机上の戦争「彼女の悲願」
あーあ、とアルフレッドは思わずため息をつく。
視線の先にはつーんとクロードから顔をそむけているモネの姿。膝に拳を置いて座る姿と相まって大きな子供のようにも見えてしまう。
こいつは面倒なことになったなぁ……。
疑問の提示。その最中に、流れに任せてクロードは論争の標的をアルフレッドからモネへと移した。彼女をこの場に巻き込んだのだ。そのやり方を卑怯だとは思わない。決闘と言えど、明確に一対一を明言した覚えはないし、特に論争という形式上、証言者というのはつきものだ。それが相対者と殆ど変らぬ立ち位置に上ろうと気にはしない。むしろそうやって場を引っ掻き回そうとする手法をアルフレッドは好んでいた。
特にモネを巻き込もうというクロードの策は、アルフレッドが望んだ展開でもある。アルフレッドの目的は彼女に覚悟を決めさせること。そのためには彼女が同じ土俵に立つという展開は都合がよかった。
一つ問題があるとすれば、モネにはどうやら隠している秘密があるということ。クロードは弟の勘でその存在を暴いたが。暴いたが故にモネは拒絶してしまった。同じ位置へと上がりながら、しかし論争を拒否したのだ。言うなればそっぽを向いた、そんな状態。
まるでいじけた子供みてぇな、馬鹿馬鹿しい態度だが……実際攻略しようとなるとこれが一番辛いんだよなぁ。
見ない、聞かない、言わない。気にしない。そう言う風に拒絶されてしまえば、言葉は意味をなさなくなる。扱える武器が言葉のみという論争の場に置いて、それは絶対の防御に匹敵する。その分、防御している方は攻めることもできないという弱点があるが、モネにははなから攻める必要がない。
モネが意識してその戦法を取ったとは考えにくい。先程の動揺の仕方から見るに苦し紛れに頭を抱えて引きこもったというのが正しいだろう。それも含めて天賦の才なのかもしれないが。
さて、どうするよクロード。
アルフレッドとしてもこのままモネにだんまりを決め込まれていても困るのだ。それではさっきまでと何も変わらない。逡巡する隙もないほど、モネには前を向いてもらわなくてはいけないのだ。今、彼女が被っている殻はアルフレッドにとっても邪魔なものだ。
とはいっても俺様が手を貸すわけにもいかねぇしな。
「ここは、お前に期待しておくことにするか」
誰にも届かない小さな囁き。アルフレッドはそれをクロードへと向けた。
+
どうするべきかと、クロードは思案しながらモネを見つめる。今、自分の姉はいじける子供のようにつーんとした表情でこちらを拒絶している。モネが何かを隠している。それはなんとなくわかっていた。そしてそれがオルタナの目的に繋がるのだという感覚も得ている。
問題はどうしてそれを姉さんが隠そうとするのか、だ。
頑なに、こんな子供のような抵抗をしてまで隠す理由がわからない。同時にそうしなければならないほど精神的に追い詰められている理由もだ。それほど知られたらまずいことなのだろうか。それを知られることによって、モネが、もしくはオルタナが不利になるような……。
いや、そんな情報だったら、姉さんならもっと上手く隠すはずだ。
彼女が冷静さを欠くような事態。そしてこの子供のような反応。
「暴かれたら不利になるようなものじゃなくて、そういうのじゃない……もっと違う。そう、単純に知られたくないことだから?」
秘密にしていた大事な物を取り上げられそうな、子供の様子。それは今のモネと重なって見えないだろうか。
モネはあくまでもクロードを拒絶する。目を合わせようともしない。
彼女が話してくれるのを悠長に待っている暇はない。現状では不利なのは自分の方だ。時間をかければかけるほど、目的は遠ざかっていく。
とにかく考えるんだ。拒絶されても、攻め続ける。話は聞いてもらえなくても、届いていない訳じゃない。無視されているのなら、無視できなくなるだけの真実を叩きつける。
