答えあわせ「防衛と、契約と、解放と、嘘と、創造と」
しまったですわー!
オルタナの狂気に圧され、自分の中で燻っている彼女を裏切る罪悪感に挟まれ、混乱した結果……モネはとんでもないことを口走ってしまう。
何がとんでもないって、八割くらいは本心なところがとんでもないですわ!
クロードがオルタナを好きだという気持ちは理解している。それがどれだけ本気の思いなのかも重々承知だ。しかしそれはそれとしてクロードとは一生一緒にいたいし、お婿になんて出すのは以ての外だった。
ただ今重要なのはそのことではなく――そのことに関しては後々しっかりとクロードにもオルタナにも言い聞かせるとして――今は自分が言い放ってしまったとんでもない一言の方が大事だ。
「ど、どどどどどうしましょうクロ! お姉ちゃん意外と本番に弱いタイプかもしれませんわ!」
一向に収まる気配のない混乱をどう処理したらいいのかわからず、クロードに助けを求めてしまう。多分今とても酷い顔をしているのだろうなぁ、と思いつつ、泣きそうになりながら弟へと視線を送った。
「だ、大丈夫! 姉さん、まずは落ち着こう! 深呼吸だ!」
困惑したままの姉をなんとか落ち着かせようと、クロードは必死になる。
ああ、やっぱりクロは優しい……自慢の弟ですわ。
誰にも渡したくないから自分が貰いたい。と、凄く冷静に考えられるだけの余裕が出てきたのもの束の間、クロードがこちらの肩を掴んで顔を近づけてきたのだ。彼にしてみればモネを落ち着かせようと取った行動だったのだろうが、しかしその距離はむしろモネを益々混乱させることになる。
「あわわわ! ほ、本当はもっと言わなきゃいけないことがあったのに! クロと一緒に来たのはあなたを助けに来たからとか、クロはあなたのことが好きでアルフレッドにまで戦いを挑んだこととか、そういうことを上手く言葉にできませんわ!」
「姉さん落ち着いて! 全部言葉になってる! 垂れ流しだから! 色々台無しだから!」
さすがに、今しがた発してしまった言葉の意味を何度か反芻すれば、モネも強制的にクールダウンできた。多分、というか絶対、色々な順序をぶっ飛ばして大事なことを全て言ってしまったような気がする。ただ、そのおかげで冷静になれたのはなんというか、自ら冷水に頭を突っ込んだ気分だった。
恐る恐る、オルタナへと視線を送る。先程の激昂、狂気がまた彼女を覆いつくしてしまうのではないかと不安になったのだ。できれば、そんな姿は見たくなかった。
しかし、モネの不安は杞憂だった。オルタナはポカンとした顔をしているものの、そこに激昂も狂気も現れる様子はない。むしろ全てを悟ったように、彼女はにやりとした笑みを浮かべた。
「へぇ、そう。私を助けるためねぇ……」
「そ、そうですわ!」
自分は弟と一緒に、あの子を助けに来たのだ。それなのにどうしてだろう。
どうしてわたくしは焦っていますの……?
さっきのとは別の不安がモネの心の中に生まれた。見逃していることがある。気付いていないことがある。出かける直前、忘れ物をしていないか、家の戸締りをきちんとしてきたかどうか、異様に気になってしまうような、あの感覚。
確認したはずなのに不安になるもの。見ていたはずなのに、見ていなかったもの。
ちらりと、横目でクロードを見る。彼の表情は硬い。彼もまた同じ不安を抱いているのだろうか。
「わざわざクロまでひきつれて、そんなことを言うくらいなら、もう私の目的とか、そういうのは全部知られちゃったってことなのかしら?」
オードラン国への反逆の理由も、全て知っているのかとオルタナは言った。
「知ってるよ。僕らはもう、知っている」
クロードは言う。彼女のあまりにくだらない大望を。
「君はただ、死にたかっただけだ」
「そうよ。私は死にたかった。これは私が仕組んだ盛大な自殺。ねえ、クロ? 最初に私の願いを知った時、どう思った? 可哀そうって、そう思ったの? 同情してくれたの? だから、私を助けようなんて、そんな馬鹿みたいなことを言っているの?」
「…………」
人を小馬鹿にしたような、挑発的な言葉。しかしそれにクロは何も言わなかった。表情を変えることもない。ただ何かを見極めるかのように、オルタナを見つめてた。それが面白くなかったのか、オルタナは不機嫌そうに鼻を鳴らす。
「ふんっ、まあいいわ。でも、何もかも全て知っているかと言えば、そういうわけじゃないんでしょう? わからないことはあるはずよ。そうね、だったらまずは答え合わせから行きましょうか」
「答え合わせ?」
モネは思わず首をかしげてしまう。その牧歌的な響きが今の雰囲気と合わなくて拍子抜けしてしまった。
「そ、答え合わせ。あんたらが推理したことと、あたしの知る真実をすり合わせるの。そして抜け落ちているピースも全て教えてあげる。わからないことは全部答えてあげる」
言いながら、オルタナは酷く邪悪な笑みを浮かべた。何もかも見下しあざけるような、そんな笑顔。これから起こるだろう悲劇を楽しみに待つ、そんな顔。
「そうすれば、きっとあんたたちも目を覚ます。私を助けたいだなんて、そんな馬鹿みたいな綺麗事は二度と言えなくなる」
+
答え合わせ、というその表現は言い得て妙だとクロードは思った。
実際、ここまで僕らは彼女の出した問題を必死になって解いてきたようなものだ……。
オルタナの出した難解。モネはその答えを知っていて、他の人間はそれを知らなかった。その答えを暴き、出した結論がオルタナを救うという選択。しかし、そこには重要なことが抜けている。クロード達はモネが答えを知っていたがために一足飛びで回答に辿りついただけで、そこに辿りつくまでの式を知らない。自分たちが論争して出た結果は結局のところ全て想像上の仮定にすぎない。
クロードたちは何一つ真実を知らぬまま、答えに辿りついただけだ。
だからこそ、その仮定と真実をすり合わせる。オルタナの言う『答え合わせ』はクロードにとっては都合がよかった。それによって真実を知る。そのことがきっと彼女の心を理解する手段に繋がるかもしれない。クロードが最も優先すべき事項はオルタナを死なせないことだ。しかし、それだけでも駄目だというのはわかっていた。
僕らはオルタナを救ってあげなきゃいけない。
「いいよ、やろう。答え合わせ。僕も気になっていたことが多いしね」
すると、オルタナは一層邪悪な笑みを濃くし、モネは不安げな表情でこちらを見つめた。怯えた子供のようになってしまっている姉にクロードは小声で告げる。
「何も知らないまま手を伸ばしたって届かない。僕らの戦いは彼女を知ることでもあるはずだよ」
モネは黙ったまま頷いた。
「さて、それじゃあ何から話せばいいのかしら?」
わざとらしく首をかしげて見せるオルタナ。クロードは一度目を伏せて、考えをまとめる。そしてまずこちらの疑問。わからないことを提示した。
