周囲でルーンが集束する様子はなかった。鎧の男は魔法を使っていない。

 モネとクロードの目の前で鎧の男が完全に立ち上がる。見れば、黄金色の兜には大きなヒビが入っていた。それだけの衝撃だったのだ。兜のヒビはピキピキという音をたてながら徐々に広がっていき、遂に耐えられなくなったように兜は半分になって砕け落ちた。

 男の顔があらわになる。

 隠されていたそれを目にして、モネとクロードは言葉を失くし息をのむ。

 はたしてそこにあったものは人の顔ではなかったのだ。

 毛にまみれ、鋭い牙を覗かせる獣の顔。兜によって抑えつけられていたたてがみが広がるとすぐにそれが獅子の顔面であることが理解できた。

 ギロリ、と獣の眼光がこちらを睨む。その射貫くような視線に震えながら、しかしモネは叫ばずにはいられなかった。

「どういうことですの!?」

 いや、すぐに状況は理解できていた。一目見ればすぐにわかる。ただただ、鎧の男の中身は純粋な人間ではなかったと、それだけの話だ。しかしわからなかったのは、オルタナがこの男のことをリチャード・リオン・オードランだと言ったことだ。

 それは、いくらなんでも馬鹿げている。

「彼は英雄ではなかったと、そういうことですの……?」

 オルタナがまた嘘をついた。そう思った。そうでなければならないと思った。だがすぐにそれは否定された。

「いいえ、こいつは紛れもないリチャード・リオン・オードランよ」

「なら、わたくしたちが知っているあの英雄は!? 三百年前のこの国の王は、人間ではなかったと、そんな記述はどこにもありませんわよ!?」

 もしも今、目の前にいる男が本当に英雄リチャードであったなら、それは歴史を揺るがす大事件だ。この国の認識そのものが間違っていたことになる。国がオルタナに騙されていたように、誰もが歴史に騙されていたことになってしまうではないか。

「安心しなさい。あんたたちが知っているリチャードは実在している。ちゃんとした人の姿で、リチャード・リオン・オードランという王は実在している。だけどこいつもまた、リチャードなのよ」

「王が二人いた? ですが、獅子の顔をした王など聞いたこともない」

「当然よ。それは秘匿されていたこと。知られてはならない歴史の真実ってところかしら。オードラン国の王家には数々の秘密があるけれど、これだけは後の世代にも受け継がれず、時間の中に埋もれていった」

 英雄リチャード・リオン・オードランの逸話と言われ誰もが真っ先にあげるのは三百年前の悪夢。黄金城の襲来だ。しかし彼の伝説はそれだけにとどまらず、あらゆる戦場でリチャードは華々しい戦績を上げていた。だがその戦績の凄まじさ、戦場での凶暴な様子に王は時に狂戦士などと呼ばれることもあったという。

 一方で英雄は知性に富んでいた。様々な学問に精通し、彼の定めた規範や法律、騎士団の体系などは今の世代にまで受け継がれている。特に政治に関して彼の才覚は遺憾なく発揮された。大戦の敗戦国であり、多くの土地を奪われながらもオードランが一つの国として存命することができたのは彼の能力があってこその結果だ。

 戦場での無双。そして政治における知略。これらは英雄の二面性として語られている。

 だがその二面性も当然のことなのだとオルタナは語る。

「だってリチャード・リオン・オードランは二人いたんですもの。彼らは二人で一人、そういう英雄だった」

 彼女の言っている意味が上手く理解できず、モネは思考と一緒に体まで固まってしまう。隣にいるクロードは早々に意味を飲み込んだようで驚きとも感嘆ともとれない声を漏らしていた。

「そうか……政治を担当する人間のリチャード。そして戦闘を担当する獣のリチャード。二人で一つだったからこそ、知性と凶暴性の二面性が生まれたのか」

「もっと言うなら人間のリチャードが表、こっちの獣が裏よ。国民や他国の前、光のさす場所には人間が立ち、獣は戦場においてのみ王を名乗った」

 王は決して戦場で兜を取ることはなかった。その逸話をクロードが語る。兜は取らなかったのではなく取れなかった。王の名をかたった以上、その下の素顔を見せるわけにはいかなかったのだ。

「でも、どうして……? 何故、そんなことをしなくてはならなかったんですの?」

 何故、英雄は二人にならなければならなかったのか。

「そもそも、このリチャードは、私たちの目の前にいる彼は何者ですの……?」

「……こいつは魔族と人との間に生まれた魔人。本物のリチャードの母、アリエノールが魔族との間に作ってしまった忌み子よ」

 魔族と人間のハーフ。

 魔人。

 その言葉は知っている。だが、それは過去において、また現代であっても禁忌中の禁忌。魔族と交わるというのは人間の尊厳にとっての最大のタブーとされている行為だ。

「人間の方のリチャードは父ヘンリーと、母であるアリエノールとの間に生まれた正式な王族よ。彼一人だけならば、何事もなかったでしょうね。しかしリチャードが十歳の時、王女アリエノールは誘拐されてしまう。そしてそれからきっかり一年後、魔族の子共を身籠って帰ってくる」