家族の秘密を無理矢理暴こうという行為にクロードは多少の罪悪感を覚えたが、背に腹は代えられない。それが例え姉を傷つける結果になっても、もうクロードは止まれなかった。
ごめん、姉さん。
「……姉さんはオルタナを殺すと言った。きっとそれは必要なこと。そうするだけの理由が、秘密があるはずだ」
考えをそのまま声に出す。
「浮遊城。それに竜の軍勢。それらを突破できるのは姉さんだけ。つまり、オルタナが求めているのは姉さんだ」
ならやはり、秘密は二人にとって重要なこと。
「秘密――――姉さんとオルタナの間にあったもの……」
そこでクロードは思い出す。初めて、オルタナと会った日のこと。オルタナがモネに対して言っていた言葉を。
「『あんたにしてくれなかったことを、してもらうためよ』か……」
その言葉に、モネがわずかに反応を見せる。相変わらず視線は明後日の方向を見ているが、しかしほんの少しだけその方向が変わったのだ。そのわずかな揺らぎをクロードは見逃さなかった。
「やっぱり、オルタナは姉さんに何かを頼んでいた。だけどそれを姉さんはしてあげられなくて……つまりそれがオルタナの願い? 目的なのか?」
繋がった。わずかだが、モネの揺らぎは強さを増している。きっとこれが彼女の秘密。やはりそれはオルタナの目的へと繋がるものだった。
だが一つの問題が立ちふさがる。
「オルタナは自由を望んでいないと言った。つまり解放が彼女の目的じゃない。なら一体なんだ? それに何より、姉さんはオルタナを殺すと言ったんだ。それが一体、オルタナの目的にどう関係する……?」
オルタナの目的。
モネの秘密。
賢者の器。
浮遊城。
駄目だ。あまりにもわからないことが多すぎる。オルタナは姉さんを呼んで何をするつもりなんだ? 姉さんはオルタナを殺して、そして彼女の望みの何を叶えようとしている? そもそも殺すという言葉、あれは真実なのか? もっと別の意味があったんじゃないか?
「姉さん……」
クロードの呼びかけにも、モネは答えない。ただじっと耐えるように黙ったままだ。
「ちょいといいかい?」
その時、予想だにしない人物が声を上げた。
リリィだ。さっきまで寝ているものだと思われていた彼女が、気づけば煙管をふかしながら、真剣そのものの表情でクロードとモネの対峙を睨みつけるようにして見ていた。
彼女は男勝りな、しかしどこか色っぽい仕種で足を組み直す。そうしてゆったりと紫煙を吐きだして、告げた。
「クロ坊が気になっている、モネの秘密とやら。あたしはわかったような気がするよ」
「本当ですか!?」
クロードは思わず前のめりになってリリィに迫る。今にも詰め寄るようなその動きはリリィの上げた片手によって静止させられる。しかし興奮は収まりそうもなかった。
「本当にわかったんですか!? 姉さんは一体何を……」
「待ちな、クロ坊。まず先にやることがある」
言って、彼女は逸るクロードとは対照的に酷く落ち着いた様子で煙管を口元でくゆらす。その動きは今のクロードには止まっているようにさえ見えて、軽い苛立ちを覚えた。
焦らされる感覚に体が震えそうになるのを抑えていると、ようやくリリィが次の言葉を吐いた。
「なあ、王様よ、あたしもこの論争、参加してもいいかね」
「お前が、か?」
「そうさ。もうすでにモネは檀上に上がっちまった。だったらあたしも上がったって構わないだろう? それにあんたが言ったことだよ。クロ坊の話を聞いて、その先どうするかを決めるのは〝俺様〟と〝円卓の同士〟だってね。あたしだって円卓の同士の一人だ。参加するだけの資格はあるんじゃないのかい?」
リリィの主張にアルフレッドは悩む素振りを見せたあと、
「いいぜ。好きにしな」
と、存外にあっさりと承諾した。
「リリィだけじゃない。他の奴らも同様だ。こっからは好きに参加して、好きに発言してくれ。敵味方入り混じった論争。いいじゃねぇか、こういう混沌は嫌いじゃないぜ」
ははは、とアルフレッドは高らかに笑う。そんな王を横目に見ながら、クロードはリリィへと更に迫った。
