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「来てくれた。来てくれた」

 論争の終わりとともに、クロードはモネとリリィと一緒に連れ立ってオーランド城の内庭までやってきた。さっさとやることをやってこいとアルフレッドが妙に急かしてきたのもあったし、モネやリリィもやる気を見せていた。結果、円卓会議が終わりになると同時に休憩を挟むことなくここへやってきてしまった。

 クロードとしては殆ど初めてと言っていい実戦だ。本気の命のやり取りが行われる場所へ初めて赴くのだ。少しだけでも心の準備を行う時間がほしいところだったが、そうも言っていられないようだった。

 浮遊城が近づいてきているような気がする。

 それは城に残っていた兵士や騎士の避難の準備が完了したという報告に来た一番隊の騎士の一人が語ったことだ。あくまでも、気がする。気のせいで済ませられるほどの感覚的なことでしかない。不用意に近づくこともできないため、浮遊城の高度がどの程度なのかは誰にもわからない。だが、言われてみれば確かに噴水広場で見上げた時よりも圧迫感が増しているような……そんな気がした。

 まあ、言われたからそう見えるだけかもしれないけど。

 どちらにせよ、近づいているというのではなく、正しくは高度が落ちていると言うべきだろう。そこを訂正したところで、状況は変わらないのだが。

 そういうこともあってか、休憩はない。クロードとしてもオルタナを助けるための時間を無駄に使いたくもなかった。気持ちの整理はつかないが、この際仕方ないと腹をくくろう。

 もう自分は引き返せないところまで来たのだから。

 あとは、前へと進むだけだ。

「この場合は上、なのかな」

 そんなことを思いながら今回クロードをオルタナのもとへと連れて行ってくれる二人に視線をやる。モネは先日と変わらない式典用のドレスのような鎧衣装を身にまとい、その量腰にそれぞれ愛刀をさげている。華々しくも精悍な恰好のはずなのに、真剣そのものの表情で屈伸を繰り返している様が全てを台無しにしている。そんなところも姉さんらしいとクロードは思うが、放っておけば筋トレまで始めそうな勢いはどうにかしたほうがいいと思う。

 リリィは騎士団の象徴でもある青と白を基調としたマントのようなものを羽織っているだけで、中は例の踊り子のような服のままだった。さすがにここにきて煙草を吸う余裕はないのか煙管はしまって、代わりに剣と銃の整備をしていた。剣は幅広のカトラス。フリントロック式の銃はおそらく魔法を撃ちだすためのものだろう。いかにも海賊といったその格好はわざとなのか、賊だと言って怒りをあらわにするジャン・ジャックの気持ちも少しだけわかったような気がした。

 そして何より目を引いたのは、リリィに寄り添うようにしてたたずむ動物の姿。

 鷲の上半身と翼、獅子の下半身を持つ魔法生物。グリフォンと呼ばれる生き物だ。鷲の上半身とはいっても、全体のサイズは獅子と同等かそれ以上であり、鋭くとがった嘴や射殺すような瞳は普通の鳥類からは考えられないほどの大きさだ。特に前足は鳥のものではあるが限りなく獣の肢に近く、巨大な鉤爪は獰猛という言葉そのもの。何度見ても冷や汗が出そうになった。

「そうビビるなよ、クロ坊。あんた今からこいつに乗るんだよ?」

 武器の手入れの終わったリリィがグリフォンの首元をなでまわしながら言った。

「そうは言っても、やっぱり怖いものは怖いというか……」

「あら? クロったら動物苦手でしたの?」

「いや、苦手ではないけど大きさがさ」

 さすがにこのサイズで獰猛ともなれば、恐れも抱く。にやにやとしながらモネはリリィの真似をしてグリフォンの喉をなでた。

「可愛いものですわよ。喉をなでてあげると大人しくなるんですの。ほらほら」

 モネに臆する様子はない。

 いや、それもそうか……いざとなったら姉さんの方が強いだろうし。

 若干、グリフォンが震えているように見えるのは気のせいだろうか。彼的には喉をなでられているというより喉にナイフを突き立てられているのと同じ気分なのかもしれない。

「しかし、よくグリフォンなんて手なずけましたね。やっぱり外海にいたんですか?」

「まあ、そうだな。でも別に手なずけたつもりはないよ」

「だけどリリィさんの言うことは聞くんですよね?」

 現在王都にいる騎士の中でもモネを覗けば自由に空を飛ぶ手段を持っているのはリリィだけだ。それはこのグリフォンという生物を彼女が所有しているからなのだという。鷲の翼と獅子の膂力を持つグリフォンは空を飛ぶ性能だけならば例え竜にも引けを取らない、とリリィが先程豪語していた。

