王の試練「論争」
「嘘だろ、おい……」
大会議室。静まり返るその空間で声を発したのは彼女だけだった。
リリィがモニターに映る光景を見ながら、呟く。この時モネはモニターに視線を奪われていたが、静寂の中反射的に声のした方を向いてしまう。そこにいたのは、友人であり、同じ隊長格でもあるリリィだ。
「まさか、ロウが負けるなんてねぇ……」
自分の部下がクロードに敗北したことが信じられないようだった。勿論、モネも同じ気持ちだ。いや、モネだけじゃない。この円卓に集まった誰もが信じられない思いを抱いているはずだ。
魔法の使えない落ちこぼれの少年が。
世界から、見放された者が。
騎士団の副隊長格に真正面から戦闘し、勝利を収めたのだ。
それは決して、あってはならない光景だった。到底、信じられるはずがなかった。特にモネは姉として、クロードの実力をよく知っているつもりだった。過大評価をしたつもりも、過小評価をしたつもりもない。弟の利点、欠点、長所短所。それら全てを知っていると思っていた。
それなのに……。
それなのに、今モニター越しに見る弟の姿はまるで――――
「こいつは、あの坊やに対する評価を改めなくちゃならないかもねぇ」
そんな風に呟くリリィに対して、モネは苛立ちにも似た思いを抱いた。言葉そのものというよりは、語る彼女がどうしてか少しだけ嬉しそうにしていたのが癪に障ったのだ。
冗談じゃないですわ、騎士団がただの学生相手に負けたのですわよ。
それは騎士団の威厳に直接関わることだ。そして何より、クロードがここに辿りついてしまう。自分の弟がまたこの危険な場所へ戻ってきてしまうこと、それこそが何よりモネを苛立たせた。
何故わかってくれないのだろう。そんな思いが心を覆い尽くす。
わたくしはただ、あなたを危険な目に合わせたくないだけなのに。傷ついて欲しくない、それだけなのに…………。
しかし、モネの思いに関わらず、現実は動きを止めない。少年は歩みを止めない。
モニターの中では、クロードが倒れたロウに一度だけ礼をしてから、扉へと近づいていた。
着てしまう。ここへた辿りついてしまう。また力づくでもクロードを排除したいとさえモネは思ったが、しかしそれはできなかった。クロードの障害はブルーノ・ロウ一人だけ。その他の者が横やりを入れるのをアルフレッドは明確に禁止したのだ。動くな、とモネはアルフレッドから命令されている。それが王の命令である以上、騎士であるモネは逆らえない。
アルフレッドが気まぐれに考えを変えて、クロードを迎撃するように言ってくれないだろうか。最後の希望とでも言うべきか、そんな考えられないような願いを込めてモネはアルフレッドを見た。しかし希望はあっさりと否定される。
笑っていたのだ。王はまるでこれが思惑通りだと言わんばかりに、にやにやとした軽薄な笑みを浮かべていた。しかしどうしてだろう、その軽薄さの中に、何か恐ろしいものが見え隠れしているように見えたのは。
「アルフレッド、あなた――――」
一体、何を考えていますの……?