「リリィさん、その……」
「わかってるよ。今話してやる」
言って、煙管をこちらへと突きつけるように向けた。
「そもそもだな、あんたは難しく考えすぎなんだよ。物事ってのは意外とシンプルなもんなんだ。特に、モネ。あの単純馬鹿に関しちゃね」
「シンプルって言っても……」
「賢者の器とか、そういうよくわからん不確定要素を蹴っ飛ばして考えればすぐにわかることさ。…………モネはね、殺すと言ったんだ。アルマ=カルマのお嬢ちゃんを、倒すとか止めるとか排除するとか、他のどの言葉でもなく殺すと言った」
「ええ、ですからその理由を……」
「その考えだよ。それがいけない。そうじゃないんだよ、クロ坊。モネはそもそも嘘なんかつけない。不器用なんだ。器用に嘘がつければこんな子供みたいな拒絶の仕方しなくてもいいはうだからね。だからあいつが言ったことは殆どが真実だ。特に殺すっていうのは、まさしくそのままの意味。何かの隠語だったり別の意味があったりしない、そのまんまの〝殺人″の意味だ」
でも、だったらオルタナの願いは……。
混乱するクロード。リリィは更に諭すような口調で続けた。
「もっと別の考え方をしてごらんよ。シンプルにいくのさ。お嬢ちゃんの願いがなんなのか、モネの行動がそれにどう関わってくるのか、じゃない。モネの行動、その結果そのものがお嬢ちゃんの望むことだとしたら……」
「え?」
途端、気温が下がったように感じた、いや、下がったのはきっと自分の体温だろう。自分の表情が凍って、顔が青ざめていくのが鏡を見ずともわかった。
それじゃあ、オルタナの願いは――――
心に浮かんだ答え。声を上げて否定したくなるそれを、クロードの代わりにリリィが口にした。
「あの子の願いは殺されることだ」
「そんなことっ!」
否定の言葉殆ど反射的に出た。たいした意味もなく感情のまま吐きだされた言葉。それを受けたリリィは厳しい顔をクロードに向けた。
「あり得ない、かい? だけど、こう考えるのが一番自然なんじゃないかい? 色々と辻褄もあうのさ」
言われ、クロードは考える。オルタナの願いが『殺されること』だった場合。一体何がどう変わってくるのか。その考えの先、確かにリリィの言う通り辻褄があった。今まで理由のわからなかったこの事件の真相が明らかになっていく。
「ちょっと待っていただけますか」
そう声をあげたのは兵士団長だ。個々の発言が許されたこの場で彼は真っ先に説明を求めた。
「どういうことなのかわかりかねる。アルマ=カルマの願いが殺されること? それで辻褄があう? 何の事だかさっぱりだ。我々にもわかりやすく説明してくださいませんか」
「そいつはクロ坊に任せるよ」
言って、リリィはクロードに向かって煙管を突きつけた。
「あんたなら、もうわかってんだろう」
逃げ出すことも、眼を逸らすことさえ許されない。そんな気迫でもってリリィはクロードに説明を強いた。
「…………オルタナは、アルマ=カルマはファウストによって刻まれた防衛機能によって、あらゆる脅威を回避しなければならない。それは自ら傷つくことを許さない。自殺を許されない機能――――」
クロードの口調は他の誰かに説明しているというよりも、まるで自らに言い聞かせるかのような言葉に近かった。抗いようのない現実を己に叩きつけるための言葉。
「だから、オルタナは死ねない。自分からは決して死ぬことができない。それでも、彼女は死にたかった? 死んでしまいたかった?」
「クロード殿!」
兵士団長が焦ったように声を荒げる。そこで、ようやくクロードの意識は現実へと戻る。そうして震えそうになる声で続けた。
「僕らが抱えている一番の問題は、何故オルタナがすぐに攻撃してこないのか、です。でもそれも当たり前だった。浮遊城は王都を滅ぼすために現れたんじゃない。あの城はただの脅しだ。〝自分には王都を滅ぼすだけの力がある〟ということを伝えるための手段にすぎなかったんです」