「そんな生物をどうやって躾たんですか?」

「だからそんなことした覚えはないって。ただちょっとこいつが喧嘩を売ってきたから、ぶっ飛ばしたらいつのまにか言うこと聞くようになっただけさ」

 ちょうどいいからと、その後はペットとして船に置いていたらしい。

「つまり拳で語り合ったと……」

 グリフォンって知識を意味する神獣だとも言われているのに、意外と脳筋なのかな……。

 失礼なことを考えているのがばれたのかもしれない。グリフォンがクロードを睨んでいた。その視線の鋭さに思わずクロードはたじろぐが、まだ怯えているだけだと思ったのだろう。リリィがグリフォンの背中に飛び乗ってこちらに手を伸ばす。

「ほら、モネの準備もできたみたいだし、いつまでもぶるってんじゃないよ。男だろう?」

 苦笑しながら、リリィの手をかりてグリフォンに飛び乗る。グリフォンの背中は思った以上に堅く、筋肉の塊に腰をおろしているような感じだった。

「あの、リリィさん。僕まだ作戦とか、そういうの聞いていないんですけど、大丈夫なんですか?」

「あたしはこういう性格だし、モネはモネで意外と大雑把だし、基本は出たとこ勝負で体当たりってとこかね。一応大まかな段取りくらいはあるけど、クロ坊にやってもらうことは主にあたしのサポートさ。モネのサポートをするあたしのサポート。サポートのサポートだよ、おわかり?」

「え、でも竜相手じゃあ僕は役に立てませんよ?」

 小竜相手にだって勝てやしないだろう。

「何もできずに死んでいく自信があります」

「開き直るなよ……。大丈夫、そのあたりも考えてある。ほら」

 そう言って、リリィは懐から細長い紙の束を二つ取り出してクロードに手渡す。

「これは……」

 術符だった。それぞれに異なった術式の描かれた術符。それが束になっている。結構な量があったので見た目よりもずっしりと重かった。

「あたしが作った攻撃魔法の術式を刻んである。外海にでると不測の事態も多くてね、そういう時に緊急用としてそういうのを船のいたるところに置いておくのさ。なるべく強力なのを持ってきたが、中竜クラスになったら足止めくらいにしか使えない。ただ、あんたなら小竜には楽勝だろう」

 言って、それぞれの術符の束をぱらぱらとめくりながらリリィは説明をしてくれた。

「両方の術符を重ね合わせることで魔法が発動する仕組みだよ。重ね合わせの向きによって発動する魔法は二パターン。炎と風の攻撃魔法だ。まっすぐな軌道で球体を飛ばすシンプルな魔法だが、どちらにも黄色の属性を付与してあるから着弾と同時に炸裂。だからあんま至近距離で当てるのはおすすめしないね」

「は、はい!」

「いい返事だ。クロ坊はそいつはを使ってあたしのサポート。メインで戦うのはモネだけど、あたしたちも戦わないわけにはいかないだろうからね。頼りにしてるよ」

 そう言って力強く肩を叩かれた、正直に言えば自信などまるでなかったが、今更喚いても仕方がなかった。とにかく自分は精いっぱいやるだけだと、すぐにでもくじけそうになる心にそう言い聞かせる。

「準備はよろしくて?」

 そう問いかけるモネは既に剣を抜いて臨戦態勢だ。彼女の周囲に集まるルーンの発行体からすぐにでも飛び立てる用意はできているのだとわかる。

「ああ、問題ないさ。クロ坊もいいだろう?」

「だ、大丈夫です、なんとか!」

 発した声は馬鹿みたいに震えてしまい、顔が熱を持って赤くなったのがわかった。そんなクロードの様子を笑い飛ばしながら、リリィは再び懐から赤い紐のようなものを取りだした。よく見ればそれは馬に取り付けるような手綱だった。リリィはそれをグリフォンの嘴と首にひょいっと巻きつける。