 帰ってきたアリエノールはその一週間後に城の中で子を産んだ。そしてそのまま息絶えたのだという。それまでの間に彼女は事のいきさつを語った。自分をさらったのは魔族で構成された盗賊団だということ、そこで犯され子を孕んだこと。彼らが手柄の取り分のことで揉めて仲間同士で殺し合いを始めた時に運よく逃げ出したこと。

「王女の最期の言葉は『生まれてくる子を責めないでください』だそうよ。ヘンリー王もそれを聞いていたのでしょうけど、それでも聞き入れるわけにはいかなかった。国を治める王族が禁忌を侵したことを、国民に知られるわけにはいかなかったのよ」

 子を孕んだこと自体は悪意によってなされた不幸な事故だと言えるかもしれない。しかし生まれてくる子を認めてしまえば、それは禁忌を認めることと同義だ。

「だからヘンリー王は忌み子を殺そうとした。その王に待ったをかけたのが、まだ一人だった頃のリチャードよ。彼は父親に縋りついて言った『彼を僕と同じにしよう』とね」

 ヘンリーは息子の奇行に酷く驚いた。だがよくよく話を聞いてみれば彼の話は子供が考えたとは思えないほど先の未来、自らの死後すら見据えた壮大な計画だった。

「魔族が人間よりも強い肉体を持っていることは当然知られていた。魔人には自らの名を名乗らせ戦地へ赴かせ、その恵まれた肉体による戦闘行為によって、戦場の英雄にする。逆に自分は知識を蓄え政治や外交で活躍する。そのどちらも存在も魔人の存在を知らない民衆からしてみれば同じ〝リチャード″よ。異なる人種、異なる存在によって彼は〝リチャード″という偶像を攻守ともに完璧な英雄に仕立て上げることにした」

「それってつまり……」

「ええ、そうよ」

 モネの思ったこと、そのままをオルタナは口にした。

「それは自らの存在そのものをプロデュースする行為。まだ幼かった本物の王子は自らの人生をかけて母が残した命を救おうとした」

 己の人生を賭け、王という偶像を利用するその提案。それはいくら王族とはいえ、まだ半人前にも満たない王子が思いつく案としては、いくらなんでも常軌を逸していた。

「もともとリチャードという王子が優秀だったのか、それとも母の残した自分の弟とも言える存在を守ろうと必死になっていたのか……伝え聞いただけの私にはわからないけれど。とにかくその提案をヘンリー王は受け入れた。長い葛藤はあったようだけれど、最終的には奥さんの願いを叶えようとしたのでしょうね」

 そしてヘンリー王は息子の選択を受け入れた後、まるで自らの役目を終えたかのように、あっという間に息を引き取った。

「そこからはあんたたちも知っているリチャード王伝説のまんまよ。宣言通り知識を蓄え、才覚を発揮し始めた表のリチャード。戦う術をひたすらに叩き込まれ、戦士として完成された裏のリチャード。二人の存在によって形作られた一つの偶像こそが『英雄リチャード』その人なのよ」

 そうして〝リチャード〟は英雄となった。誰もが認め憧れる攻守ともに優れた英雄として後世にまで名を残したのだ。だがそれは、誰もが知っている表の歴史。その裏には存在すら許されなかった魔人がいた。

 王族の血を引く忌み子。

 なんて数奇な運命だと、モネは思った。そんな彼を救おうと、まだ幼い王子は英雄になることを決め、そしてそれを果たしてしまったのだ。そしてとても滑稽だとも思った。自分たちはその奇妙なな歴史の上、その裏にあったものを何も知らずに誇ってきたのだ。

 英雄リチャードの伝説を。

 自分たちが目指すべき、騎士の姿を。

 モネは獣の顔をした魔人を見つめる。彼は何も言わずにこちらを睨みつけている。どうしてだろうか、その姿がとても悲しいものに見えてしまったのは。

「……なるほど」

 そんなモネの心中を察しているのかいないのか、クロードはただ淡々と事実を述べていく。

「にわかには信じがたいけれど、納得はできた。確かに魔族の血を引き肉体的に優れた魔人なら、あの程度の衝撃では首を折るどころか昏倒させることもできない」

 兜が砕けるほどの衝撃にも耐えうる体というのは、魔族としてもかなり異質なはずだが、それをクロードは鍛錬の結果だとした。

「幼いころから、戦うことだけを求められたんだろう。そんな魔人が、一体どんな化け物になることができるのか想像できないけれど……わざわざそれを空想する必要はないね」

 何故なら、目の前にいる彼こそが、その化け物に他ならないのだ。例え信じがたいことだとしても、あらゆる全てを内包するというこの黄金の城によって生み出されたということは、目の前にいる彼は本物と変わりはない。この城は机上の怪物すら生み出したのだ。実在の化け物を生み出すことなど、容易いだろう。