「そんな脅しに、一体なんの意味が……?」
「そうしないと――――いや、そうまでしないとこの国はオルタナを殺す決断をしてくれなかったからです」
三百年前、大戦の終了と同時、オルタナはかの英雄リチャード・リオン・オードランが持ち帰ったとされている。
それから今に至るまでの三百年間。オードランはオルタナを縛り付け、無理矢理に所有し続けた。それには殆ど意味はなかったという。オルタナは特異な魔法を持っていたが、それは実戦にはまるで役に立たないものであり、アルマ=カルマを術式的に理解できる者はいなかった。
ただ稀少だから。珍しいから。他に、代わりがいないから。
それだけの理由で三百年。オルタナは国に閉じ込められていた。時間は重みとなり、時がたてばたつほど誰もオルタナを殺せなくなる。触れられなくなる。一種の禁忌として、秘密として、ただそこにあるだけの術式――。
オルタナは死にたかった。死んでしまいたかった。
だから、だから――――
「だから浮遊城を召喚した。浮遊城の武力を持って、この国に脅しをかけた」
私を殺さなければ、この国を殺す。そんな脅しだ。
「オルタナに必要だったのは強大な力。もう殺すしかないと思わせるだけの武力。そして、そんな武力を蹴散らして自分を殺せるだけの強い相手……」
それは間違いなくモネだった。あの浮遊城を前に、それでもオルタナを殺せるだけの実力者など、モネ意外にあり得ない。
オルタナはモネを求めていた。それは、自分を殺してほしいがため。自らを殺せるだけの相手として彼女はモネを求めていたのだ。そして、今もあの城で待っている。
モネに顔を向けた。彼女の表情は強張り、一層の緊張の中にいることがすぐにわかった。
ああ、そうだったね。今やっと思い出したよ。姉さんは、嘘が下手だったんだ。
表情一つ偽ることができない。常に正しくあろうとするモネは嘘がつけない。だから押し黙るしかなかった。いや、それだけじゃないだろう。浮遊城をどう対策するかという会議の終わり、オルタナを殺そうと提案したのはモネ自身だった。それはオルタナの願いを知っているが故。モネはオルタナのためにオルタナを殺そうと、そうするあまり口にしてしまった。包み隠さず、オルタナの願いを言葉にしてしまったのだ。
「じゃあ、なんですか……」
兵士団長が恐る恐る口にした。この国にとっても、民にとっても絶望的な現実。
「我々は、アルマ=カルマの〝自殺″に付き合わされていただけだとでも……?」
付き合わされていた、という言葉は傲慢かもしれない。オルタナこそ、国の都合に付き合わされていた被害者なのだから。だが、それでもそう言いたくなってしまう。この事件は、国一つを滅ぼされかねないこの大事件は全てオルタナが死にたいが為の、あの金色の少女のあまりに回りくどい自殺でしかないというのだから。
ああ、とクロードは思った。だから姉さんは隠そうとしたのだろう。こうしてオルタナの願いが明るみに出てしまえば、誰もがそう思う。彼女の願いが、なんてくだらないものなのだろうと思ってしまう。国一つを巻き込むほどの激情なのだと理解しながら、それでも思ってしまう。
こんなくだらないことのために自分達は付き合わされていたのか、と。
オルタナを殺します。
静かに口にされたあの言葉は、モネの覚悟であり、何よりオルタナの願いそのものだった。だから口をつぐんだのだ。すでに願いを口にしてしまっているから、もう隠し通すこともできないから。すねた子供のようにそっぽを向いて、それでも子供なんかよりもずっと頑なに、自分だけに語られた少女の願い、その意味を必死に守ろうとしていた。友の願いを、ただくだらない何かにしないためにも。
「姉さんは――――――オルタナを殺すの?」
無意味な質問だと思った。それでも口にしてしまった。モネは少しだけ、躊躇うようにして顔を伏せ……しかしやがて沈黙に耐えかねえて、答えた。
「ええ。わたくしはあの子を殺しますのよ」