王へと問いかける言葉は最後まで音となることはなかった。それより先に、会議室の扉が音を立てて勢いよく開いたのだ。自らの存在を主張するかのごとく、意図して大きな音を立てるかのような扉の開き方はノックの替わりだ。
そして全員の視線が集約される中、少年は開いた扉からまっすぐにこちらへ歩いてくる。その歩みに迷いはない。その堂々とした動き、行動の一つ一つがモネの記憶の中にある彼の姿からはかけ離れているように感じてならなかった。
「辿りつきましたよ、国王様」
そう言って、クロード・ルルーは宣言する。辿りついて、見せたのだと。
+
「クロ!?」
クロードが辿りついた。その後すぐに響いたのは、モネがまるで泣くように弟の名前を呼ぶ声だった。
原因はアルフレッドの視線の先にあった。
膝を突き倒れ込む弟。駆け寄る姉。
モネは見るからに狼狽えて、自分も同じように膝をついてクロードの顔を覗き込むようにしている。クロードはそんな姉に大丈夫だと告げながらも苦しそうにしている。
そんな二人を見ながら、アルフレッドはやっぱりなと、ある確信を得る。
「やっぱり、無理してやがったか」
それはクロードのこと。アルフレッドは確かにクロード・ルルーという落ちこぼれの少年をある程度評価していたが、それでも副隊長格であるロウには普通なら遠く及ばないと思っていた。普通なら及ばぬ相手に勝つためには、普通を捨てるしかない。全力の更にその上、無理を通すしかないのだ。
それでも、あそこまで鮮やかに決まるとは思っていなかったけどな……。
だがそれでこそ、自分が期待した通りだとアルフレッドは内心ほくそえむ。今、まさしくモネの心は揺らいでいる。今こそ己が動く時、彼女に覚悟を決めさせる時だと悟る。
しかし、そんなことを思う中、視界の中ではクロードが咳込み……同時に床に思いっきり血を吐いた。モネが悲鳴のような声で弟の名を叫んでいた。彼女の顔色は体に異常をきたしているらしいクロードよりも真っ青だった。
「ったく、無理しすぎなんだよお前は。おい、メアリ」
メイドの名を呼ぶ。するとアルフレッドが何か言うよりも先にメイド長はクロードの元へ行き、数枚の術符を取り出した。
「ご安心ください、アルフレッド様。こんなこともあろうかと、治療符は用意しております」
言って、クロードの服を半ば強引にめくりあげ、肌に直接術符を貼っていく。そうして小さく何かを呟くと、クロードがルーンの光に包まれた。しばらくはそのまま咳込みながら苦しそうに呻いていたが、しだいに呼吸も安定し、落ち着きを取り戻す。
クロードと相反するように、モネはむしろ心配そうな表情を強くした。
「一体、何が……ロウさんの攻撃は一撃も当たってないはずなのに」
「症状から察するに、あんたの報告にあった『身に余る魔法を使った代償』ってやつじゃないのかい?」
そう問いかけるのはリリィだ。だがモネはわからない、という風に首を振った。しかしリリィの問いかけにクロードは頷きを返した。
「そう、です。これは確かに代償ですよ」
「やっぱ、そうなのかい」
「僕は確かに絵画魔法を使えます。でも、集められるルーンが微量だということに変わりはない。僕にできるのはキャンパスを埋める程度の絵を描くことだけ。一度に描ける範囲は、それが限界なんです。複数回に分けて行えば、できないこともないんですけど……」
だが先程クロードがやってみせた絵の分身が、複数回に分けて行えるようなものではないことは誰の目にも明らかだった。そんな分身をいくつも出現させ、それを人間のように動かして見せたのだ。それは明らかにクロードのキャパシティを超えた魔法だった。
「でも、自ら進んで代償を払えるなんて、そんなことできるんですの?」
「それは、僕もわからないけど……やってみたらできたんだ。なんというか、前の時にコツを掴んだ、みたいな……?」
クロードにしては曖昧な物言いだった。それにリリィは再び反応を示す。
「その感覚であってるよ、クロ坊」
「感覚、ですか? 僕としても凄く曖昧なんですけど」
「そもそもルーンが足りないなんて現象が起こりえないモネはわからないだろうけどね、一度代償を経験した人間はその後も代償を払いやすくなっちまうってのは知られていることなのさ。たいして気にすることでもないんだけど、中には自分の意志で代償を払うことが出来るようになっちまう奴もいる。今のクロ坊みたいにね。ま、それも褒められたことじゃないんだがね」
代償は癖になるのだと、リリィは語った。