「そういうことよ。机上の怪物のような、伝承や噂話の寄せ集めじゃない。この〝リチャード〟は本物の実力を持ってこの場に顕現している」

「本物の実力、ね。まるで見てきたかのように言うんだね」

「……白々しい。そんな言い方をしなくても、あんたはとっくにわかってるでしょう」

 二人のやり取りにモネ首をかしげてしまう。今の言葉を聞く限りでは、オルタナが本当に〝リチャード〟の実力を見てきたかのようではないか。

 いえ、よく考えたら別に不思議なことではありませんわね。

 何しろ、三百年前のオルタナの契約者だったというアレイスターという男を倒したのは、紛れもなく今目の前に現れている〝リチャード〟なのだ。彼女はその実力を嫌という程知っているだろうし、ひょっとしたらその時に彼の素顔を見ているのかもしれない。いやむしろ見ていなければおかしい。あくまで国に害をなした存在であるオルタナが英雄の秘密を知っているということは、少なくとも獣のリチャードとなんらかの面識があったはずだ。

 それを確信付けるかのように、オルタナは自分を守るようにして立つ獣面の男に向かって親しげに告げた。

「そういえば、私に向かって振り上げた剣を、どうしてあんたは振り下ろさなかったのかしらね。あんたはあの時、なんて言ったんだっけ? というかそもそも、自分の半身に頼み込んでまで、どうして私を生かそうとしたのよ」

 獣は答えない。何一つ反応を返さない無表情からは今の彼に自我というものが存在しているのかどうかもわからなかった。

「ま、今となってはどうでもいいけど」

 本当にどうでも良さそうにオルタナは呟く。

「――そんな事より、あんたたち、失敗したわね」

 いっそ憐みまでも含んだ目でオルタナはこちらを見下ろす。

「失敗?」

 怪訝な表情を見せるクロード。

「今の一撃でこいつを殺せなかったのは失敗だったわねって言ってるのよ」

 次の瞬間、憐れみは冷酷な殺意へと姿を変えた。

「学習したわよ、私の中の機能が」

 気づけば〝それ〟は当然のようにそこにあって、リチャードの足元に突き刺さっていた。突然のことにモネは事態が飲み込めず、硬直してしまう。ただ視線の先のその物体からだけは目を離さずにいた。モネの直感が告げていたのだ、〝あれ〟は危険なものだと。

「封剣……!」

 隣でクロードが叫ぶ。

 リチャードの足元に突如として現れたのはオードラン国の秘宝、封剣リオンハートだった。その透き通る刀身、あまりにも美しすぎて武器だという事実を忘れさせるその剣を見間違うはずがなかった。それは確かに封剣だった。モネは後ろを振り返る。そこにもまた封剣は存在していた。先程までと同じように、床に深く突き刺さり、大量のルーンをその周囲に集めている。

 この瞬間、同じ場所、王国の秘宝が二つ同時に存在していた。

 その事実に驚くモネたちを見て、オルタナは吐き捨てるように言った。

「そんなに驚かなくてもいいじゃない。言ったでしょう? この城はあらゆるも全てをその身に内包する。当然、その中には封剣だって含まれるわ」

 そんなオルタナの言葉だが二人には殆ど聞いている余裕はなかった。何故ならオルタナが何か声を発し始めたのとほぼ同時、目の前の魔人が床に刺さった封剣を掴み、引き抜いたのだ。

 その光景がモネに与えた衝撃は大きかった。封剣が人には触れられない、決して手にしてはならない剣であると知っていたせいだった。目の前の男が半分は人間であるはずなのに、封剣に触れ、あまつさえそれを引き抜いた現実を上手く受け入れられなかったのだ。その衝撃を受け止めきれないまま、ただ茫然と立ち尽くすモネには見えていなかった。魔人が手にした封剣を大きく振り上げた光景が――――

 クロードもまた、モネと同じく魔人が封剣を掴んだことに少なくない衝撃を受けていた。だがそれはモネほど大きなものではなかった。封剣が引き抜かれた瞬間は驚いたものの、クロードはすぐにアルフレッドが言っていたことを思い出したのだ。

 封剣リオンハートはリチャード・リオン・オードランの使っていた剣である。

 それが具体的にどのような使用をされていたかどうかまではわからないが、少なくともその情報だけでもクロードが受けた衝撃から回復するには充分だった。そして更に冷静になった頭の中でもう一つ思いつく。

 目の前のリチャードの半分は人間だ。しかし残りの半分はどうしようもなく人間ではない。魔族と人との間に生まれた忌み子。しかしだからこそ彼は封剣を握れたのだとクロードは理解した。異なる種族の混血は封剣の判定をくらませたのだ。