「見なよクロ坊。こいつは【伝心の手綱】って言ってね。魔法によってこっちの考えていることを動物に伝えて――」

「そういういらない説明はいいから! 先に行きますわよ!」

 次の瞬間、モネの姿がクロードとリリィの視界から消えた。少し遅れて暴風のような風が二人の髪を掻きあげた。

「え……? 姉さん?」

 何が起こったのかわかっていないクロードにリリィは上を見ろと言う。すると頭上には既に遥か高い場所まで〝飛びあがった〟モネの姿が確認できた。しかし浮遊城によって光が閉ざされているせいか、彼女の姿は小さくなるにつれて見えにくくなり、やがて完全に空の闇に消えていった。

「もうあんな遠くまで飛んだんですか?」

 驚きながら先程までモネがいた位置を見る。そこには王家の庭にふさわしい美しく整備された芝生が広がっているだけだった。なんの痕跡も力の跡もない。

「クロ坊は見るのは初めてかい? あの子の飛行は」

「はい。でも、何がなにやら……」

「別に変わった術式を使っているわけじゃないさ。あれはただの基礎的な移動術式だよ」

 移動術式。ルーンをそのまま運動エネルギーに変換する基礎の魔法だ。

「普通は空を飛べるような代物じゃないはずなんだけどねぇ。まあ、あの子の移動術式で吹っ飛ばされたクロ坊ならそこまで驚かなくてもいいんじゃないかい?」

「それは、言われてみればそうなんですけど……」

 自分を吹き飛ばしたあの力を、今度はモネが己にかけただけのこと。そう理解はしてもやはり驚愕は消えなかった。

「それにしても随分急かすね。こっちは久しぶりの新人みたいでちょっと嬉しいんだから、解説くらい多めに見てくれてもいいじゃないかい」

「今年は十番隊に入隊する新人はいなかったんですか?」

「任務内容がアレだしね。人気ないんだよ、うちの隊」

 リリィはため息をつきながら、背後のクロードに術符を一枚だけ手渡した。

「胸のあたりに張っておきな。一応上空戦だからね、気圧だとか酸素だとか諸々から守ってくれる。……急激な気圧の変化とかね」

「急激?」

 首をかしげるクロードを無視して、リリィは手綱を思いっきり引っ張り上げる。

「置いていかれてもことだからね、こっちも急ぐよ――そうら飛びなよ、〝ぐりぐり〟!」

「え!? もしかしてそれ名前なんで――――」

 ――すか、と言い切る前にグリフォンは飛行を開始する。モネほどではなかっただろうが、弾丸のような爆発的な加速にクロードは振り落とされそうになる。

 クロードは揺れる視界と耳にふきずさぶ風の音にデジャヴを感じながら、飛行能力だけならば竜にも匹敵するという現実を噛みしめた。

「二人とも、遅いですわよ」

 オードラン城の上空へ先に飛び出したモネが、あとからやってきたクロードとリリィの二人に向かって頬を膨らませて文句を言う。

「いやぁ、悪かったね。ちょっと途中でクロ坊を落っことしちゃってさ」

「あんな加速するんなら先に言っておいてくださいよ!」

 クロードの抗議はリリィの飄々とした態度に流されてしまった。その様子にため息をつきながら、モネはクロードをじっと見つめる。怪我がないことがわかると、呆れたように首を振った。

「それで、振り落とされてそのあとはどうしたんですの?」

「ギリギリで拾ったのさ。ぐりぐりが頑張ってくれたんだ」

 えらいぞー、とグリフォン――ぐりぐりの首をなでるリリィだった。クロードとしては割と真面目に死ぬ思いをしたのでもっと文句を言いたいところだったが、あまり効果はないように思えたのでやめておいた。あの加速を体験する初めてが戦闘中でなかったことを幸運に思おう。不幸中の幸いというやつだ。

 少し違う気もするけど……。

 上を見上げれば、浮遊城の下層部である竜の巣が見える。といっても殆ど土の塊のようにしか見えないのだが。頭上に見えるのはそれだけで、まるで空が土に覆われてしまったようだ。上だけを見ていると世界が反転してしまったのではないかという錯覚まで覚えそうだ。