「それも悪癖さ。あんま多用していると、なんでもない魔法を使う時でさえ、必要以上にルーンが消費されて代償を払っちまうことも起こりかねない。だから気を付けた方がいいよ――って、今充分身に染みたかね」
「はは……」
困ったようにクロードは笑っていたが、余裕はないように見えた。今、自分がどれだけ危険な状態だったのか、自分の体だからこそよくわかっていたのだろう。
それだけ危ない橋を渡った。
そうまでして、ここに辿りつくことを望んだ。
全てはオルタナのためにだ。
「少し、失礼いたしますね」
メアリがクロードの上着を脱がせにかかる。人前で半裸になることへの抵抗かクロードは少し渋っていたが、抗議する間もなくあっという間にメアリに服を脱がされてしまった。どうやって自分が脱がされたのかもわからなかったらしいクロードは恥ずかしがるよりも目を丸くして驚いていた。自分も子供の頃はいつもああやって服を脱がされていたとアルフレッドはふと昔を思い出す。風呂が嫌いだったため、よくメアリに怒られながら服を脱がされ浴槽に投げ入れられていたのだ。今でも、あの技だけは防げる気がしない。さすがにここ数年は見ることもなかったが。
「外傷は、まあ擦過傷くらいでしょうか。勿論ですが、ロウ様との戦闘で受けた傷は無いようですね」
言いながら、メアリはクロードの体を触診していく。そして治療の終わった術符を剥がすと、まだよく状況のわかってないクロードに無理やり服を着せた。もう診察は終わったのだろう。結局クロードが驚いている内にメアリはさっさと立ち上がり、もとのアルフレッドの後ろという定位置に戻ってきた。
「ご苦労だったな」
軽く振り返りながら言うと、メアリは「いえ、これくらいいつでも」と至って冷静な口調で答えながら、嬉しさを隠そうともしないニコニコとした顔でくねくねと体を揺らした。いつも通りの反応にアルフレッドは安心する。いつもと変わらぬ部下が後ろに控えている。これほど心強いものはない。
「さて、それじゃあクロード」
回復したクロードに視線を送る。クロードもまた、じっとこちらを見ていた。その視線の強さに、まるで別人のようだと思いながらアルフレッドは次の言葉を続けた。
「よくもまあ、辿りつけたもんだな。正直驚きだよ。お前は俺様の予想を軽く超えやがった」
それは素直な感想だった。彼が来ることを期待はしていたが、ここまであっさりいくとは思っていなかった。
「ロウをぶっ倒した手腕、見事だったぜ。特にあれ、ロウの呼吸を止めたあの一撃。ありゃあ、対魔法師用の格闘術だろ? 兵士ならともかく騎士を目指すアルケミアの学生が使うようなもんじゃねぇ。一体どこで習ってきたんだよ、あんなの」
「…………僕に師匠はいませんよ」
つまり、全て独学で学んだことだと言うのだ。あの格闘術も、絵画魔法の扱いも、アルケミアが教えてくれないことは全て一人で学んできたのだろう。そのひた向きさは純粋に称賛されるべきことだ。
「よくやった、クロード。お前は今この場にいるものに、確かな力を示した」
だから俺様も約束を果たそう。
そう言って、アルフレッドはにやりと笑った。それは一種のポーカーフェイス。自らの感情を隠すため、その顔に軽薄な笑みを貼りつける。
「お前の話を聞いてやろう。だが、あくまでも聞くだけだ。その後どうするかは俺様と、そしてこの円卓の同士が決めることだ。まさかなんの考えもないままにこの場にきたわけじゃあ、ないんだろう?」
挑発するかのような物言い。それにクロードはたじろぐこともなく立ち上がった。それだけで確かな肯定となり得る。クロードは辿りついた、その先も見ていたのだ。
やっぱりこいつは、面白いぜ。
「俺様には俺様の考えがあり、望みがある。対するお前の望みはきっと、俺様の望みとは相反するものだ。だから説得してみろ。俺様を納得させてみろ。お前の望みを叶えることが、俺様にどんな結果を残すのか、残さないのか。この国の行く末を、お前が至ろうとしているその位置を、俺様が目指すものを、一緒に話し合おうじゃないか――」
いや、違うか。と、アルフレッドは自分の言った言葉を否定する。話し合いじゃない。これから始まるのはそんな生易しいものじゃない。
話し合いでもない、議論でもない。もっと別の、もっと激しいもの。
それは互いの望みのぶつけ合い。互いの意見を通すための戦争。
「クロード、お前の次の相手は俺様だ」
一度、大きく息を吸う。
「オードラン王国第十七代国王アルフレッド・アドルフ・オードラン」
高らかに名乗りを上げる。それは騎士の決闘の合図だ。相手を敵と見定め、戦い抜くことを誓う世界への宣誓。