 それは明確に彼が人間ではないことの証かもしれないと、少しそれを悲しく思った。

 そしてその〝思考の中〟でリチャードが大きく封剣を振りかぶっているのが見えたのだ。

 封剣の特性、そしてリチャードという魔人の特異性からこれから起こる事態を予測する。

 しかしその予測をしながらも、既にクロードの体は動いていた。そうしなければ間に合わないと思ったのもそうだが、それ以上にどんな予測結果がでようと、今のリチャードの正面に立つことは危険だと判断したからだった。それは殆ど勘に近い、本能からの逃避のようなものだったのだが、それが功を奏す。

 姉の腰に手を回し一緒になって横っ飛びに転がりながら、何かもわからない攻撃から回避を行う。

 ――――姉と共に床を転がるクロードが感じたのは圧力だ。何倍にも凝縮され、壁のような物理的な強度を持った空気が〝走り抜ける〟ような、そんな不思議な感覚。

 直後、クロードとモネが先程まで立っていた場所が、その圧力によって蹂躙された。いや、その場にはすでにクロードもモネもおらず、ただ何もない空間だったはずだが、それでも蹂躙という言葉がふさわしいとクロードは思った。それだけ肌に感じる圧力は凄まじいものであったし、本能はそれ以上に強い警告を発していた。

 言うなれば、その圧力は〝破壊〟そのものだった。何もない空間を走っただけ。何一つ壊してないはずなのに、それが触れるもの全てを壊す破壊の圧力であることが否応なく理解させられた。

 リチャードは封建をただ振り切っただけだ。だがその瞬間、封剣の切っ先から破壊の圧力が生み出され、彼の前方一直線を蹂躙してみせたのだ。

「な、なんなんですのこれは!」

 咄嗟に反応はできなかったものの、今の一撃が強力なものであるということはわかったのか、モネが焦ったように声を荒げた。

「魔法? だとしたらどんな術式を……」

「いや違うよ、姉さん」

 リチャードの一撃を魔法として、その術式を理解しようとするモネにクロードは告げた。

「多分あれは、そんな考え込むほど複雑な術式じゃない」

「……」

 弟のその一言でモネは理解した。いや、それでなくても彼女ならすぐにわかったかもしれない。何故なら、リチャードが放った一撃の強さ、その理由は彼女の強さと全く同じものだったからだ。

「今のは単純な破壊魔法。勢いと衝撃によって、対象に打撃を与える初歩魔法じゃないかな?」

「……それをわたくしと同じように、有り余るルーンによって強力な広域殲滅魔法に仕立て上げている、ということですわね」

 有り余るルーンとはつまり、封剣のことだ。

「リチャードは封剣のルーンを利用している」

 そう呟くクロードにオルタナが言った。

「正解、よ。まあそんな難しい問題ではないわね。一度彼の魔法を目にすればわかることよ」

「……そうか、彼は魔人だから。その部分に関しては僕と一緒なのか」

 合点が言ったかのように頷くクロード。

「魔族と人との混血である彼はルーンを束ねることができない。それは人だけに許された行為だから、人であって人でない彼にはそれができない」

 それが魔人の唯一の弱点だったのだと、クロードは指摘する。

「それを補うための封剣。その剣はリチャードの代わりにルーンを集める外部収集装置だったんだ」

 魔人としての屈強な肉体を持ちながら、しかしその血のためにルーンは集められない。それを補うのが封剣という秘宝だったのだ。

「それも正解。もう一つ付け加えるなら、封剣の放出は魔人に対して完全に作用しないわけじゃない。人間に対しての放出よりはよほど緩やかだけれど、ルーンは徐々に送られる。だからこそ外部収集装置として機能するのよ」

 クロードがオルタナの魔法を発動させるために術分に込められたルーンを利用していたのと、似たようなことだろう。あくまでもオルタナを介したクロードと、直接自らの肉体にルーンを流しているリチャードではその行為の意味合いがまるで違ってはくるのだが。

 ただ自らルーンをまともに束ねることができないという一点のみで、目の前の獣面の英雄とクロードは似ていると言えるだろう。

 ま、それがどうしたんだよって話なんだけど……。

 ごちゃごちゃとした思考の中で、リチャードの体が突如揺らめいた。

「!?」

 それは本当に言葉そのままの意味で、彼の体が揺らいだのだ。まるで霧の中に隠れてしまったかのように彼の巨体はぼやけて見えにくくなり、ゆらゆらとうごめくだけの影のようになってしまった。

 それが彼の魔法による効果だということは即座に理解できた。そういう記述が歴史書に載っていたからだ。

 なるほど、確かに戦場で常にこんな魔法を使っているんなら、本物のリチャードとの体格差も誤魔化すことが出来るのか。

 他にも様々な手段で持って、リチャードという英雄が二人一組であったことを隠し通してきたのだろうが、今彼が使っている魔法だけでも、その体格や人相は殆どぼやけてしまって見ることが叶わない。