 今クロードたちはオーランド城よりも高い高度にいる。王都で一番高い建物よりも高い場所にいるのだ。当然、浮遊城にもそれだけ近づいたことになるが。しかしそれにしてはまだまだ距離があるように感じた。近づいているのはわかるのだが、浮遊城全体が大きすぎて距離が測りにくいのだ。太陽の光が遮られ、夜を思わせるほどに暗いというのもあるだろう。手を伸ばせば届きそうな気もするし、もっともっと遠くにあるようにも思える。

「やっぱ、下から見る分には完全に土の塊だね、こりゃ」

 ほへー、と感嘆にも似た声をもらしながらリリィが言う。

「最初の接近部隊は浮遊城の真横に並ぶようにして近づいたから、こうして下から近づくのはあたしらが初ってとこかい」

「初めてだから、どうというわけでもありませんわよ」

 姉さん、とクロードは少しためらいがちにある疑問を口にした。

「結構普通に近づいちゃってるけど、大丈夫なの? そろそろ竜が出てきたりするんじゃない?」

「まだ平気ですわ。接近部隊が襲われた地点から逆算して安全ラインをあらかじめ調べてありますの。それもかなり余裕を持っていますから、まだまだ大丈夫なはずですわ」

「そういうこと。接近部隊が命をかけて持ち帰った唯一の情報だ。活かしてやらないとあいつらも浮かばれないってもんさ」

「ちょっとリリィ、縁起でもないことを言わないでくださいな。わたくしたちの部下は誰一人死んでませんわよ」

 そんなことより、とモネは再び急かすようにリリィに迫った。

「早く中の構造を確認してくださいな。そのためにわざわざ下から接近していますのよ」

「わかってるよ、急かすな急かすな」

 そう言って、リリィは腰のホルダーから棒状の筒のようなものを取りだした。てっきり銃をしまっているのかと思っていたが、それは右の方だけで、左のホルダーにしまっていたのは別のものだったようだ。かちゃかちゃっと、引き延ばされて姿を見せたのは単眼鏡だった。それを目に当てつつ、リリィは見せびらかすようにこちらを振り向く。

「ほら、クロ坊見てみなよ。こいつは海賊七つ道具の一つ【遠見の覗き屋】だ。ちなみにこの【伝心の手綱】も七つ道具の一つだから覚えておいて損はないよ」

「覚えたって得しないでしょうに。というかあなた、仮にも騎士なのですから自分から海賊とか言うのやめなさいな」

 そんなだからジャックさんに怒られるのだと、モネは口を尖らす。

「あなたのその態度が一番隊と十番隊の対立を決定づけたこと、もっと自覚したらどうなんですの」

「あーはいはいわかってるよ。つまり他の五つも説明してほしいんだろう? 全く欲しがりさんめ!」

「…………もういいですから、さっさとやっちゃってください」

 つれないねぇ、とおどけたように言いながら、リリィは単眼鏡で頭上の竜の巣を観察し始める。その状態で彼女が解説してくれたが、遠見の覗き屋は伝心の手綱と同じ魔法的な強化のされた道具で、ただ遠くを見るのではなく〝設定された距離にあるものを見る〟道具だという。あらかじめ距離を決めれば、障害物の有無に関わらずその位置に存在するものを問答無用で観察できる代物らしく、結果的な透視能力のようなものだとリリィは言った。

「港の風呂屋で覗きをしていた変態が持ってたものでね。便利だからあたしが貰ったのさ」

 多分奪ったの間違いなんだろうなぁ、と思いつつ遠見の覗き屋を操るリリィの手元に視線を移す。

 単眼鏡であるそれを目にあてたまま、根元のダイヤルのようなものをカリカリと回している。どうやらその部分で距離の操作を行っているらしい。名称やもとの持ち主の話はあれだが、魔法的には意外と高位のものかもしれない。

「それで、どんな感じなんですの?」

 急かすように問いかけるモネにリリィは首を振って答える。

「駄目だね、やっぱ。徐々に距離を遠くにしているがいつまでたっても土しか見えてこない。時折寝てる竜とか見えるけど、それだけだ。いつまでたっても建物なんか見えやしない」

「そうですの……。接近部隊を救出する際に見たきりだったから、あまり自信はありませんでしたけど、やはりこの浮遊城、横幅もそうですが縦にも信じられないくらい大きいですわよね」