「アルケミア所属一年生《世界から見放された者》クロード・ルルー」
クロードも迷わなかった。覚悟を持って、国王の前に立ちふさがる。
その姿を見て、アルフレッドは思わず笑ってしまった。いつもの軽薄な笑みではない、感情をむき出しにした笑顔を浮かべてしまった。それほどまでに目の前の少年はこちらの心を揺さぶる存在だった。離反でも反逆でもなく、民のまま己に立ち向かわんとする彼の姿はアルフレッドを強く高揚させた。
「それでいい――――さあ、論争を始めようぜ」
剥きだした感情は期待か不安か……その答えを放り出してアルフレッドはただ笑う。
+
論争という言葉を聞いて、不敵に笑うアルフレッドを見て、クロードはどこか背筋が凍るような気分になった。この軽薄な王様がこんな風に笑う人間なのだったのかと知って妙な恐怖を抱いてしまったのだ。それは理解の及ばないもの、計り知れないものに対する潜在的な恐怖だった。一度は見つけたと思っていたアルフレッドという人間の底が、覗き込むことさえできない深淵へと落っこちていってしまったような、そんな錯覚をクロードは覚えた。
いや、あくまで錯覚だ……現実じゃあない。
そう自分に言い聞かせる。先程から妙に自分が興奮しているのは自覚していた。ロウを倒し、ここまで辿りついたことに喜んでいるのか、それともこれから始まる戦いへの武者震いか。
どちらにせよ、これは今は不要な感情とし、クロードは自分の心の奥底に仕舞い込む。
「まず、お互いの立場をはっきりさせておこうか」
アルフレッドが言う。
「俺様の方針はモネの提案と一緒だ。オルタナは殺す。そうすることで国を救う。対するお前はオルタナを救いたいと言ったな? この際理由は置いておくが、とにかくお前の方針は俺様の方針とは真っ向から対立する。目指すものが真逆なんだからな、当たり前だ」
論争。これから自分は己の国の王を説き伏せなければならない。説得し納得させ、自分の意見を通す。そのための策が、戦略がないわけじゃなかった。むしろロウとの戦闘行為の方がクロードにとっては予想外だったのだ。はなからクロードはこの円卓の同士を説得するためにここを目指していたのだから。
だから、この展開は望むべきことだったはずだ。しかし覗くことのできない深淵をあらわにしたアルフレッドにクロードは少しだけ怯んでしまった。
「さて、立ち位置をはっきりさせたところで、始めるか…………まずはどうする? とりあえずお互い意見と質問の殴り合いだが、最初の発言権はどっちが持つよ」
「先鋒は僕がやります」
自身の中の不安を払拭するためにクロードはできるだけ大きく名乗りをあげた。そのことにより周囲がざわめくのがわかる。その反応はわかりきっていた。こういった論争の場合不利になるのは先鋒側だ。何故なら最初に発言をするということは、その意見に対して反論を許すことになる。後攻は相手の意見に反論し、それを崩していくだけで自らの主張を通すことが出来る。攻めと守りを分ける最初の発言権。それをクロードは手放した。
「ほう、そうか。そうかそうかそうか、なら先鋒はお前でいい。発言を許すぜ、クロード」
クロードの愚策にざわめく周囲とは違い、アルフレッドは表情を変えることはしなかった。何かあると、そう読んだのだろう。その信頼にも似た評価は嬉しくもあるが、同時に厄介だった。
つまりは警戒されているってことだもんなぁ……。
ため息をつきたくなる気持ちを抑え込み、クロードは先鋒を打って出る。
「まず、最初に国王様が明示されたお互いの立ち位置。その時点で誤りがあると指摘します」
その発言に王はいち早く反応を見せた。
「成程ねぇ、いきなり前提から崩しにかかってくるか。そのための先鋒かよ」
そもそもあの時、相手の立場までもアルフレッドが語ったのにクロードは違和感を覚えていた。あれはアルフレッドの策。あの時点で既に彼は戦闘を始めていたのだ。お互いの立場を明確にするという建前で、アルフレッドは自分と相手が相対しているという事実を強くした。対立を強調したのだ。それによって妥協をしにくくした。あくまでもどちらかが力尽きるまでの戦いであることを示したのだ。クロードの目指す先にとって、それは不利になる条件だ。それならばその時点で否定してもよかったのだが、逆にその手を利用してやろうと、クロードはそう考えた。
相手の立てたシナリオを根底から覆す。そのための先鋒だった。
セオリー通り戦うつもりはない。