 そしてこの魔法はただ自分の姿を隠すためのものではない。真実を隠すための濃霧は、彼の戦場においての強さにも繋がっていた。

 リチャードが封剣を振り上げる。そこまではわかった。だがぼやけて、影のようになってしまった今の彼の姿では振り下ろす剣の向きや切っ先、その他様々な細かい挙動を見ることが出来なかった。それは斬りつけた先に圧倒的な破壊の圧力を生み出す封剣と魔人の攻撃を相手にするに当たり、致命的とも言えるハンデだった。

 細かな挙動が見えないので、その破壊がもたらされる場所の正確な予測を付けることは不可能だ。迫りくる攻撃に対してクロードはとにかく大きく避けることしかできなかった。モネもまた同じような行動をとっていた。振り下ろされた破壊の圧力は先程と同じように一直線にクロードたちがいた空間を蹂躙する。その破壊の線を挟んで左右に分かれる形でクロードとモネは回避をした。しかし大きく体を横に飛ばしての回避のため、体勢を直した時にはすでにリチャードに対する攻撃後の隙はなくなっている。そしてすぐに二撃目がクロードに向かって放たれる。それもまた大きく横に飛ぶことで回避しながら、クロードは思わず苛立たしげに拳を握る。

 このままじゃ、防戦一方だ。

 反撃の手立てを考えながら、体は三撃目に備える。

 しかし三撃目がクロードに放たれることはなかった。それよりも先、強大な蒼き炎がリチャードの体を包み込んだのだ。まるで破壊の圧力を炎によって再現したかのような一撃。肌が焼けるような高熱を感じながら、クロードはその一撃を放った自らの姉の方へ視線を向けた。

「まったく……」

 モネは刃のない、柄だけとなった剣を手にしていた。そして様々な感情の込められた大きなため息をついた。

「机上の怪物だの、実在する伝説だの、英雄だの、魔人だの――」

 ……姉さん、怒ってる?

 淡々と呟くモネであったが、彼女が確実に苛立っていることがクロードにはよく理解できた。

「なんかもう色々〝めんどっちぃ〟ですわ」

 炎に飲み込まれたリチャード。濃霧は晴れないまま彼の姿を覆い隠しているが、しかしその霧の向こうから見てもダメージを受けた様子はない。兜が壊れた程度では《カルナ》の防御は崩れないのだ。彼の体やその周囲に蒼き炎がまとわりつくが、手にした封剣を軽く振るうだけで、炎は流動するルーンと化して封剣に吸収されてしまった。

 その様子をモネは舌打ちをしながら確認する。

「わたくしたちはオルタナを助けに来ましたのよ。あの子と、話をしに来ましたの」

 モネが素早く何事かを呟いた。それが術式だったのだとクロードが気づくよりも早く彼女の手にした柄の先に蒼き炎が生まれ、それは細身の刃へと姿を変えた。

「邪魔を、するなぁ!」

 絶叫と共に剣を振るう。するとその瞬間に剣は再び炎へと還る。刃の姿に凝集された炎は解き放たれ、あまりにも埒外な勢いを持ってリチャードへと直撃する。だがその炎の衝撃も《カルナ》の前に成す術もなく無効化されてしまう。

「――――」

 嵐のような蒼き炎に巻き込まれながら、濃霧の向こうでリチャードが再び封剣を振るった。破壊の圧力がモネへと襲いくる。だがモネが回避をしようとする様子はない。その場にとどまったまま、いつの間にか手にしていたもう一本の剣を振るう。

 破壊の圧力と、刃から解き放たれた炎が激突する。二つはどちらも、ただの一撃が致命傷となり得る勢いを持っていた。

 部屋中の空気を震わす轟音と共に、衝突した二つの破壊は相殺された。その結果を見て、モネは満足げに頷く。

「……六割」

 呟かれた言葉には確かな自信が含まれていた。

「たった六割の本気で相殺できるとは、伝説の英雄とやらもたいしたことありませんのね」

 両手に持った柄に炎が集まり、再び刃を形成した。

「道を空け渡してもらいますわ」

 轟音が奔る。

 その後に行われた英雄リチャードとモネの戦闘。

 クロードはきっと誰よりも近い位置でそれを見ていたが、しかし何が起こっているのかを正しく把握することはできなかった。それほどまでに二人の戦闘は激しく、また酷く暴力的だった。

 轟音と、閃光と、熱と、嵐がごちゃまぜになって乱れた。

 お互いが手にした剣を振るう度にそれらは一つの大きな破壊となって吹き荒れた。

 モネは二本の柄に炎を変換した刃を形成し、それを再び炎として放出する。振り切ったあとにはすぐにまた剣を形成し、二振りの刃によってリチャードの封剣に対抗していく。封剣の一撃に合わせてモネも剣を振るい、炎によってそれを相殺する。その後、もう一本の剣もすかさず振るい、放出された蒼き炎はリチャードを飲み込んだ。