「まずはオルタナ、君がどうやって一人で魔法を発動させることができたのか。僕との契約は切れていない。だけど僕の意思とは無関係で、君は君の魔法を発動させている。その理由が僕らにはわからなかった」
それが、疑問の一つ。
「そして二つ目は……賢者の器について」
賢者の器。
その単語を口にした瞬間、オルタナの表情に若干の変化が現れた。
「やっぱり、賢者の器こそが鍵なんだね」
この事件に答えをだすための、一つの鍵。それこそが賢者の器なのではないかと、クロードは予想していた。その予想は多分、当たっている。
「最後の疑問は……オルタナ、君自身のことだ」
「私?」
「うん。でもこれは疑問じゃなくて、僕がオルタナに聞きたいこと。答えてほしいことだ。だから今はいい。それよりも、最初の二つの疑問に答えてくれ」
何故、魔法を発動させることができたのか。
そしてオルタナが探していたという賢者の器のこと。
その二つが現在、クロードたちが持っている疑問。わからなかったことだ。
オルタナは少しだけ顎に手を当てて考える素振りを見せてから言う。
「一つずつ潰していきましょう。順を追って、最初からね。もしかしたら、あんた達はわかっているつもりでも、間違っている事実があるかもしれないわ」
最初。それはこの事件の始まりでもある封剣リオンハートをオルタナが盗み出したところか、それとも彼女の脱走の日からか。もしくは、もっと前のことからなのか。彼女がどの部分を最初とするのかクロードが測りかねていると、意外にもオルタナは封剣の奪取を〝最初〟とした。
「まず私が封剣を盗み出した理由。あんた達はそれを知っているのかしら?」
「……浮遊城を、君の魔法を発動させるだけのルーンを得るため」
「ふふ、良い線をいっているわ。だけど、残念それだけじゃ足りないの」
「間違いってこと?」
「いえ、正解。当たってはいる。だけどそれだけだと完全ではない。封剣を盗んだ理由にはもう一つある。私としては、そっちの理由の方が大事なのよね」
すると、モネがクロードよりも一歩前に踏み出して言った。
「オルタナ、封剣はどこにありますの?」
「気になるの?」
「……一応、この国の秘宝ではありますわ」
「ふーん。でも、別に隠してるわけじゃないわよ。というか、ずっとあんた達の後ろにあるんだけど?」
言われ、クロードとモネはほぼ同時に振り返り、そして封剣を見つけた。
最初、振り返ったその一瞬、二人は王国の秘宝であるところのその剣を見つけることが出来なかった。ただただ圧倒される量の発行体、空間のルーン濃度の高さの証明が目につくだけであって、その中に剣の形をしたものをすぐには発見できなかった。しかし、目を凝らして見ればわかる。それは発行体の中心、最も強い輝きを放つ光の中にあった。
それは剣の形をしていたが、武器と呼ぶにはあまりに美しい。柄からその刀身までが一つの水晶のような物質で出来ている。だが水晶にしては透明度が高すぎた。その先にある景色を殆ど歪みなく見通せるほど透明で済んだその剣は、ともすれば周りの景色と同化して見えなくなってしまいそうだ。いや、実際見えなかった。一瞬だけとはいえ、二人は封剣を見つけることができなかった。それほどまでに澄んだ美しい剣。
その身をルーン結晶で作られた王家の剣。
封剣リオンハート。
それは確かにクロードとモネの後ろに存在していた。
その剣の美しさと空間のルーン濃度の常軌を逸した高さに圧倒されるクロードたちを見て、オルタナはおかしそうに笑った。
「あははは! 間抜けな顔! あんたたちったら本当に気付かないんだもの。すぐ後ろにあるのに、封剣はどこ? なんて聞いちゃって」
「そうですわね。わたくしたち、空から天井をぶち破って落っこちてきたから、正面から部屋に入ったわけじゃなく、だから後ろに部屋が続いているのも当然ですわよね……盲点でした」
モネの言うとおり、それもあるだろうが、単純に二人があまりにもオルタナのことばかり気にしていたというのが大きいのだろう。特に自分はここにきてから、オルタナのことばかり見ている気がする。
少しは回りにも目を回した方がいいというのはわかっていたが、それでも封剣から話した視線は自然とオルタナへと引き寄せられた。こんな時でさえ、もっと見ていたい、見つめていたいと思ってしまう。恋慕は大きく強くなっていくばかりだった。
「話を続けるわよ」
ひとしきり笑った彼女が再び語りだす。
「私は私の目的のため、この国に私を殺すしかないと思ってもらうために、自分の魔法を発動させる必要があった。そのことはもうわかってるんでしょう?」
「ああ。そして、魔法の発動のために封剣を盗んだ」
「そう。それは当たっている。だけど、それは何も発動のためのルーンを得るためだけじゃない。理由はそれだけじゃないのよ」
オルタナは饒舌に、いっそ楽しそうに喋っている。だが浮かべられたその笑みは邪悪で、どこかに恐怖を感じさせた。
「さてそれじゃあ二つ目の問題よ」
いつの間にか、オルタナは質問を問題形式にしてこちらに投げつけてきた。
「私が、いえ私たちアルマ=カルマが自分自身で己の魔法を行使できない理由を述べよ。正解できたらあんたの疑問の一つに答えてあげる」
「契約機能。アルマ=カルマの生みの親、ファウストが付けた魔法発動への制限」
殆ど考える間もなく、クロードは答えた。
「正解。簡潔でいい答えよ。よくできました。それじゃあ約束通り疑問にお答えしようかしら」
「それはつまり、君が一人で魔法を発動させることができた理由についてかな?」
「ええ。私が一人で魔法を発動できた理由。……できないはずの理由については今クロが言ってくれたことが全てよ。アルマ=カルマは契約機能によって個人の魔法の発動権を失っている。契約者がいて、その契約者の意思のもとでなければ私は何もできない。だけどその制限にも例外はあるのよ」
「例外?」
「というよりは、システムの矛盾と言ってもいいかしら? 違うかしら? まあどっちでもいいのよそんなことは。とにかく契約機能には突くべき隙がある。最強の盾を貫く矛が存在している。それがなんなのか予想できる?」
オルタナが指を三つ立ててこちらへ向かって突き出した。
「第三問。盾を貫く矛を述べよ」
契約機能という盾。それを貫く矛の存在。
つまり、契約者なしには発動できるはずのないアルマ=カルマの魔法を契約者なしで発動できる可能性。考えを巡らすが、これといったものが思いつかない。そもそもどうにもできないからこその枷であり、それを破るというのはまさしく矛盾であったが、それだけにクロ―ドには答えが出てこなかった。
もしかしたら姉さんならわかるかもしれないと、モネの方を見てみたが彼女はクロード以上に難しい顔をして首を捻っていた。今にも知恵熱で発火しそうな状態だ。モネの直感で何かわかるかもと思っていたが、この問題に限ってはその直感も意味をなさないようだった。
