この世界は曖昧で
どうして、オルタナは自分と一緒にいたのか。
彼女の望みは死ぬことであり、そのために必要な条件の中に自分がいる。その事実だけでも簡単に察しがつく。
死ぬためだ。自殺のため、己の命を終わらせてもらいたいがため、そのために彼女は自分と一緒にいた。自分と契約した。その事実は想像以上にクロードの心をえぐり取る。深く深く、傷つけていく。
なんだよ、それ……じゃああの時僕が、オルタナと契約しなければこんなことにはならなかったのか?
強くなりたいから、弱い己を正したかったから。劣等感の払拭のため、クロードはオルタナと契約した。アルマ=カルマとの契約を望んで、それを成したのだ。自分はそれを彼女との繋がりだと思っていた。小さな、それでも大切な絆なのだと信じていた。
馬鹿な話だ。それこそが彼女の思惑だったというのに。自分が絆と信じていたものこそが、彼女を殺す鍵だったのだ。
「ねえ、どうして私はクロと一緒にいたと思う? どうしてクロと一緒に逃げたと思う? どうして一緒に市場で買い物したと思う? どうして一緒にご飯を食べたり楽しいことをして過ごしたと思う?」
考えてみれば不自然な点はいくらでもあった。いくら騎士団の包囲網があったとしても、彼女は一度として王都から逃げ出そうとはしなかった。騎士団の権力が最も強い、一番見つかる可能性の高い場所から彼女は逃げる素振りすら見せなかった。最もらしい理由でそこにとどまり続けた。オルタナはその口ぶりとは逆に騎士団に見つかることを望んでいた。特にモネに発見されるのは彼女にとって行幸だったのだろう。そうすることによってクロードとモネを戦わせる。当然、クロードの実力ではモネには勝てない。だから足りないものを補わせるために自分と契約する。賢者の器との契約。彼女の自殺のため必要な要素が満たされるのだ。
「どうして手をつないだんだと思う? どうして一緒の宿に泊まったと思う? どうして一緒のベッドで眠ったと思う? どうしてあんたに優しくしてあげたんだと思う? どうしてあんたの話を聞いてあげたんだと思う? どうして朝まで他愛もない話をしたと思う? どうしてモネに襲われた時素直に逃げなかったと思う? どうして危険を冒してまであんたを助けに来たんだと思う?」
あれもこれもそれもどれも、彼女の行動は全てその要素を満たすためのものだった。手を繋いだのも、優しくしたのも、話をしたのも、クロードをたぶらかすためだった。そこに絆があると思い込ませるための演技。年端もいかない少年をたぶらかし、だまくらかすための嘘。
彼女との間には絆も友情も、愛情も、何もなかった。全てはクロードの一歩通行。オルタナにとってクロード・ルルーは最初から、今に至るまで駒でしかなかった。自分の枷を解き放ってくれる鍵以外の何物でもなかった。
だから彼女は叫んだのだ。
どうして来たのだと。どうして連れ来たのだと。
当たり前だ。だって、クロードの役目は既に終わっているのだから。
「ねえ、どうしてだと思う? どうしてどうしてどうしてどうしてどうしてどうしてだと思う? ねえねえねえねえねえねえねえねえねえねえねえねえねえねえ! 答えてよ答えてよ! 第五問! 私はどうしてあんたといたのよねえ答えてよ!」
彼女の高らかな笑い声が部屋中に響いた。無邪気さは狂気となって、その笑う声に浸透していく。ゆっくり、ゆっくりと、狂気が全てを蝕んでいく。
「い、いつか、らなんだ?」
「はぁああ?」
絞り出した言葉。不自然なほど首を曲げて笑ったその表情のままのオルタナに問う。
「いつか、ら、僕が賢者の器だって……」
それは縋りつくような質問だった。どこかでまだ彼女との繋がりを信じていたかったのだろう。自分が完全に駒になる前、彼女の中にもっと別の感情があったのではないかと、そう思い込みたいがための質問。
しかし現実から目をそむけようとしたクロードをオルタナはますます笑い、残酷を突き付ける。