「確かに僕の望みはオルタナを救うこと。彼女を殺さないことが、僕の望みで間違いはありません。しかしそれは決して国の方針と相いれないものではないと主張します」
「理由を聞こうか。何故、そう言いきれるんだ?」
「この国を守ること、それが国王様の目的だというのなら、オルタナを救うことでその目的も一緒に達成できます。僕が守りたいのは彼女の命だけじゃない。そこには彼女の未来も含まれている」
命だけ助かったならそれでいいとはクロードは思わない。そんなものに意味はない。
「彼女が城の中で過ごした時間。その全てを取り戻せるだけの未来を僕は望んでいます。だからこそ、僕はオルタナを救い、そして彼女を救うために国も守ります。オルタナを、国を滅ぼした罪人になんてさせない。何一つ失わず損なわず、あらゆる全てを守ること。全てを未来へと繋ぐこと。それが僕の望みです」
「…………それがお前の望みだとすれば、つまり俺様の望みもまたそこに内包されていると。そう主張するわけだな?」
クロードは頷く。ここまでの言葉に偽りはない。全てを救うことが彼女を救うことだと考えるならば、国の望みもそこに含まれている。
「お前の望みが俺様の望みをも含んでいることは理解した。だけどそれでも俺様はお前の主張を受け入れるわけにはいかない。何故だかわかるか? お前の望みとやらは、確実性がないんだ」
多くを望み過ぎだと、王は言う。
「そんななんでもかんでも叶えられるほど世の中甘くはねぇぜ。オルタナも救って国も救う。そいつは高望みしすぎじゃねぇか? 大体オルタナはこの国に仇名す驚異なんだ。国と一緒にそいつも救うってのはちょいと矛盾しているように俺様には思えるぜ」
「確実性、と言いましたが。国王様、しかしあなたの望みにはその確実性はあるんですか?」
反論。それを受け、アルフレッドは笑う。
「いや残念なことにこっちの方針も確信があるのかといわれると辛いところなんだよな。モネは大丈夫だと言っていたが、そもそも浮遊城に辿りつけるかどうかもわからねぇ。あの竜や城だって、奥の手を隠していてもおかしくはない。だけど、ただ一つはっきりしていることは――――オルタナを殺せば全て解決するってことだ」
オルタナを殺す。それはつまり浮遊城という魔法の術式そのものを破壊することを意味する。当然そこに含まれているであろう竜の軍勢も消え去る。
「現状、確信が持てる一番の事実はこれだろう? オルタナを殺せば浮遊城は消滅する。それだけは誰も否定はできない、確実性を持った真実だ。だから俺様はオルタナを殺すことで国を救うことを提案する。それが国の方針だ。対するお前の方針には確かに国を救うこをも含まれているが、それは大前提としてオルタナを救うという目的があって初めて成立する副産物だろう。お前の言い分じゃあ、せっかく今この場で一番信頼できるはずの〝確実〟を捨てることになっちまう。わざわざ不確定要素を組み込むわけにはいかない」
だからお前の主張は受け入れられないと、そうアルフレッドは言った。
それを受けて、クロードは思わず表情を強張らせる。
一応、否定されるところまで予想通りだった。だが自らが崩した前提を再び上書きされるとは思っていなかった。流れるような言葉の中にアルフレッドはクロードの主張の大前提を示してみせた。一度すり合わせた望みを再び分離させられたのだ。一度こちらから否定してしまった以上、再びこの前提を崩すのは難しいだろう。
前提崩しのカウンター。相手の手法を逆手に取ったつもりが、逆に絡め取られてしまった。
落ち着け、落ち着けよ、頼むから……。
相手は国王。自分と違い魔法や戦闘の訓練だけでなく、政治的な教育も受けているはずだ。経験も実力も相手の方が上。冷静さを欠いたら、間違いなく一気に攻め込まれて終わりだ。
息を吸う。吐く。何度かそれを繰り返す。その間にもアルフレッドはこちらの発言を待つように黙っていたが、それは気にしない。彼は説得する相手であり、敵ではない。国王がなんと言おうと、クロードには戦い合っているつもりはない。
クロードの敵は自分自身だ。
臆病な己に、それを克服するための理屈を並べ、強い自分を創っていく。それは負けそうになる心を叩き伏せ、前へと進む戦争だ。
「今回の件に関して僕には三つ、疑問があります」
見せつけるように指を三つたて、クロードは告げる。
「まずはこの疑問を解決したい。それはきっと、僕にとっても、この国にとっても重要なことであると考えます」
+
クロードの立てた指を見て、アルフレッドは思案はする。
疑問だと……?