「はーい時間切れね」
今にも頭を抱えそうな姉弟の姿をにやにやと観察しながら、オルタナは終了を告げる。
「残念ながらこれ以上時間はあげられないわ。といっても、この第三問はきっとわからないだろうと思っていた問題だし、ペナルティとか疑問に答えてあげない、なんてことはしないわ。安心しなさい」
「ペナルティの可能性もあったんだ……」
「冗談よ。半分だけね」
こちらをからかう意地悪な言葉は、一緒に逃避行をしていた時の彼女そのもののようで、今の邪悪な笑みとの間に奇妙な歪みをクロードは感じた。
「もっとシンプルに考えなさいな。最強の盾も最強の矛も同じ商人によって売られていた。だからこそ、そこに矛盾は生まれているのよ」
同じ最強、同じ商人、同じ属性……。
そこでようやく、少し遅れる形でモネの直感が真実を見抜いた。
「まさか、防衛機能!?」
「……タイムオーバーだけど一応は正解ね。そのまさかよ。契約機能という盾を貫く矛は同じファウストの枷である防衛機能なの」
「どういう、ことなんですの?」
答えはわかったものの、その理由までは正確にはわからなかったらしいモネはオルタナに問いただす。
「アルマ=カルマ自身では決して自らの魔法を発動できないという契約機能の縛りを、同じ枷である防衛機能がどうやって貫くとでも?」
「ただの優先順位よ。契約機能は私たちの乱用や悪用を防ぐための枷。防衛機能は危険からの逃避を強制するための枷。どちらもファウストが私たちに付けた機能。言うなれば生みの親、創造主でもある彼からの絶対に逆らえない命令よ。【使うな】そして【死ぬな】というね」
だがその二つの命令には優先順位というものが存在するのだとオルタナは言った。
「二つの別々の命令だけれど、ごく限られた状況でのみ矛盾することだってある」
つまりそれは盾に矛がつきたてられる瞬間だ。
「その時、壊れてしまうのは盾の方で、その盾というのは契約機能ということよ」
「つまりファウストは最も優先すべき最上位の命令を防衛機能と設定していたってこと?」
「私たちの悪用もそうだけど、だけどそれ以上に彼は私たちを死なせたくなかったようね。どうしてかは知らないわ。だけど、そうなっている。私の防衛機能は生きるためならば、例え創造主の枷であっても一時的に外すことができる」
契約機能という枷が外れる瞬間。それはまさしく彼女が契約者なしに一人で魔法を発動できる瞬間のことだった。その瞬間を得るために必要だったものとは魔法を発動させるだけのルーンと、魔法を発動しなければ死に至る状況。
封剣リオンハートはまさしくその二つを満たしていた。
「私は封剣に触れることで、私の魔法を発動させるだけの多量のルーンと、発動するための口実を手に入れたのよ。封剣のルーンの強制的な放出対象にアルマ=カルマが入らなかったときはお手上げだったけど、さすがはファウストってところかしら。秘宝すら騙せるほど、私たちは人間を模して造られているようね」
「待って、オルタナ」
饒舌に語る彼女を止める。
「まだ一つだけ矛盾している」
「……ええ、そうね。言いたいことはわかるわ」
封剣リオンハートに人間が触れれば、その刀身に集められた尋常ならざる量のルーンを強制的に送り込まれる。人の体はその衝撃に耐えきれず、ほんの一秒でも触れていれば死んでしまう。まるで空気を入れられすぎた風船が内からはじけるように、人間の体もはじけ飛んでしまうのだと言う。
「それなのにどうしてオルタナは封剣に触れることができたんだ? そんなことははなから防衛機能が許さないはずだ」
触れれば死ぬかもしれない。はたしてアルマ=カルマが封剣の対象になるのかという不安はあっただろうが、しかしそこに死ぬ可能性があったことはわかっていたはずだった。
「確かに私はわかっていた。知っていたわ、死ぬかもしれないって。だけど、ファウストはそれを知らない。防衛機能はあくまでもファウストが定めた基準によって動いている。そこに私の知識や経験は反映されない。あの天才だって、王国が秘匿していた剣の存在なんか知らなかったろうし、ましてやそれが触れるだけで死に至るようなものだとは思いもよらないでしょうね」
浮遊城やアルマ=カルマとはわけが違う。封剣は噂や伝承にすら残らない秘宝。それは三百年前であっても同じだったのだろう。
「だから防衛機能は発動しなかったのか……」
「そういうこと。とはいっても、防衛機能にも若干の学習能力があるからね。竜の軍勢と戦ってきたあんたたちならわかってるだろうけど」
モネの戦闘力。パターン。様々なものを吸収し、この城の守護竜たちは戦法や種そのものまで変えて対抗してきた。それこそが防衛機能の学習能力と言えるだろう。オルタナの意思とは関係なく、彼女の知識も経験も無視し、ただ独自に学習をしていく機能。考えて見れば、それはとても恐ろしいことのように思えた。
「だから、一度失敗すれば次はない。二度目はない。封剣がこの体にとって危険なものであると学習されたら、私はもう二度とあの剣に近づけない。唯一の希望を失ってしまう。……だから例え触れられたとしても、そのうえで確実に契約機能を破らなければならないほど死に近づかなければいけなかった」
だから縛ってもらったの、とオルタナはなんでもなさそうに言った。
「魔法を使って、シャーブルに縛ってもらった。シャーブルは騎士には遠く及ばないけど、それでも多少の魔法の心得はあったからね。だけどいくら縛るだけといっても魔法をその身に受けるから、防衛機能が発動しない、かなりぎりぎりの線だったけれど、なんとかなったわ。おかげで私は封剣に触れて、その危険性を防衛機能が理解したとしてもすぐにはひきはがすことができなかった。その結果、何が起こるかは言わなくてもわかるわよね?」
「……体内へのルーンの強制的な放出」
それによってオルタナが死なないように、なんとか防衛機能は彼女を生かすために動くはずだ。剣そのものが引きはがせないのなら、それに対する最もシンプルな解決策とはつまり、
「送り込まれたルーンをその場で使いきればいい」
多量のルーンが体を壊してしまうなら、体が壊れてしまうより前に、ルーンを使いきればいい。送り込まれた先から消費して体外へ放出してしまえばいい。本来なら封剣の持つルーンの膨大さゆえに不可能な選択肢だが、しかしオルタナにはそれができる。
「そのために、この城は格好の魔法だ」
この巨大な城を構成し、維持するためのルーンは相当なものだろう。それでも封剣がいまだ健在なところ見るに、あの剣の持つルーンを全て使いきることはできなかったようだが、オルタナの体が壊れてしまわないために送られるルーンを常に使いきって、使い続けることはできる。
「ちなみにその剣はまだ私に触れているわ。床に刺さっているでしょう? この城そのものが今は私の体の一部のようなものだから、封剣がこの城の中にある限り私の魔法は発動を続け、維持され続ける」