 しかし《カルナ》の効力は健在している。例え、モネの一撃が何度彼に届こうと、その攻撃がただの一度で全てを焼き尽くす絶対の炎であろうと、黄金の鎧の前では全て無効化されてしまう。

 このままじゃ駄目だ。

 見る限りではモネの方が優勢で、彼女はあの英雄すらも圧倒しているようだが、そもそもいかなる攻撃も効かない鎧を着た男が相手では、結局のところ消耗戦でしかない。それも、一方的にモネだけが消耗する戦いだった。

 なんとかしなくては、と完全に二人の戦いに置いて行かれていたクロードが思考する。思いつく策が、ないわけではなかった。だがそれは策と呼ぶのも躊躇われる程度のものだ。こんなもので、本当にどうにかできるのかという疑念がクロードの頭を埋め尽くす。

 瞬間、視界の中でモネが膝をついた。

「姉さん!?」

 リチャードの攻撃を喰らったのだろうか。いや、そんな様子は見えなかった。何事かとクロードは彼女のもとへ駆けよった。

「どうしたの、姉さん?」

「いえ、なんでもありませんわ。ただ疲れてしまっただけですの」

 そう言って、平気だと言うように笑って見せる。だが、その顔には汗が滲み、言われなくても疲労が蓄積していることは明確だった。

 クロードは一瞬愕然として、表情を曇らすが、すぐにそれも当然のことだと理解する。ここまで、彼女が竜の軍勢と戦い、エンシェントドラゴンとも戦ってきたのだ。その後、障壁にとどめの攻撃を加えたのもモネだ。むしろ、よくここまで持ったと言えるだろう。

 限界だ。クロードはそう判断する。これ以上彼女を戦わせるのは危険だ。

 しかし、モネはクロードが静止する隙もなく、すぐに立ち上がってリチャードへと突進する。雄叫びと共に剣を振り上げ、再び戦いを始めた。

「迷ってる暇はないか……!」

 覚悟を決めてクロードは二人の織り成す破壊の嵐の中に自ら突っ込んでいった。

「クロ!?」

 モネが驚きの声を上げる。それも当然だ。魔法も使えなければ武器も持たない徒手空拳のクロードが単身でモネとリチャードの戦闘の間に割り込んだのだ。その結果、どうなるかは簡単に予想がつく。

 モネは咄嗟に剣を振り下ろす手を止めたが、リチャードはそうはいかない。彼にしてみれば、モネもクロードも同じ〝敵〟なのだ。攻撃を止める義理も理由もない。

 封剣が振り下ろされる。

 その一撃は幸運にもクロードの肩をかすめるだけだったが、それだけの接触でも凝縮された破壊の圧力は充分な威力を持っていた。

 バキリ、と自分の肩が壊れる音がした。

 次の瞬間には視界が回転し、抗いようのない勢いに流されるまま自分の体が宙を浮いた。

 空中で錐もみしながら回転し、クロードはそのままに柱へと全身を叩きつけられた。

「クロぉ!」

 モネが必死に名前を呼んで駆け寄ってきたが、今のクロードにはその姿をまともに見ることもできなかった。揺れる頭蓋はクロードからまともな視界と感覚を奪ってしまったのだ。

 リチャードが追撃することを警戒してか、モネは傍まで来ると、すぐにこちらの肩を抱えて立ち上がらせた。

「は、ははは……まいったな。思った以上にきついね」

 そう言って笑ってみせるが、それは強がりにすらならなかった。モネは本当に心配そうに尋ねてくる。

「一体、何をしてますの!? こうなることはわかっていましたでしょう!?」

 なのにどうして――――と、そこまで言いかけて、モネははっとしてその後の言葉を飲み込んだ。そんな姉の息遣いを感じて、クロードは思わず口角をつり上げた。笑ったのだ。それも、とても意地悪く。

「そう、だから、理由があるんだ」

 言って、小さな声でその理由をモネに伝えた。

 告げたのは、あまりにも他力本願な愚策だった。

 クロードから耳打ちされたリチャードに勝つための作戦をモネは何度も頭の中で反芻させた。考えれば考えるほど、自分にそんなことが出来るのかと、そう思ってしまうような作戦だ。やったことがないこと、出来るかどうかもわからないことを要求されている。ただ一つ信じられることがあるとすれば、この作戦の発案がクロードだということだ。

 クロが言うことなら、きっとわたくしにはできることなんでしょう。

 そう思えるだけの信頼があった。自分ではなくクロードにだ。自分を信じる弟を信じているから、結果的に自分のことを信じられるというのはなんだかおかしな話だったが、しかしモネにとってはきっと一番信用のできる理由だった。

 そこまで考えたモネは覚悟を決めて、リチャードへと視線を向ける。英雄が封剣を振るった。破壊の圧力が二人を壊さんと迫りくる。ビリビリと肌を直接振動させる気迫を前にして、モネは作戦の始まりを確信した。