「そんなの最初からに決まっているじゃない。あんたの部屋の絵が全て絵画魔法で描かれていると知った時から、最初の時からよ。最もその時はまだ半信半疑だったけれどね。でもその時点で私の計画は変更された。モネの弟はその場しのぎの人質ではなく、関わるべき相手になった。勿論、私と契約してもらうためにね」
確信を得たのはずっと後だと、彼女は言った。
「あんたが壁一面に絵を描いた時、その時に確信したわ。私の見立ては間違っていなかった! あんたは確かに賢者の器だった! 本当によかったわよ。契約もそうだけど、あのくだらない一日が無駄にならなくて、よかった。あれだけ必死に好かれるような演技までして、あんたがただの凡人だったらたまったもんじゃないわ」
くだらない一日。クロードがどうしようもなく眩しく、輝かしく思っているあの一日を彼女はくだらないと吐き捨てた。
そんなことにクロードの心は張り裂けそうになる。締め付けられて、苦しくなる。どうにもならない痛みを訴えるのだ。痛い、苦しい、悲しいと子供のように泣き叫ぶ。
馬鹿な話だ。本当に馬鹿な話だ。どうして自分は信じていた。彼女との間に特別な何かがあると、どうしてそんなことを当たり前のように信じていたのだ。
何もなかった。
「クロ、しっかりしてください!」
きっと自分は酷い表情をしている。だからか、モネはこちらの肩を抱くようにして駆け寄ってきた。
「大丈夫ですの? しっかりしなさい! わたくしがついていますのよ!?」
やめてくれ、姉さん。そんな優しくしないでくれ。そんな風にされる資格は僕にはない。
気づいてしまった。自分がモネに対して少なくない優越感を抱いていたことに。最初から利用する、自分を殺してもらうためにオルタナはモネとの交流を続けていた。その事実を知ってなお、オルタナを友達だと言ったモネを凄いと思ったが、しかし同時にどこかで憐れんでもいた。モネとオルタナの関係に同情した。そして自分は違うと思い込んだ。自分とオルタナの間には利害関係など殆ど存在しない。オルタナは自分を助けに来てくれたし、一緒に逃げることも承知してくれた。きっとあの子は自分を待ってくれている。モネとは違う。そんな可哀そうな関係ではない。
そんな風に思っていた。憐れんでいた。同情した。可哀そうだと思った。見下していた。
己のけがらわしい思いが何より、クロードを傷つけた。
わかっていた。認めたはずだ。それでも突き付けられた現実に何かが削り取られていく。
ああ、自分はこんなにもくだらなく、汚らしい人間なのだと。
「しっかりしてくださいな……クロ……」
何度かクロードの肩をモネは揺さぶった。だが固まった表情のまま何も言ってくれない弟に、とうとうモネは泣きそうな声を出してしまう。
ここまでモネを焚きつけたのは自分自身なのだとクロードは理解していた。自分は非力なれどその存在だけでも彼女を少なからず支えていたことも自覚している。
今、その支えが砕けようとしている。そうなったら最後、モネはもうオルタナを救うためにう戦えない。彼女の覚悟は再び崩れてしまう。あの嬉しそうな笑顔が全部嘘になってしまう。それだけは許してはならなかった。己のため、モネのため、ここまで自分たちを連れてきてくれた人たちのため。
許してはならない。わかってはいても、じゃあどうすればよいのだろうか。
痛みを訴える心はどうすればいい。
「第六問!」
オルタナが甲高い声で宣言する。それは追撃。逃がさないとでも言うように、彼女はクロードに問題を突き付けた。
「クロード・ルルーはどうして私を好きになったのでしょうか?」
「僕が、どうして……?」
「ねえ、どうして? どうして? どうしてなの? あははははは! まあ、私にはなんとなくわかってるけどね!」
言って、彼女は自分の金色のおさげを手のひらで遊ばせるように転ばせた。