「なら! あの剣を壊してしまえば!」
そうすれば浮遊城を消滅させ、オルタナを連れ帰ることができると、モネは言う。だがそれは無理だった。あの剣は壊せないことをクロードは知っている。
「駄目だ、姉さん。封剣は壊せない」
「どうして!? わたくしの魔法なら、あんな細い剣くらい……」
「その魔法が効かないんだ。封剣には魔法が通用しない」
封剣の特徴は人体への強制的なルーンの放出だけじゃない。その身を形成する膨大な量のルーンの集束、吸収もまたルーン結晶の特性の一つだ。流動するルーンをエネルギーに変換し力を発揮する魔法では封剣に近づいた時点で流動するルーンとしての形に戻されて吸収されてしまうのだ。
「エンシェントドラゴンとは全く逆のベクトルで、ルーン結晶は魔法を無効化してしまう」
「そんな……」
「クロの言うとおりよ。壊すことは諦めなさい。封剣に魔法は効かない」
「な、なら魔法じゃなくて、普通に殴って壊せばいいんですわ! 硬い棒とかで!」
「それも無理よ。あのルーン結晶は物質としての強度も凄まじいの。何より、触れることによってルーンを放出するその特性はどちらかというと術式的な、概念的なものだから、叩くという行為を〝触れる〟という行為に内包されるものとみなして放出を開始する。間に何か別の物質を挟んでいてもそれは変わらない。直接的な接触はなくても、触れるという概念を少しでも発生させてしまった瞬間に、あなた死ぬわよ?」
魔法は効かず。直接破壊することも叶わない。ルーン結晶という物質の異常さを理解したモネは振り返り、その澄んだ刀身を睨みつけながら悔しそうに呻いた。
「封剣は壊せない。私の魔法は発動され続ける。ただ、あくまでも防衛機能による強制的な発動だから、私には魔法を操作する権利はあまりないの。全くないってわけじゃないから、ある程度は〝加減〟もできるんだけどね。竜の軍勢が近づくもの全てを撃退しようとしたのも、防衛機能のため。私は今、とても危うい状態だから僅かな敵意ですら害悪とみなして攻撃を開始する」
「……だから、わたくしが必要だったんですわよね」
モネは悔しそうな表情のまま言った。オルタナが頷いた。
「そう、そこに繋がるのよ。防衛機能が暴走してしまえば、私はせっかく私を殺しに来てくれる人ですら攻撃してしまう。この城の猛攻に耐えられるほど強い騎士。それはあんただけだった。だからお願いしたの。私を殺してって、何度も何度も。それも、あんただけに。あんただけしか知らない秘密として、教えたの。そうしたらあんたは優しいから、優しくてまじめだから、ちゃんと私を殺してくれると思ったんだけどね。上手くいかないものね。クロが来るのは予想外だったわ」
そう言って、オルタナは鋭い目つきでクロードを睨みつける。その視線にクロードは心をえぐられるような思いを感じながらも、声は震わせないように、毅然とした態度で話を続けた。
「次だ、オルタナ。君がどうやって魔法を発動させたのかは理解できた。次は賢者の器についてだ。教えてくれるんだろう?」
「もちろんよ。そうした方が私にとってもきっといい」
だけど一つ訂正、と彼女は言った。
「私がどうやって魔法を発動させたのか。その答えはまだ出ていない。まだ、完全じゃない」
「これ以上、何かあるのか」
封剣を使い、発動に必要なルーンと条件を手に入れた。それでもまだ足りないのだとオルタナは言うのだ。
「足りないわ。そしてこれは他のアルマ=カルマには存在しないはずの問題。私ではなく、他の誰かであったなら、ここまでの条件で自分の魔法を充分に発動させることができていた。だけど他ならぬ私だけは無理なのよ。これじゃあ、足りない」
「足りない足りないって、一体何が足りないって言うんですの?」
苛立ちを含んだモネの問いに、オルタナは怖いくらいに静かな声で答えた。
「【賢者の器】よ」
モネは息を呑み、クロードはそれすら忘れて呆然と立ち尽くす。
そうか、そこに繋がるのか……!
彼女が探していた、渇望していた賢者の器と呼ばれるもの。それは浮遊城を発動させるために必要な一つのピースだったのだ。封剣と連なる、もう一つの鍵。だから彼女は賢者の器を求めていた。それは自分が死ぬために絶対に必要なものだったから。
だが賢者の器そのものについての知識はクロードにもモネにも殆どない。ただ伝説の三賢者に匹敵するだけの魔法師のことであるとしか聞いていない。その人物がどう関わるのかを、クロードは知らない。
いや、違うのか……。
こうして浮遊城が姿を現している以上、その人物は既に何らかの形で関わっている。もう役目を終えているのだ。
一体賢者の器とは誰なのか、クロードがすぐさま思考を巡らし考えるが、続くオルタナの言葉に遮られてしまう。
「その説明をするためにも、まずは間違いを正さなくちゃね」
「間違い……?」
「第四問――」
唐突に、彼女はまた問題を提示する。
「――私の正式名称は《アルマ=カルマ・代替型》である。これは二択問題よ。正否で答えなさい」
突拍子もなく、意図も不明な問題にモネは怪訝そうな表情をして抗議する。
「そんなの正しいに決まってますわ。正解は――」
「否。違う。その正式名称は間違いだ」
モネの言葉に割り込んで、クロードは答えた。たじろぐ姉と違い驚くことはない。予想はしていたのだ。オルタナが嘘をついている可能性は考えていた。
それも三百年にわたる小さな、しかし全ての根本を揺るがす盛大な嘘だ。
驚愕の表情を見せたのはモネだけでなかった。オルタナもまた驚いたように目を見開いて、すぐにまたクロードを睨みつけた。
「ここまで理解されているとはね……これもまた予想外だわ」
「ど、どういうことですの!? 説明してください、クロ!」
モネが詰め寄る。当然だろう。今、クロードは彼女を知るこの国の人間の全ての認識を否定したのだから。
「オルタナはアルマ=カルマの代替型で……代替の業。それは間違いなんですの……?」
「オルタナが人型術式でファウストの作ったアルマ=カルマだっていうことは間違いない。それは正しい。だけど、タイプが違う」
彼女はずっと嘘をついてきた。代替型なんていうのはでまかせだ。オルタナは代替の業を持つアルマ=カルマではない。
「……いつ、気付いたの?」
オルタナに問われ、クロードは少しだけ考えてから答えた。
「確信を持っていたわけじゃない。あくまでも仮定の一つとして考えていた。その仮定事態が浮かんだのは王都の上空に浮遊城が現れてからだ。扱う人間によって形を変える代替品としての魔法なら、全く同じ術式が再現されるのはおかしいと思ったんだ。僕がかつて浮遊城を出現させた魔法師の生まれ変わりとか、血がつながっているとか、そういう面白い偶然がないとしたら、考えられる仮定としては一番可能性が高かったことだよ」