 クロードを抱えたまま、移動魔法を使って破壊の圧力の範囲の外に逃げる。すると、先程までモネたちがいた柱に封剣の攻撃は直撃した。城そのものを揺らすかのような大きな振動が怒ったかと思うと、破壊の圧力をまともに喰らった柱は滅茶苦茶になって崩れ落ちた。改めてその一撃の破壊力に感心しながら、負けじと空いた腕で剣を振るう。先程までの勢いだけの攻撃とは違い、放出された炎は線の形となってまっすぐにリチャードに衝突する。それもまた《カルナ》によって無効化されてしまうのだが。

「無駄よ」

 オルタナが冷たく言い放つ。

「これ以上続けても、あんたたちには決して《カルナ》は破れない」

「ええ、確かにそうかもしれませんわね。悔しいけれど、わたくし一人では目の前の伝説には勝てない」

 だけど一人ではないと、モネは力強くそう宣言した。

「わたくしにはクロがいて、クロにはわたくしがいますわ。二人だったら決して負けない。こうして手を取り合って、支え合って……そうすれば絶対に倒れないから。倒れたとしても、必ずまたどちらかを背負って立ち上がれる。わたくしたち姉弟は二人一緒なら、どんな敵にだって負けない! どんな伝説にも立ち向かって見せる!」

 モネはオルタナに向かって指を指す。

「だからわたくしはあなたにこう言いますわ。無駄ですわよ、オルタナ。これ以上続けても、あなたには決してわたくしたちを倒せない!」

「くっ、くだらない! そんなものは戯言よ!」

 言われ、モネは自嘲気味に笑った。

「はい。そうですわ。これはただの戯言ですの」

 ああまったく、なんて騎士にあるまじき作戦だろうと思いながらも、モネは止まらなかった。それはオルタナのため、弟のため、泥をかぶり誇りを傷つけることも構わないと思っていたからだ。

 だからモネは躊躇わず、クロードを支えていた手を放した。

 クロードの体はそのまま崩れ落ちて、床に叩きつけられる――――はずだった。

 だかモネが手を放した瞬間、クロードの体が砂のような粒となって霧散したのだ。

「……!」

 オルタナが驚愕の表情を浮かべた。目の前でクロードが消え去ってしまったことに彼女の思考が一瞬動きを止めたのがわかった。

 こちらへ向かっていたリチャードも動きを止めた。だがそれはオルタナのように、クロードの姿が見えなくなったからではない。防衛機能によってその行動を決められている彼にとっては倒すべき敵が減ったことなど、たいした意味をもたない。ただ機械的に目の前の敵を排除するのみ。だから、彼が動きを止めたのは別の理由だ。もっと単純に、自らを脅かす害意の存在をモネとは別に感じたからだ。

 リチャードがゆっくりと後ろを振り返る。害意はリチャードの後ろにいた。そこではクロードが彼の背中に向かって、細身の長剣を突き立てていた。

 害意の正体はクロードだった。

 リチャードの背中に突き立てられた長剣による刺突は《カルナ》によって無効化され、リチャードに傷をつけるどころか金属音をたてることすらできなかったが、それでも〝攻撃をされた〟という事実が防衛機能による標的の選択に変更を及ぼす。

 英雄が封剣を振るいクロードへ襲い掛かる。

 英雄の気迫。そして封剣の肌を震わすような破壊の恐怖をクロードは間近で感じる。リチャードが封剣のルーンを使って生み出した破壊の圧力がクロードの横、ギリギリのところで過ぎ去っていった。

 歴戦の英雄。黄金の鎧。ルーン結晶の剣。

 そんな層々たる伝説たちを前にクロードはモネから借りた細身の長剣を両手に一つづつ持って対抗している。モネの剣術を模して、そこに自分なりのアレンジも加えたクロードが最も得意とするスタイル。しかし、それを用いたとしても魔法による身体能力の向上やその他の行為を行えないクロードでは凌ぎ切るだけでも精一杯だった。さらに言うならクロードの実力もそうだが、先程破壊の圧力をその身に受けたダメージもある。

 あまり、長くは持たないだろうなぁ!

 再び封剣の一撃を避けながら、クロードは苦笑する。

「は、はん。何よ!」

 ようやくクロードがモネの隣ではなくリチャードの背後に潜んでいたことに気づいたオルタナが呆れたような、しかしどこか焦ったようでもある声をあげた。

「幻惑魔法か何かでこっちの目をくらましたってわけ? それでリチャードの後ろとって……あははは! 知覚外からの攻撃なら無効化されないとでも思ったの? でも残念、そんなことで《カルナ》を傷つけることはできないわ。まったく無駄よ! 無駄なんだから!」