「君の髪はとても綺麗な色をしているから、だっけ? はは! 私にはよくわからないけど、この体の造形は人間からしてみればとても〝綺麗〟で〝可愛い〟ものらしいわね。だからあんたも私に惚れたんでしょう? 好きになっちゃったんでしょう? 突然目の前に現れた謎の美少女を! 三百年もの間閉じ込められていた女の子が可哀そうで、守ってあげなきゃって、僕がいてあげなきゃ、僕じゃなきゃ駄目なんだって、馬鹿みたいな使命感に駆られて、それこそおとぎ話の騎士みたいに張り切っちゃたんでしょう? そうやって命をかけて助けてあげれば、私は、私の身体は自分のものになるって、そう思ってたのかしら?」
抉る、抉る。クロードを傷つけるための言葉のナイフが突き立てられる。
己の思いが穢れていることも承知の上だった。その汚らしさこそを恋だと言い張った。だけどそれでも他ならぬオルタナにだけはそれを言ってほしくなかった。指をさして笑ってほしくなかった。馬鹿にされるのは辛かった。
「くだらない! くだらないくだらない! どれもこれも嘘っぱちよ。私の思いも、あんたたちの思いでさえも嘘嘘嘘! ただの気の迷い。一時のテンションに左右された、くっだらない感傷なのよ! 助けに来ただなんて、救いに来ただなんて反吐が出るわ!」
オルタナは両手を広げ、全てを受け入れるかのようなポーズを取る。だが彼女が受け入れるのは全てではない。ただ一つ、己の死だけだ。
「さあ、殺しなさいよ。クロ、あんたの手で殺すのよ! そうすればあんたは英雄になる。神の奇跡の体現者、しかも国の危機を救った英雄よ!? もう誰もあんたのことを馬鹿にしない。もう誰もあんたを笑わない。あんたの努力は報われる。踏みにじられた何もかもを取り戻せる。私を殺すだけで、くだらない感傷を捨てるだけで、あんたは幸せになれるんだから!」
だから殺せと、オルタナは叫んだ。
「さあさあさあさあさあさあさあさあさあさあさあさあさ殺せ殺せ殺せ殺せ殺せ殺せ殺せ殺せ殺せ殺せ殺せ殺せ殺せ殺せ殺せ殺せ殺せ殺せ殺せ殺せ殺せ殺せ殺せ殺せ殺せ殺せ殺せ殺せ」
さっさと私を殺してください。
最後に、オルタナは囁くような声でそう言った。
オルタナを殺す。そうすることで英雄になる。ああきっと、確かにそうなのだろう。彼女を殺せば英雄になれる。国を救ったヒーローだ。もう自分は誰からも馬鹿にされない。笑われない。今まで頑張ってきたことが、踏みにじられてきたことが報われる。それはとてつもなく幸せなことだろう。なによりその選択でオルタナも救われる。一番初めにモネが言ったように、彼女を殺してあげることで救いとする。だからモネも多分止めないはずだ。自分が本気で彼女を殺すと言えば、モネは反対しない。オルタナを殺す時、少し胸は痛むかも知れないけれど、そんなのもは些細な問題だ。いずれ痛みは消えていく。何より、そのあとが痛くない。もう誰からも痛くされない。英雄になって、ヒーローになって、モネと二人で幸せになる。もう姉弟が仲たがいすることもない。劣等感は払拭され、心は満足に満たされる。ああ、それはなんて幸せな未来なのだろう。誰も不幸にならない。みんが幸せな最高のエンディング。
だけど――――
「――嫌だ」
震える声でクロードは言った。なんとか、口にした。
「そんなものはくそくらえだ!」
「…………あんた、英雄になりたくないの? もう馬鹿にされなくていいのよ? あんなに怯えてたじゃない。あんな風に惨めな思いをしなくて済む。みんながあんたを認めてくれるのよ!?」
「そうだね。なれるものなら英雄にだってなりたい。痛いのは嫌だし、惨めな思いだってたくさんだ」
踏みにじられたもの全てが戻ってくるというのなら、それはとても素晴らしいことなのだろう。
「それでも嫌だ。絶対に嫌だ。僕は君を殺したくない。殺さない」
誇りも、人も、自分自身ですら裏切ったとしても、絶対に裏切りたくないものを一つ、もうすでにクロードは見つけていた。その気持ちだけは偽っては駄目なのだ。その気持ちだけは嘘にしてはならない。
肩を抱いていたモネの腕が離れていく。名残惜しそうに首筋をなでながら、モネはクロードから体を離した。もう大丈夫だと、そう言われた気がした。認めてくれたのだ。一人でも大丈夫だと、どんなに揺らいでも傷ついても、決して譲らない何かを見つけた。だからもう一人でも大丈夫だと、認めてくれたのだ。