何より、オルタナがわざわざそんなことを質問してきたことで確信を持てたのだ。曖昧だった可能性が俄然現実みを帯びた。
「で、ですがクロ。わたくしを始め、過去に彼女と契約した者たちは確かに一人一人が異なる魔法を発動させていましたわ」
「それが勘違いなんだよ、姉さん。僕らはファウストのかけた制限とオルタナの嘘に勘違いさせられていたんだ。姉さんが発動させた魔法も、過去の契約者が発動させた魔法も、別々の魔法なんかじゃない。同じなんだ。全く同じ魔法だ。だけど、元となる魔法が広大過ぎて気付けなかった。内包するものが大きすぎて、多すぎて、気付けなかったんだ」
「別々ではなく、同じ?」
「姉さんは竜の軍勢と光の矢。そしてあの防護障壁。あれらが同じ魔法に見える?」
「……見えませんわ。効果も、結果も、まるで違う」
「でも、その三つも全て浮遊城っていう一つの大きな魔法の結果にすぎない。巨大な術式に内包された一部なんだ。だからもとを辿れば全ては一つ。同じ魔法だ」
オルタナの魔法は使う人によって形を変えていたわけではない。最初からもととなる形は一つだけ。それは決して変わらない。ただ、その巨大な魔法をどこから、どこまで使用できるかは人によって限られる。
「おそらくそれはファウストがかけた制限だ。自分の作った人型術式を悪用されることを良しとしなかった天才がつけたもう一つの枷」
「だから、人によって全く別の魔法に見える……扱える一部は人によって変わってくるから。そういうことですの? なら、オルタナの魔術というのは!」
「〝この城そのもの〟。代替品なんかじゃない。唯一にして絶対の黄金城。それが、君の本当の魔法なんだろう?」
問いかける先、オルタナは目を伏せ、指を鳴らす。するとそれに呼応して突如大量の武具がオルタナや、クロードたちの頭上に出現した。剣、槍、盾、鎧、その他様々な一貫性のない武具の大群。その数はあまりにも膨大で、充分すぎる広さをもつこの部屋の天井を覆い尽くすほどだった。クロードたちが落ちてきた際に開けた天井の穴も武具に隠れて見えなくなってしまう。その様子は竜の軍勢を連想させて、クロードは寒気を覚える。
「武器だけでも、これだけの数があるわ。これだけって言っても、これで全部ってわけじゃないんだけどね。これでもまだこの城に収められている武具の半分にも満たないわ」
「凄い……」
クロードは思わず呟く。こんな数の武器がこの城という魔法には内包されているのだ。自分がモネに対して使ったあの黄金色の槍もきっとこの中にあるはずだったが、この数の中からたった一本の槍を探すことはいくらなんでも無理だった。
「武器だけじゃない。竜の軍勢も、光の矢のような迎撃魔法も、防護障壁も、この城が内包する魔法の一つにすぎないのよ。この黄金の城はあらゆるものをその身に内包する」
オルタナが自分の胸に手を当てて答えた。
「私の本当の名前はエルドラド。その業は〝全能〟。《アルマ=カルマ・全能型》こそが私の正式名称よ」
告げられた真実。予想はしていたこともあり、クロードは平然としていられたが、その隣でモネは驚愕を隠しきれないでいた。
「エル、ドラド……? 全能? じゃあ、あなたはオルタナティヴじゃない……嘘をついていたってことなんですの?」
「そういうことになるわね」
「でも、どうして? だって、三百年もあなたは己を偽り続けていたってことですわよね。三百年もの間、この国も人も騙し続けていた。何故わざわざそんな嘘を……」
オルタナが鼻で笑う。心底、馬鹿にしたように。
「むしろ、なんで私がわざわざ本当のことを教えてあげなくちゃいけないのよ。あのね、モネ。勘違いしないでほしいのだけど、私にとってこの国は敵よ。いいえ、国じゃないか。人、ね。私にとって人は忌むべき対象でしかない」
「人が、そんな……」
「あなたたち個人に恨むことはない。この国が過去、私に何をしてきていようと、それで恨んだり憎んだりすることはないわ。ただ、人であるというだけで。人のためにあるというだけで、私にとっては敵なのよ。私は人が大嫌いだから」
大嫌いだから。その言葉に突き離されるような思いをモネとクロードは抱えてしまった。
そんな二人の変化に気づいていないのか、だから騙していたのだと、オルタナはなんでもなさそうに続けて語る。
「真実を教えてあげても、得をするのは人間たちよ。そんなのおもしろくないじゃない。だから嘘をついたの。もっともらしい嘘で騙してやったの。三百年もの間ばれることがなかったのは、人間が無能だからかしら? 本当に誰も気づかないんだもの。もうすっかりオルタナって名前にも慣れちゃった」
くすくすと、こちらを嘲るような笑みを見せるオルタナ。そんな彼女にクロードは低い声で問う。
「君の嘘は見抜いた。その嘘と、賢者の器がどう関わってくるんだ?」
オルタナがオルタナでない。そのことが、賢者の器に関わるわけ。そして、彼女が言った足りないという言葉。
「教えてくれ、オルタナ?」
「……あんた」
すると、彼女は怪訝な表情を作り、クロードが予想もしなかったことを口にした。
「あんたはまだ、私のことをオルタナって、そう呼ぶのね」
「…………」
言葉に詰まる。確かにそうだ。オルタナと呼ばれていた彼女の本当の名前がエルドラドだとわかった以上、そう呼んだっていいはずなのだ。それなのに、自分は無意識のうちに彼女をオルタナと、偽りの名前のままで呼んだ。そちらの方が呼び慣れているから、というだけではなきっとないのだろう。
多分僕は縋っているんだろう……。
自分の知っている彼女でいてほしい。例え嘘だとわかっていても、オルタナはオルタナでいてほしい。そう縋っているのだ。それを我が儘だと知りながら。
予想もしなかったことに不意を突かれたせいか、クロードは何も返すこともできないで固まってしまう。その様子をますます怪訝な顔で見つめてから、オルタナは気を取り直したように続けた。
「まあ、いいわ。名前なんてどっちでも構わないし、オルタナの方が慣れているっていうのは嘘じゃないしね。とにかく、続けましょう。賢者の器の話よね?」
「あ、ああ」
「ただ、これもあんたは半分以上見抜いてしまっているわ。さっき言ったでしょう? 天才がつけたもう一つの枷、って。あれであってるわよ。あんたの言うとおり、確かに私には他のアルマ=カルマにはない三つ目の枷がある」
言って、オルタナは部屋全体をなめまわすように見つめてから、天井を覆う数多の武具に視線をやった。
「私の魔法は強大すぎる。黄金城エルドラドは誰にでも使える魔法としてはあまりにも強すぎた」
あらゆる全てをその身の内に内包する。一つの魔法でありながら、あらゆる魔法、万物すらも収める黄金の城。ただ一つの唯一にして全能を兼ねるその魔法は個人が扱う魔法としては破格の力を誇っている。事実、この城を扱うただ一人の人間にオードランという大国は遥か昔に滅ぼされかけている。黄金城エルドラドは世界のバランスを揺るがしかねないほどに凶悪な力なのだ。