「どうする? 下から侵入するとなると、地面に穴掘って進むようなもんだよ」

 どうやら二人は下からの侵入を考えていたらしい。側面からの侵入に失敗した前例があったからだろう。だが、リリィの表情を見るにそれは難しそうだった。

「ですが、土の中なら竜に囲まれるようなこともありませんし、むしろ安全に進めるのではありませんの? 勿論、穴を掘る労力を考えないわけにはいきませんが……」

 そういうモネに向かって意味深な笑いを向けるリリィ。

「ははは、モネぇ、あんたもしかして地竜とか知らないだろう?」

「ちりゅー?」

 モネは小首をかしげる。どうやら全く知らないようだった。

「地竜ってのは文字通り大地の竜……まあ陸戦型の竜だよ。竜種にもいろいろあって、一般的に想像される翼をもったもの以外にもたくさんいるんだよ」

「でも、わたくしたちが進むのは土の中でしょう?」

「いるんだなぁ、それが。土の中に潜む竜種ってのもね。潜むというより土と一体化するような感じだが、ありゃ面倒な相手だった」

「それがこの中にいるとでも?」

 そう言ってモネは竜の巣を手にした剣で指す。リリィは苦笑と共に先程のモネの真似をして小首をかしげる。

「そいつはわからない。今のところ遠見の覗き屋でも確認できてはいないね。ただ接近部隊を襲った竜が魔法によって形作られたものであることは確かだ。その仕組みがわからない以上、地竜の存在も警戒すべき……ってね。そんなわけであたし的には土の中を進むのはおすすめしない。というか嫌だよ。地竜じゃなくたって、もしも狭い土の中で戦闘なんてことになったら大変さ。あんたの魔法に巻き込まれるのはこっちなんだ。やめてもらいたいものだよ、全く」

「まだ巻き込む前からその言い草は酷くありません!?」

 モネはぷりぷりと頬を膨らませながらそっぽを向く。その様子を楽しそうに眺めているリリィを見ていると、中々いいコンビなのかもしれないとクロードは思う。

 姉さん的にはあまり冗談ではないんだろうけど。

「まあ、いいですわ。それなら当初の予定通り、側面からの侵入を試みます。このまま安全圏を維持して側面に回り込みますわ。少々距離がありますから駆け足でまいりますわよ」

「……と、いうことらしいからクロ坊、あんたも今度は振り落とされないようにしっかり掴まってなよ」

 不意に話を振られたクロードは少し焦りながら返事をする。またあんな死ぬような思いはごめんだったのでしっかり掴まろうとしたが……、

 いや冷静に見るとどこにも掴まるところがないような。

 獅子の下半身は硬いだけでなく太く、また体毛も短いためどうにもおさまりが悪い。がっしりと自分を固定できる場所がないのだ。前に座るリリィは手綱を、そうでなくてもぐりぐりの首を掴めばよいのだろうが後ろに座るクロードはそうもいかない。

 さてどうしようかとあたふたしていると振り返ったリリィが不思議そうにしていた。

「何してんだい、クロ坊。さっさと掴まりなよ」

「え、いや掴まるっていっても掴むところが……」

「何言ってんだい。こういう場合、しがみ付くとこなんか一つだろ」

 リリィはクロードの両腕を掴むと、グイッと引っ張り――それを自分の腰にベルトか何かのように巻きつかせた。踊り子のような彼女の衣装はお腹の部分がさらけ出されており、彼女の素肌の感触が手のひらに直接伝わった。またこちらの腕を引っ張る力がそこそこ強く、引かれるがままに彼女の背中に体重まで預けてる格好になってしまう。リリィの身長が高かったため丁度彼女の首元に顔が埋まるようになってしまったのも、クロードの混乱を加速させた。

「あ、いや、あれ?」

 何故だか焦る気持ちと混乱が入り混じり、クロードは目をパチクリさせて言葉を失う。

「うんうん、若いねぇ、うぶだねぇ。可愛い可愛い」

 その様子を満足げに見つめるリリィ。にやつく彼女の口元を見て、からかわれているのだと理解すると、多少は混乱も収まった。

 そんな意識することでもないのかなぁ……。

 同年代の女子とすらまともな会話を交わさない日常を送るクロードにしてみれば戸惑うのも無理はない状況だが、振り落とされる恐怖の方が勝った。命より大切なものはないという結論にクロードは至る。