そんなものを提示して、どうするつもりなのか。アルフレッドにはクロードの意図が読めなかった。だが、
とことんセオリーからは外してくるか。
自らの戦法を逆手に取られた。そうなれば自然、次の手は慎重になるだろう。しかしクロードは攻めてきた。正攻法では勝てないから、という理由もわかる。だが疑問とはなんだろうか。
「いいだろう。言ってみろよ、その疑問とやらを」
「はい。最初の発言と同じで、僕はこの件に関しても前提が間違っている気がしてならないのです」
……また前提崩しか。
疑問というのは同じ手法を行おうとする愚策を隠すためのブラフなのかとも思ったが、すぐさまそれは否定する。それならば、わざわざ最初と同じなどと、自分から言うことはないだろう。
「疑問は三つ。まず一つは――オルタナの動機です」
「それが、一体なんだってんだ」
「ジャン・ジャックさんは。オルタナが今回の事件を起こした動機をこの国への復讐だとしました。だけど、僕にはそれが本当のことだとは思えないんです」
アルフレッドはジャン・ジャックの方へちらりと視線をやったが、静かに目を伏せたまま動く気配はない。どうやら静観するつもりのようだ。曲がりなりにも王が名乗りを上げて決闘を始めたのだから、当然と言えば当然か。同じようにリリィも目を伏せていた。
…………いや、寝てんのかありゃ。
「確かに、オルタナはオードランから酷く、辛い扱いを受けてきたのは事実です。でもきっと彼女はそんなことで、この国を恨んだりはしないと思うんです。ましてや、その恨みを王都を潰すことで晴らそうなんて、そんなことを彼女はきっと望まない」
「どうして、そんな風に言えるんだ?」
「ほんの少しの、短い間でしたけど、僕はオルタナと一緒に行動し、話をしました。だからなんとなく、違うんじゃないかな、って。そう思うんです。きっと彼女は何も恨んでいない。国王様も、そう感じませんか?」
その質問にアルフレッドは一瞬だけ張り付けた笑顔を剥がされそうになる。せりあがるような不明瞭な感情をすんでのところで飲み込み、いつもの調子で答える。
「さあな。俺様はあいつとは、まともに話したことがないからな」
その時、クロードは驚いた顔をして首を傾げた。
「そう、なんですか?」
「ああ。あいつは、オルタナは俺の前じゃあいつでもだんまりだった。それがどうかしたのかよ?」
「いえ、それならそれでいいんです……」
なんだってんだ一体?