「だからファウストも私にだけはもう一つ、枷を追加した。誰にでも扱えるという人型術式の利点を捨ててまで、私を縛った。それが第三の機能【解放機能】」
彼女を縛りつける三つ目の機能。
解放機能。
「だけど、おかしな名前だな。縛りつけているのに、解放なんて……」
「ファウストが言うには、私の魔法は縛りつけられているのがデフォルトで、それを解き放つための鍵が必要らしいのよ。あの天才の言っていることだから、あんまり私も理解しているわけじゃないのだけど」
「つまりその、必要な鍵っていうのが解放機能なのか?」
オルタナが首を横に振った。
「違う。解放機能は言うならば鍵穴。鍵は別にある」
「じゃあ、その鍵っていうのはなんなんだ?」
「だから、その鍵が賢者の器なのよ」
賢者の器が鍵。だが、そもそも賢者の器とは魔法師として優れた人材のことだとオルタナ自身が言っていた。それが正しいとするなら、つまり解放機能という鍵穴を開けるための鍵というのは――
「魔法師としての実力。それが解放の条件なのか!」
オルタナが頷く。
「私の魔法は解放機能によって段階的に縛られている。ファウストはそれをフェーズと呼んでいたわね。フェーズは全部で八つまであって、契約した人間の魔法師としての力量に応じて、フェーズは解放され、その人物に見合った魔術、および武装が一つだけ選択されるようになっているわ」
一つだけよ、とオルタナは念を押すようにそこを繰り返した。
「ちなみにモネ、あんたのフェーズは1。最低ランクよ」
「わ、わたくしが最低ですの……?」
驚いた声を出すモネ。だがどちらかというと顔は落胆した様子だ。
「あんたは騎士としては優れているけれど、魔法師としてはてんで駄目なのよ。そもそもあんたたちは騎士っていう言葉がいつ生まれたものなのか知っているのかしら?」
こちらに問う形だったが、それは今までのような問題ではないようで、クロード達の答えも待たずオルタナは続ける。
「騎士という言葉、その存在が生まれたのは三百年前の大戦のさなかよ。それまでは魔法を武力として行使するなんて発想は誰も持っていなかった。兵士と魔法はかけ離れた存在だったのよ」
剣を持ち戦う兵士よりも、たまたま戦場にいた魔法師の方が多くの功績を残したことから、どの国でも魔法師と兵士を兼ねた存在。すなわち魔法を持ちて戦場へでる〝騎士〟という存在が生まれたのだという。
「だから私が生まれたころには騎士なんて存在していなかった。今でこそ魔法の価値は利便性や戦闘力、破壊力。いかに戦場において役に立つかという点におかれているけれど、前時代の魔法の価値はそんなところにはなかった。私の生まれた時代の魔法師が目指していたことはただ一つ。神の奇跡を体現すること」
「神の奇跡?」
「似た言葉くらいは聞いたことあるでしょう? アルケミアでも習わなかった? 我々は神の模倣者である。魔法によって神の奇跡を模倣する者であるって」
クロードの脳裏に普段の授業の風景が瞬間的に浮かんだ。ほんの最近までは当たり前に受けていたはずのその光景をとても古く懐かしいもののように感じながらも、記憶を整理していくと確かにアルケミアの教師陣は口をそろえてそのようなことを言っていた。神の奇跡の模倣。それこそが魔法師の使命なのだと。
「もともとあれは今の騎士の原型となった前時代の魔法戦士たちへの蔑称なのよ。純正の魔法師たちが魔法戦士たちを野蛮な俗物だと蔑んでそう呼んでいた。それがどこかで間違った形で伝わって、今の魔法師もどきたちは滑稽なことに誇りある名称として自らをそう呼んでいるんでしょうね。ほんと、お笑い草だわ」
「しかし模倣ではなく、体現と言われましても。その違いはなんなんですの?」
「目的の違いよ。模倣っていうのは本物に近づける気のない、ただ戦闘に特化させるために魔法を鍛えていくこと。今の騎士が扱う魔法そのものね。純正の魔法師たちはそれを俗世間に浸った卑しい行為だと批判した」
「なら、体現というのは本物に近づけるための魔法ということですの? ですが、その本物というのは神のことではありませんか!」
「そうよ。人の身にて神の位置へと至ること。それが前時代の魔法師の目的であり、魔法という技術の最終到達点でもあったの。力や利便性なんてものは彼ら純正の魔法師にとっては付属品でしかない。ただ己の位置を神へと近づけるために、彼らは魔法という体系を磨いていった」
ファウストもまた、その時代の魔法師だったと彼女は言う。
「だから、彼の作った解放機能の基準は、前時代の魔法師的感覚によって定められている。彼の定めた基準のもと、どれだけ神の位置へと近づいているかによって、解放されるフェーズは大きくなり、私が与えられる魔法も強力になっていく。だけど、どれだけ神に近くとも扱える魔法は一つでしかない」
「だけど、君は全ての魔法を使っている。君の全ては解放されているじゃないか!」
叫ぶクロードにオルタナは得意げな顔で告げた。
「そう。私は今、全てを解放されている。私を縛りつける枷の全てを解放機能によって解き放たれている。その力の全てを解放された状態……《フェーズゼロ》――その解放のために必要な存在こそが賢者の器! 人の身のままに神の位置へと至った者。伝承の内の三賢者、そして天才魔法師ファウスト、彼らもまた神の位置へと至りし奇跡の体現者! それと同じ器が私にも必要だった」
ならば賢者の器とは、彼女自身の魔法を解き放つための鍵。ファウストによって作られた枷をを解き放つ鍵とは、まさに彼と同じ位置――神と同じ位置へと至った者。
体現者との契約こそが、この城を解き放つ条件だったのだ。
ただ一つ唯一にして全能である黄金の城。その城の全てを手にする資格こそ賢者の器。
「私は死ぬために、殺してもらうためにこの城の全てを解放した。だけど、その解放のためには賢者の器が必要不可欠だった。防衛機能が契約機能という盾を貫くことのできる矛ならば、解放機能はその矛を扱う戦士そのもの。防衛機能よりもさらにその上、何物にも勝る絶対命令こそが解放機能なの。だから、いくら防衛機能の暴走を誘発させて、魔法の発動権を手に入れようと、その魔法の限界は解放機能によって定められたフェーズによっては左右されてしまうのよ」
だからこその賢者の器。オルタナの持つ魔術の全てを解放し、《フェーズゼロ》へと至らんとするために体現者の存在はなくてはならなかったのだ。
「これで全部」
そう言ってオルタナは手を開いた。
「私が死ぬために必要な要素は出尽くしたわ。賢者の器。リオンハート。そしてモネ。それが私が求めていたもの。私の自殺のための条件よ」