それがあの子の願いなのだと、モネは言った。そうしてクロードからは視線を外し、アルフレッドの方を見た。
「申し訳ありませんわ、王よ。わたくしは国に嘘を、不義を抱えました。あの子の願いを、目的を知りながら、それを黙っていました」
頭を下げる。そし次に前を向いた時、モネの表情はいつもの真剣そのものとなっていた。
「しかしこれだけは信じて下さい。あの子の願いは本物でした。多くのものを危険に晒し、犠牲にするかもしれない……それでも叶いたいだけの想いがそこには確かにあったことを!」
モネは力強く宣言する。友の想いを守るために。その願いを遂げるために。
「わたくしは騎士として国を守り、そして友としてオルタナの想いを守りましょう! わたくしはこれを誇りとし、剣を振るい戦いますわ!」
+
モネの宣言を聞きながら、アルフレッドは思い出していた。
それはオルタナとの記憶。幼い頃に見惚れた黄金の輝き。成長していく自分と、停滞したまま変わることのない彼女。三百年、この城から出ることも叶わなかった少女。その姿があまりに美しくて、同時にとても痛々しくて、なんとか彼女を救ってあげたくて――――しかし最後まで、オルタナはアルフレッドの言葉に耳を貸さず、口をきこうともしなかった。
それは望むものを得られなかった男の記憶。伸ばした手は虚空を揺らすばかりで、結局何一つ掴めなかった男のくだらない感傷……。
ああ、とアルフレッドはここでようやく理解した。自分もまた《王》としての仮面をかぶっていたことに。
俺様も縋っていたのか、まだ望んでいたのか……。
自分もまたクロードと同じように、オルタナの輝きを渇望していたのかもしれない。
だからお前は、俺様には口をきいてくれなかったのか? 俺様じゃあ、お前を殺せないから。殺してやれないから。
オルタナは見抜いていたのかもしれない。アルフレッドの弱さを。王として、男として、哀れな少女を殺すことはできない。その弱さを彼女は知っていたのかもしれない。今となっては、それもまた感傷でしかないのだが。
「……決まったな」
そう、これ以上悩む必要はなかった。オルタナの願いを知った。彼女の望みを知った。自分には決して語られなかったその意味も、込められた想いの重さも知った。ならば、己にできることは一つだけ。
「これでお終いだ。やるべきことは決まった。俺様たちは、オルタナを殺してやらなくちゃいけない」
モネは少しだけ驚いた表情でこちらを見た。アルフレッドの決断が意外だったのだろうか。もしかしたら、モネはオルタナから自分のことを聞いていたのかもしれないと、アルフレッドは少しだけ恥ずかしくなった。オルタナの前にいる時の自分はいつも見栄を張って、格好つけたがりな馬鹿野郎だったからだ。
「決まってなんかいません!」
クロードがすぐさま反論する。それは予想通りだった。諦めきれない気持ちという奴は、アルフレッドにも痛いほど理解できた。そしてだからこそアルフレッドは一層強い口調で言うのだ。
「決まりだよ。もうこれ以上、悩む必要はない。論争の必要もない。オルタナは殺されることを望んでいる。そりゃ、それはこの国のことを考えれば迷惑な話なのかもしれない。だがこうなった原因も国にある。なら責任を持って、俺様たちは彼女を殺してやるべきだ」
「責任だとか、べきだとか、そんなこと僕らには関係ない!」
まるで聞き分けのない子供のような反論だ。だがそれ故にまっすぐで、彼の気持ちは伝わった。
「そうだな、お前の立場からすればそうなんだろう。お前はまだ学生だ。騎士でも、兵士でもない。国への忠誠がどうとかは言わねぇよ。ただ、責任とはまた違う部分で、お前はオルタナを殺してやらなくちゃならねぇんだぜ?」
「何を、言っているんですか……?」
「いやいや、おかしな話じゃねぇよ。だって、お前の願いはオルタナを救うことなんだろう? そのオルタナの願いが『殺されること』なんだ。つまりそれは彼女にとっての救いだ」
願いの成就。それはこの上ない救いなのだと、アルフレッドは語った。