 嬌声と共に無駄だと繰り返すオルタナにクロードは一瞬だけ視線を向けて、またすぐに目の前の敵に戻す。

 確かにこれで倒せるとは思っていなかった。だが、

「無駄ではない。勝機は確実に見えているよ」

 クロードが姿をくらましたのは幻惑魔法によるものではない。モネがやったのはクロードに良く似た模造の人形をルーンによって構成することだけ。最初に吹き飛ばされ、モネに肩を貸され、そして次の封剣の一撃に乗じてクロードは柱の影に隠れたのだ。オルタナの視界では本物のクロードと偽物の人形の違いはわからないだろうし、音を立てずに静かに移動をすれば見つからないようにすることも容易だった。だからオルタナは気づかなかったのだ。

 逆にリチャードは気づいていただろう。防衛機能は的確にモネに抱えられたクロードが偽物だと見ぬいていたはずだ。しかし、だからといってクロードを探すような真似はしなかった。その瞬間の防衛機能はモネを標的にしていたからだ。だから、他の何かには反応を見せない。

「そう、丁度今みたいにね……」

 現在クロードを標的としているリチャードは全くモネのことを見ようともしない。倒すべき相手であるはずのモネは疲れた体を休めるように地面に座り込んで完全に弛緩しているというのに、その隙を狙おうともしないのだ。

「つまりそれが、防衛機能の限界だ。一度に標的にできる相手は一人だけ。標的が重なっている場合は別だけれど、そうでない場合は直前に攻撃を仕掛けてきた相手を自動的に標的にするんだ」

 先程までの戦いでも、リチャードの気を引こうとこちらから攻撃を仕掛ければ、面白いほど簡単に彼はこちらを標的にしてくれた。それは防衛機能による機械的な判断でしかなかったから起こったことだった。

 いや、きっと普段の防衛機能ならもっと上手くやるんだろうな……。

 それこそ学習をして、脅威に対して戦うのだろうとクロードは考える。しかしこの英雄は無敵の鎧を見につけている。あらゆる害意を無効化する最強の鎧は防衛機能の脅威に対する判断をちぐはぐにしてしまっているのだ。全ての攻撃を無効化する鎧の前では、全ての攻撃に差異はなくなってしまう。強い攻撃も弱い攻撃も、強い相手も弱い相手も、今の英雄は全ての攻撃を等しい害意と見なして対処してしまっているのだ。

 それが防衛機能の限界。

 クロードはリチャードが繰り出す封剣による破壊の圧力を間一髪のところで避ける。

 リチャードは依然として濃霧の向こうに隠れてしまっているため、彼の細かい挙動を読むことはできない。封剣の破壊の圧力が放出される方向を正確に予測することは不可能だ。だが、予測はできなくとも誘導はできた。防衛機能というシステムに則った今のリチャードならば、それは無理なことではない。

 自ら戦い、そしてモネとの戦闘も目にしていたクロードはすでにそういった防衛機能の弱点を理解していた。

 英雄相手にギリギリではありながらも戦いを繰り広げているクロードを見てオルタナもそれを悟ったのだろう。しかし、彼女はそこで乾いた笑みを見せる。彼女にとって絶対の自信となる〝鎧〟はまだ砕かれていないからだ。

「あんたは凄いやつよ、クロ。ええ、本当に。この短時間で私でさえ気づかないリチャードの弱点に気づくなんて……。だけど、例えその弱点がわかったとしても《カルナ》が破られない限りリチャードは傷つかない。その鎧を砕かない限り、あんたたちに勝機なんてない!」

 だがクロードは剣を振り回しながら、リチャードの攻撃をわざと誘発させそれを回避しながら、オルタナに向かって力強く言い放つ。

「勝機はある。もうすでに、僕は勝利を見据えている」

「……そんなわけない。無駄よ! 全部全部無駄なのよ!」

「無駄なんかじゃない」

「何を根拠にそんなことを……!」

「だから、無駄じゃない」

 クロードが繰り返す。無駄ではないのだと。

「こうして話している時間は無駄じゃない」

「え……?」

 オルタナが、止まる。

 畳み掛けるようにクロードは続けた。

「君はなんだかんだ言って、冷静さを欠いているよ。さっきも同じように時間を稼がれて、それで《カルナ》の兜は割られたんじゃないか」

 クロードはリチャードの背後、その向こう。座ったまま、英雄の背中を睨みつけるモネを見て――――勝利を確信した。

「今度は兜だけじゃすまないよ」

 次の瞬間、濃霧の中から剣が生まれた。それは一本ではない。何本も何本も、細身の剣がまるで体から生えてくるかのように姿を現す。どれもがその切っ先に赤い血を滴らせながら。

「――――――!」

 絶叫。それは現代に再臨した英雄が発した、言葉にならない悲鳴。苦痛の叫びだった。

 濃霧が晴れる。霧が晴れた後、そこに現れたのは肉体を内側から剣によって貫かれた獣面の英雄の姿だった。

「僕らの勝ちだよ、オルタナ」

 英雄の絶叫が止む。

 静寂が、クロードたちの勝利を確かに告げていた。


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