オルタナが死ぬためには、三百年彼女を縛り続けたこの国に「もう殺すしかない」と思わせる必要があった。そのためには自らの魔法である黄金城エルドラドの解放は必須。そしてその解放のために鍵としての賢者の器が、魔法そのものの発動と維持に必要なルーンとして、また防衛機能の暴走のために封剣も必須の要素。最後に全能の黄金城を打破し自分を殺すことのできる人材としてモネが――――この三つこそが彼女が死ぬために、あまりに大掛かりな自殺のために必要な要素だったのだ。
彼女が死ぬための条件を理解しながら、クロードは一つの違和感を覚える。いや、そうではなく、もっと明確に足りていないものを見つけたのだ。
「オルタナ、君の言っていることは理解した。だけどわからないよ。それなら賢者の器っていうのは一体誰のことなんだ?」
「……」
「だって、おかしいじゃないか! 僕らが契約した瞬間から今まで一度だって僕と君の繋がりは切れていない。この城がここに現れた時だって、契約者は僕のままだった。君にとって必要なのは賢者の器で、その器である人物との契約によってようやく解放機能はフェーズを解放するんだろう?」
ならばおかしい。それではオルタナは賢者の器と契約をしていないことになる。フェーズゼロへと至ることはできない。黄金城は姿を現すことができないはずなのだ。
「どういうことだよ、オルタナ! まだ隠していることがあるんじゃないのか!?」
強く問う。だがその先、オルタナは表情のない顔をしてクロードを見つめていた。こちらを測るような、そんな視線。その目線に耐えきれず思わず彼女から目をそらしてしまうと、オルタナは短い吐息をはいた。
「まったく、あんたってやつは……自分のこととなると、途端に鈍感ね」
「え……?」
「いや、鈍いんじゃなくて、発想そのものが最初の段階から抜け落ちているのかしら。前提として可能性を無いものとして考えているから、その先へ行きつかないのね」
「な、何を言ってるんだよ!」
すると、モネがクロードの名前を呼んだ。姉のほうへと振り向く。彼女はとても真剣な表情で、クロードを見つめていた。
「クロ、本当にわかりませんの? 何も、難しいことではないのですよ」
「なんのことだよ……」
「わたくしにだって、すぐにわかりましたわ」
「だから、何の話なのさ!」
思わず、声が大きくなってしまう。モネはひるんだりはせずに、ただ淡々と事実をクロードに告げた。
「今、この城が全貌を見せている以上、オルタナは賢者の器との契約を済ませているはず」
「そうだよ。だけど、その賢者の器が誰なのかわからない。そもそもオルタナは僕との契約を一度だって解いていないんだ」
「ええ、その通り。だったらクロ――――あなたがその賢者の器なのだと考えるのが自然なのではありませんの?」
途端、クロードは自分の思考だけが体からすっぽりと抜け落ちてしまうような感覚を覚えた。理解できないものから徐々に遠ざかっていく思考はなんとかその理解へと近づこうとするのだが、思うようにいかず、結果的に逃避となって離れていく。それでもなんとかそれを引きよせて現実を直視する。そうしてみれば当然、何故その結論が出てこなかったのかと不思議なほどに明快な答えだった。
「僕が賢者の器……? そんなの、あり得るはずないじゃないか」
騎士としての実力と魔法師としての実力は別だとしても、クロードには騎士としての実力も魔法師としての力量もないのだ。
そもそもクロード・ルルーに使える魔法はたったの一つではないか。
「僕は絵画魔法しか使えない落ちこぼれだ。そんな奴が神の奇跡の体現者だって?」
状況が、クロードを賢者の器だと言っている。現時点では一番信じられる仮定のはずだ。だけど、それでも信じられなかった。それはオルタナの言うように前提として可能性を無いものとして考えているからなのだろう。自信のなさが、己の存在を大それたものだと仮定することすら拒んでいるのだ。考えることすら罪深いと、そんな風にさえ思っている。
絶対にあり得ない。何かの間違いだと、クロードは主張した。
「姉さんだって、そう思うだろう!?」
他ならぬ肉親である姉ならば、自分の力量をきちんと把握してくれている。そんな馬鹿なことはあり得ないと否定してくれる。そんな期待を込めてモネへ視線を送るが……視界に映る彼女の表情はクロードが期待していたものとはかけ離れていた。
モネはどうしてか焦ったような、忘れていた何かを突然思い出した時のような顔をしていた。
なんだよ、それ……それじゃあまるで、思い当たる何かがあるみたいじゃないか!
「クロ」
そう自分の名前を呼んだのはオルタナだった。彼女は静かな声で告げる。
「確かにあんたは一つの魔法しか使えない。だけど、それは本当にあんたが思っているような魔法なのかしら? 取るに足らない、ただ絵を書くだけの魔法なのかしら?」
そうだ。その通りだ。
クロード・ルルーの特技など、魔法が使えようと使えなかろうと変わらない。絵を描くこと。それだけは昔から好きだったし、得意だったのだ。だから自分が使える魔法は小さなキャンパスに絵を描くだけの、そんな取るに足らないくだらない魔法のはずだ。
そうでなければならない。
だが否定の言葉がすぐに出てこない。混乱する思考でも、今の自分の論に正当性などないことはわかるのだ。
「思い当たる節があるようね、モネ」
オルタナにそう言われたモネは恐る恐るといった様子でこちらを振り返ると、一つの疑問を投げかける。
「ねえ、クロ。あなたの使っている絵画魔法……あれは、魔法によって絵の具を自在に操り絵を描く、そういう魔法ですの?」
姉の質問はクロードにとって、とても不可解なことだった。彼女にしてはあまりにも的外れな質問だ。彼女の言う絵画魔法とクロードの扱うそれは全くかけ離れている。
「違う。僕は絵の具なんて使っていない。それも含めて全部、ルーンで作っているんだ」
己のイメージをそのまま絵画の形で閉じ込める。頭の中の絵をそのままにキャンパスを彩る。それがクロードの扱う〝絵画魔法〟だ。そのはずだった。
クロードの返答を聞いたモネは一度だけ頷くと押し黙ってしまった。合点がいったような、何かを理解したような表情を見せながらも言葉は決して発さなかった。
「色々な不幸が、勘違いが重なったのよ」
そんなモネの代わりを務めるように、オルタナが語る。
「クロ、あなたの使っている魔法は〝絵画魔法〟なんて、そんなちゃちなもんじゃない。私と同じで嘘をついていた。私と違うところは、その嘘が無意識だったことだけで、あんたも回りを、それ以上に己を騙し続けていた。その名を偽り続けていたのよ」
「じゃあ、なんだって言うんだよ! 僕の魔法が……絵画魔法じゃないなら、他のなんだっていうんだ!」
「――――〝創造魔法〟。それがあんたの使う魔法の本当の名前。かつて三賢者の一人が辿りついた、あらゆる物質を創造する神の奇跡の体現よ」
物質の創造。神の奇跡。創造魔法。
様々な言葉が頭の中で錯綜する。
頭痛がする。