「多くのものを傷つける覚悟。それだけ強い想いでオルタナは殺されることを願っている。そんな願いが叶うことは間違いなく救済だろう? 彼女を助けたいのなら殺せ。それがお前の望みの成就だ」
我ながら結構な暴論だとは思った。だがそれでも臆することなく言葉にしたのは、覚悟を決めたからだった。それは己のことであり、モネのことでもあった。
もうすでに、モネの中に迷いはないだろう。振り上げた剣は躊躇いなくオルタナの首へと振り落されるはずだ。当初のアルフレッドの思惑通り、クロードの介入によってモネはその覚悟を確かなものとした。抱えた秘密を吐露することで、むしろ思いを強くしたのだ。
ならば、この機を逃す手はない。なにより彼女の願いを叶えるために、オルタナの願いの成就のために。
俺様もまた、覚悟を決めよう。
「どうした? クロード、顔色が悪いぜ」
畳み掛ける。黙ってしまったまま、何も言い返すことのできないクロードに容赦なく言葉をぶつける。
「それとも、何か? オルタナを救うことを拒否するのか? 彼女の望みを叶えてやらないとでも? 彼女を救いたいっていう言葉は嘘だったのか? オルタナが好きだっていう、あの言葉は、まさかただ彼女が欲しかっただけじゃあないだろうな。そんなくだらない情欲でお前は戦っていたのかよ」
俺様としたことが、年下相手に随分言ってるなぁ……。
余裕がないのはお互い様なのだろう。しかしそんな感情を顔に出すこと決してせず、アルフレドはとどめを刺しに行く。
「答えろ、お前は本当にオルタナのことが好きだったのか? もし彼女への想いが本当なら、俺様に賛同しろ。既にお前の理想と俺様の理想は同じ位置にある。これ以上は議論の余地も妥協の余地もない。いいかクロード、イエスかノーだ。はいかいいえだ。お前は俺様に賛同するか?」
それは王らしくもない卑怯な問いかけだった。オルタナが好きならばアルフレッドに賛同し、彼女を殺さなければならない。しかしそれが嫌だといえば、クロードはオルタナを好きではないことになる。それは間違いなくクロード・ルルーという男のプライドを踏みにじるだろう。それも、己の靴底でだ。
イエス、とそう言うしかない。実質選択肢などない、卑劣な問いかけ。
「さあ、どうなんだよクロード・ルルー!」
頷くだろう。そのはずだ。それ以外にない。
だが、クロードは首を縦に振らなかった。それどころか――
「ノー、です。国王様。僕はその問いに『いいえ』と答えます」
予想と反したクロードの答え。しかしそれはそれで構わなかった。ならば彼の前提を否定してやるだけだ。
「なら、お前はオルタナを好きではなかったということになる。お前は嘘を吐いたんだ。醜い思いで国を動かそうとした。そんな奴の言葉をこれ以上聞き届けるつもりはない」
クロードの前提。オルタナが好きだという言葉を否定すれば、その後の全てが崩れる。例えノーと言おうと結果は変わらない。アルフレッドはこれ以上論争を続けるつもりはなかった。
だが、
「それも、ノーです」
「なんだと?」
否定に次ぐ否定。クロードは首を横に振った。
「あなたの言葉に僕は『いいえ』と答えます。僕はオルタナが好きです。それだけは絶対に間違いなんかじゃない」
クロードの視線は真っ直ぐだった。どこにもブレがない。驚くほど、彼の口調は落ち着いていた。
「そんな醜い思いをお前は恋や愛と言うつもりか!?」
「綺麗なだけのものが恋のはずがない! 愛のはずがない! 確かにあなたの言う通り、僕はオルタナに決して綺麗ではない思いを抱いています。彼女の髪や肌に触れたいと思ったし、それをめちゃくちゃにすることを想像だってした。でもだからこそ、僕はオルタナが好きなんだと信じられる。だって、僕はこんなにも彼女を求めている……!」
それは情欲も愛情も、汚いものも綺麗なものを全部ひっくるめた《恋》だった。あまりに赤裸々な、言うなれば裸のままの好意にアルフレッドは言葉を失ってしまう。凄然とする円卓の中、ただ一人リリィだけがせきを切ったように腹を抱えて笑い出した。