どうしてクロードが不思議そうな顔をするのかわからず、アルフレッドは困惑する。しかしすぐにお互い論争の中へと戻る。
「とにかく、オルタナには恨みがなかったと、お前はそう言いたいんだな? ならその根拠はなんだ。まさかそう感じただけってのか」
「感じたから、というのが大部分ではあります。彼女から恨みは感じなかった。もっと違う、羨望や期待のようなものはありましたが……」
「なんだ。随分と曖昧な情報じゃねぇか。ジャン・ジャックの言だって憶測でしかないが、そっちの方がまだ信じられるぜ」
それだけのことをこの国が彼女にしてきたという自覚は勿論ある。オルタナを対象にした実験や研究の資料は代々王族へ受け継がれている。それを読み解くことを自分は幼少期に父から要求された。
「確かにジャン・ジャックさんと同じかもしれません。しかし彼の言うことは全てが憶測です。僕のも大部分がそうですが、一つだけ違うものがあります」
言って、クロードは指を一つ上へと指した。
「どうしてオルタナは、攻め込んでこないんでしょうか? あの城の武力を持ってすればすぐにでも王都は落とされてしまうはずなのに」
「一般人が避難するのを待っている、というのはどうだ? いくら復讐といえど、ただの国民に罪はないと考えているんじゃねぇか?」
「もう避難が終わってから随分時間が立っています。それなのに浮遊城はこちらが近づいたあの一度しか反応を見せません」
接近部隊の戦闘。結局今に至るまで浮遊所が動きを見せたのはあの一回だけだ。
今なおあの黄金の城は、沈黙を保っている。
「復讐であるならば、こちらに敵意があるのなら、王都はとっくに滅んでいなければおかしいんです。それなのにオルタナは黙ったままだ。それがどうしてなのか、自分なりに考えてみたんです」
「浮遊所は何故沈黙を続けるのか、か。それは俺様も気になるところではあるな」
「……僕は、オルタナが何かを待っているように思えるんです」
「待っている? それはおかしな話じゃねぇか。なんかを待っているっていうんなら、どうして接近部隊は迎撃されたんだ。あれこそ敵意なんじゃねぇのかよ」
「それはきっと違うんです。あれは敵意じゃなく、単なる防衛機能だったんです」
「は?」
思わず、馬鹿みたいな声を上げてしまう。まさかここでその言葉を聞くとは思っていなかったアルフレッドは少しだけペースを乱してしまう。
「防衛機能だと? だがあれは……」
「接近部隊の騎士の方々は、ほぼ全員がオルタナの姿を見たこともない人たちでした。そんな彼らからしてみれば浮遊城は巨大な敵でしかない。おまけに全員が武装して、万全の体勢だった。そんな状態の騎士があれだけの人数で近づいたんです。防衛機能が発動されてもおかしくはない」
「……人型術式としての機能はわからないことの方が多い。発動する可能性もあるだろうぜ。だけど、そうだとしたらお前の言うことと矛盾している。オルタナはそんな状況で誰を待っているってんだ?」
そもそも浮遊城自体が、オルタナが意図的に出現させたものであることは間違いない。封剣の強奪がその証拠にもなる。
「あいつは自分から、こんな馬鹿みたいな力を発動させておいて、それで誰かを待っているっていうのかよ。何かおかしくねぇか、それは」
「普通に考えればおかしいと思います。でも、こう考えたらどうでしょう。接近部隊は竜と戦うことで、ふるいにかけられていた。竜は試練だったんです。丁度、僕にとってのロウさんのような」
「ふるい? 試練? おいおいじゃあ、オルタナが待っているっていうのは……」
「はい。それを超えて、自分のもとへ辿りつける人。きっとそれが賢者の器なんです」
「賢者の器……?」
アルフレッドは記憶を探るが、聞いたこともない言葉だった。
「オルタナが探していると言っていたんです。彼女の目的は賢者の器を探すことなのだと」
「その賢者の器ってのはなんなんだ? 俺様は聞いたこともねぇぞ」
「すいません。それは僕にもわかりません。それを見つけて、彼女がどうしたいのかも。だけど、今のこの状況はきっと彼女がその器を選定しているんだと思います」
「オルタナはその賢者の器の選定をしているだけであって、こちらに対する敵意はない、と? 随分な暴論だな。その賢者の器ってやつも、今お前が勝手にでっち上げた設定じゃない保障があんのか?」
「ですが、賢者の器を抜きにしてもオルタナには敵意はないと僕は考えます。僕らがまだこうして論争を交わしていられるのがその証拠です」
そう言われると弱いんだよなぁ、とアルフレッドは思わず苦笑してしまう。オルタナの目的がこの国を滅ぼすことであるというのは、確かにジャン・ジャックの憶測でしかない。何かを待っている、というのは言い過ぎだが、しかし他に目的があるのではないかというクロードの言い分はわからなくない。むしろ納得だってできる。