まるで内側から頭がい骨を叩かれているような感覚がした。
「ま、待ってくれよオルタナ。あらゆる物質の創造? でも、そんなことは普通の魔法師なら誰だってできることじゃないか。騎士なら、誰だってできることだろう!?」
自分でもどうしてここまで必死になっているのかわからず突き動かされる感情に支配されるまま叫ぶ。そんなクロードに首を横に振って見せたのはモネだった。
「出来ませんわ。わたくしにも、他の誰にも、物質の創造なんて奇跡は起こせない。わたくしたちに出来るのは模倣だけ」
クロードは見ている。知っているはずだった。モネが炎を起こし、剣を創造する姿をまさに先程見ていたのだ。だがそれは模倣でしかないのだと、彼女は言う。
「模倣。すなわち贋作、まがい物ですわ。だからこの世には長くとどまれない。流動するルーンによってなされる魔法の結果はいずれまた流動するルーンへと還っていく。それは決してこの世にはとどまれないはずなのですわ」
「留まれない、還っていく。でも、でも……」
だとしたら、
「ねえ、クロ。あの部屋の絵画は絵の具も使わず、ルーンだけで描かれたものなのですわよね? だとしたらそれはいずれ消えて、漂う神の御身に還っていかければおかしいものなんですの。それなのに、あの絵画たちは消えることもせず残り続けている。それは『流動するルーンの固定』という現代の騎士たちの間では決してあり得ないこととして伝えられていますのよ」
あり得ないこと。
人の身ではなしえないはずのもの。
それはつまり、奇跡に他ならないのではないか。
「だから言ったでしょう? くだらない偶然と馬鹿みたいな勘違いが重なった結果なのよ。現代の魔法の体系が、その価値観が、騎士の存在が――何よりクロ自身の劣等感が勘違いをさせた。己の扱う魔法が世界そのもの、神をも改変してみせる魔法の最終到達点だと気づくことができなかったの」
彼女の言うとおりだった。誰も見向きもしない魔法が、なんの役にもたたないと吐き捨てられた魔法が、何より落ちこぼれた己が扱う魔法が奇跡そのものであると、一体誰が気付けるだろうか。ましてやクロードは自分が唯一満足に使える魔法であるはずのそれを他人に話したことなどなかった。姉にさえ隠れて修行をしていたのだ。それもまた自らが劣っていると思い込んだ劣等感ゆえに、クロードはその魔法を誰にも見せなかった。
だから誰も気づかなかった。他ならぬクロード自身が最も自分自身に鈍感だったのだ。気付きようがない。
「なら、僕が必死に鍛えていた魔法は、創造魔法だった……? 絵画魔法じゃなかったのか」
「いいえ。おそらく最初は絵画魔法そのものだったんでしょうね。鍛え始めたころはあんたの描いた絵は、すぐに消えてしまったんじゃない?」
言われ、確かにそうだったことを思い出す。
自分はそれがルーンの定着が甘いから、己の実力の不測なのだと思い込んでいた。しかしあれこそが普通の結果であったことを今、思い知る。
「あんたはそれを鍛え続けた。部屋の壁を、床を、絵画で埋め尽くすほど大量に絵を描いて、毎日毎日必死になって努力した。きっとその時のどこかであんたの使っていた魔法は絵画魔法から全く別物の創造魔法に昇華した。別の存在にシフトしたのよ」
「別のものへと変わっていった……? どうして、どこでそんなことが」
自分が絵画魔法として術式に行ったのは簡略化と効率化。ただそれだけだ。根底を覆すような、魔法そのものが別物になってしまうようなことはしていないはずだ。
「どうして、なんてことは私にもわからないわ。でも多分、術式そのものだけじゃないんでしょうね。他にもきっと理由がある。それもはっきりとはわからないんだけど」
そこは本当に彼女にもわからないようで、言葉を濁すような言い方ではっきりとはさせなかった。
「ただ何より不幸なのは、その魔法をあんたが十全に使えないってところよね。魔法そのものは優れていても、あんたにはそれを発動させるだけのルーンが集められない。あんた自身がそうとしか使う気のなかったってのもあるんでしょうけど、それ以上にあんたのルーン量ではいかに〝創造魔法〟と言えどキャンパス程度の大きさしか一度に変革することができない。世界から見放されたものって表現はあんたにぴったりね」
そう言って、こちらを小馬鹿にしたような笑みをオルタナは見せる。挑発としか取れないような態度ではあったが、しかしクロードにとってはむしろ自らの内の混乱を落ちつけるいい清涼剤となった。
そうだ。創造魔法が何だと言うのだ。賢者の器が、なんだというのだ。神の奇跡の体現など、大仰な肩書きに震えてしまったが、しかし自分の才能のなさは変わらない。結局、そんな素晴らしい魔法を使おうと、自分に出来ることはキャンパスの上を彩る程度のことだけだ。
クロード・ルルーが落ちこぼれだという事実は変わらない。
この心に宿る劣等感は正しい。
ただ賢者の器であるがゆえにオルタナにとって都合の良い存在であった。それだけのこと。
その時、どうしてか胸が異様にざわついた。落ち着いたはずの思考の中にまた一つ、波を揺らがせるものが現れた。それがなんなのか、すぐにはわからない。だけどとてつもなく重要で、何より触れてはならないもののような気がした。直感的にそう感じたのだ。
クロードの視界の中心。あまりに簡素な椅子に座ったままのオルタナが不気味なほどに高角を吊り上げて笑った。邪悪を通り過ぎ、いっそ無邪気にすら見えるその笑みは待ち焦がれていた瞬間に直面した人の顔だった。ずっとずっと大事に育てていた何かを自らの手で壊してしまうような、喜びと背徳を表情に浮かべてオルタナは笑う。
クロードは己の失態に気づく。
彼女の語る真実に、その予想を越えた現実にばかり気を取られていて忘れていた。この〝答え合わせ〟自体はオルタナにとっては必要のない行為のはずなのだ。無駄なことのはずなのに、彼女は懇切丁寧にこちらに真実を教えてくれている。語ってくれている。その裏にある思惑に、クロードはようやく気付いたのだ。彼女が何を望んでいたのか。何を狙っていたのか。それを今、思い知った。
「だ――――」
駄目だ。それ以上は駄目だ。待ってください。何も言わないでください。
そんな乞い縋るような言葉が脳裏に浮かぶが、しかしそれらは声になって出てきてはくれない。それを声として発してしまえば、むしろ自らを追い詰める結果になると思ったのだ。言葉にしてしまえば認めることになる。自分にとって認めたくない現実を自ら認めてしまう。
「あははははははは!」
そんなクロードの心境が今のオルタナには手に取るようにわかるのだろう。こうなるように、こんな風に思うように誘導していたのだから。
「第五問!」
無邪気な笑みが、とうとうクロードの心にまで食らいついた。
「――――私はどうして、クロード・ルルーと一緒にいたのでしょうか?」
それはクロードの心をえぐるための問題だった。