「ハハハハハ! よぉく言った! よく言ったよクロード! あんたは男だよ! 最っ高じゃないかい! ハハハハハ!」
カン、カン、と折れるかと思うくらい強く煙管を机に叩きつけながら、リリィは笑う。アルフレッドにはそれが、どうしてか異様に耳障りに感じてしまった。
「うるせぇぞ、リリィ。いつまで笑ってやがる」
「おやおや、国王様はご機嫌斜めなようだねぇ。年下相手に男を見せられて、気分が悪くなっちまったってところかい? そいつは随分とケツの穴の小さいこったねぇ」
挑発ともとれるリリィの言葉に真っ先に反応したのはアルフレッドはではなく、メイド長だった。常に後ろに控えたまま動かないはずの彼女が一歩前に出た。
「ローラン様。そのお言葉、我が主への侮辱と受け取ってよろしいのですか?」
メイド長が怒っているいることは誰の目にも明らかだった。放たれる殺気は尋常ではない。王に仕え家事や雑事をこなすメイドである前に、彼女もまた騎士なのだ。その実力は他の隊長と遜色ない。
しかしそんなメイド長の殺気を受けてなお、余裕の笑みを崩さないリリィの肝の据わりようもまた凄まじいものがあったが、今はそんなことを言っている場合ではなかった。
「よせ、メアリ。今のは俺様も悪かった。だから下がれ」
「なんだい、一気にしおらしくなっちまって、情けない」
まだ続けようとするリリィを最後まで睨みつけながらも、メイド長は渋々引いた。リリィは少し言い足りなさそうだったが、それ以上を続けるつもりはないようだった。
「おっと、灰がどっか飛んじまったよ」
火の消えた煙管を口にくわえて遊ばせながら、再びリリィは傍観へと移る。それを見届けてから、アルフレッドはクロードに向き直る。
心臓が馬鹿みたいに鼓動を強くしていた。わけのわからない焦りを抱えたまま、告げる。
「いいか、クロード。お前の気持ちは……まあ、置いておこう。だがどっちにしろ、お前にはオルタナの願いを叶えてやるつもりはないんだな?」
「その願いが正しいものなら、叶えるつもりは充分ありました」
「なら、オルタナの殺されたいっつー願いは間違っているとでも?」
「間違っています。それは願いじゃない。ただの諦めだ。目の前の苦しみから逃げるための口実だ。そんな願いは間違っている。オルタナは……ずっと苦しんできたんだ。その苦しみを清算するだけの何かを得ないままに死ぬことは悲しいことじゃないですか!」
「苦しみの数だけ幸せを与えるつもりか? 三百年の責め苦の対価をどうやって与えるつもりだよ。そもそも、彼女がそれを望んでいるかどうかもわからない。お前の言っていることはお前のエゴでしかない!」
「なら彼女を殺すというあなたの言葉だってエゴじゃないですか!」
「なんだと……?」
「オルタナが殺されてしまいたいと、そう思ってしまった原因はこの国にある。それを知りながら、死にたいと言っているから殺すなんて。そんなものは責任とは言わない! それこそ自分勝手なエゴでしかない!」
「…………」
なんだ、何をしている。早く言い返せ。俺様は正しいことを言っているはずだ。だから……。
「同じエゴなら、より価値のある方を選ぶ。だから僕はオルタナを殺したりはしない!」
「馬鹿野郎! そんな理屈が通用するか!」
「通用しますよ! だって、あなたは言ったはずだ。命には価値があると。その価値はオルタナにだってあるはずだ! なら僕らが目指すべきは価値を失う勝利ではなく、価値を守る未来のはずです!」
「ぐっ……ああ」
ひねり出した声はついに言葉にすらならずに円卓を響かせる。
何故だ。なんで俺様は言葉に詰まっている。
落ち着いて、反論できる点を見つけるんだ。相手は素人、いくらでも言い任せるはずだ。クロードの理論は決して完璧じゃない。ただ感情に訴えかけるだけの、必死なだけの答弁だ。
いや、だからなのか。だから俺様は反論ができないのか?