ああ、それなら本当に大丈夫。
自分が信じる一番の騎士からの支持。それは他の何にも勝る支えだった。
「第五問!」
叫ぶ声は自分のもの。己を奮い立たせる鼓舞として、クロードは声を張った。
「オルタナはどうして、僕と一緒にいたのだろうか?」
「あんた、一体何を……」
困惑するオルタナ。無邪気な笑みはなりを潜め、今はただ無表情が張り付けられている。
別に、なんてことはない。ただ答えるだけだった。
彼女が出した問題にクロードはまだ答えを提示していない。
「オルタナは僕が賢者の器だから一緒にいた。一緒に逃げたのも、一緒に市場で買い物したのも、一緒にご飯を食べたり楽しいことをして過ごしたのも、手をつないだのも、一緒の宿に泊まったのも、一緒のベッドで眠ったのも、僕に優しくしてくれたのも、僕の話を聞いてくれたのも、朝まで他愛もない話をしたのも、姉さんに襲われた時素直に逃げてくれなかったのも、危険を冒してまで僕を助けに来てくれたのも、全ては僕と契約をするためだった! オルタナは最初から僕を駒としてしか見ていなかった! オルタナは僕に親愛も友情も感じていなかった! 僕らの間にはどんな思いも存在していなかった!」
非情な現実を、直視したくないはずのものを見つめ、声に出して確かめた。それはまるで自分の心を自ら切り刻むような行為だ。鋭い痛みが走り、思わず胸のあたりを強く握りしめた。
それでよかった。痛みなど無視してしまえばいい。いや、例え無視はできなくとも、それでも痛みと共に前を向こう。無理やりにでも進んでいこう。心の痛みは意識をはっきりとさせてくれる。自分にはそれくらいの方がちょうどいい。
「第六問! 僕はどうしてオルタナを好きになったのだろうか?」
思い出せ、決意と共に、その汚れた恋慕を。
「僕はオルタナの髪が好きだ。その綺麗な髪に触れたいと思った。白い肌も、握れば壊れてしまいそうな手足も、時々浮かべる意地悪な表情も、その体も心も何もかも触れて、滅茶苦茶に汚してしまいたいと思った。その綺麗な体を自分のものにしたいと願った。君を救えば僕を好きになってくれるんじゃないかって、そういう風にだって考えていた。僕の思いは邪で、汚らわしい妄想と欲望に溢れている」
自ら心を切り刻む。ありもしない幸せを願い、ただ潔白な思いを信じようとした子供のような心を殺した。
「第七問!」
それはオルタナが提示しなかった七つ目の問題。。クロードは勢いに任せて本来あり得ない問題を刃と共に己へと突きつけた。
「オルタナは僕を利用していた。そこに親愛は存在しない。僕の思いは汚れていて穢れていて、欲にまみれたくだらないものだ…………だけど、それでもクロード・ルルーはオルタナのことを好きだと言えるのか? 胸を張って、彼女にその恋を伝えられるのか!?」
息を吸う。気持ちを落ち着かせ、なるべく穏やかな微笑と共にクロードは告げた。
「――イエス、だ。僕はその問いに『はい』と答えるよ」
好きだった。ただ、どうしようもなく。
「それでも僕は君が好きだ。君の全てを、何もかも欲しいと思えるほど、君のことが好きだ」
汚れ、穢れた恋慕だとしても、どうしようもなく焦がれてしまったのだ。自分でもどうにもできないほど、彼女を好きになってしまった。
クロード・ルルーはオルタナが好きだった。
ただただ好きだった。
その思いだけは裏切ってはならないと、決めたのだ。
オルタナをまっすぐに見つめる。傷つく心も、痛みも、汚濁も、何もかもを抱え込み、クロードは彼女を見つめる。
その視線の先、彼女は震えている。怒りだ。怒っている。彼女は激しい怒りで体を震わせ、金切り声にも近い音で叫んだ。
「ふっざけんなぁああ! たった半世紀も生きてないクソガキがいっちょまえに発情してんじゃねぇよ! そんなのいらない! そんなの私は望んでいない! 殺せ! 殺せ殺しなさいよ! お願いだから殺してよぉ! 何度も言ってるじゃない何度も頼んでるじゃない! なんでわかってくれないの!?」