「もしも、例えばの話だぜ? お前の言う賢者の器とやらが本当にあったとして、それをオルタナが必要としていた場合。あの竜の軍勢を潜り抜けて、オルタナのもとへ辿りつけるやつなんて一人しかいない」
そう言って、アルフレッドはその人物へ視線を送る。
王国最強の騎士。青騎士レヴァンテイン。その華々しい肩書きとは裏腹に、今の彼女はまるで憔悴しきった一般兵のようだった。肩は下がり、何かに怯えるように背中を丸めている。
「そんなの、モネしかいない」
自分の名前が呼ばれたことに驚いて、彼女はびくりと体を震わせる。その姿は追い詰められた子供のようにさえ見えた。
アルフレッドと同じように、モネへと視線を送っていたクロードがそのままに呟いた。
「二つ目の疑問。それは姉さん…………モネ・ルルー・レヴァンテインに関わることです」
+
名前を呼ばれた。それも、自分の弟に。ただそれだけのことに、モネは自分の体が異常に反応を示したと知る。
そこでようやく、自分が動揺しているのだとわかった。この状況に怯えていることも。
どうしよう、どうしてこんなことに……。
最初はクロードの身が心配で、のこのことこんな所へ戻ってきてしまった彼に怒りも抱いた。しかし、アルフレッドの堂々とした名乗り上げに、間髪入れず自らも名乗りを上げた姿を見て、そんな怒りもどこかへ吹き飛んでしまった。理由はどうであれ、自分の弟が一国に王に対して臆することなく戦いを挑んだのだ。その姿は姉として誇らしくもあった。成長した弟の姿を見て嬉しくなったのだ。
しかしそんな喜びもすぐに霧散する。
気づけば自分は冷や汗をかきながら、拳を硬く握りしめ、それを膝に乗せたまま固まって動けなくなってしまっていた。震える自分の手元を見るだけで、視線を上げることができない。だからといって、眼を閉じることもできなかった。少しでも動けば何かを気取られてしまいそうで。
クロードの疑問。オルタナの目的を問いかけるそれ。その疑問がまずかった。それは今、この場でモネが一番問われては困ることだったのだ。
モネは知っていた。彼女だけは知っていた。オルタナの目的。彼女が望むこと。クロードや、他の誰もが知りたがっていたその事実をモネだけは知っていた。知っていたからこそ言いたくなかった。言えるわけがない。あんな、あんな〝くだらない願い〟を一体誰に話せようか。
しかしどれだけくだらなくとも、それはオルタナにとっての願いに他ならない。
自由を否定し、全てを投げ打ってまでも望んだことなのだ。
それを叶えるのが友人の役目だと、そう思う。例えそれが罪を背負うことになる選択だろうと。
「ずっと考えていました。あの時の姉さんは何かがおかしかった」
そう語るクロードの視線はこちらを向いている。アルフレッドとの論争中だというのに、自分までもまきこむつもりなのか。
「僕の命が危険に晒されて、少しだけ冷静でなかったことはわかるよ。でも、それ以上に姉さんはどこか焦っているようだった。まるで追い立てられているような、そんな状態だった。何より姉さんがオルタナを殺すと言ったこと。あれが違和感の原因だ」
「違和感……?」
呟くこちらに、クロードは頷きを返す。
「どうしても拭えない違和感だよ。それもそうだ、あの言葉は僕が一番よく知る姉さんの言葉じゃない。あれはただのモネ・ルルーじゃない――――青騎士レヴァンテインとしての言葉だったんだ」
騎士としての言葉?
クロードの語ることにこそ、モネは違和感を覚えた。自分と青騎士。一体、何が違うというのか。
「だから僕はこう考える。オルタナを殺す、というあの言葉は姉さんの本心とは違う選択肢じゃないの? 騎士としての仮面を被らなければ言えないような覚悟。それは忠誠や大義からくる覚悟じゃない。もっと別の、後ろめたさからくるものだ!」
ああ、とモネは思わず苦笑する。
よく、わかってますのね。わたくしのこと。
弟だということを差し引いても、見事な推理だ。確かにその通りなのだろう。自分はきっと本心とは違う言葉で喋っていた。騎士としての仮面は罪悪感を覆い隠すもの。騎士であろうとする間は見せないようにしている、自分の弱い部分。それをクロードはよくわかっている。
だが、クロードはオルタナの望みを知らない。彼女が焦がれたただ一つの願いを知らない。
だからモネは言う。突き放すように、拒絶するように、全てを跳ね返す言葉を。
「そんなこと、わたくしちっとも知りませんわ」
…………。
我ながら凄く子供っぽい言い方になってしまったなと、モネはちょこっとだけ赤面する。