「ほら、もっとちゃんとギュッとしないと」

「こ、こうですか?」

「そうそう。あと、もっとも腰も近づけな。ぴったりと、密着するくらいに」

「そ、そそそんな近づかなきゃ駄目ですか!?」

 若干騙されている気がしなくもなかったが、戦場でも空でもリリィは先輩だ。素直に従おうとしたところ――

「ちょっとちょっとちょっと! 何しれっとわたくしの前でいちゃついてますのー!?」

 モネが顔を真っ赤にして抗議する。

「そんなに近づく必要ありませんわよ! 腕を回せば充分ですわ!」

「ああ、やっぱりそうなんだ……」

「そうなんだじゃありません! クロもクロです! なんでそんなに素直なんですか! ほんとにもう可愛いですわね! 大好き!」

「え? あ、ああ。その、ありがとう」

「違います! わたくし怒ってますのよ!」

 それならほめ言葉を途中に挟むのをやめてほしい。色んな意味で反応がしづらかった。

「おーおー、過保護な上に怖い姉ちゃんだねぇ。こんなのと四六時中一緒だと大変だろう。可哀そうに」

 わざとらしくそう言いながら、リリィはクロードの頭を抱き寄せるようにしてなでる。

「どうだい、クロ坊。あんた、あたしの船に乗らないかい? 船上は娯楽が少なくてねぇ。お姉さんとちょっといいことして過ごさないかい? ほんの二ヶ月くらいだからさ」

「駄目ー! クロにそんな不純な付き合いはさせませんわよ! というかリリィ、いくらあなたでもわたくしの弟に手を出したら切り刻みますわよ! …………ぐりぐりを」

 瞬間、ぐりぐりの全身にビシィッ! と力が入るのがわかった。多分、恐怖故だろうとクロードは推測。

「やめな、モネ。ぐりぐりに罪はないよ。どうしてもと言うんなら止めないけどね」

「いや止めてあげましょうよ……」

「はああん! もうそんなリリィと親しげに! クロってば実は年上趣味!? ――――いえ、それはそれでありかもしれませんわね。その勢いでいっそ姉趣味に……」

 モネとクロードをからかうのが楽しくて仕方ないらしいリリィ。どこか別次元へ旅立ちそうになるモネ。その後出発しても二人のテンションはそのままで、結局目的の場所に辿りつくまでクロードはその相手をさせられたのだった。

 浮遊城内部。先程と変わらない位置にオルタナはいた。煌びやかなステンドグラスの前に簡素な椅子を置いて、その椅子の上でうつらうつらと船を漕いでいる。聞こえてくる深い呼吸音は今度こそ彼女が眠っている音だった。

 座っている内に睡魔が襲ってきたのだろうか。ただ待つことに飽きてしまったのか。彼女自身ですら気づかない内に夢の世界へと落ちていっていた。金色の髪をした美しい少女。そして豪奢でありながら物がなく、どこかに寂しさを感じさせる空間。それらは奇妙な調和を持って世界を演出していた。

 だがその調和は不意に崩される。

「――――あ、」

 少女の口から音が漏れる。それはまるで誰かに喉を締めあげられた時に出るもののような、無理やりに捻りだされた声のようだ。同時に彼女は瞳を開き、不愉快な気分を隠すことなく表情を歪めた。

 オルタナは自分の意思で目覚めたわけではなかった。見えない何かに目覚めさせられた。自分の中にありながら、しかし自分ではない何か――――防衛機能だ。ファウストによって架せられた首輪が彼女の身に危険が迫っていることを感じ取ったのだ。

 覚醒はその結果だ。

「…………」

 目覚めを強いられたことによってオルタナは不機嫌になっていたが、彼女のもう一つの感覚器官とも言うべき竜の視線から感じ取った情報に不自然な笑顔を見せた。

「三人……」

 人が三人。内二人が何か得体のしれない生物に乗っている。それ以上のことはオルタナにはわからなかった。だが、ドクンドクンと跳ねまわるような鼓動といつも以上に強く反応している防衛機能から察しはついた。

 間違いない。

 自分が望んだその人が来てくれた。

 他の二人と何かが邪魔だったが、そんなことはどうでもよかった。邪魔者は所詮選定される。この城の守りはそれほどに強固なのだ。

 オルタナは飛びあがりそうになる気持ちを抑えられず、椅子を転ばせながら立ち上がるとその場で不格好な踊りを始めた。

「あははははははははは! 来てくれた! 来てくれた!」

 金色を揺らしながら、少女は笑う。


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