姉弟が同時に答えた。
「好きだからに決まってるだろう!」
「好きだからに決まってるでしょう!」
二人の気迫に気圧され、オルタナは小さく縮こまる。子供のように頭を抱えて、小さな声で呟いた。
「いいじゃない。もう、いいじゃないの」
「良くない」
「殺してよ! 私のことが好きなら殺しなさいよ! 私を幸せにしてよ!」
「嫌だ」
「なんでも言うこと聞くから、あんたの言うこと、やりたいこと、全部聞いてあげるから。だから、だから――」
「絶対に嫌だ」
「――――お願い。終わりにしてよ」
「終わらせない」
絶対に、終わらせない。
「それに、まだ君への疑問が残っているよ」
最初に提示した疑問。その三つ目がまだ残っている。クロードからオルタナへ向けた質問をまだ、答えてもらっていない。
「第八問」
完全に主導権を握ったクロードが問題を続ける。八つ目の問題。それはオルタナへ向けた問いかけだ。
「オルタナ、君が死にたいと思った理由を聞きたい」
「りゆ、う……?」
「そうだ。君の口から、君の言葉で、僕はそれが聞きたい」
オルタナは困惑した様子で顔を伏せる。目をそらしたのだ。
「そんなこと言ったって、意味なんてないわ。答えたところで、何も変わらない」
逃げるように、彼女は呟く。だが、逃げてほしくなかった。その理由だけは彼女の口から聞きたかった。聞いておかなければならないと、そう思ったのだ。
「わかった。なら、質問を少し変えるよ」
卑怯だとは思った。それでも彼女の口から真実を聞くため、クロードは彼女がもう逃げられないように、ある質問を投げる。
「オルタナ――――僕の顔が見えているか?」
瞬間、部屋から音が消えた。誰もが息をのみ、言葉を消し、ただ自分の鼓動の音だけがしばらくの間響いていた。永遠とも思えた静寂の終わり、オルタナが笑う。
「ははは……」
それはとても乾いた笑みだった。邪悪さも、それを超えた無邪気さもない。ただ果てしない憎悪を含んだ笑み。クロードを呪う、そんな表情をしていた。
「何よ。あんた、全部知ってたんじゃない」
「…………」
「全部わかってて、私を生かすんだ? 好きだから、なんて独りよがりな理由で、私を助けるんだ? 望んでもないのに、そうするんだ?」
「ああ、そうだ。僕は君を助ける」
望まない救いの手を伸ばす。
オルタナが立ち上がり、椅子を蹴り飛ばした。いくつかの段差をガツンガツン、という音と共に降りて、椅子はクロードたちと同じ高さにまで落ちる。
「最低。だいっきらい」
全てを否定するように、何もかもを汚らわしいと拒否するように、オルタナはクロードへ向けてありったけの憎悪をこめて呟いた。
好きな人にそんな風に言われて、だけどクロードはどこか嬉しいのだった。ようやく、彼女と向き合えたようで、ようやく彼女の心に触れられたようで。
「ああ、ようやく僕を見てくれたね」
ただの人間としてでなく、駒としてでもなく、クロード・ルルーという個人として、ようやく彼女に見てもらえた。そんな気がクロードはしたのだ。
「どういうことですの……?」
モネが説明を求めている。なるべくならそれはオルタナの口から語ってほしいことではあった。だが彼女は何も言おうとしない。仕方なく、クロードは少しだけ語る。
「オルタナには僕らが見えていないんだ」
「それは眼中にないってことですの?」
「違う。そういう抽象的なものじゃない。言葉そのままの意味だよ」
そうだろう、とクロードは再びオルタナに語りかける。
「君には僕らが見えてない。僕らの区別がついていない」
彼女は頷いた。いつのまにかその顔から表情を消して、ただただ無になった顔のまま口を開く。
「ええ、そうよ。私にはあんたたちの区別がつかない。人間も、何もかも、あたしの視界ではぼんやりとしか確認できない」
オルタナが言う。クロードへと視線を合わせながら、だがしかしどこか別のところを見つめながら。
「私は世界を曖昧にしか認識できないのよ」