理詰めでは勝てないのか。正しさだのなんだのと口にしながら、クロードは実のところそんなところに重点を置いてない。正しさを否定されれば、新たな正しさを持ってくるのみ。感情だけを先走るあまり、本来感情のよりどころになるはずの正義を駒としてしか見ていない。自分を納得させるための理屈にこちらを巻き込んでいる。自分の中ですでに決まった結果に辿りつくために彼はいくつもの正義を使い捨てている。
最初から最後まで、クロードの言葉は全て言い訳だったのだ。
はなから諦める気なんてなかった。付け焼刃の言葉で、すげ替えの正義で、ただただオルタナのもとへと〝至る〟ための道を切り開く。
しまった、とそう思った時には遅かった。すでにアルフレッドはクロードの術中にいる。
この相手は納得させようとしては駄目なのだ。そもそもクロード自身が己を納得させているかどうかも怪しい。理論や理屈では勝てない。ただただ単純な〝死んで欲しくない〟、という感情だけで動く相手に、国のために正しく動こうとする自分が敵うはずがない。
クロードは変わらず、真っ直ぐにこちらを見つめている。その姿がとても恐ろしく感じたのは、錯覚ではないのだろう。アルフレッドは恐れた。目の前の少年の視線から逃げ出したくなった。
ちくしょう、なんだって俺様はこんな……。
こちらは常に正しさを武器としてきた。国や民の命に価値を起き、それを守るという正しさを貫いてきた。今更方針を変えるわけにはいかない。
円卓に並ぶ同士に視線を回す。今はまだ明確に立場を明らかにする人物はいないが、少なくともこの時点でリリィは既にクロードの側についているようなものだ。
正しさは暴力だ。正論は時に人を傷つける拳となる。それを叩きつける光景は最初こそ爽快かもしれないが、度を過ぎれば見るに堪えない惨状だ。正しさのぶつけ合いならば、拳のぶつかり合いとして試合が成立するが、クロードがぶつける正しさは偽物だ。その場しのぎの主張でしかない。紙の剣を持つ一般人に完全武装した兵士が立ち向かうような図が今のアルフレッドとクロードの戦いだろう。
いずれ感情に流され、円卓の空気はクロードの方へ向いていく。その前になんとかしなくてはならない。
だがどうする? これ以上正義を振りかざせば墓穴を掘るのはこっちだぞ。
突破口を探す。思考を巡らせ、次に言うべき言葉を探していた。その時だ。
「…………勝手ですわ」
静かに呟かれた言葉はモネのもの。彼女はわなわなと拳を振るわし、クロードと、そしてアルフレッドを睨みつけた。
「何も知らないくせに……」
そんな彼女の様子に、どうしてだろうか。アルフレッドは突き放されたような気持ちになってしまった。
「勝手な言葉で、あの子のことを語らないでください!」




